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5.天使と悪魔

放課後、白嶺と一緒に帰っていると、富士がニヤニヤしながらこっちに近づいてきた。


「いいところに来たな、カップルども!」


「うわ、なんですか……。」


「あそこのアイス屋でキャンペーンやってるのが見えるか?

カップルだと10%オフだ。お金渡すからたくさん買って来てくれ。」


「松原と行けばいいだろ。」


「松原は今日は用があるって出掛けてる。」


珍しいこともあるものだ。

松原は普段は富士にくっ付いているというのに。

富士はこちらをチラと見ると「涸沢もだろ。」と付け足した。

そういえば今日は見ていない。まあ、毎日会うわけではないのだが……。

悪魔会議的なものだろうか。


「富士くんアイス好きだね。

わかった、買ってくる。何味がいい?」


「大納言小豆。」


「え、大納言小豆たくさん?」


「いや、大納言小豆は一つでいい。

松原は甘いやつが好きだから甘いやつ買って来てくれ。」


富士は無造作にお札を白嶺に渡した。


「松原ちゃんも女の子だね。

そういえば、アサヨちゃんもアイス買うとか言ってたなあ。」


「アサヨ?会ったのか?」


「うん。

……あれ?なんか伝えるように言われてたんだけど……なんだっけな。」


アサヨの名前を聞くだけで胸の内がザワザワする。

白嶺に何の用があったというんだ。

俺は彼女の手を持ち、記憶を覗く。


—あんたがこれを見れるってことは、本当に悪魔に魂を売ったんだね。


アサヨは白嶺を見ていた。その奥にいる俺を見据えていた。


—私がこの女に何をしたかそんなに心配?安心して、まだ何もしてない。これからする。


—悪魔使い、ひいては悪魔の殲滅。これが私に課せられた使命。


どういうことだ。

アサヨは何故悪魔の存在を知っている。

いや、何故俺が記憶を覗くことがわかった。


「お兄ちゃん。」


後ろからアサヨの嘲笑うような声が聞こえて来た。


ヤバい。

何か嫌な予感がする。


俺は振り返らずに白嶺の手を掴んで走る。

富士も異変に気付いたのか、後ろからついてくる。


アサヨがおかしくなったのはいつからだ?

昔は動物を殺したりしなかった。人の傷つくところを見て喜ぶようなやつじゃなかった。


「逃げないでよ。」


アサヨはいつの間にか俺の前にいた。


「っ、どういうことだ!

なんでお前が悪魔の存在を知ってる!」


「アハ、いいよ。教えてあげる。

私は天使。悪魔の殲滅が使命。そして、人類の滅亡が私の望みよ。」


アサヨは嗤うと、背中から真っ白な羽根が生えた。

……天使?何を馬鹿な。

アサヨは人間だ。俺の妹だ。


「あ、え?なに……っ!?」


白嶺が驚いて後ずさる。

俺はその前に立った。


「何言ってんだ、お前。」


「別におかしいことじゃないでしょ?

悪魔がいるなら天使もいる。」


「お前は人間だ。」


「馬鹿だな、まだわからない?

あんたが悪魔と契約した時、同じように悪魔と契約したの。

K2は同時に契約した。」


そんなはずない。

あの時意識があったのは俺だけだった。

アサヨは横で倒れていたのだから。


「そんなはずないって思ってる?

あのさ、悪魔だよ?そんなことしちゃうに決まってる。」


そんな馬鹿な。

後ろから富士が低い声で呟いた。


「あいつの言ってることは本当だ。

涸沢、いやK2はお前と2人同時に契約した。欲をかいたんだ。

今日K2がいないのはカラコルムがそのことを咎めてるからだ。」


涸沢、あいつ。

ぶん殴ってやりたい。


「そーゆーこと。

で、あんたは誰にも手出しをするなと言った。

私は違う。人類の滅亡をって言った。

ほら、本当に出来るならやってみたいじゃない。

そしたらあいつは、俺には出来ないが出来るようにしてやるって言って私を天使にしたってわけ。

どうもこの天使ってのは人類をメチャクチャにするのが好きみたいね。」


アサヨは俺たちを侮蔑したように睨んできた。

そしてどこからともなく弓矢を取り出し、俺たちにかざした。


「私は私の命をもってして天使になった。天使になったからには悪魔は殲滅しないとね。」


「ダメ!」


弓矢を見た瞬間、白嶺が飛び出してきた。


「出るな!」


俺の制止も聞かず、前に飛び出す。

富士が「お前はまた!」と叫んでいた。


「あんたなら出てくると思ったよ。」


アサヨは躊躇いもなく弓を引いて、白嶺の胸を撃った。


矢は彼女の胸を貫いた。


「白嶺!!」


「う……ア……。」


矢は触れてもいないのに消滅する。

彼女の胸には大きな穴が空いているが、血は出ていない。

やがてその穴も消える。


「安心しなよ、死なないから。

それどころか悪魔の呪いは全部解ける。

あんたが魂を売ってまで手に入れた彼女はもうあんたのものじゃないってわけ。」


背筋が凍る。


白嶺、白嶺が。


彼女が俺の物じゃなくなったら、どうなる。


「おい、大喰しっかりしろ!

白嶺を抱えて走れ!

次は俺たちだぞ!」


ハッとして振り返るとアサヨが俺に標準を合わせていた。

クソが!


痛がる白嶺を抱きかかえて走り出す。

白嶺は気絶しているようで、苦しげに目を瞑っていた。


今更ながら通行人が一切動いてないことに気づく。

時間が止まってる?


「白嶺は死なないだろうがな、俺たちはダメだぞ。」


「お前なんでそんなことわかんだよ。」


「お前とじゃ年季が違う。

契約して7年だからな、色々あった。

天使を見るのも初めてじゃない。」


「ならなんでアサヨが天使ってわかんなかったんだよ。」


「あいつら擬態がうまいんだ。

あ、大喰、避けろ!」


アサヨは俺たちの進行方向に回り込んで矢を射ってきた。

走って避けると、俺の後ろの木に当たった。ちょうど頭のあった位置だ。

なんでこんなに正確に狙えるんだ。弓道部にでと入っていたか?


「あんたらをやったら次は悪魔ども、それから人間ね。」


「なんでいきなり……。

今までも狙うチャンスあっただろ!」


「気分よ。」


バシンと音がしてまた矢が放たれた。

キリがない。


「どこまで逃げればいいんだよ……!」


「もう少し。」


富士を先頭に街中を駆け抜ける。

撃たれた白嶺の様子も気になるが、立ち止まる暇はない。


「……なんでアサヨはあんなになったんだ?」


「俺が知るかよ。」


「兄妹なのに。仲良くしろよ。」


「無茶言うな……!」


離婚して、再婚して、離れて、くっ付いて。

アサヨはいつの間にか苛烈な性格になっていた。


「俺が思うに、あいつは殺されたんじゃないのか?」


「殺された?」


「お前が契約した時何があった?」


富士が何を言いたいのかわからないが、質問に答える。


「何が……。

アサヨが両親を殴って2人は倒れてて、飼い犬が死んでた。

そしたら、本が急に開いてK2が出てきた。」


「……多分、アサヨは嘘をついてる。

アサヨが悪魔を喚んだんじゃない。

お前の親が悪魔を喚んだんだ。」


言っている意味がわからない。

俺は白嶺を抱え直す。

富士は前を見て走りながら話を続ける。


「お前の両親はアサヨを生贄にして悪魔を喚んだんだろう。

悪魔とお前の親は契約し、アサヨを天使にした。

契約は完了しアサヨは天使になったが、アサヨがちょっと暴力的だったのが誤算で、暴走した。


お前が入った時、両親が倒れて犬が死んでたのはアサヨの暴走の結果。

K2は犬の血で再び喚びだされ、お前とも契約を結んだ。」


「なんで、どういうことだ。

意味がわからない。」


「俺も動機まではわからない。

けど、アサヨは自分の命をもってして天使になったって言っただろ?

死人がどうやって悪魔を喚ぶんだ。」


「喚んだ後死んだとか。」


「悪魔を喚び出すのには生贄が、命が必要なんだよ。

アサヨが喚び出したなら、他に誰か死んでなきゃ。

でもお前の両親は生きてて、犬は死んでたかもしれないがそれはお前が喚び出すのに使ってるから違う。となると、アサヨの命で喚び出したとしか思えない。」


どうしてそんなことを両親はしたんだろうか。

わからない。

両親の様子に変わったものはなかった。

……いやどうだろうか。俺は家にいないようにしてたし、家にいるときは会わなくていいよう部屋にこもっていた。


「なんでアサヨはまるで自分で悪魔と契約したみたいに言ったんだ。」


「それならわかるぞ。

アサヨはプライドが高いから、お前に自分が殺されたなんて言えなかったんだろ。」


「さすがの俺も殺されたとなったら同情する。」


「だから、同情されたくなかったんだよ。」


そう言われああ、と納得する。

アサヨは可哀想な側になりたくないのだ。いつだって、可哀想と言う側でいたい。


そのときヒュンと風切り音がした。


「余計なことをベラベラと。」


「グッ……。」


アサヨが弓を構えていた。

その矢は、富士の足に突き刺さっていた。


「富士!」


「これは……凄まじい痛みだ。

焼けるような痛みって表現がぴったりだ。」


「実況してる場合か!

肩貸すから立て!」


「いやいい。」


富士はフウと息を吐いた。

アサヨは再び弓を構えようとしている。

まさか、死ぬつもりじゃ。


「何がいいだよ、立てって。」


「落ち着けよ、大丈夫だから。」


何が大丈夫だ。

太ももにぽっかり穴が空いているというのに。


「さよなら、芙蓉くん。」


アサヨがニンマリ笑って矢をつがえる。


そのアサヨの後ろに巨大な蝙蝠の羽が現れた。


「この、小娘が!!!」


バァンと音がしてアサヨが倒れる。

真っ赤な肌に蝙蝠の羽、大きな角。

悪魔だ。


「……カラコルムか?」


「そうだ。やれやれ、助かったな。」


富士は首を振った。

余裕こきやがって。


「悪魔……そっちから来てくれるなんてね!

殲滅してやる!」


アサヨは立ち上がり、カラコルムに矢を放つ。

矢は美しい放物線を描いて悪魔の腹に当たった。


「アハ!やったわ!」


アサヨは飛び上がって喜んだが、カラコルムが動くと再び弓を構えた。


「どうして動けるの?

天使の矢は悪魔の最大の弱点じゃ……」


「愚か者め!

33の贄によって喚び出されたこの私が、お前なんぞの矢ごときでどうにかなるものか!」


カラコルムは吼えると、大きな爪の生えた手でアサヨの頭を掴んだ。


「我が友人を傷つけたことどうしてくれようか!」


「カラコルム、殺すな!

無力化すればいい。」


カラコルムは不満げに鼻を鳴らすと、アサヨの羽根を毟り、弓矢を折った。

そうすると、富士の足の穴も消えた。


「……乱暴だな。」


「こっちは足を撃たれてるんだ。優しくしてやる必要もないだろ。

しかも危険思想持ちだし。」


アサヨは後ろ手にネクタイで縛られ、忌々しげに俺たちを睨んでいた。


「助かったよカラコルム。ありがとうな。」


「構わない。」


いつの間にかいつもの清楚な姿に変えて、カラコルムはフフンと得意げな顔をした。

松原の姿で、悪魔の喋り方をすると違和感がある。


「涸沢……K2は?」


「ここですよ。」


涸沢がひょっこりと姿を現した。


「どこ行ってた。

聞きてえことが山ほどあんだよ。」


「ですよね。」


涸沢は飄々と笑う。

ですよね、じゃない。


「全部一から説明しろ。

アサヨ、お前もだ。」


涸沢は首を傾げてアサヨを見た。

アサヨは暫くこちらに噛み付いて来そうな顔をしていたが、絞り出すような声で「話せばいい」と言った。


「大喰さんの両親はアサヨさんが売春してることを知って」


「待て、売春?」


始めっからかっ飛ばすなよ。


「そうです。正確には買おうとした相手を脅してたんですけどまあそんなことはどうでもいいですね。

それで、売春してた娘を嘆いて叱って、殺したんです。


でも、父親は蘇らせることにした。

で、本の置いてある大喰さんの部屋でアサヨさんを贄に俺を喚び出し娘を生き返らせてほしいと頼んできたんです。

子育てに失敗した。天使のような娘にして生き返らせてくれと。」


涸沢は淡々と説明している。

こいつは分かっていたはずだ。

天使のような娘というのは、こんな恐ろしい天使ではなく、清らかで優しい娘にしてほしかったと。


「だから俺はアサヨさんを天使にしたんですよ。

アサヨさんの命とあの2人の魂を使って。


アサヨさんは蘇りました。

でもほら、天使になったからって性格が変わるわけじゃありませんから父親と母親を殴ってその間にいた犬も殺した。


と、そんな所にちょうど大喰さんは帰ってきた。

で、俺思ったんですよ。これは観光のチャンスだと。

だから犬を媒介にしてまた喚び出されたフリをしたんです。大喰さんの願い叶えて、ちょっくら観光するかみたいな。


そしたら大喰さんの願いは自分たちに危害を加えるな、じゃないですか。笑っちゃいますよね。もう遅い。危害を加えた後なんですから。

あ、怒らないでください。


後は知っての通りです。

アサヨさんがここまで暴走しちゃうとは思いませんでした。」


頭が痛い。

アサヨが売春してたことはもういい。

だが、殺しておいて天使のような子にして蘇らせてくれという両親はなんだというんだ。

アサヨが悪いのか。

何故アサヨがああなったかわからないのだろうか。


ずっと喧嘩して喧嘩してないときはお互いの悪口を言い合い、また喧嘩して、ろくに俺たちの面倒も見なかった。

俺が高熱で倒れた時も、アサヨが脱臼した時も、俺たちは自分でなんとかした。


それなのに、子育てに失敗しただと?

そもそも子育てすらまともにしてないじゃないか。


「なんで今日襲ってきた。」


後ろ手に縛られながらも、こちらを攻撃してきそうなアサヨ。凄まじい闘争心だ。


「なんでだと思う?今日が何の日か、覚えてない?」


今日は7月2日だ。

何の日だっただろうか。


「あいつらの1回目の結婚記念日よ。」


そんなの覚えてるわけがない。


しかし何故結婚記念日だから襲ってきた?

……そもそも襲われたのは俺だけか?


「まさか……。」


「家に帰ったら贄が2つあるわ。

精々有効に使うのね。」


アサヨは顔を歪めて笑う。


両親が死んだ。


確かにずっと両親が嫌いだった。

死んで欲しいと思ったこともある。

でも、実際死んだと言われると虚無感に襲われる。


アサヨも死んで、両親も死んで。

こうなったのは何が原因だったのだろうか。

アサヨがこうなるよりも前から、崩壊の気配はしていた。


……そもそも思い返すと、家族だった時なんて無かった気もする。

アサヨと一緒に暮らしていたのは8歳までで、それから再婚までの10年は一年に一度会うか会わないか程度だった。


アサヨと一緒に出た母親とも同じくらいの回数しか会わなかった。

一緒に暮らしていた父親とは月に数度しか顔を合わせなかった。


再婚してからも家族4人で出かけることも無くただギスギスといがみ合って。


俺たちは一体なんだったんだろう。


「ずっと殺してやりたかった。

やっと殺せた……。やっと……。

あんたも殺してやろうかと思ってたんだけど、まあいいわ。

あんたの大事な大事な白嶺ちゃんはもうあんたの物じゃなくなったし。」


白嶺の名前が出て、思わず彼女の体を強く抱いていた。

その様をアサヨは侮蔑したように見てきた。


「……あれ?俺はなんで襲われた?」


「悪魔使いとか悪魔殺すと力が強くなるの。ついでにって思ったけど……。

でも芙蓉くんに恨みはないから、悪いことした……かな?」


かな、じゃない。

確実に悪いことした。


富士も憤慨したように「俺の足がどれだけ痛かったか!」と叫ぶ。


「ごめんごめん、ほら、お金あげる。

大納言小豆買ってきなよ。」


アサヨは器用に後ろ手でポケットを漁り財布を取り出す。


「俺の命狙った割に安くないか……!?」


「お金好きなだけ持っていけばいいわ。

私は必要ないし。」


彼女はハアと息を吐くと羽根が生えてきた。

毟られたため、どことなく痛々しい。


「これ解いてよ。もう私何も出来ないから。」


富士は渋っていたが、折れた弓矢を見て腕を縛っていたネクタイを解く。


「じゃあね、私はもう行くわ。」


「どこに行くつもりだ。」


「……もう会わない。さようなら。」


何度か羽ばたきをすると、彼女はそのまま飛び立った。

ヨロヨロとしているが、結構な速さだ。


「……いいのか?」


「会わなくて清々する。」


「そうか。」


富士はそれ以上何も言わなかった。

俺も何も言って欲しくなかったので助かった。

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