10.廃ビルの決戦と悪魔
上の階は壁が吹き抜けの、まるでチキンレースの崖のような場所だった。
どうしてここだけ壁が崩壊しているんだろう。
なぜか地面も赤黒くなって不気味だ。
そんな不気味な場所に三俣と涸沢がいた。
他のヤンキーはどこに行ったのだろうか、と思ったらフロアの脇で沈んでいた。
「あ、富士!」
三俣は鋭く富士くんを見つけるといきなり掴みかかった!
「お前いきなり何しやがんだ!
随分後輩可愛がってくれたらしいな!?」
「何って、売られた喧嘩を買ったまでだが。」
「ハア!?何言って……
……あれ?お前……。」
三俣は富士くんから手を離すと、塩見に寄って来た。
「お前が塩見 鹿塩か?」
「あ、ああ。お前が三俣か?
俺に何の用。」
「何の用って、話したかっただけだよ。」
「え……相撲部屋の可愛がり的な……?お話は暴力ってこと……?」
「何言ってんだオメェ。」
三俣は呆れ顔で塩見を見ていた。
なんだか反応がおかしい。どういうことだろう。
「三俣さんが塩見殴りたいって言ってたから捕まえようとしたんですよ?」
涸沢が説明する。
まるで痴呆老人を相手にしているかのような口ぶりだった。
「ハア?
俺はそんなこと一言も言ってねえぞ。
ただ、本当にアサヨと付き合ってんのか確かめてえからどいつが塩見か調べとけって。」
……?
なんだか2人の言い分が噛み合っていない。
「ちょ、ちょっと待って。」
塩見が慌てた様子で2人の間に割ってはいる。
「アサヨって東雲アサヨのこと?
俺付き合ってないけど……。」
「ええ?」
どういうことだ?
確かにあの時アサヨは塩見と付き合っていると言っていたのに。
「付き合ってないって、でも2人で顔寄せ合ってる画像見せられたぞ!?」
「えー?snowで遊んだ時のやつかな……。」
snowって。あの写真加工アプリの?
高校生かよ。いや高校生だった。
「じゃあ付き合ってないのか?」
「うん。ただの友達。」
なんだか狐につままれたような気分だ。
涸沢は三俣に塩見をボコしたいから連れてこいと言われ、三俣は涸沢に話がしたいから調べてこいと言って。
塩見は塩見でそもそもアサヨと付き合ってなかった……?
「なあ、涸沢。お前誰から三俣に塩見連れてこいって言われた?」
「アサヨさんです。」
アサヨに?
それってことは、アサヨがそんな訳のわからない嘘をついたということ?
なんのために。
「なるほどな。
あいつのやりそうなことだ。」
「どういうことだ?」
「あいつはな、頭がおかしいんだよ。」
うーん。ストレート!
「わざと人を争わせたり、喧嘩させたり、痛めつけたりする。
そういうやつなんだ。
今回も、こうやって富士の介入が無ければ塩見は涸沢たちに殴られて、そこから麓高校と山岳高校の喧嘩にまで発展してただろうな。」
そんなことして何になるという。
理解ができない。
恐れ慄いていると、後ろから拍手が聞こえて来た。
「ご名答。さすがお兄ちゃんってところかしらね。」
アサヨだ。
ニコニコしながら私たちを見ていた。
「何がお兄ちゃんだ。」
「んー、この呼び方寒気がするね。」
「アサヨ、どういうことだ。
何がご名答なんだ。」
三俣は縋るような声を出した。
アサヨはそれを冷たく笑って一瞥する。
「何がって、わざと争わせたってことよ。
三俣くんが鹿塩をうっかりボコボコにしちゃって、そこから発展する二校間戦争を期待してたんだけどなあ。」
「なんでそんなことをした……!?」
「決まってるじゃない!」
彼女はゲラゲラ笑った。
私たちはただただドン引くばかりだ。
何がおかしいのかさっぱりわからない。
彼女ははひとしきり笑うと、三俣の顔を両手で包んだ。
「三俣くん。
三俣くんは麓高校の人たちに勝てるかな?勝てないよね!絶対勝てないよ!
だって三俣くんは力じゃなくてノリで番長になっちゃった弱っちい番長だもん。
大喰 槍がいなかったら今頃山岳高校はボロボロだよ。
良かったね、大喰 槍が優しい人で。私に振られて落ち込んでた三俣くんに責任を感じて一緒にいてくれてんだもん。
いなかったらどうなってたかなー?
ああ、ボコボコにされて、泣いちゃう三俣くんが見たい、見たくて堪らないよ……。」
アサヨは恍惚とした表情で三俣の顔を撫でた。
三俣は唖然とし、ただただアサヨを見つめるばかりだ。
「どうして芙蓉くんたちは邪魔するんだろうね?
私はただ、三俣くんを傷付けたいだけなのに。」
恐怖。
その二文字に尽きる。
「傷付けたいって……。」
「あいつはそういう趣味なんだよ。
自分のことが好きな奴を傷付けるのが何より好きっていうな。」
とんでも性癖じゃないか。
加虐趣味?サディスト?サイコパス?
「なんで俺まで巻き込んだの?
俺全く関係ないじゃんか。」
塩見が憤慨したように言う。
全くその通りだ。
アサヨは塩見を見ると、アハと嘲笑う。
「最初巻き込むつもりはなかったんだけどね。
でもほら、鹿塩も私のこと好きでしょ?
だからちょっと傷付けたくなっちゃって……ごめんね?」
塩見は混乱したように「えっ、は?なに?」と言った。
私にもその理論はよくわからない。
「でもね、私わかったの。
やっぱり特別なのは三俣くんだって。
三俣くんさえ傷付けられればもうなんでもいいや。」
なんだそれは!
なんでもよくなんかない!
そんなことに巻き込まれたこっちの身にもなってほしい!
「だから三俣くん。
もっと傷付いて?」
アサヨが冷たい目で三俣を見た。
三俣は泣きそうな顔でアサヨを見ている。
彼女は三俣の胸に手を当てる。
その瞬間、彼女が何をしたいのかわかった。
ビルから突き落とすつもりなのだ。
この、壁の無いビルの10階から。
傷付くだけじゃ済まない。
死んでしまう。
私はアサヨが三俣を押すよりも早く三俣の体を掴んで引っ張った。
反動で自分が壁の際に転げる。
「なに、邪魔しないで!」
アサヨが私に掴みかかろうとした。
しかしその腕は私を捕らえることはなかった。
私は既に落ちていた。
*
風切り音が聞こえる。
落ちてる!
ビルの10階から!
私は驚いた顔をするアサヨを見ていた。
私も驚いていた。
なんでこうなっちゃうかな!
助けを求めて腕を伸ばすがとっくに彼らの手の届かない位置まで落ちていた。
ああ、私死んじゃうのかな。
その時耳に「カラコルム!」という声が聞こえた。
カラコルムってなに……?
その瞬間、世界が止まった。
人間すごいピンチの時ものがゆっくり動くというが、そういうものではない。
本当に止まったのだ。
アサヨも大喰くんも動かない。
私も少しも落下していない。
動いているのは富士くんと松原ちゃんだけだ。
……いや、あれが本当に松原ちゃんなのか?
「全く、面倒なことに巻き込まれるものだ。」
彼女はウンと伸びをした。
背中から真っ黒な羽が生える。
それから羽ばたきをすると、私のところまで飛んできた。
「お前も愚かしいな。
あの女は男を殺す気はなかったのに自ら飛び込むとは。」
「えっ、えっ?ん?松原ちゃん?
どうしたの?羽生えてるし、魔王みたいな喋り方になってるよ?」
松原ちゃんはフンと笑うと私の体を持ち上げた。
「魔王じゃない、悪魔だ。」
彼女はひとっ飛びで富士くんの元まで行くと、私を地面に下ろす。
……悪魔?悪魔って……?比喩表現でなく?マジモンの?
「すまない、助かった。」
「仕方があるまい。これも契約のうち。」
松原ちゃんは黒い羽を折り畳む。
コスプレじゃないよね?
飛んでたし。
未だに他のみんなは動かない。
「えっと、その、なにが起こってる?
松原ちゃんはどうしちゃったの?」
富士くんに助けを求める。
彼はうんと頷いて説明しだした。
「松原は本当はカラコルムって名前の悪魔なんだ。」
……そんなあっさり言われても。
「あ、悪魔?」
「そう。俺が小学校4年の時、ここで召喚した。
その時ここの壁が破壊されて、床も変になったままだ。」
壁壊したの富士くんかよ……。
「俺は自分の魂と引き換えにカラコルムという友人を手に入れた。
普段は松原 三保として過ごしているが、絶体絶命の時は助けてくれる。」
「……まずどうやって召喚したか、とか、なんで友達なのとか聞きたいんだけど……。」
「召喚方法か……。俺なら聞かないな。」
富士くんは赤黒い床を見た。
それでなんとなく察する。
絶対ロクなことじゃない。
「俺はその時友達がいなかったから友達が欲しかったんだ。
永遠に壊れることのない友情が。」
そうか、富士くんが松原ちゃんに対して言っていたソウルメイトって、魂の契約だからソウルメイトってことか……。
「そういうことだ。
お陰でお前を恋人にするという願いも叶わなかった。」
「そうだね、そんなぶっ飛び人間とは付き合いたくないかな。」
「そうではない。
お前はもう別の人間の物ということだよ。」
松原ちゃんはニヤリと笑った。
別の人間の物……。
それが誰を指しているか、私が1番よく分かっている。
が、悪魔に指摘あれるだなんて。
「う、うるさいなあ!松原ちゃんには関係ないし……!」
「どんな形であれ、私は応援するよ。
さて、時間を戻すとしよう。」
悪魔って時間操れるのか。
すごいな。富士くんもすごいな。
私が富士くんを尊敬のこもった目で見ると、ちょっと寂しそうに笑った。
「悪いな、このことは俺とカラコルムだけの秘密だから。」
え?と思った瞬間、弾かれるように黒い何かで頭の中が覆われた。
*
「だから三俣くん。
もっと傷付いて?」
アサヨが冷たい目で三俣を見た。
三俣は泣きそうな顔でアサヨを見ている。
彼女は三俣の胸に手を当てる。
そして彼女はそのまま三俣を押した。
彼は大きくよろけ、壁の外ギリギリに座り込む。
「ア、サヨ!」
「アハ、びっくりした?
さすがに落としたりはしないよ。」
「お前、ふざけてんじゃねえぞ!」
大喰くんがアサヨの胸倉を掴み、そのまま彼女を殴った。
「いいか、金輪際俺たちに関わるな!
例えお前と血の繋がりがあろうと関係ねえ!
今度こんなことしたらぶっ殺すからな!」
アサヨは大喰くんを見て薄く笑う。
彼女に我々の気持ちなど通じないのだろう。
大喰くんの怒りも。
「いった……。殴ることないじゃん。
ハア、もういいや。これ以上殴られたくないし私は尻尾巻いて帰るよ。」
彼女は頬を押さえながら大喰くんを睨むと、我々に手を振って去って行った。
……行かせて良かったんだろうか。
「……ヤバかった……。」
涸沢がハー、と大きく溜息を吐いて床に座る。
よくそんな赤黒いバッチい床に座れるなあ。
……なんの汚れが知らないが、何故こんな色をしているのだろうか。
「なあ、大喰、聞きたいんけどさ、」
三俣はぼんやりと階段を見つめた呟く。
「アサヨは俺のこと好きってこと?
両思い?」
「バカは死んでも治らねえか。」
やれやれ、我々も帰るとしよう。
富士くんや塩見は放心している三俣を放置して歩き出す。
そこらへんに転がってるヤンキーたちもその内動けるようになるだろう。
「ほら、行こう。」
私は一応三俣に声を掛け歩くよう促す。
「おう……。
ってかお前誰だ?」
「は?」
何言ってんだこいつは、と思ったところで自分が変装していたことを思いだす。
……気付いてない?
「……小山、小山 武雄です。」
「ふうん。見た目の割にごつい名前だな。」
本当に気付いてない?
さすが三俣。あんなに誘拐した私の姿がわからないとは。
大喰くんと涸沢が呆れたような顔でこちらを見ていた。
あなたたちの番長ヤバいんじゃないですか。
「なあ小山はアサヨ俺のこと好きだと思う?俺はそうだと思う。ぜひまたよりを戻したい。」
「あー、んー、どうかなー?
わ、オレなら関わらない方がいいと思うけど……。」
また厄介なことに巻き込まれそうだし。
「なー、大喰!
結局お前はどう思うんだよー!」
「……もう知らねえよ。」
「ハー?お前ちょっと冷たいんじゃないか?」
いや、ここまで付き合ってくれる大喰くんはかなり優しいと思うけどな……。
「全くお前は冷たいし暴力的だし女の趣味は悪いし、良いとこ無しじゃないか!」
「女の趣味悪い?」
「そうなんだよなー。
身近にアサヨみてえな美人がいるからかなー?
富士の女が好きなんだよアイツ。」
ん?
富士の女?
「お前知らない?
キタキタ……。本名なんだっけ?」
「北 白嶺……?」
「そうそう、そいつ。
なんであんなんが好きかなー?ちんちくりんなのに。
涸沢から聞かされた時はマジびっくりしたわ。」
……え?
「……これは、予想外の展開っすねえ。」
松原ちゃんがハハアと感心したように言っていた。
……これは。
涸沢の顔を盗み見る。
彼は唖然とした表情をしていた。
それからそっと「ラーメン」と呟いた。
お前は空飛ぶスパゲッティ・モンスター教徒か?
涸沢から目を離し、大喰くんを見る。
彼は眉間にシワを寄せ「バカは死んでも治らねえがな……。殺してえ時もある。」と言っていた。
「三俣さん、殺される前に行きましょう。」
「え?何言ってんだ涸沢?
俺さっきアサヨに殺されかけたばっかりなんだけど。」
「そうですね、あの時死んでいれば良かったのかもしれないです。」
涸沢は三俣の腕を掴むとダッシュで逃げ出した。
塩見と松原ちゃんは拍手し、富士くんは「これが寝取られか……」と首を振って去って行った。
寝取られって、そもそも富士くんと私は付き合ってないからね。
その場に私と大喰くんだけが残される。
あれ?あの辺に転がっていたヤンキーたちもいない。
「……あの。」
「三俣の言ってたことなら気にするな。」
「……き、気にしたら、ダメかな?」
大喰くんが私の方をゆっくり振り返った。
顔がまともに見れない。
自分の顔が赤くなっていくのを感じ、右手で押さえる。
ああ、なんでこんな時に限って変装なんかしてるんだ……。
「あの、う、嬉しかったから、その、三俣の言ってたことが、だから、」
「……白嶺。」
大喰くんが右手を外す。
まともに視線がぶつかって、恥ずかしくなって慌てて逸らした。
彼は私の頬に手を当て、小さく呟いた。
「好きだよ。」
たった四文字なのにこの破壊力。
私の中の地球は爆発し、太陽は燃えおち、木星は霧散した。
「……白嶺!?おい!?大丈夫か!?」
「だ、ダメ……。」
「茹でたスパゲッティみたいになってんぞ!」
私は赤黒い床に倒れこみそうになる。
こんな、こんな……。
グニャグニャになった私を大喰くんが抱きとめる。
……抱きとめる!?と、とんでもない。
そういえば出会った時も横抱きに……ウッ……ときめきで……死が……。
「おい、息しろよ!
涸沢!」
呼ばれた涸沢はひょっこり壁から顔を出す。
富士くんや松原ちゃん、塩見の姿も見えた。
みんなであそこで盗み聞きしてたのか……。
ふふ、今なら何されても怒らないよ……。
「……俺が思うにそれは単純に悶えてるだけだろうから助ける必要はないと思いますよ。」
「息してないなら人工呼吸してあげなよ。」
塩見!お前、お前!!
さすがにそれは心の準備できてないよ!
「そうそう、白雪姫も眠れる森の美女も接吻で目が覚めるっすよ。」
「北は姫じゃないけどな。
取り敢えずキスしとけ。」
なにこれ。絶対楽しんでるでしょ。
「ちょっと!人前で何させようとしてるの!」
私は前言を撤回し、彼らに指を突きつける。
「なんだ、意識あったのか。」
大喰くんはやれやれといった感じで私を抱え直した。
お姫様抱っこだ……。お姫様抱っこ……お姫様抱っこ……、ウッ……。
「あんたも俺のこと好きなんだよな?」
大喰くんに顔を覗き込まれ、耳まで熱くなる。
「そ、う。
……好き……です。」
「……騙されてないみてえだな。良かった。」
何が、と聞くよりも早く大喰くんの顔が私に近づいた。




