第一話 久しぶりの、いつもの朝
――ジリリリリリリリリリリリリリッ!
けたたましく鳴り続ける時計の音が懐かしかった。
窓から差し込む朝日の眩しさが懐かしかった。
柔らかく暖かい布団の感触が懐かしかった。
本棚に入りきらずに積まれた漫画本。
貼られたアイドルのポスター。
壁に吊るされた学生服。
俺の、そう、ここは俺の部屋だ。
戻ってきた。
戻ってきて、しまったんだ。
俺は次第に覚醒していく意識のなか目覚まし時計に手を伸ばすと、デジタル表示されたその日付が、異世界召喚されたあの日の翌日だと気付く。
時計の日付は、今日が俺の18歳の誕生日であることを表示していた。
――ゼンブ、ユメダッタンジャナイノカ?
そして、目覚まし時計へと伸ばした自分の腕が、傷ひとつないキレイなものだと気付く。
まるで、そう、全部が夢だったかのようで。
――ゼンブ、ユメダッタンジャナイノカ?
あの冒険の日々が。
少女を抱きしめたあのぬくもりが。
少女を失ったあの絶望が。
――ゼンブ……
「夢のわけ……あるわけねぇだろ」
そう呟くと俺は苛立ちをぶつけるように目覚まし時計を叩いて止めるとパジャマのまま部屋を出て、階段を一段一段踏みしめるようにして下る。
洗面台へと向かい冷水で顔を洗うと、鏡に映る自分の顔を見つめる。
母親ゆずりの整った顔立ち――お父さんに似なくて良かったね、という文句は子供の頃から飽きるほど聞かされていた――に、ここだけは父に似たらしい、マンガかアニメの主人公を思わせる硬くツンツンと伸びる黒髪。
普段であれば、女性と勘違いされることもあるその顔には、しかし悲痛な表情が張り付いていた。
「なんで守れなかった」
――勇者様、どうか我らをお救いください。
テンプレとしか言いようがない、そんなセリフで俺を迎えた、異世界の姫。
ひと目惚れだった。
召喚に成功した安堵感と、俺に対する期待と恐怖、向けられる視線への重圧。
全てを綯交ぜにしたような、そんな表情で。
――いいぜ、任せとけ。
即答だった。
少女の笑顔が見たいという、それだけの理由。
周りの兵士たちが思わずざわつくほどの即答で、それを見た少女が我慢できずに浮かべた笑顔がとても可愛くて、それだけで、何でも出来そうな気がして。
「なんで、連れてった」
――姫を、娘を頼んだぞ。
魔王との最終決戦へ挑む際、人類の王から、少女の父親から託された言葉。
魔力を用いた身体強化や戦術を叩き込んでくれた師でもあり、俺に自らの牙を託した男。
「なんで、一人でのこのこ帰って……」
「なんで、私の可愛い蓮ちゃんは、せっかくの誕生日だってのに、朝からそんな物騒な気を放ってるんですかねぇ?」
その声に俺が振り返ると「この子が怯えてるじゃないですか、ねぇ?」とその腕に抱いた白猫のマシロに話しかけるようにこちらを非難する兄――響が、あくびを噛み殺しながら立っていた。
俺以上に、女性と見間違えんばかりのその整った顔立ちに、サラサラの長い黒髪。どこか線の細いイメージを受けるが、その乱れたパジャマから覗く肉体は、研ぎ澄まされた刀を連想させるほどに鍛え上げられている。容姿ではまったく自己主張出来なかった父の遺伝子が全力を注いだだろう、武の才能の塊。
俺が生まれてこの方、一度も勝てたことのない相手。響兄さんなら、きっと向こうでも俺なんかより上手くやれたはずだ。誰も死なせず、誰も傷つけずに平和を導いていたかもしれない。
「響兄、俺は……俺は!」
「まったく、なんて顔してるんですか。でも、今は話を聞いている場合じゃありません」
そんな響兄が、真剣な顔をして、俺を見つめる。
ぐうううううううううううううううううう!!!
「私はお腹が空きました。早く朝ご飯を作ってください」
「……誕生日の弟を、朝からコキ使うんですか?」
「……別に、作ってあげてもいいんですよ?」
「……っ。作らせていただきます」
俺以上に女性と見間違えんばかりの顔立ちにして武の天才の響兄は、悲しいかな、家事全般においては壊滅的な才能を発揮するのだった。
「せっかくの誕生日です。腕によりをかけて、でも早めにお願いしますよ」
響兄さんの腕のなかで、マシロが、にゃあ!と、こちらも朝食を急かすように鳴いていた。
「お腹が空いては、気持ちも沈んでしまいますからね」
まったく、異世界を救ってきたってのに、響兄にはまるで勝てる気がしないな。