D-side 14
/D-Side.
『大丈夫、絶対に一人にしないから。約束する。約束するから……』
それは俺が母さんにした約束だった。
『一人にしない』って、俺はこの時母さんと約束したんだ。母さんが寝言で言っていた『約束』は恐らくこれで間違いない筈だ。間違いない筈なのに、俺の頭はまるで靄でもかかったかの様にどんよりと何かが立ち込めていた。
「大丈夫、絶対に一人にしないから。約束する。約束するから……」
自分の口でもう一度言ってみる。それは確かにしっくりと、俺の胸の中に納まった。この言葉は、間違いなく俺自身が、母さんに宛てて言った言葉だ。そう、確信が持てた。
探していた記憶の筈だ。取り戻したかった記憶だった筈だ。
「灰兎?」
「ああ、ひよこか」
なのに、何なんだ、この違和感は?
「ひよこ、今の記憶の混乱はどの程度だ?」
「………殆どないと思われる。記憶の混乱は一割以下」
「つまり、正確な記憶に限りなく近い訳だな?」
「そう」
大切なものを取り戻した筈なのに、大切なものを失った様な、そんな感覚。確実に失った記憶の一ピースが埋まったのに、同時に何か、取り返しのない間違いを犯してしまった様な、罪悪感が俺の胸にはずしりと横たわっている様だった。
そう、この感じ。言葉で表すなら『罪悪感』だった。誰かに、申し訳なく思う気持ち。でも、この『罪悪感』は一体誰に向って抱いた感情なのだろうか? そもそも、俺はこの感情を、何に対して抱いているのだろうか? それが全く分からなかった。
「ひよこ、何であの記憶を選んだんだ?」
「整理する中で、浮き上がって来た記憶だったから」
「浮き上がって来た?」
「そう。時系列整理が終わった時、空白期間の中で不自然にその記憶が現れた」
「荒野の中の、あの『廃墟』の様にか?」
「そう」
それは、『調べろ』と言うこの世界からのメッセージの様に。
「そうか……」
「あの記憶は、灰兎が求めていた記憶ではなかった?」
「いや……」
不自然な記憶の回復は今まで何度も経験して来た。
俺にとって不自然に思われる形でも、冷静に分析すれば、それは自然な流れだったと俺は後から判断して来た。
唐突に現れたかに見えた学校の『廃墟』。これだって俺が『表層』と『深層』を行き来していく内に、徐々に無意識の内に記憶を取り戻していった結果が、この世界で形として現れたのだろうと思う。
突然『廃墟』から『学校』に、『二人の世界』が『大勢の世界』に変化したのだって同じだ。俺の記憶の復元率に合わせて、この世界が少しずつ変化しただけに過ぎない。
だから、今回の突然の記憶の復元も、そう考えれば実は自然な事かも知れないなんて思えるんだ。でも、先程の記憶は、俺が求めていた記憶だったのだろうか? そうだった様にも感じるし、そうじゃなかった様にも感じられる。結局どっちなのだ? そんな事俺が聞きたい位だ。
「あれは、俺が取り戻したかった記憶だ」
「………なら、何で貴方は、そんな辛そうな顔をするの?」
「それは……」
ひよこの心配そうな声。見れば俺の顔を一生懸命に覗き込んでいた。その顔には、俺への心配の色が見て取れた。
「思い出したく、なかったの?」
「そんな事はない。そんな事はないけど」
嬉しい筈なのだ。時間が解決すると、苦し紛れに医者が言った取り戻せなかったかも知れない記憶を、俺は取り戻したのだから。嬉しい筈なのだ。嬉しい筈なのに……
「俺の胸にあるのは、嬉しさじゃなくて、どうしようもない『罪悪感』なんだよ」
「……『罪悪感』?」
喜びで一杯の筈の俺の心は、誰に宛てたかも分からない行き先不明の『罪悪感』で一杯で、
「俺は、何に対して、こんなに申し訳なく思ってるんだ?」
「それは、貴方しか分からない事」
「だよな」
行き場のないこの気持ちは、結果俺の心を『悲しさ』で一杯にしてしまうのだった。
「ひよこ、どうして俺は嬉しい筈なのに、こんなに悲しい気持ちで一杯なんだろう?」
「嬉しくなければいけないの?」
「え?」
失っていた記憶を取り戻したのだから、嬉しくない筈はない。そう思っていた。
失くしていたものを見つけたのだから、喜ばしい事に違いないと思っていた。
でも、そのひよこの言葉は、そんな俺の思い込みこそが間違いなのではないかと言っていた。
『嬉しい筈』というのは『嬉しくなければならない』と言う強迫観念にも等しい。探し物が見つかったのだから『嬉しくなければならない』と、俺は思い込んでいたんだ。
失くしていた記憶が戻ったからと言って、俺がそのまま喜ばしい事だとは限らない。悲しい記憶だったかも知れないし、辛い記憶だったかも知れないじゃないか。俺が思い出したのはまだ、その時にどんな事があったかと言う、事実だけだ。その時の俺の感情を全て思い出した訳ではない。
この『罪悪感』はこの記憶に対して俺が抱いた感情だ。それは間違いない。だとすれば、この『記憶』には、俺に何らかの『罪』を感じさせるものがあったのだ。当時の俺が感じなかったこの『罪悪感』は、『今の』俺だから感じる事が出来る感情に他ならない筈だ。
『嬉しい筈が、悲しい』と言うこの感情こそ、俺が失った『何か』に辿り着く大事なヒントなんじゃないだろうか?
「そうか、『嬉しくなければならない』なんて事ないんだよな」
この靄のかかった感じ……むしろこのモヤモヤ子そが重要なのだ。俺はそう思う。
「『正確な記憶に限りなく近い』という事は、『正確な記憶とは違う部分がある』って事だよな?」
「そう」
そして、その差異は、今回の記憶では限りなくゼロに近い。つまり、探しやすいって事じゃないのか? 間違い探しで『間違いが百個あります』とか言われたら、探すのを諦めるが、『間違いが一つだけあります』と言われれば、探す気にもなる。それに探せる気もする。
「ひよこ、さっきの記憶の事実を、他の記憶と比較して検証出来るか?」
「現在灰兎が取り戻した記憶となら照合可能」
「うっし、じゃあ確認するぞ! この記憶の中の数少ない現実との相違点を洗い出してやる!」
「……そう」
それから俺は、ひよこと一緒に録画ビデオの確認をするかの様に、様々な記憶と先程の記憶を照合した。巻き戻したり、コマ送りにしたり、早送りにしたり、本当にビデオの様に記憶を扱えるこの世界は不思議で仕方なかったが、今はそんな世界の事よりも何よりもこの『記憶』の事だった。
この『罪悪感』の意味。
恐らくそれが、俺の『勘違い』の鍵であり、母さんを苦しめる俺の『忘却』の正体だから。
そして、気付いた事が一つあった。
それは『記憶』の印象。今までは記憶の中身にばかり気をとられていたけれど、取り戻した記憶それぞれに対して、俺は何らかの感情を抱いていた事に気付いたんだ。
事故前の記憶には『懐かしさ』や『愛しさ』を感じるのに対して、事故後の記憶にはこの記憶に感じたような『罪悪感』が殆どなのだ。そして、それは何かを忘れてしまった事に対する、母さんへの『罪悪感』に他ならなかった。
当たり前の事だけど、俺が考えるべきだったのは事故の事じゃない。そして、事故後の事でも無いんだ。だって、事故後の俺はもう、変わってしまった後だから。『勘違い』をしてしまった後だから。だから、俺が振り返るべきは『懐かしく』『愛しい』事故より前の記憶なんだ。
そこにあって、今にないもの。それこそが、俺が取り戻すべき『何か』なのだって、やっと、漸く気付く事が出来た。
「ひよこ。『約束』は分かった。後は俺の『勘違い』だ」
だから俺は再び記憶に潜り込む。
「覚えていようといまいと関係ない。事故よりも前の『記憶』を巡ろう。きっとそこに答えがあるんだ」
「そう」
失った記憶を埋める……きっとそれが目的じゃなかったんだ。
『思い出す』という事は何も『失った記憶』だけじゃない。
『本来の記憶との齟齬に気付く事』これだって『思い出す』って事なのだから。
世界が暗転する。




