妖狐と喫茶店(99)
テーマと書き方の指示以外は全てAIで書いてます。
私は、変化が下手だ。
私は、変化が下手だ。
妖狐としては、致命的なくらいに。
「また耳が残ってる」
姉さまがそう言った途端、後ろから笑い声が聞こえた。
振り向かなくても分かる。兄さまと、弟と、妹だ。
「わ、分かってる!」
両手で頭を押さえる。
黒い髪の間から、ぴょこんと飛び出した二つの耳。
触ってみる。
ふさふさしている。
間違いなく私の耳だ。
人間の耳はちゃんと顔の横についているのに、狐の耳まで頭に残っている。
「尻尾は?」
「ない!」
即答してから、不安になって後ろを見る。
ない。
ちゃんと二本の足だけだ。
今日は尻尾を消せた。爪も人間と同じ。目だって、たぶん人間のものになっている。
耳だけ。
耳だけなのだ。
なのに。
「それじゃ人間は化かせないよ」
妹の一言に、むっとする。
「できるもん」
「耳あるのに?」
「できる!」
「どうやって?」
「それは……」
言葉に詰まる。
笑い声が大きくなった。
悔しい。
ものすごく悔しい。
どうして耳くらいで笑われなきゃいけないのだ。
そもそも人間なんて、そんなに賢い生き物なのだろうか。
森の大人たちは、人間を甘く見るなと言う。人間の中には妖狐の変化を見破る者もいるし、下手に近づけば酷い目に遭わされることもあるらしい。
だけど、耳がちょっと残っているくらいで本当に気付くのか。
私は知らない。
だって、人間を化かしたことなんて一度もないから。
なら、確かめればいい。
私は、その日の夜に森を出た。
◇
家出である。
ちゃんと家出だ。
誰にも言わずに出てきたのだから、たぶん家出と呼んでいい。
ただ、明日の朝には私がいないことに気付くだろうし、母さまには置き手紙も残してある。
『人間を化かしてきます。心配しないでください』
完璧だ。
人間を化かして、その証拠を持って帰る。
そうすれば兄さまたちだって、もう私の変化を笑えない。
少なくとも、そう思っていた。
森を抜けるまでは。
「…………」
木の陰から、私は人間の世界を覗いた。
人間がいる。
たくさんいる。
右にも左にもいる。
こんなにいるとは聞いていない。
森で人間を見たことなら何度かある。
山菜を採りに来る者。
虫を探している子供。
大きな荷物を背負って山を登る者。
だけど、あれは一人か二人だった。
目の前には数え切れないほどいる。
人間。
人間。
人間。
「……帰ろうかな」
呟いてから、首を振った。
だめだ。
ここで帰ったら絶対に笑われる。
特に妹には三日は笑われる。
私は自分の頭に触った。
耳。
ある。
何度変化しても消えなかった。
その代わり、尻尾はない。手足も人間。顔も何度も水面で確認した。
大丈夫。
これでも人間を化かせると証明するために来たのだ。
それに、準備だってしてある。
服の中に隠した数枚の紙。
人間がお金と呼んでいるものを、葉っぱから変化させたものだ。
昔、森で拾われた本物を見せてもらったことがある。それを思い出しながら作った。
模様は、たぶん合っている。
大きさも、きっと合っている。
……たぶん。
これを人間に本物だと思わせて何かと交換する。
そうすれば、誰にも文句を言わせない。
「よし」
木の陰から出る。
一歩。
二歩。
三歩。
誰も騒がない。
私を指さす人間もいない。
いける。
いけるじゃないか。
ほら見ろ。誰も気付いていない。
私を笑った兄弟たちに見せてやりたい。
完璧じゃなくても、人間なんて――。
「あ、見て! 狐耳!」
「ひっ」
声がした。
全身が固まった。
恐る恐る振り向く。
若い人間が二人、こちらを見ている。
ばれた。
もうばれた。
やっぱり人間は恐ろしい。
「すごい、かわいい」
「え?」
片方が何かを取り出した。
薄い板だった。
黒くて、つるつるした、人間がよく手に持っている謎の板。
何に使うのか知らない。
だけど、その板がこちらへ向けられた。
黒い丸が私を見る。
「…………っ!」
何かされる。
そう思った。
「ちょっと写真――」
「ご、ごめんなさい!」
逃げた。
全力だった。
人間の姿でどう走るのが正しいかなんて知らない。
腕を振った。
足を動かした。
途中で誰かにぶつかりそうになって、悲鳴を上げながら避けた。
後ろは見ない。
板を持った人間が追ってきているかもしれない。
捕まったらどうなる?
知らない。
知らないから怖い。
こんなことなら帰ればよかった。
母さまの言うことを聞いて、もっと変化を練習すればよかった。
兄さまたちに笑われるくらい我慢すればよかった。
もう人間を化かせなくてもいい。
森に帰りたい。
でも。
「……どこ?」
立ち止まったときには、森がどちらにあるのか分からなくなっていた。
知らない場所だった。
知らない建物。
知らない道。
知らない人間。
呼吸が苦しい。
心臓がうるさい。
人間に声をかけて道を聞くなんて、できるわけがない。
「どうしよう……」
泣きそうになった、そのときだった。
ふわり。
鼻先を、何かがくすぐった。
「……いい匂い」
甘い。
それだけじゃない。
香ばしくて、温かい匂い。
思わず鼻を動かす。
こっちだ。
匂いを追う。
少し歩くと、小さな建物があった。
人間の家……だと思う。
でも、普通の家とは少し違う。
扉の横に何か書いてあるけれど、人間の文字は少ししか読めない。
中から、さっきのいい匂いがする。
そして。
後ろから、人間たちの話し声が聞こえた。
「っ!」
反射的に扉を開けた。
からん、からん。
頭の上で音が鳴る。
「ひゃっ!」
飛び上がる。
すると、奥から低い声がした。
「いらっしゃい」
「…………」
逃げる場所を間違えた。
人間がいた。
白い髪の、年老いた男の人。
私と目が合う。
まずい。
耳。
耳が出ている。
隠さなきゃ。
でも、今から消したら、それこそ妖狐だとばれる。
どうしよう。
男の人の視線が、私の頭へ向いた。
終わった。
そう思った。
「ずいぶん可愛らしい耳だねえ」
「…………え?」
男の人は、それだけ言って笑った。
「一人かい?」
「……は、はい」
「じゃあ、好きな席へどうぞ」
私は動けなかった。
男の人は、もう私の耳を見ていない。
気付いていない?
まさか。
いや。
でも。
私は恐る恐る頭の耳を触る。
ある。
ちゃんとある。
それなのに、この人間は私を見て普通に笑っている。
もしかして。
私は今。
この人を――。
「……化かせてる?」
「ん?」
「な、なんでもありません!」
私は慌てて口を塞いだ。
危ない。
人間を化かしている最中に、自分から言ってどうする。
けれど。
胸の奥で、さっきまでとは違う音を立てて心臓が跳ねていた。
初めてだ。
初めて、人間が私を妖狐だと気付かなかった。
耳が残っているのに。
完璧な変化じゃないのに。
私は、人間を化かしている。
◇
「それで、いつまで立ってるんだい?」
「…………」
「座らないのかい?」
「す、座ります」
危なかった。
私は近くにあった椅子へ急いで座った。
人間は椅子に座る。
知っている。これくらいなら知っている。
けれど、座ったところで次に何をすればいいのか分からない。
目の前には木の板みたいなものが置かれている。何か文字がたくさん書いてあるけれど、ほとんど読めない。
仕方がないので、じっとしていることにした。
動かなければ失敗もしない。
「注文は?」
「ちゅうもん」
「決まってない?」
「き、決まってます」
反射的に答えた。
「じゃあ、何にする?」
「…………」
しまった。
決まっていなかった。
そもそも、ちゅうもんが何なのかも分からない。
目の前の板を見る。
きっと、ここに答えがある。
知っている文字を必死に探していると、男の人が小さく笑った。
「こういう店は初めてかい?」
「!」
ばれた。
「ち、違います!」
「そうかい」
男の人は、それ以上聞いてこなかった。
私は胸を押さえた。
危ない。
もう少しで森から出てきた妖狐だと見破られるところだった。
人間を化かすというのは、思っていたより難しい。
男の人はしばらく私を見ていたけれど、やがて何も言わずに店の奥へ行ってしまった。
逃げるなら今だ。
そんな考えが頭をよぎる。
でも、逃げたら何のために森から出てきたのか分からない。
それに。
「……いい匂い」
さっきから漂っている匂いが、もっと強くなった。
しばらくすると、男の人が戻ってくる。
「ほら。まずはこれでも飲みな」
ことり。
目の前に白い器が置かれた。
中には薄い茶色の液体が入っている。
湯気が立っていた。
「……これ、なんですか?」
「ミルクティー」
「みるくてぃー」
「うちの孫も好きでね。君くらいの子なら、珈琲よりこっちのほうがいいだろう」
まご。
聞いたことがあるような、ないような。
人間の名前だろうか。
「熱いから気をつけな」
知らないものだ。
知らないものは怖い。
だけど、匂いはいい。
鼻を近づける。
甘い匂いがした。
「毒なんて入ってないよ」
「ど、毒だなんて思ってません!」
思っていた。
少しだけ。
男の人が笑う。
どうしてだろう。
兄さまたちに笑われたときは腹が立つのに、この人に笑われても嫌な感じがしない。
私は器を両手で持った。
温かい。
恐る恐る口をつける。
「あつっ」
「だから言っただろう」
「…………」
恥ずかしい。
少し冷ましてから、もう一度。
今度はゆっくり飲む。
甘い。
「……おいしい」
思わず声が出た。
「そうかい」
男の人は笑った。
それから、もう一つ、小さな皿が置かれる。
丸い焼き菓子が二つ。
「こっちはサービスだ」
「さーびす?」
「おまけってことだよ」
おまけなら知っている。
「いいんですか?」
「ああ」
私は焼き菓子を一つ取った。
さくり。
噛むと口の中で崩れた。
甘い。
これもおいしい。
もう一口。
ミルクティーを飲む。
また焼き菓子を食べる。
人間は恐ろしいと聞いていた。
実際、さっきの板を向けてきた人間は怖かった。
でも、この人は怖くない。
不思議だ。
「少しは落ち着いたかい?」
「……はい」
「そうか」
男の人は、それ以上何も聞かなかった。
どうして私が一人なのか。
どこから来たのか。
家はどこなのか。
何も。
聞かれたらどう答えようかと考えていたから、少し拍子抜けした。
でも、ありがたい。
森から来ました、なんて言ったら怪しまれる。
私はまた焼き菓子をかじった。
それにしても、人間の食べ物はおいしい。
みるくてぃーも、お菓子も、森にはない味だ。
あまりに夢中になっていたせいで、大切なことまで忘れそうになる。
私は人間のお菓子を食べに来たわけではない。
人間を化かしに来たのだ。
危ない危ない。
これでは私のほうが人間に化かされてしまう。
◇
器が空になった。
お菓子もなくなった。
もう帰らなければ。
森への道は分からないけれど、人の少ないほうへ歩けば、そのうち木の匂いがするはずだ。
私は椅子から降りた。
「帰るのかい?」
「はい」
「気をつけてな」
男の人が手を振る。
私は頭を下げて、扉へ向かおうとした。
そこで思い出す。
「あ」
大事なことを忘れていた。
服の中へ手を入れる。
数枚の紙を取り出した。
人間がお金と呼んでいるもの。
葉っぱを変化させて作った、偽物のお金だ。
これを受け取らせる。
ここが一番大事なのだ。
人間に化けて街を歩いただけでは、兄さまたちは認めてくれないかもしれない。
耳が残っていたんだから失敗だ、と妹に言われるかもしれない。
でも、偽物のお金を本物だと思わせて、人間の食べ物と交換できたなら。
今度こそ誰にも文句は言わせない。
私は男の人のところへ戻った。
「これ!」
勢いよく差し出した。
「ん?」
「お金です!」
男の人は、私の手の中を見た。
「…………」
黙った。
心臓が跳ねる。
見破られた?
手のひらが汗ばんでくる。
男の人は一枚をつまんだ。
表を見る。
裏を見る。
光に透かしてみる。
やめてほしい。
そんなに見たらばれる。
「……なるほどねえ」
男の人が呟いた。
終わった。
やっぱり駄目だった。
私は俯きかけた。
「よくできてるな」
「!」
顔を上げる。
男の人は笑っていた。
できた。
心の中で飛び跳ねた。
危ない。
本当に飛び跳ねるところだった。
尻尾があったら絶対に振っていた。
ところが、男の人は私が作ったお金を返してきた。
「でも、今日はいいよ」
「…………え?」
「お代はいらない」
頭の中が真っ白になった。
「い、いらない?」
「ああ。ミルクティー一杯くらいだからね」
「だめです!」
思ったより大きな声が出た。
男の人が目を丸くする。
私自身も驚いた。
でも、ここで引き下がるわけにはいかない。
受け取ってもらわなければならない。
私の作ったお金を、本物だと思って。
それで初めて、私は人間を化かしたことになる。
「もらってください!」
「いや、でもね」
「お願いします!」
お金を突き出す。
男の人が困った顔をした。
私も引かない。
たぶん、生まれてから今までで一番、人間の目を見ている。
「……どうしても?」
「どうしても!」
「そうかい」
男の人は頭を掻いた。
それから、仕方なさそうに笑った。
「じゃあ、いただくよ」
私の手から、お金がなくなった。
男の人の手へ渡った。
「…………」
受け取った。
本当に受け取った。
私が作った偽物のお金を。
人間が。
受け取った。
「…………やった」
「ん?」
「な、なんでもありません!」
顔が笑ってしまう。
抑えられない。
できた。
できた!
私は人間を化かした!
耳が残っていたってできた!
兄さまにも姉さまにも、弟にも妹にも、もう笑わせない。
証拠だってある。
みるくてぃーを飲んだ。
お菓子を食べた。
その代わりに偽物のお金を渡して、人間はそれを受け取った。
完璧だ。
完璧な変化じゃないけれど、完璧に化かした。
「ちょっと待ちな」
男の人が言った。
びくりとする。
まさか、もうばれた?
男の人は店の奥へ消えていく。
逃げたほうがいいだろうか。
でも、お金はもう渡した。
化かすことには成功したのだ。
だったら今逃げても――。
「これ、使うかい?」
戻ってきた男の人が持っていたのは、丸い帽子だった。
薄い茶色。
森で見る枯れ草に少し似ている。
「……なんですか?」
「麦わら帽子」
「むぎわらぼうし」
「被ってみな」
男の人が私へ帽子を差し出した。
受け取って、恐る恐る頭に載せる。
耳が押される。
少し窮屈だけれど、ちゃんと被れた。
「うん。それなら耳も隠れるな」
「…………!」
やっぱり気付いていた。
私の耳が変だと。
それでも妖狐だとは気付かなかった。
すごい。
私は本当に、この人を化かしている。
「いいんですか?」
「古いやつだからね。孫に買ったんだが、ほとんど使わなくてな」
「まご?」
「息子の子供だよ。君と同じくらいの歳だ」
なるほど。
この人には、私くらいの子供がいるらしい。
「その子も、そういう耳をつけて遊ぶことがあってね」
「これを?」
「猫だったり兎だったり、いろいろな」
人間は変わった遊びをするらしい。
狐になれないから、耳だけ真似しているのかもしれない。
そう考えると、少しだけ人間が可愛らしく思えた。
私は帽子を両手で押さえた。
嬉しい。
人間から物までもらってしまった。
これはもう大成功と言っていい。
「……ありがとうございます」
「ああ」
私は頭を下げる。
「ごちそうさまでした」
言えた。
さっきまで人間と目が合うだけでも怖かったのに、自分から言えた。
今度こそ扉へ向かう。
「お嬢ちゃん」
呼び止められた。
振り返る。
「またおいで」
「…………」
また。
その言葉が、なぜか胸に残った。
人間を化かすことには成功した。
だから、もうここへ来る必要はない。
森へ帰って、みんなに証明すればいい。
それで目的は達成だ。
なのに。
「……はい」
私は頷いた。
からん、からん。
扉を開ける。
外には相変わらず人間がたくさんいた。
少し怖い。
黒い板を持っている人間もいる。
でも、頭には麦わら帽子がある。
耳は見えない。
さっきよりは、ほんの少しだけ歩きやすい。
私は帽子を押さえながら、人間たちの間を歩いた。
帰ったら、みんなに話そう。
人間の世界へ行ったこと。
恐ろしい板を向けられたこと。
みるくてぃーという甘い飲み物を飲んだこと。
お菓子を食べたこと。
それから。
私の作ったお金で、ちゃんと人間を化かしたこと。
証拠だってある。
この麦わら帽子だ。
人間を化かして手に入れた、私の初めての戦利品。
嬉しくなって、帽子の下で耳がぴくぴく動いた。
これを見せれば、もう誰も笑わない。
耳が残ったって、人間くらいちゃんと化かせるのだ。
私は胸を張った。
人間に化けるのは、まだ苦手だ。
人間を化かすのも、たぶんまだ得意ではない。
人間だって、やっぱり怖い。
それでも。
森を出る前より、人間のことを少しだけ知った。
甘い飲み物を作る。
おいしいお菓子も作る。
怖い板を持っている。
そして、知らない妖狐に帽子をくれる。
最後のは、きっと他の妖狐も知らない。
帰ったら教えてあげよう。
人間は、思っていたほど怖くないのだと。
少なくとも、あのおじいさんは。
少し歩いてから、私は振り返った。
もう店は見えない。
「……また行こう」
誰にも聞かれないよう、小さな声で言った。
次は、みるくてぃー以外のものも頼んでみたい。
あの板に書かれていたものが何なのか、少し気になる。
それに今度は、入る前に逃げたりしない。
だって私はもう、一度できたのだから。
知らない場所へ行って。
知らない人間と話して。
ちゃんと人間を化かして帰ってきた。
私の、初めての人間化かし。
大成功だ。
麦わら帽子を押さえ直す。
そして私は、今度こそ森を目指して歩き出した。




