ハッピーエンド規制法
三月の晴れた寒い朝で、街中のデジタル時計が全て「正しい時間」を示していた。
ここ、人口20万人ほどの地方都市である春坂市の幹線道路を、春坂思想保安署・上席思想保安官の堺祐介は、いつもの黒い軽ワゴン車で移動している。
紺色の制服の胸にあしらわれた「思」ワッペンが朝日を反射し、鈍く光る。
今日の任務は、市内の古本屋で古い「桃太郎」のコピー本が見つかったとのタレコミの裏取り。
また鬼退治か、と独り言ちたが、もちろん車内に据え付けられた高集音マイクはそれを拾っていた。
ばつが悪そうに舌打ちすると、左手で懐中の電子タバコを取り、口に咥える。
ダッシュボードには「禁煙車」と印字された古ぼけたステッカーが貼られている。
祐介は、口に含んだ水蒸気をマイクに向け吐きかけた。
署から15分ほど車を走らせると、件の書店に到着した。
駅前の雑居ビルの1階に居を構え、いかにも、というか、場末の古書店という感じの佇まい。
ビルの構造上、奥に細長い構造となっており、テナントの広さとしては精々3~4坪ほどだろう。
駐車場が見当たらないため、店舗前の路肩に車を停め、仕事道具の入った鞄を持って降りた。
滑りの悪い、店のガラス戸を開けるとガタガタと歪な音がする。
奥の座椅子に腰かけている、店主と思しき初老の男から「いらっしゃい」という声がかかるが、祐介の制服を視認し、来訪の目的を悟るとその表情は即座に強張った。
カツ、カツと乾いた床に靴音が響き、祐介が立ち止まると、店主が顔を見上げる。
店主と目を合わせると、身分証を呈示しつつ、定型文として、何度口にしたか知れない台詞を吐く。
「春坂思想保安署の堺です。貴店を『児童保護・心理的安全性法』違反の疑いで、強制調査します。」
◆◇◇◆
「児童保護・心理的安全性法」、俗に言う「ハッピーエンド規制法」が現行法のように改正されて、今年で12年目となる。
同法の施行当初は、反政府的な言動、電子媒体を含む政府批判的な書物のみを規制の対象としていたものであるが、2035年の法改正で潜在的な反政府思想を助長するとして、「おとぎ話」にその矛先を向けた。
政府広報曰く、「おとぎ話」は「ステレオタイプの強化」、「暴力の美化」、「不平等の助長」及び「現実逃避の誘発」の根源であり、この国の将来を担う児童の健全な精神の発達をを著しく阻害するものであるという。
「おとぎ話」やそれに関する書籍・データの執筆・発行・頒布・単純所持はおろか、口伝えによる伝承でさえもその規制対象とされた。
「おとぎ話」に「めでたしめでたし」とハッピーエンドで終わるものが多いため、現在では、俗称として「ハッピーエンド規制法」という呼称が定着している。
有害図書の例示として当時の広報チラシに書かれていたのはまさに今回問題となっている「桃太郎」であり、
①「鬼」という存在を、一切の対話なく異分子として一方的に武力で制圧し、その財産を窃取した点
②おじいさんは山へ芝刈り、おばあさんは川で洗濯という性差による仕事の押し付け
③お供である犬、猿、雉をきびだんご1個という極端に過小な対価で酷使した点
などと問題となるポイントが詳細に記載されており、「A・B・C」とランク分けされた中でも「A」ランクの有害図書であるとされた。
Aランク相当の有害図書に係る同法違反として摘発を受けると、初犯の場合は矯正施設において5年間の「矯正措置」を受ける。
政府は、人間の思想をトコロテンのようなものと考えているらしく、5年の間に「理想的な国民」としての思想を体罰とともに目いっぱい押し込むことで、「おとぎ話」のような危険思想をすべて頭から叩き出してしまおうというわけだ。
強制措置を受けた人間は、それと分かるように首の後ろに星印の刻印が施される。
また、矯正措置を受けながら再犯で摘発を受けた場合、「思想矯正特別措置」として、該当者に外科的な措置が施される。
措置後は直ちに釈放されるものの、ほぼ例外なくその人間には以前のような思考能力や知能はほぼ残っておらず、実質的に死刑と同等とみなされている。
◆◇◆◇
ウチは法に触れるようなものは何も・・・という店主の言葉を無視し、祐介は、店主の目の前の文机を蹴倒した。
思想保安官には、ハッピーエンド規制法によって捜査対象への強制調査権が認められている。
始めから物証ーー有害図書の現物や電子データ、「昔々…」から始まる音声データ等--があれば即座に摘発が可能であるが、今回のようなタレコミの裏取り調査では、まず物証を確保しなければならない。
境祐介は、その職に就いてから7年足らずであるが、物証を発見する嗅覚は人並み外れていた。
人間は、深層心理として気がかりなものを目で追う性質があり、極度の緊張状態の場合にはなお顕著に表れる。
店主が、自分を認識した後、即座に文机に視線を落としたのを祐介は見逃さなかった。
横倒しとなった文机の引き出しに手をかけるが、鍵がかかっている。
「引き出しの鍵を開けなさい」
店主は首を横に振る。顔は紅潮し、興奮しているのが見て取れる。
咄嗟に、手元のペーパーナイフを手に取ると、祐介に向けてきた。
舌打ちをしながら、祐介は店主に平手打ちを見舞う。掌の痕が紅く店主の頬を染めた。
ハッ、ハッ、と店主の呼吸が瞬時に荒くなると、過呼吸のためか、その場に倒れこんだ。
店主からの鍵の入手を諦めた祐介は、持参した鞄を開くと、自身の得物である「鉈」を取り出し、両手で振りかぶると文机にガツン、ガツンと幾度となく叩きつけた。
乾いた音が鳴り響き、木片が飛び散る中、6度ほどの往復運動で机の中の内容物をようやく引っ張り出すことが出来た。
タレコミどおり、「桃太郎」のコピー本。
コピーにコピーを重ねたのか、印刷もぼやけた粗悪そのものの代物が2冊。
押収物保管用の封筒に証拠品を入れ、店主に目を見やると、泡を吹いて失神している。
首の後ろの星印の刻印が、彼の必死なまでの抵抗の理由を物語っていた。
初作品です。
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