竜帝グランディナス 5
◇◇◇
「……よ、聖女よ、目覚めよ」
遠くのほうで声が聞こえる。そう思って、ゆっくりと目を開けると目の前にぎょろりとした大きな瞳があった。驚いた私が慌てて飛び起きて後ずさると、コバルトブルーのドラゴンが私をじっと見下ろしている。
「貴方が、竜帝グランディナス……?」
そう問いかけると「そうじゃ」と返事が返ってくる。意外と声は若々しく感じた。
「ここは、どこ……? 私、さっきまで橋の上に立っていたはずなんだけど……」
周りを見渡せば、辺り一面真っ白な空間で、私とグランディナス様以外に誰もいない。
「ここは、わしが作り出した思想空間みたいなものだ。わしが、お主の体に触れた瞬間、お主をここへ連れてきた」
「思想空間へ……? 何の目的で、こんなところへ……」
いまだ状況を呑み込めていない私をよそに、竜帝は大きな両翼を納めながら「少しお主と話をしたくてな」と言った。どうしてだろうと首を傾げていると、グランディナスはくくっと可笑しそうに笑う。
「お主は自分のことを、どれくらい知っておる? 神官の神託によって選ばれた聖女だということは理解しているらしいが」
「その聖女が、竜帝グランディナスがもたらす厄災から国を守るための生贄だということ、くらいは」
「ほお、やはりそのような話になっておったか」
グランディナス様はそう言うと、何やら悩まし気にはあ、とため息をついた。
「そのような話にって……実際は違うんですか? この国では、国に厄災をもたらす竜帝グランディナスを、聖女ルシファナ様の力で退けたとありますけど」
「事実は、その逸話と異なる。まあ、100年以上も前の話だから婉曲して伝わるのも無理はないだろうがな」
「はあ」
ぽかんと気の抜けた返事をする私に、グランディナス様はぽつりぽつりと語り始めてくれた。このラグナダ皇国に伝わる、真の「聖女伝説」を――。
「あれは200年ほど前のことだったか。私の友である、聖女ルシファナと出会ったのは。わしにとって、ルシファナは唯一、竜を恐れなかった人間であり、対等に話せる人間だった。『セイレンの泉』で出会ったわしとルシファナは、最初はいがみ合うような関係だったが、時を経て共に過ごす時間が増えるにつれ、絆を深めていったのだ」
その言葉に、当時の二人を想像しながら、私は静かにグランディナス様の話に耳を傾けた。
「だが、彼女の人の子としての生が尽きた時、わしは悲しみに暮れ我を忘れて暴走してしまった……。『聖女ルシファナ』は、当時の人々にとって希望に満ちた存在だった。そんな彼女が死んでしまったことを、国や教会は隠したかったのかもしれん。竜帝の暴走が引き起こした厄災は、聖女ルシファナが退けたとすることで、人々は希望を失わずに済んだのだろう。……やがて時が流れ、真実は削がれて歪み、『聖女が竜帝を退けるためには命を捧げなければならない』という解釈が生まれた」
そこまで聞いた私は、はっとした。
「じゃあ、聖女の本来の役目は、竜帝グランディナスの生贄になることではないということ……?」
私の問いかけに、グランディナス様は口元を緩めると「ああ、そうだ」と返す。
「わしは、ルシファナと同じ種族の人の子を贄に喰らおうてやろうとは思っておらん。何より、アリシア。お前にはかつての友の血を引く娘……。聖女ルシファナの末裔じゃからな」
「私が、聖女ルシファナ様の末裔……?」
その言葉に私は目を見開いた。よく見ると、切れ長の目元は優しげに私のことを見つめていた。
「首元の痣……。その痣は、ルシファナとわしが結んだ血盟の残滓。お主が聖女ルシファナの末裔だった印じゃ」
そう言われて、そっと首元に触れる。大神官様のご神託にもあったように、この痣が「聖女である」という証明だったんだ……。
「大聖女ルシファナ様の末裔とか、そんな大それたこと言われても実感がわかないんですけど……」
困り顔で竜帝様を見上げれば、ふと微笑みが返ってきた。それから頭を下げて、私に近づいた彼は、澄んだ瞳で私を見つめる。
「たとえ大聖女の末裔だとしても、お主はお主。今のお主のありのまま、これからの人生を歩んでいけば良い」
「これから、の……?」
目をぱちぱちと瞬かせる私に、グランディナス様は「ああ」と頷いた。
「今からわしが、お主に竜帝の加護を授けよう。これから聖女であるお主には、さまざまな困難が訪れるじゃろう。友として、その手助けをしてやろう」
グランディナス様はそう言うと、私の額にそっと触れた。その瞬間、全身がまばゆい光に包まれて、体に力がみなぎっていく。明るい光が消えた時、首元に何かあるのを感じて視線を落としてみれば、深い青色の宝石がはめ込まれたネックレスが首にかかっていた。グランディナス様の瞳と同じ、吸い込まれてしまいそうなほど美しい青。
「これは……?」
「竜帝から加護を授かった記念品みたいなものじゃ」
「き、記念品……?!」
「わしの体の一部が閉じ込められておる。困ったことがあれば、いつでも呼びかけるが良い」
「何なんですか、その魔法のランプ的な感じ!」とツッコミを入れる私に、「願い事を叶える機能はついておらん」などと返すグランディナス様。さっきまでのシリアスな空気だったのが嘘みたいな展開に、私もいつもの調子に戻ってしまった。
「そんなことより、早う元の体に戻ってやれ。……お前のことを呼んでおる者たちの声が聞こえるじゃろう?」
「元の体にって――」
と思っていた時、「アリシア様!」と遠くから私の名前を呼ぶ声が聞こえてきた。4人の、守護騎士たちの声だ。
「……私、死んだわけじゃなかったのね」
「言ったじゃろう? わしは、お主を贄として喰らうために、ここへ連れてきたわけではないと。お主と少し話がしたくて呼んだのじゃ。お主を待つ人間が、お主の世界には大勢おるであろう」
グランディナス様はそう言うと、右の翼をそっと私の前に差し出した。
「大聖女ルシファナ……いや、アリシア・ブラッドリーよ。わしの御霊はお主と共にある。これから、お主はラグナダ皇国に降りかかる厄災を退ける聖女として、その責務を果たすのじゃぞ」
「グランディナス様……」
私はその翼にそっと頬を寄せて、「ありがとうございます」と呟いた。それから、「貴方も一人じゃありませんからね」とふと微笑みかける。
「これからも、私が側にいますから」
私がそう言った瞬間、グランディナス様が目を大きく見開いた。それから何かをぐっと噛みしめるように「馬鹿者」と呟くと、「分かっておるわ、そんなこと」と、ふと口元を緩める。
「ほれ、早く戻ってやれ。お主の帰りを待つ、うるさい守護騎士らの元へ」
「でも、帰るってどうやって――」
そう言った瞬間、胸元のペンダントが光り出した。
「意志あるところに道は開ける……。人の子の人生とは、そういうものじゃろう」
グランディナス様がそう言った瞬間、ここへ来る前のように私の視界が真っ暗になり、再び世界が暗転した。




