第20話 胸がキュウッ、は何の音?
「んうっ」
口を塞がれた奈子の手からカメラが落ちる。机の上に転がるカメラの音に奈子の視線が泳ぐが、浮気くんによって顔を抑えられてカメラの行方はわからない。
「っ、ぷは」
「………………すまない」
押し付けられていた唇が、離れていく。止めていた息を吸った奈子に、浮気くんが沈んだ声で言った。
「なんで謝るの?」
「許可もなく、キスを……してしまった」
自分の口を覆う浮気くんに、奈子はパチリと瞬く。あれだけ指や首を噛んだり舐めたりしていたのに、キスは許可が必要だと思っていたのか。
(私も勝手に噛んじゃったしなあ。しかも、ガッツリと)
口元に当てられた浮気くんの左手の小指には、血が滲み歯型がくっきりとついている。
「別に、謝らなくてもいいよ。……キスも、嫌じゃなかったし」
「またお前はそう言って――」
「本当のことだもん。……けど、そうだなぁ。謝るなら、浮気くんのことをもっと教えてよ」
「俺のことを?」
奈子の言葉に、浮気くんが瞬く。次いで首を傾げて言った。
その表情が少し幼くて、奈子は笑う。それに対してムッとする浮気くんに、奈子は自分の口元を抑えた。
「……おい、笑いすぎじゃないか」
「ごめん。だって、浮気くんが今まで見たことない表情をしてるんだもん。さっきまで噛んだり、舐めたりしてたのに」
「…………何が知りたいんだよ」
自分のしたことを思い出したのか、浮気くんが頬を染めて問いかける。
その言葉に1つ頷いてから、奈子は口を開いた。
「浮気くんは、どうして女の人に触ると失神しちゃうの?」
「それは……」
そういうものとして扱ってきたから、浮気くんに改めて理由を聞いたことはなかった。だから奈子は、聞いてみたかったのだ。
「言いづらいなら、無理しなくても大丈夫だよ」
「いや……奈子には最初に話しておくべきだったかもしれない」
そう言った浮気くんは、奈子の体に覆い被さるように抱きしめてから言う。
「10歳の頃――――俺はある女に誘拐されそうになった」
「……誘拐?」
思ってもみなかった方向の話に、奈子は浮気くんの顔を見ようとする。だが、抱きしめられているせいで彼の顔は見えない。けれど、抱きしめてくる浮気くんの体に少し力が入ったように感じた。
「ああ。結局、未遂だったんだがな。幼かった俺の心はしっかりと傷ついていたらしい。その事件があった後から、家族以外の女性に触れると失神するようになってしまったんだ」
「そう、だったんだ。……でも、じゃあなんで運命の人を探すの? 失神するのが怖かったりしなかったの?」
「自分の意識では女性を怖いとは感じてないんだ。でも体は勝手に拒絶する。失神するのは色々と後が大変だが、怖くはなかった。それよりも、俺は両親や祖父母のような関係を築ける女性を見つけたかった」
「家族と、仲が良いんだね」
奈子の問いに、浮気くんが頷いた。浮気くんが憧れる関係というのは、一体どんな関係なんだろうか。奈子には、想像すらできなかった。
「だから、奈子に触れても失神しないと気づいた時に絶対にこの子と幸せになるんだって……直感のようなものだったが、思ったんだ。だから……奈子が俺のことを好きじゃなくても構わなかった。これから好きになってもらえるように努力をするつもりだったから」
「私、浮気くんのこと好きだよ?」
奈子の言葉に、浮気くんが頭を擦り付けてくる。それに奈子が応えるように背中に手を回すと、浮気くんが小さく息を吐いた。
「…………そう言ってくれるのは嬉しいが、その好きは真田や藤堂へ向けるものと同じ好きじゃないのか? その好きは、俺がお前に向ける好きとは違う。俺は奈子に愛されたい。だからこれからも送り迎えはするし、世話も焼くし、束縛もする。……それと嫉妬も」
こんな彼氏は嫌か? そう問いかけてくる浮気くんの声は少し震えているように聞こえた。
(浮気くん、そんなこと考えてたのか……)
浮気くんはいつだって堂々としていて、自分に自信があるようだったから。容姿端麗で勉強も出来る。運動は……まあ出来ないけど、それで卑屈にはならないし、そのくらいの弱点は可愛げとして他人に映るだろう。
そんな浮気くんが、奈子に愛されたいと言う。こんな自分が彼氏でいいのかと不安そうに聞いてくる。
その状況は、なんだか――――。
「……胸がキュウっとする、ような?」
「キュウ?」
「うん。なんか、浮気くんの話を聞いていて、胸が締め付けられるような……。よくわからないけど、とにかく浮気くんが彼氏で嫌なことなんて1つもないよ」
そう言った奈子を、浮気くんが起き上がって見下ろしてくる。彼の表情は訝し気というか、理解できないといった表情だ。
「浮気くん?」
「これで、自覚なしなのか……。まあ、奈子らしいけどな」
「え? それってどういうこと?」
「今は、わからなくてもいい。俺は好きなことに関しては気が長いんだ」
浮気くんが再び抱きしめて来たので、奈子は彼の首に手を回して迎え入れる。すると浮気くんが机の上で転がって、奈子を自分の体の上に乗せた。
「今は、ただ側にいてくれればいい。他の誰よりも側に俺を置いてくれ。特に御園先輩とはあまり仲良くなってほしくない」
「…………わかった。浮気くんの側にいるよ」
あまりにも浮気くんが真剣な声で言うので、奈子もしっかりと頷いた。実際、最も側にいることが多いのは浮気くんだ。御園のことだって悪い人じゃないとは思うけれど、浮気くんを不安にさせてまで会おうとは思わない。
「……そうか。――――ありがとう」
「ん」
浮気くんが、嬉しそうにそう言うから。
奈子もなんだか胸が締め付けられて、でも苦しいわけじゃなくて。撫でられる背中が温かくて。
ポカポカと温かくなってくる体と連動するかのように、心にも熱が伝わっているみたいだ。
(この気持ちがなんなのか、知れるといいな。……浮気くんのことだって、もっともっと知れたらいいのにな……)
「――――おやすみ、奈子」
そんなことを思いながら、奈子は心地いい体温と頭を撫でてくる優しい手によって眠りについたのであった。




