第18話 浮気くんの本音?
「フェロモン星人だなんて、酷いなあ。ねえ、にゃーちゃんもそう思わない?」
「に、に、にゃーちゃん、だとお!?」
ゼーハーと息を荒げながら叫んだ浮気くんは、腕を掴んで自分の背後に奈子を移動させた。そっと彼の背中に手を置くと、ワイシャツ越しの体温が感じられる。
(アツい……浮気くん、もしかして教室からここまで走ってきたのかな)
早苗たちが上手く誤魔化したのであれば、校舎中を走り回って奈子を探していたのかもしれない。
奈子はそのことに思い当たって、浮気くんの顔を覗き込むかのように前に出た。
彼は眉を寄せて、御園を睨んでいる。
「浮気くん、ごめんね。探させちゃったかな。ちょっと1人で散歩したかったから――」
「――1人で? じゃあ、なぜこの男と一緒にいる。どうして2人で、こんな人気のないところで話している」
「御園先輩にはたまたま会っただけだよ。それにね、先輩は新聞部の副部長で、カメラも貰ったの。別に浮気くんがそんな顔する必要なんてないんだよ」
奈子の言葉に、浮気くんの視線がカメラへと向く。
浮気くんも奈子と同じ新聞部の後輩なのだ。御園は、長田や越金と同じ先輩だ。奈子には、御園に対してだけ警戒する理由がわからなかった。
「…………受け取ったのか、それを」
「浮気くん?」
――――見上げた浮気くんの表情は、今までに見たことのないものだった。
細められた碧はドロリと濁り、端正な顔は冷たさを帯びる。そして浮気くんから放たれているのは、ある種の圧力。大袈裟に言ってしまえば、殺気のような気配だった。
「ちょっと、なんでにゃーちゃんに当たってんの。彼女は僕に話しかけられて少し話していただけ。揶揄ったりカメラを無理矢理押し付けたのは僕だよ。ならその物騒なもんは僕に向ければいい」
御園がそう言って浮気くんの腕を掴む。だがそれを浮気くんはすぐに払いのけた。
そうして御園のことを一切見ないままに、浮気くんは言った。
「心配しなくても、俺が奈子を傷つけることはありませんよ。今ここで貴方に当たらないのは、もしそうすればやりすぎてしまうからです。そんな姿を俺は彼女に見せたくない。ただそれだけだ」
浮気くんは、自分の胸に奈子の顔を押さえつけるように抱きしめてくる。表情は見えなくなったが、浮気くんの声に険が帯びているのがわかった。
「浮気く――――」
奈子の呼びかけは、途中で途切れた。浮気くんが急に奈子の体を抱き上げたのだ。
「御園先輩。申し訳ありませんが、俺たちはこれで失礼します。……そして同じ部活の先輩にこんなことを言うのは心苦しいですが、今後奈子にちょっかいはかけないでいただきたい」
「……ふうん、随分と余裕がないんだねえ。君とにゃーちゃんは付き合っているんだろう? なのにそんなに彼女を束縛しないと安心出来ないのかい? ……ああ、にゃーちゃんは、君に浮気して欲しいんだったね。なら、仕方がないのかな」
御園の言葉に、立ち去ろうとした浮気くんの足が止まる。
浮気くんに抱き上げられた奈子は、彼の背中越しに御園を見る。御園は、人差し指を唇に当てて左目だけを閉じた。
(黙ってろってことかな……。でも浮気くん凄く怒ってるみたいだし、いいのかな)
何も言わないままの浮気くんに、御園がまるで舞台の上で挑発するかのように言う。
「――――そうだ。さっき揶揄ったりカメラを押し付けただけって言ったけどさ。実は僕彼女にこうも言ったんだよ。『僕と浮気してみる?』って。一応、報告しておくね」
(…………? だから、それが揶揄ったということでは)
なぜわざわざそんなことを言うのか。奈子が首を傾げていると背中と膝裏に触れている浮気くんの手の力が強くなる。
「君もさ、きちんと彼女に自分のこととか伝えたほうがいいんじゃない? あの時こうしてれば良かったって後悔することになるよ」
「……それは経験談ですか」
「さあね。でも、同じ新聞部の先輩からのアドバイス。いや数多の人間を狂わせてきた人間からのアドバイス、かな」
「――――――ご忠告、感謝します」
硬い声のままそう告げた浮気くんは、今度こそ歩き出した。
「全然感謝してないじゃん」と肩を竦めて眉を下げる御園。彼は奈子の視線に気がつくと、手を振ってくる。
それに振り返した奈子だったが、浮気くんが走り出したのですぐに手を下ろすことになった。
(浮気くん、運動音痴だけど力はあるんだよなあ)
不安定な抱き方だが、力自体が強いせいか落ちる気配はない。
奈子は、黙ったまま浮気くんの体温に身を委ねた。
*
「…………何も言わないのか」
「授業をサボること?」
「それもだが……」
新聞部の部室。長机の上に下ろされた奈子は、浮気くんの言葉に窓の外を見る。
つい先ほど授業開始のチャイムが微かに聞こえたところだ。今から行っても間に合うはずもない。それに授業は苦手な数学だ。奈子は今から教室に向かう気は全くなかった。
(それに――――)
「浮気くんは私に話したいこととか、ある?」
先ほどの御園の話を聞いていて、思ったことがある。
(私、浮気くんの話をちゃんと聞けてたのかな……)
大人になりたい。その思いが先走って、彼の気持ちを蔑ろにしてきたのではないか。
浮気くんに浮気してもらいたい、というのはあくまでも奈子の考えだ。浮気をすれば沢山の愛を得て浮気くんは幸せになる。それを見ることになる――浮気される奈子もそれを経験して大人に近づけるのではないか。
奈子は本気でそう思っていたし、子供である自身を少しでも変えたかった。
(…………そもそも、どうして大人になりたいと思ったんだっけ)
ふとそんなことを思った奈子だったが、その思考は机に押し倒されたことでプツリと途切れた。
「……話したいことがあるかって? そんなの、沢山あるに決まっているだろ」
「沢山? 例えば?」
背中に当たる固い感触と冷たい温度。浮気くんの大きな体に覆われながら、奈子は聞き返す。
奈子の問いに顔を歪めた浮気くんは、凛々しい眉を吊り上げて言う。
「…………なぜ押し倒されて抵抗しない。今のこの状況をわかっているのか」
「浮気くんは、私を傷つけないんでしょ? なら、警戒する必要はないよ」
「……そんなの、嘘かもしれないだろ」
「じゃあ、嘘なの?」
「…………」
黙ってしまった浮気くんに、奈子は笑った。
短い付き合いだけれど、浮気くんは案外正直者だと奈子は知っている。いつも真っ直ぐに自分の感情を表現できる人なのだ。
(自分の感情すらわからない私とは違う……)
「他は? 浮気くんのこと、私もっと知りたいな」
「……本当に、なんでこの場面でそういうことを言うんだよ。お前は」
小さく舌を打つ浮気くんに、奈子は初めて見る表情だなと彼の瞳をジッと見た。
その目線に気づいた浮気くんが、奈子の目を見つめ返す。その碧眼には暗いのに熱い、彼自身も制御出来ていないような感情が宿っているかのように感じた。
(また、あの目だ。触ったら、どうなっちゃうのかな)
奈子は、碧い瞳に手を伸ばす。それは奈子にも説明できない好奇心のような、けれどももっと根源的な感情による衝動のようにも感じた。
あと少しで彼の目元に指が触れる。その瞬間、浮気くんの顔がぐしゃりと歪む。
「…………奈子」
掠れた声で奈子を呼んだ浮気くんが、口を大きく開く。ぐわりと開いた口はまるで獣のようで、奈子は伸ばした指を止めてしまう。
――――その一瞬を逃すことなく、浮気くんは奈子の指に噛みついた。




