第13話 恋のエビ?
『今日の第1位は蟹座のあなた! 今日はどんなことをしても上手くいきそう! 周りの人への感謝を口に出すとさらに運気がアップします!』
テレビの音を聞きながら、奈子はリビングのソファに座って鞄の中身を確認していた。
「……よし。全部揃ってる」
確認するために見ていたスマホから目を離して、テレビへと視線を向ける。すでに画面は変わってしまっていたが、どうやら今日の運勢1位は蟹座らしい。
「感謝、かあ……」
そういったことを改めて意識したことはないなと思った奈子だったが、リビングに響いたチャイムの音によって思考を止めた。
テレビや電気を全て消して、鞄を持って部屋を出る。ローファーを履いた奈子は、ゆっくりと玄関の引き戸を開けた。
――――そして、目の前に立つ金髪碧眼の男子に向かって口を開く。
「おはよう、浮気くん」
「ああ。おはよう、奈子。……寝癖がそのままだぞ」
そう言った彼は、奈子の後頭部に手を伸ばす。何度か髪を撫で付けてから、頬もついでにとばかりに撫でられた。今日はちゃんと鏡で確認したから、口の周りには何もついていないはずなのだが。
(……まあ、寝癖には気づかなかったんだけどね)
「これでよし」
「ありがとう。浮気くん」
「……全く。その隙だらけの顔を他の誰にも見せたくないんだがな」
「多分、早苗ちゃんもよく見てると思う」
「……だろうな。真田や藤堂は百歩譲っていいが、他の男には絶対に触らせてほしくない」
「浮気くん以外、触りたいって人もいないよ。私だって野良猫じゃないんだから、ホイホイ誰にでも撫でられるわけじゃにゃい。…………うう、また噛んだ。朝は特にヒドイや……」
最近、良く喋るようになったからか、噛むことがとても増えた。
早苗は興奮して鼻血を出すし、藤堂にも愉悦の表情で見下ろされるので直したいのだが。
「ん゛ん゛! な、なら、いいんだが。――――じゃあ、行くぞ」
「うん」
奈子は、差し出された手のひらに自分の手を重ねる。するとすぐに指を絡められて軽く引かれた。その力に逆らわずに体を寄せて、自分よりも高い位置にある碧い瞳を見上げる。
「む。どうかしたか?」
「…………彼氏って、こんな感じなのかあって思っただけ」
「何を今更。もしかして何か不満でもあるのか? 俺は、すぐに婚姻届を書けないことが不満だが」
「ないよ。あとそれ言って早苗ちゃんたちに色々言われてたの忘れたの?」
(ないことがむしろ困るというか、浮気くんのぶっ飛んだ発言が面白いというか)
――――そう。奈子は金髪碧眼の美少年、浮気くんとお付き合いを始めた。
ただし、奈子の中ではそれはあくまでも短期的な話。奈子は『イイ女』を用意して、浮気くんに浮気をさせなければいけないのだ。
その目的を果たすためには、現状のままでは非常に困るのだが……。
(浮気くんが甲斐甲斐しくて、快適すぎる……)
そんなことを思いながら、今日もまた奈子は教室まで浮気くんの手に引かれて登校したのであった。
*
「おー今日もラブラブじゃないっすか。御両人〜」
「おはよう。篠原くん」
「……篠原、お前また余計なことを言って真田を怒らせたのか。今度は何をした?」
奈子は、1年1組の教室の前の廊下で正座をする篠原に挨拶をする。ひらひらと手を振って応える篠原に、浮気くんがため息をつきながら問いかけた。浮気くんの問いに首を傾げた奈子は、篠原の胸の辺りに貼られた紙を見る。
「…………『僕は重大な過ちを犯しました。反省中ですので放っておいてください』?」
「いやあ、声に出されるとなんだか恥ずかし〜」
「声に出さなくても恥ずかしいだろ」
そうバッサリと言った浮気くんに、篠原は「いやあ、そうだよなあ」と頭を搔く。正座をしているはずなのに反省している感じがしないのは、背が大きくて存在感があるからか。はたまた彼の雰囲気のせいか。
(早苗ちゃん、今度は何に怒ったんだろ)
「で? 何をした」
「あーいやあ……ね? ただ俺は、浮気と大木さんの2人が……」
「私たちが?」
「なんだよ。なぜそこで黙る。俺たちが一体どうしたっていうんだ」
目線を逸らす篠原に、浮気くんの声の圧が増す。それほど言いづらいことなのだろうか。手を握られる力が増したのを感じながら、奈子は篠原の答えをじっと待った。
「いやあ……ただどこまでいったのかなあ、と。……ほら、昔で言うところの恋のエービー……ってやつがあるでしょうよ」
「なっ!?」
「同級生の男子高校生としては至極当然の疑問というか。気になるでしょ、普通に。んで、それを真田の前でポロリしちゃったもんだからお冠よ。俺だって大木さんに直接聞くつもりなんてないんだから、スルーしてくれてもいいのにさあ」
全く俺をなんだと思ってんだ、と肩を竦める篠原。浮気くんは彼の言葉を聞いて、驚きの声を上げてから頬を少しばかり染めた。だが、なぜそんな反応をするのかが奈子にはわからない。
「浮気くん、恋のエビって何?」
「え。そ、それはその……………俺もわからないんだ。すまない」
「ふうん? 篠原くん、恋のエビって――」
「――ごめん、大木さん。それに答えると、今度こそ真田に殺されるから」
両手を顔の前で合わせて頭を下げる篠原に、奈子は素直に頷いた。早苗を殺人犯にするわけにはいかない。
「じゃあ、早苗ちゃんに――」
「バカバカバカ! あの可愛いもの狂いに聞いたらどっちにしろ殺され――――」
「――――だあれがバカで、誰が狂ってるですってえ?」
背後から聞こえる声に、篠原が錆びた絡繰のように首を動かして後ろを見る。
「ささささ、真田! これには、深い理由がっ」
「問答無用!」
叫んだ早苗が、篠原の右耳を掴んで引っ張る。
「い、たたたたたたあ! ちょ、マジでもげるって!」
「――――私の忠告を1回で聞き取れない役立たずの耳なんて、いらないでしょう?」
「うひいっ!?」
篠原の耳に桃色で彩られた唇を寄せて、早苗はそう囁く。体を震えさせる篠原に舌を打った彼女は、振り返ってから微笑んだ。
「奈子ちゃん、おはよう。今日も可愛いね!」
「おはよう、早苗ちゃん。早苗ちゃんの今日のメイク、なんか全体的にピンク? で良いと思う」
「ええ!? 本当に? 奈子ちゃんにそう言われるとすっごく嬉しいし、メイクについて色々と語りたいところなんだけど……」
早苗はそう言って篠原を笑顔のまま見下ろす。
(目が笑ってないって、ああいうのを言うのかな……)
見下ろされた篠原は、なぜか引っ張られている右耳だけではなく左耳と頬も赤い。
「ごめんね。私、この馬鹿を一度懲らしめないとだから!」
「ちょ、だからヤメロって――」
「うん、わかった」
「――わかっちゃダメだって大木さん! おい、真田!」
耳を掴んだまま歩く早苗と、文句を言いながらも腰を屈めて彼女について行く篠原。力で振り切れば簡単に早苗から逃れられるだろうに。
「……喧嘩するほど仲がいい?」
「あの2人の仲は、色々と拗れている気がするがな」
触れると大変なことになりそうだ、と言った浮気くんを見上げる。
「結局、恋のエビって何のことだったんだろうね? 浮気くんも本当に知らないの?」
「……知らん」
そっぽを向いて言葉短く言った浮気くんに、奈子はピーンと閃いた。
男子が好きで、女子に嫌われそうな話題。それは中学の時だってあったじゃないか。
「もしかして――――エッチな話?」
「んなっ!? えええ、えっ……な話なんて! 俺はしてないし、好きじゃない! そ、そういうのはだな、大っぴらにするもんじゃない。も、もちろん俺だって好きな人とそういうことをするのは……良いと思うが。…………っ、どちらにせよ、ここでは話せん!」
ほらもうホームルーム始まるぞ! と言って教室に入って行く浮気くん。後ろから見える彼の耳は赤く染まっていた。最後の方は、声が小さくて奈子の耳でもあまりよく聞き取れなかったのだが……。
(うーん。浮気くんは、エッチなことは好きじゃないのかあ。じゃあ、浮気相手はエッチじゃない女の子がいいのかな? でも、イメージ的には魔性の女、みたいな人の方が浮気に適しているのでは……)
奈子は、唸りながら浮気くんを追うように教室へ入った。
浮気くんが浮気したいと思える女の子について考えなくてはいけないのに。浮気くんは奈子から全然離れないし、いいアイデアも浮かばないし。
せっかく大人になるための第一歩を踏み出したというのに、上手くいかない。
「…………占いなんて、当てにならないなあ」




