第11話 ヒモ男の恋愛相談室?
男の言葉に、女の体が震える。泣いているのだろうかと奈子が見ていると、女は震えた手で水の入ったグラスを掴んだ。
「――――アンタみたいな最低男、こっちから捨ててやるわよっ!!」
そう叫んだ女は、グラスの中の水を男の顔へぶちまけた。
周囲から小さく驚きの声が漏れる。どうやら奈子と同じようにコッソリと様子を窺っていた客が他にもいたらしい。あれだけ大きな声で叫んでいたのだ。それも当然かもしれないが。
大きな音を立ててグラスをテーブルに置いた女は、そのまま鞄を持って立ち去っていく。通路にいた女性の店員が彼女を避けるように端に寄る。あれだけ驚くとは、女はどんな顔をしていたのだろうか。奈子は気になったが、この席からはもう確かめようがない。
その代わりに、奈子は水を掛けられた男の顔を見た。
「チ、会計してから帰れよ。ったく、頼みすぎんじゃなかったな。ま、そろそろ潮時だと思ってたが」
濡れた前髪を掻き上げて黒のパーカーで顔を拭う男に、反省という気持ちはなさそうだ。なにやら女に対して文句を言っている。
(……あれが俗に言うヒモ男、なのかなあ)
先ほどのやり取りを見るに、男は女性とのそういった遊びに経験豊富で詳しそうだった。整った顔と退廃的で妖しい独特な雰囲気を持つ男は、女性たちからモテるのかもしれない。
もしかしたら男性からも秋波を送られることがあるのではないだろうか。
(それに……浮気をしない男はいないって)
どこかの男子高校生とは真逆のことを言っていた。
でも、男は20代後半から30代半ばの年齢に見える。経験の多い分、彼に聞けば浮気くんのことをどうすればいいのかわかるかもしれない。
きっと、浮気くんや奈子にはない視点から意見を聞けるはずだ。
(気になる。……けど、話しかけてもいいのかな)
「――――おい、ガキ。さっきから視線がうるせえよ」
「んみっ……え、えと、ごめんなさい」
迷う奈子に、男が話しかけてくる。眉を吊り上げ目を細めてこちらを見る男に、奈子はとりあえず謝る。
この状況をどうしようかと思った奈子だったが、目の前の男とは違う明るく大きな声が入って来た。
「――――お待たせいたしました! こちら、期間限定いちごフェアの全スイーツ各種2点ずつの御注文でお間違いないでしょうか!」
「あ?」
「え?」
明るい声の正体は、男性店員だった。声の印象通り、彼の口角は最大限吊り上がっている。目も弧を描いているが、どこか無機質さも感じる表情だ。
「……ああ」
「ありがとうございます! ――――では、ごゆっくりどうぞ!」
店員の笑顔と声の圧に押されたのか、男が間の抜けた返事をする。それを聞いた店員は、ニコリと笑うと次々と商品をテーブルに置いていく。そして全ての商品をテーブルに並べた店員は、元気な声で挨拶をして颯爽と去っていった。
「…………なんだったんだ」
(私も気になる……)
店員に気を取られていた奈子だったが、すぐにテーブルに置かれたスイーツたちへ目線を移す。いちごのパフェにいちごのアイス、いちごのパンケーキ。そして――――。
(いちごのプリンアラモード……気づかなかった)
メニューも碌に見ず店の外で見たパフェを注文した奈子である。気づいていたら絶対にそちらを頼んでいた。そう思った奈子の視界には、4種類2点ずつ計8点ものスイーツたちが鎮座していた。
「んで、お前はいつまでそこで見て――」
「――――お兄さん、相席してもいいですか」
「……ああ?」
奈子は、男の返事を待たずに自分のパフェと鞄を持って席を移動した。男が呆けている間に、奈子はスルリと男の目の前に座る。
「おい、なに普通に座ってんだよガキ」
「ガキじゃないです。大木奈子です。お兄さんの名前は何ですか」
「ハッ、高校生はガキだろ。――――なんだよ。俺をナンパしてんのか?」
男は、テーブルに身を乗り出して奈子の髪を触った。クルクルと指先で遊びながら、彼は目を細めて問いかけた。よく見ると彼の左目の側にほくろがある。水に濡れた髪も相まって、大人な雰囲気が凄い。
(水も滴るイイ男ってやつなのかな?)
そんなことを思いながら、奈子は男を見つめ返した。
「ナンパというか、ちょっと相談に乗って欲しくて」
「相談だあ? 初対面の男に女子高生が何を相談するってんだよ」
「ええと、恋についてというか……告白された人に浮気してくれるならいいよって言ったんだけど、俺は絶対に浮気はしないって言われて」
奈子の話に、男が瞬く。意表は付けたのか、男の妖しげな雰囲気が霧散する。その隙を逃さないようにと奈子は口を開いた。
「経験豊富そうなお兄さんの意見が聞きたくて。話しかけた、です」
「…………生憎、俺はガキの恋愛相談室をやるほど暇じゃね――」
「――――スイーツ、半分ください。貰った分は勿論、自分でお金を出します」
奈子は鞄のポケットから1万円札を取り出して、テーブルに置いた。その様子を黙って見ていた男は、ニヤリと犬歯が見えるほどに口角を上げて笑った。
「――――話せ。経験豊富なお兄さんが、手取り足取り優し~く恋愛ってやつを教えてやるよ」
*
「――――ぶっ、アッハッハッハッ!! なんだそいつ! 金髪碧眼で苗字が浮気なのに、浮気はしませんってか? しかも女に触れると失神するとかっ。もはやギャグだろ!!」
笑いすぎて腹いてえ! と言いながらスプーンを止めることなく目の前のスイーツの群れを平らげていく男。
そんな彼に、奈子は口をムッとしながら言う。
「……笑いすぎ。私は真剣に悩んでるのに」
「ヒー、ふ、ふふ。悪い悪い。ふ、ここ数年で一番笑ったわ」
「お兄さん」
睨む奈子に「わかってるって」と手を振る男。本当にわかっているのだろうか。奈子は男に笑いの提供をしたのではない。真剣に悩みを相談しているのだ。
奈子は、4等分にしたパンケーキの一切れをムッとした気持ちのまま齧る。
(……む! このパンケーキも、おいしー)
「ははは、そんなクリームをべったりつけながら睨まれても怖くねーわ。つか、そのお兄さんってやめねえか? 俺が援交してるみてえじゃねえか」
「だって名前知らないし」
紙ナプキンで口元を拭った奈子は、そう男に返した。名前も知らないのに他に何と呼べばいいのだ。水ぶっかけられ野郎とでも呼んだらいいのだろうか。
「ああ、そういや名乗ってなかったか。俺の名前は豹我だ。神吉豹我」
「じゃあ、豹我くんでいい?」
「…………まあ、いいか」
何かを言おうとしてから、めんどくさそうに息を吐いた男――豹我はスプーンで奈子を指した。
「――――いいか? その坊ちゃんが否定しようが、男は浮気をする。程度の差はあれど、他の雌に目が行くのは雄の本能だろう。世の中の浮気しない男は浮気しないんじゃねえ。浮気できない、雄として劣ってる奴が自分の劣等性を綺麗事で誤魔化してるだけだ」
パフェを食べ終わった豹我が、スプーンを器に放り投げて指で口元を拭う。そのままパンケーキの皿を引き寄せてから、フワフワな生地にフォークを突き刺した。
「つまりその浮気とやらは、雄としての欲望が枯れてる残念な男子高校生ってことになるが……。そいつのお前への態度を聞くにそういうわけでもねえんだろうが、どこにでも突然変異は要るもんだしな」
切り分けもせずに突き刺したパンケーキを頬張る豹我。よくあんなに一気に口に入れられるなあと思いながら、奈子はパンケーキの最後の一切れを全て口に入れた。
「もご、んむむむ」
「何言ってるのかわかんねえし。食い終わってから喋れよ」
「………………浮気くんは、枯れてるの?」




