第48話 人柱
エレニアが姿を消すと、ロゼルトはセフィリアに語りかける。
「どんな気分だ? 親友に裏切られた気分は」
セフィリアは答えない。
「教えてくれ、さぞかし良い気分だろうな」
ロゼルトは楽しそうに笑う。セフィリアは無言でロゼルトの方を見る。
「この世界には、ときどき生まれるのだよ。お前のような人柱が。いいように使われて、不憫なことだ」
「……黙れ」
低い声で応える。
「なんだ図星か? いい加減自分が最後には捨てられるだけの運命だと、気づいているだろう?
お前が守ろうとしているものは、果たしてなんだろうな」
「お前に何がわかる。何が──」
強い口調で静かに声を吐き出す。
自分が何を感じているのか、自分でも分からなかった。何かを吐き出したいのに、それが何なのかも、どういう言葉になるのかも、分からなかった。
「もうやめてしまえばよかろう、お前の働きに対する報いがこれだ。
人間なんてみんなそういうもの。自分のことしか考えていない。自分の弱さを棚に上げて、ただただどこまでも求めてくるだけ。そんな奴らに、守ってやる価値などない」
「……もう、やめてくれ」
これまでよりも大きな声で、少し声が掠れる。
「それがわたしの運命なんだ。どうしてお前は、そうやってわたしの決心を──」
──砕くようなことを言うんだ。
最後はどうしても、言葉にできなかった。
考えてはいけない、そんなこと、考えてはいけない。放り出すことを考えそうになるたびに、世界のことを考える。世界がどうあるべきなのか。
そうすれば自分の感情など、次第に思考から消えていく。
──私はそのように、生まれてきた。
だめだ、投げ出すなんて考えている自分のことなど、他の誰でもない、私が認められない。
自分の心をどんどん小さくして、周囲を見渡す。国民を、この世界を見渡す。
ふと思う。
もう、考えてはいけない、とすら思っていなかった。そんなことは考えないのが、当たり前になっていた。深く深く、押し込まれて。
その思いが浮かぶともうダメだった。何かが壊れてしまいそうだ。彼女の身体も精神も、深く傷ついていた。
体が、動かなくなる。それでも彼女を動かしているのは、これまでに集めてきた少しの誇りと、習慣に従う身体だけだった。
でもこの誇りを、自分以外に、誰が認めてくれる?
「……そんなこと、全部とっくに分かっていたよ」
セフィリアの声には、いつものような力はなかった。
「セフィリア、お前はもう、とっくに壊れているんだよ。どんなに取り繕おうともな。
ほら、痛いだろう? いい加減、受け入れたらどうだ?」
セフィリアは小さく肩を振るわせる。
ああ、身体が痛い。身体中が痛い。裂けた肌も、打ち付けた身体も、燃えるようだ。
「わたしはお前のことが結構気に入っているんだ。無意味に消耗するところを見ていられない」
ロゼルトは甘く優しい声で続ける。
「わたしの元に来るか? わたしと共に世界を手に入れよう」
「……馬鹿にするな、そんなこと、あり得ない」
セフィリアはロゼルトを睨みつける。ロゼルトは満足気にニヤリと笑った。
「そうか──ではお前にはやはり死んでもらうしかない。覚悟ができたら、わたしの元に来るがいい」
彼の言葉には、自信が満ち溢れていた。
「私は、死ぬつもりなどない」
セフィリアは呟く。しかし心の中はいつになく揺らいでいた。
「いいや、お前はきっと来る。城で待っているよ」
ロゼルトはその迷いをを見透かすようにそう言い残すと、ゆっくりとその場を後にした。
***
広い部屋に一人残されたセフィリアは、その場に固まったように俯いていた。
重い扉に閉ざされた部屋の空気が、彼女の背を地面へと押し付ける。
しばらく立ち上がることができなかった。どのくらいの時間が経ったかも分からない。
頭の中を無数の自問が駆け巡る。自分は、何をすべきか?
息が詰まる。体の奥がキリキリと痛い。頭がうまく回らない。
「……セフィリア?」
扉がゆっくりと開き、リヴェルが姿を現す。
セフィリアはその声に誘われるように顔を上げる。
「なんだ、お前も私を苛めに来たのか?」
彼の姿を認めるとそう問うた。どこか投げやりな声。そんな彼女は、いつもより少し幼く見えた。
「苛めに?」
リヴェルは訝しむ。
彼に問う彼女の言葉は示唆していた──『自分は傷つけられた』と。
誇り高き彼女には、そぐわない言葉。いつもの彼女とは、様子が違う。
「どうして、こうなった? 私の何が悪い? ──私はただ、国を、国民を、守りたかった、だけなのに」
微かに震える声。リヴェルは目を瞬く。彼女の魔力が、震えるのが見えた気がした。これまでに見たことのない──この色は、なんだ?
「こんなことをして、私はなんのために戦っているんだろうな?」
しかし、見えた気のした感情は、次の瞬間には姿を消す。ちらちらと、遠い星のように瞬く。掴もうとしても掴めないもどかしさ。
「……どうしたんだ、らしくもない」
リヴェルが言うと、セフィリアは彼を見上げる。目が合った。自分のことを、見ようとする黒い瞳。
(私は、本当は……)
しかしその気持ちは言葉にはならない。喉を通る前に、奥へと落ちる。そして溶ける。
「本当にその通りだ。らしくない」
セフィリアは息を吐く。
「──わざわざこれ以上お前に手間を取らせることはない。答えなんてとっくに分かっていた──分かっていたんだ」
彼女は立ち上がる。ウェルリス王城へと向かう。白銀に光る風だけが、その場に残った。




