第47話 最後の光
「エリ!」
広間の奥の椅子に、エレニアが俯いて座っている。
セフィリアが彼女に駆け寄ろうとすると、リュグルスの兵が彼女を取り囲んだ。セフィリアは、魔力を放とうと意識を向ける。
しかし、低く鋭い声がそれを静止する。
「動くな」
背後からロゼルトがセフィリアにゆっくりと歩み寄る。
「魔法など使ってみろ。お前の友人はどうなるだろうな」
セフィリアは咄嗟に動きを止め、魔力を抑える。
「いい判断だ」
ロゼルトはニヤリと笑い、セフィリアの正面に立つ。彼女を拘束すると、床へと跪かせた。
「しばらくぶりだな、セフィリア」
セフィリアは彼を見上げて睨みつけた。警戒しながらも、反撃することはない。
「お前に見上げられるのは悪くない気分だ。それにしても、あんな小娘のために命をかけるなぞ。これだからお前たちは弱いのだ」
「お前たち?」
「──お前の母親も、いつも他人のために命をかける馬鹿だった。最期までな」
ロゼルトはセフィリアの顔をまじまじと見おろすと、魔力の波動を放つ。
黒い稲妻はセフィリアの体を貫き、彼女は拘束されたまま床に転がる。
「弱いものなど、守ってやる価値もない」
彼は言い捨てる。
「この世界ではな、結局強いものが全てを手に入れるんだよ。弱者は強者に服従するしかない。
お前も強者だろう? その力を振るえばよい」
ロゼルトは淡々と話しながら、セフィリアへの攻撃を続ける。セフィリアの身体には傷が増えてゆく。白い髪が毛先から赤く染まる。床に手をつく。息が上がる。
しかしその程度で、彼女の精神が揺れることはなかった。彼女は毅然として言い返す。
「……私は強者だからといって、誰かを服従させようとは思わない。弱者を守ることは、強者に与えられた義務だ」
「綺麗事を。そんなことでは何も手に入れらんぞ。そうやってお前は、ただ全てを失うだけだ」
セフィリアは床にうずくまり荒い呼吸をする。立ち上がろうと力を込めては、膝が折れる。
そんなセフィリアの姿を見下ろし、ロゼルトはふいに攻撃を止める。
「余興はこのくらいにしておこうか。こんなことではお前は死にもしないんだ。──かわいそうに」
彼は部屋の奥を振り返ると、エレニアに呼びかける。
「──エレニア。もういいぞ。こちらに来い」
その言葉を聞いたセフィリアは身体をこわばらせる。
エレニアはゆっくりと立ち上がると、二人に向かって歩く。コツ、コツと靴底が床を叩く音が躊躇いがちに部屋に響く。
セフィリアは、ロゼルトの狙いを理解する。理解して、彼女の頭はなおどこか理解を拒んでもいた。
彼女は小さく呟く。
「……この、悪魔めが」
エレニアはセフィリアの前に立ち、彼女を
見下ろす。
「エリ? 無事なのか? なんともないか?」
「……ええ」
「そうか。よかった」
セフィリアは肩を撫で下ろす。
その姿を見たエレニアは微かに苛立ちを滲ませ、はっきりと告げる。
「私は、あなたを呼び寄せるために、自らここに来たの」
セフィリアは俯いたまま答えない。安堵は確かに本物だった。しかし同時に、ある予感が、彼女の身体を蝕んでゆく。
傷口から流れ出る血すら、しかし流れを止めたように、全身の動きが硬直する感覚。
身体中が、予期される未来に向かって時が進むのを、拒んでいるかのようだった。
「……どうして?」
静かに尋ねる。そうすることしかできなかった。
答えなど聞きたくない、という無邪気な思いは、長年の習慣に従って、自覚する間も無く奥底へと押し込められる。
いくら身体が拒んでも、彼女には、予期した通りに流れる時から、目を背けることはできなかった。
エレニアは、無情にも端的に答える。
「彼は、あなたさえ引き渡せば、全てを終わりにすると言っているわ」
嘘だ、騙されている、セフィリアはそう答えようとして、国で聞いた国民の声が頭をよぎる。
──こんな生活望んでない、リュグルスの言うことを聞いて、戦いなんてやめれば良いのよ
──セフィリア様は私たちのことを守ってくれない
──優しいエレニア様の方がいいわ
嘘でも、ないのかもしれないな。
ずっと燻っていた気持ちがふつふつと吹き出す。聞きたくない言葉が、穴の空いた袋から流れ出るように、ひとつ、またひとつと溢れてくる。
セフィリアは、継ぐ言葉を見つけられず、押し黙った。
「あなたを引き渡す。これはわたしじゃない、国民みんなの望みよ」
国民みんなの望み。
その言葉を聞いた瞬間、心の中で、ぱちん、と音がする。
(──ああ、エレニア、お前もか)
ただひとり、友人だと思っていた。そんなお前さえも、私を利用する者なのか。
その思いが浮かんだ時、セフィリアの心にただ一つだけ、最後まで灯っていた小さな光が消える。
ああもう、何も、見えない。いらない。何も持とうなどと、望まない。──望む? 望むとは、果たしてなんだったか。
「そうか。では仕方ないな」
セフィリアは静かに呟く。一つの揺らぎもない、穏やかな声。悲しみも困惑も、ひとかけも感じさせない、いつもと同じ、落ち着いた声。
それを聞いたエレニアは少し声を荒げる。
「……あなたはいつもそう。どうしてこんな時も私のことを詰らないの?」
「お前が、そうするのがいいと思ったんだろう? ならそれがいいさ」
セフィリアの声はやはり揺らがなかった。いつも城で話す時のように、穏やかな声。表情。
「どうしてあなたはいつも、そんなに冷静で、完璧でいられるの?
あなたのそういう姿が、私を惨めにさせるの。いつだって、私だけが空回りしているみたい」
エレニアは叫ぶように続ける。
「いつもみんな、あなたのことを見上げてた。決してあなたには手が届かない。そんな私たちの気持ちが、あなたにわかる?」
エレニアはセフィリアに詰め寄り拳を振り上げる。
「……すまない、でも私は、このようにしか生きられないんだよ」
セフィリアの顔には微かに寂しげな笑みが浮かんでいた。
エレニアは振り上げていた拳を下ろして項垂れる。
「──ねえセフィ、あなた、一度だって、私のことを見ていた?」
「……」
「私はもう決めた。あなたが何を言おうと、それは変わらないわ。国のことはもう、私に任せて」
静かに様子を見ていたロゼルトが、エレニアの元に歩み寄る。
「エレニア、あとは私が話そう。お前は国に戻っていろ」
エレニアはゆっくりと頷き、セフィリアを一瞥すると、そのままウェルリスへと転移した。




