第40話 王の名を呼ぶ者
「敵襲だ!逃げろ!」
襲われたハルシャでは、町中が慌てふためき、危険を知らせる鐘の音が甲高く鳴り響いていた。
リヴェルによる遮蔽結界で包囲された街の様子は、外からは感知することもできない。
住人はなす術も無く、不意をつかれた西はずれの町は、一晩で火の海になった。
家は壊され、住人の多くが重傷を負い、命を落とした。
不安と恐怖が渦巻く。自分の身を守ることだけを考え、他人を盾に逃げ惑う住人たち
あたりに立ち込めるどろりと粘度の高い利己主義に包まれ、リヴェルは不快感に眉を顰める。
「……煩い」
口の中でつぶやく。
自分の思考にまとわりついて鬱陶しい。振り払おうとしても、執念深く絡みついてくる。
それを振り払うように、リヴェルは手を一振りする。
魔力となった彼らの感情は引き寄せられるようにリヴェルの指先へと流れ込む。
感情のあった場所には、静寂が満ちる。そこにあるのは空虚。ただ、奪われた、という事実。その空虚に、彼の支配が忍び込む。
奪っても奪っても、無くならないほどの恐怖の感情。そしてその恐怖が募るたび、それを吸収してリヴェルの魔力はますます増大する。
流れ作業のように、順に街を焼く。彼の頭の中はすでに、他人の感情で塗りつぶされていた。
ああ、この街と一緒に、全て焼き払ってしまいたい。
「聞こえているか、セフィ?」
辺り一帯を焼き尽くしたリヴェルは、街の中央、元はハルシャ中央宮であった瓦礫の上で親しげに囁く。
遠く離れた王都に、その声が響き渡る。
「こんなつまらないことはもう終わりにしよう。俺も本当は、こんなことしたくはないんだ」
破壊された街の中央に立つリヴェルの周りには、焦げた木々や瓦礫が散乱していた。
夜が明けた街の姿は、昨日とは明らかに変わってしまっていた。
市場の籠が転がり、焼けた果実の匂いが立ち込める。子どもの靴だけが道に残っている。
ハルシャ中央宮の壮麗な姿も、今や煙と灰の中に消え失せていた。
「こちらが見えるか? なあセフィ? それともこんな辺境、目に入ってもいないかな」
彼は親しげに語りかけるように言葉を発する。街の人々は、そんな彼を怯えた目で見上げていた。
「お前が言う通りにしないから、この街もこのとおり、バラバラになってしまったよ」
彼はあたりを見回して続ける。
「あーあ、全部、お前のせいだ。みんな女王様を待っていたのにね」
セフィリアは遠く離れた王都で、彼の声を聞き唇を噛む。その声は、王都の通りにも響いた。
「い、今のは……誰の声だ?」
「魔法か? 呪いか?」
「リヴェルって……リュグルスの……!」
「それって、セフィリア様が仲良くしてたって男じゃないの?」
異様なその声に、王都の人々は戸惑い、恐れ、口々に不安の言葉を発する。
リヴェルは続ける。
「なあセフィ、何を躊躇っている? 我々が求めるものはただひとつ。お前の身柄だけ。
応じないようならば、国中がこの街のようになるだけだよ。そうだな、次はどこがいいだろうね?」
人々のざわめきはあっという間に広がった。建物の陰で怯えた表情を浮かべる者もいる。
天を見上げる老人、子どもを抱きしめる母親、剣に手をかける若い兵士、国中の誰もが、一瞬、何かが壊れたような感覚にとらわれていた。
「ハルシャが、やられたのか?」
「セフィリア様のせいって?」
「でも、それじゃまるで──」
「セフィリア様は、我々を守ってくださるのではないのか」
誰かが呟いた疑念が、空気に紛れて広がっていく。
王城のセフィリアの執務室には、城の貴族たちが押し寄せる。
「どういうことですか、これは」
「ハルシャが、襲われているのですか? セフィリア様を渡せと?」
「セフィリア様を差し出すなどありえぬ!」
「しかし、このままでは他の街も……」
「城下にも、不安が広がっております!」
彼らは口々に叫ぶ。ゼドがそれを食い止める。
「セフィリア様、あなたが行かれることはありません。我々が向かいます。誘いに乗るべきではない」
「私が、あの男に負けると?」
彼女は食い気味に答える。セフィリアの声には珍しく苛立ちが滲んでいた。
「心配ない、私が行く。お前たちまで傷つけられるのはごめんだ」
「しかし……」
「私の命令が聞けないのか? お前は私からの指示があるまで待機だ」
セフィリアはピシャリと命じる。
あの男は、自分を試しているのだ。セフィリアには確信があった。
積み上げてきた私の意思を、私の信頼を、私の王としての人望を。
あいつはそれらを突き崩すそうとしている。それを思うと心が逆立つ。私が、守るべきもの──
何をおいても、自分が行かねばならぬ。これは彼から私への挑戦だ。
彼は私に、会いたがっている。
「エリ!」
セフィリアはエレニアを振り返り呼びかける。
「待っていろ、すぐに戻る。城は任せた」
その顔は、王の顔だった。




