第33話 小さな違和感
医務室にひっきりなしに訪れる負傷兵の手当てもひと段落し、エレニアは一旦執務室へと戻る。
午後の陽が差す静かな廊下。書類を抱えて歩くエレニアを、澄んだ声が呼び止めた。
「エレニア様」
振り返ると、若い士官が立っていた。整った顔立ちに軽やかな笑みを乗せた青年――レオンだ。
少し前からエレニアの下で働いている彼は、貴族の出でありながら驕りのない物腰で、最近は城内でも目を引く存在だ。
「本日の分の報告書をお持ちしました」
「相変わらず、仕事が早いわね。ありがとう、助かるわ」
「いえいえ、ただでさえ多忙な補佐官様のお手を煩わせるわけにいきませんから。
他にも何かありましたら、いくらでも私にお申し付けください」
そう言って大仰なそぶりで書類を差し出す。
「まったく、いつも調子がいいんだから」
エレニアは苦笑しつつ、素直に受け取る。
「お、すこし明るい顔になりましたね。なんだか少しお疲れのようでしたが」
レオンは心配するようにエレニアの顔を見つめる。エレニアは咄嗟に目を逸らした。
「……そう? あなたの気のせいじゃない?」
「そんなことないですよ、僕の目は誤魔化せません。いつもあなたのそばで働いているんですからね。
あまり働きすぎないでくださいね、なんならこのまま、一休みします?」
エレニアはふっと微笑む。彼女はこの気さくな青年が気に入っていた。
「そうしたいのは山々だけど、部屋に戻って見なければいけない書類が山積みなの。女王陛下からね」
「それは残念です。ではまた今度にしましょう。甘いものでも用意しておきますよ」
冗談なのか本気なのか分からないその調子に、エレニアはやや呆れながらも、どこか楽しげに肩をすくめる。
「でも、セフィリア様、あれだけ戦って、その上で全部を見て指示を出されているなんて。僕たちとは、まるで同じ人間とは思えませんね」
レオンは心底尊敬しているようだった。そのまっすぐな言葉に嘘はない。
「そういえば、セフィリア様は今日はお戻りに?」
「どうかしら? あの人はいつも何も言わずに飛び回ってるから。こうやって書類と伝言だけ山のように寄越してね。まったく、じっとしてられない人なんだから」
エレニアはヒラヒラと書類を振って見せる。
「セフィリア様は本当にエレニア様を頼りにされていますよね。
僕もエレニア様のように、陛下をお支えできるよう頑張ります」
彼はそう言って、真っ直ぐな眼差しをエレニアに向ける。
「そうね、期待してるわ」
エレニアは微笑む。
彼女を見る彼の瞳は澄んでいて、あまりに澄んでいて、まるでエレニアを通り過ぎるようだった。
(──彼女は、特別)
エレニアの表情は変わらなかったが、胸の奥にまたチクリ、と小さな痛みが走る。
レオンは彼女の微かな揺らぎには気づかない。ただ、任せてください、と素直に笑い、頭を下げた。
「それでは、僕は持ち場に戻ります。──何かあれば、いつでもお声かけください」
「ええ。ありがとう、レオン」
彼が去っていく軽やかな足音が遠ざかる。エレニアはそっと書類を抱え直し、静かに前を向いた。




