第31話 リヴェルとロゼルト(前)
リヴェルと出会った日のことを、ロゼルトは今も鮮明に覚えていた。
それはロゼルトがレティシアとの戦いで力を失って間もない頃。
要らぬ混乱を嫌い、彼が力を失ったことは、近しい臣下以外の者には巧妙に隠されていた。
もっとも、彼の自信も野望も、力を失った程度では揺らぐことはない。生まれついた支配者ともいうべき彼の威厳は、魔力などなくとも多くの国民の、臣下の心を捉えていた。
しかし、力を取り戻さぬことには、どうにもならぬ。
いかにして封印を解き、自身の魔力を取り戻すか。彼は常にそのことに頭を悩ませていた。
城下の視察に出たロゼルトは、臣下を伴って王都を歩いていた。
国民はロゼルトの訪問に畏れ、彼らを遠巻きに取り囲みながら控えている。ロゼルトが少し目を向けると、周囲の者は震え上がる。
突然、ロゼルトの一行の目の前を、少年が横切った。簡素な服を着て、真っ黒な髪に黒い瞳の少年。
怯むでも挑むでもない、ただそこを通る必要があったから、とでもいうように何事もなく歩く。
「おい、ロゼルト様の前だぞ」
同行していた側近が詰め寄る。少年は興味なさげに彼を見上げた。しかし緩慢なその動きは、ロゼルトを見て、突然に、止まる。
これがリヴェルの、いや二人の運命を変える出会い。
「構わん、ただの子供だ」
ロゼルトは少年を見つめ返す。リヴェルは動かない。ただ無言でロゼルトを見つめ続ける。
いや、ロゼルトを見ているというよりも──もっと遠くを見ているような目。
「何を見ている?」
ロゼルトは訝しむ。
「……あなたが、王か」
ロゼルトの魔力に触れた瞬間、周囲の雑音がぴたりと止んだ。
それは、生まれて初めて彼に訪れた沈黙。そこに見えるのは、今までに見たどの人間とも違う感情。
誰よりも大きな野心と自信には、一切の迷いも揺らぎも感じられない。巨大で冷徹なその色に、リヴェルは目を奪われた。
リヴェルの目に映る彼の魔力は、不思議に薄かった。しかしそれでも、巨大な力の残滓が静かに感じられる。
リヴェルはもっと良く見ようとするように目を細める。
視線を受けたロゼルトは身体にちくり、と違和感を感じた。いや、これは身体ではない、もしや魔力に干渉されているのか、とロゼルトは体をこわばらせる。
ぱちぱちと違和感が身体をかけ抜ける。身体中を虫が這うような、不快な感覚。思わず顔を歪め、その不快感を振り払うように魔力を放つ。
──他人の魔力に、干渉する力?
そんな力があるなど、にわかには信じ難い。それもこのような子供に。
しかし身体中に感じた感覚は、気のせいなどではなかった。
ロゼルトは相対するリヴェルを素早く観察する。
何かもかもを諦めたような空気を纏い、しかし何かを秘めているような少年。他人とは違う何かを見ているような、この少年に興味が湧いた。彼は問う。
「お前は、何を求めている?」
「──静寂を」
それは、彼の渇望するもの。
彼にとって、人間など、誰も同じだった。弱く、卑怯で、いつも自分を守ることで精一杯。
まだ能力を制御する術を持たなかったリヴェルには、そんな周囲の人間の感情が、四六時中頭の中に流れ込んだ。
不安、不満、嫉妬。感動、歓喜、熱狂。あれが気に入らない、これが気に食わない。あれも欲しいこれも欲しい、ああどうして、自分には、手に入らないのか?
揺れ動く周囲の感情に無防備にさらされ、自身の感情はもはや擦り切れていた。
他人の悪意に、痛みに、心を少しずつ侵食される。彼の頭の中は常に自分のものではない雑音に溢れていた。
そんな彼の目に、ロゼルトの冷ややかな感情は、しかし癒しのように見えた。
決して揺らがない。果てのない大海のような。彼のもとにいれば、自身が惑わされることはない。
「お前、私のところに来るか?」
この子どもは使える。弱肉強食のこのリュグルスで、ただ自身の才覚により王にまで上り詰めたロゼルトの直感は、そう告げていた。
そして、その直感は、これまで彼自身を裏切ったことはない。
リヴェルは小さく頷いた。迷いはなかった。
もともと他人の心を覗くようなこの能力のために、周囲からは疎まれ、居場所などなかった。ましてや誰かに求められたことなど、これまで一度もない。
しかし本当は、そんなことは些細なことだった。彼が感じていたのは、わずかな期待。
変わり映えのない毎日の、何かが変わるかもしれない──そんな無意識の期待が、彼の背を押す。
頷くリヴェルを見てロゼルトは満足げに微笑んだ。この少年は使える──いや、それ以上の何かを持っている。
何処の馬の骨とも分からない、と戸惑い静止しようとする側近を、俺の言うことが聞けないか、と一言で黙らせる。
ロゼルトは視察の残りの行程を任せ、そのままリヴェルを連れて城へと戻った。
「お前たちは全員下がれ。良いというまで現れるでない」
謁見の間にたどり着くなり、ロゼルトは臣下に、全員部屋から出るよう命じる。
会ったばかりの素性もわからぬ少年と二人きりにすることに懸念を抱いていた臣下たちだったが、ロゼルトの命に逆らうことはできず、静かに部屋を出る。
広い部屋に、二人きり。静寂が部屋を満たした。その静寂を、ロゼルトの低く豊かな声が破る。
「何が、気になっている?」
先ほどから、自分に観察するような視線を向ける少年に向かって尋ねる。
「……あなたの魔力は、どこに失われたのですか?」
ロゼルトは絶句した。国民の間にはまだ、自身の魔力の喪失は知られていないはずだった。
あるいは、ただ思いついたことを言っているだけ、という可能性もある。しかしこの少年の物言いには、常に奇妙な確信があった。
「──お前は、魔力が見えるのか?」
そのような人間の話は聞いたことがない。しかし、それは直感だった。
「はい」
リヴェルは簡潔に答える。再び不快な感覚がロゼルトの身体を駆け巡った。
ロゼルトは咄嗟に、リヴェルの周囲を魔力で取り囲み、威圧する。その圧力で空間は歪み、バチバチと空気が爆ぜる音がする。
臣下の失態を責める際によく使う術だった。しかしリヴェルはみじろぎひとつしない。
やはりこいつは良い、とロゼルトは心の中で笑みを浮かべる。
「──私の魔力は、お前にどのように見えている?」
そのままリヴェルを見下ろし、静かな声で問いかける。
「あなたの魔力、と言うのが正しいのか。あなたの魔力の源は損なわれています。魔力が生成されていない。
……しかし元は強大な力の源泉であったのだろう、ということはわかります。あなたの湛える魔力は源を失ってもなお強固で大きい」
リヴェルは淡々と述べる。
「なるほど、よく見えているらしい。およそ私自身の見立てと同じだ」
ロゼルトは感心して、考え込むように自身の顎に手をそえる。
「お前は、他人の魔力に干渉できるのか? 不遜にも、私の魔力に触れてきたな」
「失礼いたしました。興味深かったものですから」
リヴェルはなんでもないことのように言う。
自分に恐れも敵意も、過度な敬意も抱かない、その態度がロゼルトにとっては好ましかった。
彼はすっかりリヴェルのことが気に入っていた。しかし彼はまだ幼い。見たところ、まだ自分の力を使いこなすこともできていなければ、制御も不十分のようだ。
(今のところは、触れることができるだけ、か)
ロゼルトは、彼の持つ稀有な能力を、自分の役に立つものに育て上げようと画策していた。
こいつの能力を使って他人の魔力を奪うことができれば……。そうすれば、かなり自身の力は回復に近づくだろうと、ロゼルトは読んでいた。
「お前はまだ自分の力が十分に制御できていないようだ。
自由に使えるようになるまで、しばらく私が面倒を見よう」
これは思っていたよりも良い力を手に入れたかもしれぬ、とロゼルトはほくそ笑む。
「お前、名は何と言う?」
「リヴェル」
「よし、リヴェル、私がお前の望む静寂を与えてやろう。──その代わり、お前の力を私に捧げよ」




