第29話 封じられた泉
静まり返った地下室に、足音が響く。コツ、コツと、落ち着き払った足音。
一定のペースを刻んでいたその音は、セフィリアの牢の前で、ぴたりと止まる。
「やあ、セフィリア、久しぶりだな。私のことを覚えているかな。ずいぶん大きくなったものだ」
ロゼルトは囚われたセフィリアに呼びかけた。
「ようこそ、我が城へ」
セフィリアは地に伏したまま鋭い目でロゼルトを見返す。
「何が望みだ?」
「フフッ、なかなか直球だな。私好みだ。ではこちらも、単刀直入に言おう」
彼は一歩進み出る。
「――私と、手を組まないか? この歪んだ世界を、正すんだ。お前には、その力がある」
「歪んだ世界? 力? なんの話だ」
セフィリアは怪訝な顔をする。
「私が教えてやろう。ついてこい」
ロゼルトは、セフィリアを牢から連れ出すと、地下室の奥深くに案内する。そこには、古びた石碑がたっている。魔力で固く閉ざされているのが感じられた。
「これは……魔力の泉? 封印されたものか?」
「そうだ」
ロゼルトは頷く。
その魔力の泉は、ウェルリス中央にあるものと比べると、かなり小さかった。
生み出される魔力は感じられず、光もない。長い年月捨て置かれたように、黒ずんだ姿。
今にも端から朽ちそうに古びていて、しかしどこが息が詰まるような圧を感じた。セフィリアは思わず眉間に皺を寄せる。
彼女が引き寄せられるように手を伸ばすと、魔力の泉は淡い光を放った。空気が震え、微かにガラスが触れ合うような澄んだ音がする。
彼女は驚いて咄嗟に手を引いた。
「やはり、思ったとおりだ。お前も『鍵』なのだな」
「『鍵』?」
「魔力の泉に共鳴する者。その力を引き出すことができる者。その力があれば、世界を手に入れられる」
「話が見えない」
セフィリアは眉を顰める。
「――お前は、魔力の泉が封じられた理由を知っているか?」
「それは……かつて暴走したからだろう? 魔力の泉の強大な力は大陸を飲み込み、世界が壊滅しかけた、と」
「その通り。それ以来、魔力の泉は全てお前たちウェルリス王族の管理下にある。源流であるウェルリス王都のものを除いて、全ての支流たる魔力の泉は封じられた。
これもその一つだ。かつてはウェルリス王都のものに匹敵するほどの大きな魔力を生み出していたらしい。そしてリュグルスはこの魔力の泉を中心に発展した。
しかし、今はこの有様。その魔力は全て失われている」
ロゼルトは続ける。
「現在この大陸に存在する魔力は、全てウェルリス王都の魔力の泉から流れ出たものだ。
私はそれが気に食わないのだよ。魔力の源泉近く、いわば上流にあるお前たちウェルリスはいつも潤沢な魔力を持ち、大きな顔をしている。
我々は下流にいるからにして、お前たちに及ばぬものしか得ることができぬ。不公平だとは思わないか?」
母の声がよみがえる。
『魔力の泉は、世界を潤す源。しかしその力は危うく、制御を失えばすべてを呑み込む』
「でも、そうしなければ――」
「全ての人間は自由に生きるべきだ。それなのにお前たちは、民から力を奪い、分け与えるふりをして縛りつけている、そうは思わないか?」
『魔力の泉の魔力は、危険過ぎる。封じるしかなかった。――それは、この世界の秩序を守るための決断だった』
「お前たちの言う『守るための封印』。その裏で、確かに力を奪われた者たちがいた。
私は、魔力の泉の力を解放する。そして彼らを救う。そのためにお前の『鍵』の力が必要なのだ」
「解放などして、また力が暴走したら? 多くの犠牲が出る」
「犠牲?」
ロゼルトはせせら笑う。
「本来、それで生きられぬような弱きものは、淘汰されてしかるべきなのだ。
力に耐えられぬ弱者のために、強者が何を遠慮する必要がある? なぜ努力もしない弱き者のために、自らの自由を捨てねばならん。守ってやらねばならんのだ。
――お前もそう思わないか?」
ロゼルトは忌々しげに吐き捨てる。
「どうだ、手を組む気はないか?
お前と私が手を組めば、世界を手に入れることもできる。もう他人のために苦しむこともない」
セフィリアの胸がチクリと疼く。
しかし彼女は即答する。彼女はどこまでも、国民を守る、王だった。
「悪いが、断るよ」
「ふん、その目、母親にそっくりだ。あいつも同じように私の理想を拒絶した」
ロゼルトは遠い過去を見るように僅かに目を細める。
「だいたい、私に魔力の泉に干渉する力があるのであれば、お前と手を組む必要どこにある?
もし世界を手に入れたいのであれば、私一人でそうするよ」
「ふん、その返答までそっくり同じだ。全く、忌々しい。
──だが予想通りだ。お前がこの話に素直に乗ってくるなどとは思っていない」
「なら、どういうつもりだ」
「取引だ。お前の守るものを、一つずつ壊してやろう。お前が、私の言うことを聞く気になるまでな。
さて、お前はいくつ失うかな。どこまで耐えられるかな」
ロゼルトは愉快げに低く笑みを漏らす。
「──悪魔だな」
セフィリアは対照的に、顔をしかめる。
「どうとでも言え、私は、目的のためであれば手段は選ばない男だ」
「だが、残念ながらそれでは取引にならない。私は全て、必ず守り抜くよ」
セフィリアは淡々と応える。
「威勢がいい女は嫌いではない」
彼はニヤリと笑った。
「──楽しみに待っていろ。必ず屈服させてやる」
ロゼルトは彼女を残して地下牢を後にした。




