第2話 国境に吹く風
砦の指令室には、冷えた風と鉄の匂いが常に立ち込めている。
リュグルスと国境を接するウェルリス東部では、常に小競り合いが絶えない。
ここウェルリスと隣国リュグルスは、長い間敵対関係にある。魔力も資源も豊かなウェルリスの土地を求め、有史以来、たびたびリュグルスはウェルリスへの侵攻を続けてきた。
リュグルスの前王、サテの統治時代には、セフィリアの母、レティシアの尽力もあり、歴史的な友好関係を築いていた。
それが崩れたのは十一年前のこと。現王ロゼルトがサテを暗殺し、王座を奪い取ると、再び戦乱の時代へと突入した。
そして戦いの末、セフィリアは幼くして天涯孤独となり、同時に王位を継ぐこととなる。当時、六歳。あまりにも若い王の誕生だった。
城塞都市セレナス。ここはウェルリスの前線の要となる場所、いわば最後の砦だ。
都市には綿密に防護結界が張り巡らされている。敵の侵入を拒み、魔術も物理攻撃も通さぬ堅牢な防壁。上方へ目を向けると、時々ちらりと、空が煌めくのが見える。
ウェルリスの隣国との戦いの歴史は、この防御術の歴史と言っても過言ではない。ここ、セレナスの要塞も幾度となく敵を阻んできた。
そして同時に、幾度となく防衛線を突破されそうになり、その度にその堅牢な術を発展させてきたのである。今でも、より強い術の研究が盛んに進められている。
セレナスでは、研究術師の詰める研究棟と、兵士が立ち並ぶ城壁が、鉄の匂いの中隣り合って共存している。新しい術が生まれれば、翌日には実戦で試される——この国の結界は、そうして厚みを得てきた。
結界術に優れた者が、砦将として砦を守る。セフィリアも、定期的に国境都市の見回りに訪れていた。
ゼドと共に砦を訪れたセフィリアは、国境沿いから順に防壁の点検をし、強化の術を施す。
「やはり現地に来ないとダメだな、遠隔だとどうしても足りないところがある」
セフィリアはそう呟きながら、細い指を滑らせ入念に確認する。
「ゼド、先に指令室に向かっていてくれ。私は終わったら追いかけるよ」
ゼドは、かしこまりました、と一礼するとひと足先にセレナス中央の指令室へと向かう。そこには、砦将のハルカが待っていた。
「ハルカ、久しぶりだな、また貫禄が出たんじゃないか?」
「ゼドじゃないか。お前はいつまでも変わらないな。相変わらず城にいるのか。セフィリア様の側近として?」
「ああ、それが私に課された使命だからな」
「お前はいつも真面目だな。ほら、もう少し肩の力を抜けよ」
ハルカはゼドの肩に手をかける。
「抜き方がわからん」
「お前はそういうやつだったな。だがあまり根を詰めるなよ。たまにはまた俺と一戦やろうぜ。
──まあ、それもそう遠くないうちに叶う、かもしれないな」
「不穏なことを言うじゃないか。何かあるのか?」
「いいや、確信はないが、最近どうも敵の動きがおかしくてな。
──ところで、セフィリア様は? もうお見えだと聞いてきたんだが」
「今は隣の結界を確認されている。間も無くこちらにも来られるはずだ」
そう話していると、セフィリアがちょうど姿を現した。
「やあ、ハルカ。待たせたね。ここで最後だ」
セフィリアは順に防壁に魔力を這わせて点検する。目立った綻びはない。ここの砦将、ハルカは優秀だった。
「さすがだな、お前の術には惚れ惚れするよ」
「お褒めいただき光栄です。セフィリア様には遠く及びませんが。
いつかご指南いただきたいものです、どうです、ゼドの代わりに私を城に置くと言うのは? こんな堅苦しい男ではなく」
「そうだな、考えておこう」
セフィリアはそれを聞いて苦笑する。ゼドは複雑な顔で旧友を見ていた。
この男はよくこう言う軽口を叩く。ゼドとは正反対の性格であったが、昔から二人はどこか気が合った。あるいは正反対の性格であるからこそ、と言うべきか。
今ではハルカは砦に、ゼドは王城にそれぞれ仕えているが、若い頃は二人で前線に立ち、多くの武勇を挙げたものだった。
母レティシアの生前、幼いセフィリアの戦闘訓練の指南役もこの二人だった。
「どうだい、最近のセレナスは?」
「先ほどゼドとも話していたのですが……このところどうもリュグルス軍の攻撃が激しくなっています。
ロゼルトが力を取り戻し始めているようで、じわじわとその力が広がっているのを感じるのです。
セレナスまではまだ到達していませんが、どうも今までとは攻め方が違います。警戒が必要かと」
セフィリアは眉間に皺を寄せる。
「なるほど、ありがとう。それは確かに心配だ。様子を探っておいた方がいいね」
十一年前の戦いで魔力を封印されたロゼルトは、以降リュグルスに篭り、姿を見せていない。リュグルスからの侵攻は続いていたが、これまで彼の力を直接感じることはなかった。
「ゼド、調査を頼めるか?」
「かしこまりました」
「ハルカも、何か異常があったらすぐに報告してくれ」
ハルカは了承する。セフィリアは、引き続きよろしく頼む、と肩を叩いた。
一通りの視察を終えたセフィリアは、城に帰還するため指令室に背を向け歩き出す。その背中に向けて、ゼドが静かに進言する。
「セフィリア様、もしお疲れでなければ、城下にお立ち寄りになってはいかがでしょう?
王都では、市民たちが皆、セフィリア様のご帰還を心待ちにしております」
「そうか……最近、城に篭もりがちだったからね」
セフィリアは振り返り、彼の目を見た。
「様子も見ておきたい。視察がてら、少し街に降りようか」
「はっ」
ゼドは静かに頭を下げた。




