第26話 灰色の勝利
撤退していくリュグルス軍を見送りながら、誰かが、低く呟いた。
「勝った……のか……」
セフィリアは、灰色の雲と煙に覆われた空を見上げる。
(エリは、大丈夫だろうか)
視界がかすみ、足元がぐらりと揺らめくように感じる。裂けた脇腹からの出血がひどい。保持量以上の魔力を無理に使ったせいで身体中がさらに重かった。
「すまない、私はセレナスに戻らねば。エr……レオンに伝えて手当と復興の人員を回してもらってくれ」
それでも、静かな声で近くにいた守備兵に伝えると、セフィリアはまたセレナスへと転移した。
*
瓦礫と血煙の中。遠巻きにその光景を見ていたリヴェルは、目を細める。
──見事だ。
見たことのない量の魔力。それをなんの感情も漏らすことなくただ操っていたセフィリア。
リヴェルが感じたのはただの感嘆ではなかった。胸の奥底をざらりと撫でるような感覚。
(やはり、この女は……常軌を逸している)
どこまでも冷静で、どこまでも淡々と、こんな力を振るっても、何の誇示も、感慨もない。
敵を殲滅した後の興奮も、達成感も、彼女には微塵もない。ただ、そこに立ち続ける。血に濡れ、割れた石畳、煙を吐く街をただ見つめる。
唐突に気付く。
──俺は、あの目を知っている。
あれは、戦いに勝った者の目ではない。何かを失った者の目だ。己を削って、削って、何もかもを諦めた者の目。それは何度も何度も、鏡の中に見つけた目。
喉が、乾いていた。
***
転移の光が、セレナスの砦の一角に弾けた。
「セフィリア様――!」
真っ先に気づいたのは、見張り台の兵士だった。彼の叫びに、ウェルリス兵たちが一斉に振り返る。
砦の瓦礫の上に、セフィリアは現れた。
鎧は所々ひび割れ、血に濡れた脇腹を押さえながら、彼女は、それでも毅然と立っていた。辛い様子など、まるで感じさせない。
「セフィリア様……!」
リセルが駆け寄ろうとする。だが、セフィリアは片手を上げてそれを制した。
「セレナスは、無事か」
毅然とした声で問いかける。
「はい、なんとか持ち堪えました。被害は甚大ですが……」
安堵と共に、セフィリアは静かに頷いた。ほんの一瞬、彼女の膝が崩れかけたが、すぐに踏みとどまる。
「……ハレの軍勢も、追い返した」
その言葉に、砦の兵たちの間に歓声が広がった。
「やったぞ!」
「女王陛下万歳!」
誰かが叫び、次々と声が上がる。砦に、久々の希望の光が差し込んだ。
勝利の声がこだまする中、セフィリアの視線は、遠く地平を見つめていた。
空は灰色に曇り、地には血と瓦礫と、疲れ果てた兵たちの影。
彼女は知っている。この勝利は、ただの延命にすぎない。街は傷つき、国もまた、消耗しつつあった。
セフィリアは表情を変えることなく立ち続ける。しかし、ゼドは見ていた。 わずかに震える指先を。砦の石畳を踏みしめるたび、ひそやかに滲む苦痛の気配を。
(……セフィリア様)
ゼドは心の中で、呼びかける。しかしそれを声に出すことはない。
「ゼド、ここは任せた。私はこのままリュグルスに向かう」
セフィリアはただ静かに指示を出す。
「ハレとセレナス、両方の復興を急げ。住民の避難と、負傷者の手当を最優先に」
「……承知しました」
そんなセフィリアの痛みに気づいていながらも、ゼドはそう応えることしかできなかった。今のこの国には、どうしても彼女の力が必要だ。彼女の痛みに、目を瞑るほかない。
ゼドの返事を聞くとセフィリアは姿を消し、エレニアの元へと転移する。彼の気配を感じていた。




