一
愛鳥週間(5/10~5/16)に伴う、限定公開です。
愛鳥週間が過ぎましたら、冒頭の「一」の部分以外は削除いたします。(全く同じ内容の同人誌の在庫が、まだ割と残っているため)
ご了承ください。
貴方は、サギに声をかけられたことがあるだろうか。サギといっても人を騙す詐欺師のことではない。鳥の鷺である。首と足の長い、すらりとした水鳥のことだ。あの鷺に、声をかけられたことがあるだろうか。
声をかけられた、というのも、こちらに向かって鳴き声をあげた、というのではない。人の言葉で、日本語で呼びかけられたか、ということだ。
無論、私はある。そうでなければ、こんな突拍子もない問いかけなどしない。私は白鷺に、「もし、そこのお方」と声をかけられたことがあるのだ。
※※※
あれは今から一年ほど前、初夏の頃だったか。太陽の位置はすっかり高くなり、夏めいた日差しが降り注ぐようになった時節のことである。
なんとなしにテレビを眺めていたら、秩父で鮎釣りが解禁されたというニュースが流れてきた。それに触発された私は、釣りに出掛けようと思い立った。明日は代休で仕事は休み、加えて天気予報は全国一律で晴れの予報。日がな一日、のんびりと釣りを楽しむにはちょうど良かった。
とはいえ、私が目的地に定めた釣り場は、鮎釣りのできる広々とした河川ではなく、山間を流れる渓流であった。私は、少々天邪鬼なところがある。ニュースで取り上げられた鮎釣りに早速飛びつく、ミーハーな真似はしたくなかった。まあ、特別鮎に思い入れがあるわけではなく、ただ釣りができれば良かったのと、秩父よりも件の渓流の方が近場だった、というのもある。
何はともあれ、私はいそいそと釣り道具を用意して就寝し、日の出より先に起き出して、始発の列車に乗り込んだ。
しばらく列車に揺られていると、車窓の風景はビル群から田園風景へと変わった。ちょうど田植えが終わった頃合いのようで、田んぼでは幼い稲苗が風にそよいでいる。普段、都会の喧騒の中で暮らしている私にとって、このような里山の光景は目にまぶしく、冒険心をくすぐられる。都会から自然へ。日常から、非日常へ。無性に胸が躍る。
やがて、列車は終着駅に着いた。私はそこでバスに乗り換えた。バスは田園風景を置き去りにして、緑豊かな山中へと突き進む。ここまでやって来ると都会の名残すら消え、完全に非日常の世界である。天狗や河童に遭遇しても、可笑しくないように思えた。
それから、峠にある素朴なバス停で下車し、鬱蒼とした小径を歩くことしばらく。目的地の釣り場に到着した。
このとき私が選んだ釣り場は、管理釣り場であった。しかし、人の手で管理されている釣り場といえども、渓流型の管理釣り場である。池や釣り堀が整備されているわけではない。生い茂る木々も、ごろごろとした岩場も、その岩場の間を流れる清水も、自然そのまま。充分に渓流釣りの気分を味わえる。そのうえ、魚は放流されているためボウズになる可能性は低い。渓流型の管理釣り場は、軽く嗜む程度の釣り人である私にとって、おあつらえ向きな場所なのである。
受付を済ませた後、私は揚揚と指定された区画へと繰り出した。自然がそのまま残されているものの、好きな場所で釣りをして良いわけではない。そこは管理釣り場である。指定された場所で、釣りを楽しまねばならない。
今回、私の釣り場となった区画は、やや下流に位置する淵で、周囲には木々が生い茂っていた。木漏れ日に彩られた水面はきらきらと輝き、時折、ホーホケキョと鶯のさえずりが響く。思い切り空気を吸いこめば、濃密な木々の香りが鼻腔を満たす。目と耳と鼻と、五感のあちこちに自然の息吹が吹きかかる。なんとも心地よい空間であった。しかも、周囲に人の姿はない。連休明けの平日ということもあり、私の他に人影はなく、落ち着いて釣りを楽しめそうであった。
私は早速、清流に竿を振り入れた。流れに乗った浮きに合わせて、ゆっくりと釣り竿を動かす。ぷかぷかと揺れる浮きを眺めているだけでも、なんだか楽しくなってきてしまう。これぞ、非日常の魔力である。自然と鼻歌がこぼれる。
一昔前の流行歌のメロディーをなぞること、しばし。ちょうどサビに差しかかったときである。
かたわらから、「もし、そこのお方」という声がした。せせらぎにすら埋もれそうなほど控えめな、男とも女ともつかない声だった。
初めは私にあてた声とは思えず、私はまったく無視をして、漂う浮きを眺めていた。しかし、さして間もなく、再度「もし、もし」と先ほどよりも大きな声が聞こえた。今度は、川の流れよりもはっきりとした声音で、これは確かに私に向けられたものだと思わざるを得ない。
私は、声の聞こえた方に振り返った。すると、すぐ近く、一歩ほど離れたところに、真っ白い大きな鷺が、首を伸ばして立っていた。
驚いた私は、「おっ」と声をあげてしまった。鷺は魚欲しさに釣り人に近づくことがある。そのことは知っていたものの、手すさび程度の釣り人である私にとって、こんなにも人馴れした鷺と邂逅するのは初めてのことであった。
驚きつつも、私は直立不動の白鷺の向こう側を覗き見た。「もし」と私に呼びかけた人物の姿を探したのだ。しかし、近くには誰もいなかった。その白鷺以外。
あの人声は、聞き間違いだったのだろうか。どうにも、そうは思えない。一度のみならず、二度も聞こえたのである。
もしや、と私は思った。例えば鸚哥、例えば鸚鵡。それから、九官鳥にときどき鴉。鳥という生き物は、往々にしてしゃべる。そして、鷺も鳥である。
私は、眼前の白鷺を見た。なかなかに大きい鷺だ。頭が私の胸元に届きそうなので、大鷺だろうか。彼、もしくは彼女は、真っ直ぐ首を伸ばし、やけに良い姿勢で立ちつくしている。新雪をまぶしたような濁りない白い体は、新緑明るい渓流の光景によく映える。
そんな美しい白鷺を、私はじっと見つめ続けた。私も鷺も微動だにしない。一言も発しない。せせらぎが粛々と響き渡る。
いくら耳を澄ましても、人の声は聞こえない。ならば、やはり聞き間違いかと思いたいところだが、どういうわけか「もしや」という私のうちに浮かんだ疑念は、むくむくとふくらむ一方だった。
釣り竿を握る手が、汗ばむのを感じる。私は、竿を握り直した。
そのとき、ぱしゃりと水の跳ねる音がした。私ははっとして、清流を見やる。水面に浮かんでいたはずの浮きが沈んでいると思いきや、釣り糸がぴんと張った。
こんなときに当たりがきた。不意打ちじみたヒットに、私は戸惑った。だがそれも一瞬のこと。私はすぐに、釣りがやりたくてここに来たことを思い出す。大事なのは、鳥ではなく魚だ。
私はゆっくり竿を立てながら、わずかに後退る。そうして、掛かった魚を水際に寄せてゆく。一層魚が激しく跳ねて、水しぶきをまき散らす。十分近くまで来たところで、私は網で魚をすくい上げた。捕らえた魚はふっくらとしており、体の表面には黒い小判状の模様が並んでいる。山女だ。滑らかな魚の肌は陽光を受け、艶めいている。渓流の女王の異名にふさわしい、佳麗な一匹だ。
私は、山女から仕掛けを外すと、釣り用バケツに入れた。透明なバケツの中で、山女はじっとしたまま、ぱくぱくと物言いたげに口を動かす。しかし、その口から声が出てくることはない。ゆらゆらと優雅に尾鰭を揺らしながら口を動かすその姿を、私はじっと眺めていた。バケツのかたわらにしゃがみ込んだまま、それはもうひたすらに凝視していた。安心していたかったのだ。一切しゃべらない、なんの変哲もない山女は私のよく知る現実であり、この魚を眺めていれば、つい先ほど遭遇した不可解な事象もなかったことになるような気がした。完全に逃避である。「もしや」という疑念も白鷺も、消えてほしかった。
だが、そのような行為も、まったくの徒労であった。再び「もし」という、しおらしい声が聞こえたのである。
私はおもむろに、白鷺を見上げた。白鷺もわずかに顔を横に向けて、じっと私を見返している。日陰蝶の眼状紋にそっくりな、ぎょろりとした瞳と目が合ったとき、私はこれは逃れられない運命なのだと悟った。眼前の鷺を無視できない。そうすることは許されない。
「……何か?」
恐る恐る、私は答えた。すると、白鷺はその長いくちばしを開き、しゃべり始めた。
「貴方は、どうして月に兎のような模様があるか、ご存知ですか?」
出し抜けの質問は、あまりにも突飛であった。問いかけてきたのが鷺でなく人間だったとしても、わけが分からない。
私と鷺の間を断絶するように、一筋の風が吹き抜ける。絹糸に似た白鷺の胸の飾り羽が、はらはらとなびく。
しかし、白鷺はそのような風にめげる様子もなく、乱れた飾り羽もそのままに、再度話し始めた。
「どうして、月に兎のような模様があるか、ご存知ですか?」
繰り返される同じ問いかけ。
これは、あれか。ギリシア神話のスフィンクスのような、なぞなぞを仕掛けてくる怪異なのか。そうだとしたら、正しい答えを答えねば、私は食い殺されてしまう。黙ってやり過ごす、ということもできないだろう。
しかしながら、すっかり戸惑い極まった私は、何も言えなかった。そも、問いに対する正しい答えも分からない。どうして、月には兎のような模様――実際兎に見えるかどうかはともかくとして、があるのだろうか。
私が黙っていると、鷺は顔を正面に向け、ぱかりとくちばしを開いた。
食われると思った私は、とっさに体をすくめてしまった。