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短編(ファンタジー)

ベルンシュタインの魔女は人間を愛したかった

 時は、シュタイン歴1310年。前王の突然の崩御ほうぎょにより、その王子達が血で血を洗う抗争を繰り広げ、2番目の王子が即位して2年。若き新王のもと、未だ政権の落ち着かぬことを狙った他国の襲撃により、シュタイン王国は未だ混沌の中にあった。それでも、争乱は徐々に落ち着きつつある。その落ち着きは、勿論、王とその側近の手腕によるものではあったが、他にもう一つ──。



***



「少年達」


 深い深い森の奥の、更にその奥。空から逃れようとするかのように鬱蒼うっそうと生い茂った木々の中。闇の入口のように深く暗い湖の前。そこに、座り込む3人の少年がいた。右から順に、銀色、紅色、藍色の頭をしていた。見たところ、彼等は未だほんの6歳か7歳。立ち上がっても自身の腰ほどの身長もなさそうな彼等の後ろに彼女が屈みこめば、彼等は揃って振り向いた。右から順に、いかにも子供らしい顔つきと、子供にしては冷めた目と、子供らしくない無表情。まさに三者三様。ただ、そのいでたちは三人とも同じようなものだ。きっとこの戦乱の世に珍しくない孤児だろうと、魔女はそう結論付ける。ただ、貴族だろうが孤児だろうが、こんなところにいるのは珍しい。どうしてこんなところにこの少年達はいるのだろうと、彼女は黒い帽子の下で小首を傾げた。


「何してるの、少年達」

「おねーさん誰?」


 口を開いたのは銀髪の子だった。


「あぁ、噂の魔女ですか」

「本当にからすか闇と見紛みまごうような衣服に身を包んでいるんですね」


 続いて、赤髪の子と青髪の子が続けざまに──訊ねるというよりは確かめるような口調で言った。答えを盗られてしまった彼女は面食らった。

 彼女は、その噂自体は知っていた。シュタイン王国に棲むベルンシュタインの魔女。その住処は、不帰かえらずの森と呼ばれるほど危険な森の中にある深い湖のほとり。その湖の傍で希少な琥珀石が採れた頃、採掘に来た人間の男に見つかり、そう呼ばれるようになった。一時期は魔女の討伐隊も結成されたものだが、それは随分前の話だ。討伐隊を結成した国軍が数年間行方不明になるという事件を起こしてしまって以来、不帰の森自体、近付いてはいけないと言われるようになった。あの森へ行くと、湖に呑まれるか、そうでなくても魔女に食べられてしまうから、とそんな言い伝えがある。お決まりのように、悪さをした子供は〝不帰の森に置いて帰るよ〟と母親に叱られる。

 そのベルンシュタインの魔女は、別に人間なんて食べないし、何も食べなくても生きていけるし、とぼやいていた。とはいえ噂は噂だ、きっとこの子供たちも怖がるだろう、足を滑らせて湖に落ちでもしたら堪ったものじゃない、なんて考えていた魔女にとっては、そんな素振りなど欠片も見せない少年達にいささか驚いてしまった。


「えー……それで、何してるのかな、君達……」

「おねーさん、この湖の魔女なんでしょ?」


 ただ、不意に、地面についてしまうほど長いマントの裾を、銀髪の子がねだるように掴んだ。きょとんと彼女が彼を見つめ返すと、もう一人の赤髪の子も彼女のマントの裾を引っ張った。そのまま湖を指さす。


「俺達のトモダチ、イケニエにされちゃったんだ。返してよ」


 そして、その言葉に彼女の表情は凍り付く。もう1人、無表情の青髪の少年は、弱ったように眉を八の字にし、彼女を見上げた。


「この湖の魔女なんでしょう。返してください。大事なトモダチなんだ」


 2番目の王子が即位して2年、シュタイン王国の争乱が徐々に落ち着きつつある理由は、生贄を投じたからだとの噂もあった。シュタイン王国に古くから伝わる、生贄を捧げれば願いを叶えてくれるという湖。そこへ、新王自ら赴き、生贄を捧げると共に願ったからだと。

 少年達がずっと覗いていたのはその湖だった。魔女は表情を曇らせた。わざわざ危険を冒してまでしてこんな場所へ来た彼等は、きっと生贄の意味もまともに理解できずに、湖の前で友達の帰りを待とうとしたのだろう。いやもしかしたら、年齢不相応にさとく見える彼等は、湖に沈められた友達が帰って来るなど毛頭思っていないかもしれない。それでも、その理性と乖離した感情が、ここを覗かせていたのかもしれない。

 現実は、少年達の認識している通りだ。あの日やってきた子供のことだろう、と魔女は思い出す。誰も訪れないはずのこの場所に、あろうことか王がやってきたかと思えば、子供を一人、鍋に具でも入れるかのような素振りで投げ入れていった。そうして、あの幼子は、ただ死んだ(・・・・・)。何の意味もなく、価値もなく、意義もなく、湖に生贄を捧げればベルンシュタインの魔女が願いを叶えてくれるなどという、ただの伝説か慣習か願望に殺されてしまった。


「ごめんね、君達の友達は返せないの」

「どうして?」

「もうお願いごとを聞いてあげちゃったから」


 そんな現実を、少年達に伝える気にはなれなかった。代わりに、彼女はそっと両手を二人の少年の頭に載せた。少年達は彼女を見上げる。彼女を警戒するように近寄ろうとしない青髪の少年も揃って、「お願いって何?」とその六つの目が訊ねていた。


「君達を守ってあげてほしい、ってお願い」


 何の資源もなく、他国から見れば領土拡大以上の旨味はない、ただ枯れた大地が広がるような貧しいシュタイン王国。新王は即位後僅か2年にして賢君と名高い、それにも関わらずこの湖へ生贄を捧げるなどという行為に出たのは、藁にも縋る思いだったのかもしれない。ただ在るだけでは早晩滅びるこの国で生まれた子供は、貴族でさえいつ死ぬか分からない。だから、この少年達が生き続けるためには、この国で上を目指すしかない。


「だから、君達は偉くなりなさい」


 その少年達は、やがてその名を隣国にまで知らしめる英雄となる。



***



 シュタイン歴1316年。徐々に繁栄しつつあるシュタイン王国の宮廷には、三人の有名な官僚がいた。


「先日、シマー様をお見掛けしたのよ」

「羨ましいわぁ。でもシマー様、女性に興味がないとの噂ではなくて?」

「あら、お見掛けするだけでも十分ですもの……。勿論、あの冷たい瞳を向けていただけたらそれだけで宮廷仕えの甲斐があったというものですけれど」


 一人は、文官のシマー・クヴァルツ。最年少で宮廷試験合格を果たし、当時は神童と呼ばれた。その評価の高さは今も変わることはなく、いずれシュタイン王国の最年少宰相さいしょうとなるのではないかと囁かれるほどの天才。


「ところで、そろそろリヒト様が遠征からご帰還されるのでは?」

「そうよ! わたくし、戦のことは分かりませんけど、リヒト様がいらっしゃるだけで兵達の士気が違うとか」

「さすが、一騎当千の将とうたわれるリヒト様、かのお方が出陣されただけで我が軍の勝利が決まったようなものといわれるほどなのでしょう」


 もう一人は、騎士のリヒト・ズィルバーグランツ。騎士としての鍛錬を重ねるうちにその頭角を現し、最年少で軍を率いるほどの地位に上り詰めた。


「でも、そろそろ大きな戦との噂があるでしょう?」

「そうなの?」

「えぇ、あのアードルフ様も呼び戻されるらしいわ」

「アードルフ様って国境を守っていらっしゃらなかった? それを呼び戻すなんて余程の……」

「でもいいのよ、だって宮廷の訓練でアードルフ様にお会いできるようになるんですもの」

「ちょっと、抜け駆けはなしよ」


 最後の一人は、同じく騎士のアードルフ・グラナト。しかしリヒトとは異なり、実戦に出るよりは軍略を練るよう任されることが多く、軍師の役割を果たしている。兵法に深く通じ、彼が指揮をとればどんな城も陥落できると謳われる知略の持ち主。その罠に嵌められ地獄を見た敵兵は数知れず、シュタイン王国史上最も美しく恐ろしい軍師と呼ばれる。

 そんな三人は、その見目麗うるわしさもあり、他の官僚の妬み嫉みを受けることもあったが、少なくとも令嬢からは口々に褒めそやされた。数百年に一度の逸材とされる三人は〝御三家〟と呼ばれている──。




「国境の任解かれてよかった。やっぱり自国の空気が一番だ」

「ミヌーレ国って同盟国だろ。アシエ国とも隣接するけど、そう空気は悪くないんじゃねーの?」

「雰囲気の話じゃなくてただの空気の話だよ。住み慣れた国の空気がなんだかんだ一番いい」

「そんな違うもんかな」


 その御三家は、ある日、森の中にいた。リヒトとアードルフが他愛ない話を淡々と続ける後ろで、シマーは顔をしかめている。その額にほんの少しずつ玉を結ぶ汗は、軍務官と内務官の体力の差を現していた。だが負けず嫌いの彼がそれを素直に口にすることはなく、「……未だ着かないのか」と辛うじて文句を言う。長年の付き合いの二人はその内心に気付きながら「まぁもうちょいじゃね?」と返した。

 彼等が進むのは、人などおよそ通らないだろう獣道。日中でさえ危険に感じられるほど暗いこの森に好き好んでやって来るものなどいない。いかなる獣が潜んでいるか分からないからだけでなく、その森には魔女が住んでいるとの噂があるからだ。だが三人は特別怯えた様子はない。それは、いざとなれば最強の軍師と騎士が共にいるからではない。


「あぁ、見えた見えた」


 先頭を歩いていたリヒトが抜けた森林の先には、大きな深い湖があった。そしてその隣には小さな小屋がある。風で吹き飛びそうとまではいわないが、家畜の小屋と大差ないといわれても仕方がないほど粗末なあばら家。長い道のりを歩いてきたため、シマーは一先ひとまず息をつき、軍務官二人は軽い足取りで小屋へ向かう。リヒトがノックした扉が開き、現れたのは、全身黒ずくめの女だ。少年達が初めて会ったときからその見た目を変えることのない、正真正銘の魔女。魔女はかつて少年だった青年三人を見ると顔を輝かせた。


「リッくん! アドくんとシーくんも! 三人揃って来るなんて珍しいね!」

「アードルフが戻って来たからな」

「久しぶり、ロルベーア様」


 リヒトの背後にいたアードルフはニコッと笑いながら顔を出した。シマーは挨拶はせずに無視だが、無愛想なのは知っているので「お茶でも飲むー? この間変な葉っぱ見つけてねー」と魔女は構わず家の中へ招く。〝いい葉〟ではなく〝変な葉〟というのが彼女らしいが、妙なものを飲まされては堪ったものじゃないと感じたリヒトがいち早く台所へ向かった。魔女の家は簡素で、台所は居室と一体になっているし、他には寝室しかない。二人掛けの長椅子が二つ並んだ居室で、アードルフとシマーが構わず椅子に座る一方、台所では「お前は座ってろ。余計なことするな」「ここ私の家ですけど!?」と魔女とリヒトが痴話喧嘩染みた会話をしている。


「シマー、最後に来たのいつ?」

「ひと月ほど前だな。城下で売ることができる薬草でもあればと様子を見に」

「魔女の薬草って言ったら民は逃げるだろ」

「そこは上手くやればいい。そのための官位だ。お前は国境を任せられて以来か?」

「そうだね。だから丸一年以上来てなかった」


 ここは変わらないね、とアードルフは窓の外にある湖を眺めながら呟いた。かつて、共に貧しい日々を生きていた友達がいなくなった場所。そして、貧しい彼等が育った場所。シュタイン王国で〝御三家〟などという大層な呼称をつけられた三人の官僚が、まさか伝説のベルンシュタインの魔女に育てられたなど、誰も思うまい。魔女に育てられたと知られれば、ただでさえ孤児風情(ふぜい)がと侮蔑ぶべつを込めて罵るやから達が余計につけあがるというものだ。


「だからさー、おかしくないじゃん? いい香りじゃん? なんでこっち使ってくれないのかなー」

「混ぜていいものと悪いものってのがあるんだよ」

「無害だよ?」

「味の話な!」


 そうして、最後まで細やかな喧嘩をしながら、リヒトと魔女はお茶の入ったカップを居室の机に置く。それがまともな色をしていると確認したアードルフとシマーは、女かと勘違いするほど優れたリヒトの家庭力に感謝した。魔女は自分の家庭力の低さは分かってはいるものの認めたくないのか、リヒトの隣で茶を飲みながら「私がいれてもこのくらいにはなるはず」とぼやいている。


「茶葉なんて高級な物、どこで手に入れたんですか、ロルベーア様」

「え、そのへんの木から毟り取って……」

「茶葉じゃないねそれ。味の染み出る葉だね」

「似たようなものじゃない?」

「コイツには何言っても無駄だよ」

「ところでロルベーア様、あの話考えてくれました?」

「あの話?」


 唐突なアードルフの言葉に、魔女はきょとんとする。リヒトもシマーも何の話か分からずにアードルフを見るが、アードルフは一人上機嫌ににこやかにさらりと告げた。


「俺が戻ってきたら婚姻しましょうって話しましたよね?」


 そして、あまりにも色々ぶっとんだその台詞に、リヒトとシマーはぶっと茶を吹き出した。魔女は茶を飲んでなかったからこそいいものの、飲んでいたら確実に吹き出してしまっていただろうというほど「えっ!」と甲高い声を上げて硬直した。アードルフは一人平然としているが、シマーは激しく咳き込み、リヒトは動揺して立ち上がる。


「お……前、何言ってんだ!?」

「何って、もう俺達二十二歳だろ。いい年じゃないか」

「だからってなんでコイツなんだよ!」

「愛に種族は関係ないだろ」

「いや……でも……その……ほら年! 年を考えろよ! コイツが何歳だと思ってやがる! 百年超えてから年齢なんて数えてませんのババアだぞ!」

「そんなこと思ってたの、リッくん……母は悲しい……」

「母とか言うんじゃねーよ気色悪い!」

「で、ロルベーア様返事は?」

「いや……あの、あの時も言った通り、その、ちょっと無理かなー、なんて……」

「なんで?」

「怖い! アードルフくん真顔になったよ今! やめてよ怖いよ!」


 魔女は一生懸命誤魔化してみせるが、リヒトとアードルフは睨みあい、薄々リヒトの感情に気付いてはいたもののアードルフまでそうだとは思っていなかったシマーは一人頭を抱えた。美女など選び放題の地位と名誉を持つ二人が、なぜよりによってこんな変な魔女に懸想けそうしてしまっているのだろう、と。


「大体お前関係なくない? 俺がロルベーア様に言ってるだけだし」

「関係あるだろ! なんでお前ちゃっかり言い寄ってんだよ! つかそれ言った時に何かしてねーだろうな!」

「何かしてたとしてお前に話す義理ある?」

「したのかよ!?」

「してない! 何もしてないからそういう紛らわしい言い方しちゃだめだよアドくん!」

「やっぱロルベーア様って柔らかくて抱き心地いいんだなーって」

「アドくん!」

「何かしてんじゃねーか! ふざけんなお前表出ろ!」

「リッくんもまぁ落ち着いて……」

「で、ロルベーア様、返事は?」

「断ったよね!? 頷くまで訊き続けるその姿勢やだよ怖いよ! どうりでシュタイン王国の最恐軍師なんて噂が私の耳にまで入るはずだよ! シーくんどうにかして!」

「どんな民のどんな嘆願よりも受け入れがたいですね」

さじ投げないで! ていうかリヒトくん剣に手をかけるのやめて! 危ないからアードルフくんもやめようね! シュタイン王国最恐の軍師と最強の騎士が喧嘩なんてしちゃだめだからね!」


 長年御三家の母親のつもりでいた魔女だったが、そう思っていたのは魔女一人。久しぶりに三人で訪れたと思えばこんなことになるとは、と、シマーは一人額を押さえた。



***



 シュタイン歴1317年。二十年前に王位継承争いに敗れ行方知れずとなっていた第五王子がシュタイン王国東域にて挙兵。これと通じていたアシエ国軍がシュタイン王国東域の城を陥落。近隣国の中でも屈指の軍事力を誇るアシエ国軍の侵攻により、シュタイン王国東域は戦乱のちまたと化し、シュタイン王国は総力をあげてアシエ国を迎え撃つと決定。史上最強と謳われる軍師と騎士が最前線に駆り出された。


「酷い世の中」


 子供二人を戦線に連れていかれたような気持ちになった魔女は、狭い小屋の中で一人呟いた。窓の外を眺めれば、枯れた木々がゆらゆらと揺れている。これから冬将軍も訪れようという季節、戦いは益々厳しくなるだろう。

 そのとき、ふと、湖のほとりに誰かが立っているのが見えた。リヒトとアードルフはいるはずがない、ということはシマーだろうか、そう当たりをつけた魔女は慌てて外へ出て──その顔に、目に見えて落胆する。その表情を見せられた相手は、くすっと怪しく笑った。


「私相手にそんな不躾ぶしつけな表情をするのは貴女くらいだ、ベルンシュタインの魔女」

「これはこれは失礼しました、王様。何百年生きようと正直な心は変わりませんもので」


 そこにいたのは、現シュタイン王国国王であるクローヴィス・ディアマント。魔女が会うのは三度度目だった。一度目は、〝御三家〟の幼馴染の一人が殺された日。そして二度目は──。


「何か御用でしょうか」


 少し前のことを思い出しながら、魔女は珍しく刺々しく話しかけた。臣下がそんな態度をとるわけもなく、新鮮な応対に王は肩を竦めて返した。


「ベルンシュタインの魔女くらいですよ、私を陛下と呼べぬほどの無礼者は」

「私はこの国に住まえど、貴方様に仕える気などございませんので」


 魔女が初めて王に会ったあの日は、生贄にされた子供に対しても取ってつけたような〝可哀想〟しか感じなかった。あとはせいぜい、それくらいこの国も王も弱っているのだろう、と。だが、あの三人を育てているうちに、その感想が次第に変わっていった。深化したなんていえば、数百年経てもまだ成長したりないものがあったかと自嘲するだけなのだけれど、その感情の変容はそんな生易しいものではなかった。お陰で……、見るだけで嫌悪感が募るほどに、魔女は王様を嫌っていた。

 だから、つん、と湖を挟んで顔を背けてみせるが、ふ、と王は不敵な笑みを浮かべるだけだった。


「それはそれは。私のもとへ大層優秀な官僚を寄越してくれたのは、貴女自身の忠誠心の現れだと思っていましたが」

「何の話です」

「惚けなくとも。最年少の名をほしいままにする〝御三家〟は貴女の養い子でしょう」


 沈黙が落ちた。本当のところをいえば、どんなに魔女が彼等を可愛がったところで彼等はそれだけでは生涯を遂げることができなかったから、できるだけ早く官僚にさせる必要があったのは事実だ。でもそれは目の前の王が仕えるに値するからではない、あくまで少年三人は一人で生きていくには無力で、魔女は彼等に人生を楽しませるには無力だっただけの話だ。

 それを王の前で口にするのは癪だった。お陰でじっと黙ったままだったが、王はそんな内心も見透かしたように嗤いながら歩み寄って来る。


「まあ、いずれにせよ、使える駒をくれるというのはありがたいものです。それが魔女の子だろうがなんだろうがね」

「まるで私が育てたことに文句でも言いたそうですね」

「私は別に。ただ──そうですね。学ぶ場も、金も、時もないはずの孤児が宮廷試験に合格するなど魔女の仕業か。満足に食うこともできない孤児が騎士まで、しかも最年少で軍務卿補佐にまで上り詰めるなど、魔女の仕業か。野垂れ死ぬしか能のない孤児が敵軍を次々と陥れるなど、魔女の仕業か。そう言われていることは事実ですし、貴女もご存知でしょう」

「だったら何ですか。あの子達の今が努力の成果であることは私が一番よく知っています。大体、孤児を切り捨てるしかできないような国なんて、陛下の政治手腕に私は疑問を抱かざるを得ない」

「当時はまだ政権も安定していませんでしたからね、それどころじゃない。有能とも分からない孤児を拾って育てる余力など、魔女にくらいしかないのですよ」


 ──この王が、前回ここに来たとき、あの三人はまだ十二歳かそこらだった。この王は、自分が王だとは名乗らなかった。魔女も王とは呼ばなかった。だから少年達は王が王であることを知らなかった。それでも、内務官・軍務官になれば、かつて自分達の住む森に来た男が王であることを、彼等のかたきである男がここにやってきたことを、彼等は必然的に知ってしまった。そのせいで、少年達は時々口にした、なぜ王がこんなところに来るのか、と。魔女は「伝説に興味があるなんて、王様も可愛いところがあるのね」と誤魔化していたけれど、聡い彼等はいつだって誤魔化されたふりをしていた。


「ところで、その御三家。二人を東域に派遣しましたが、様子をご存知で?」

「それは王である貴方の把握すべきことです」

「興味がないと?」

「聞かせたいならそう言ってくださらないと」

「これは失敬。出陣して六月ろくつき、膠着状態に陥りはや一月ひとつき、地理に慣れておらず疲弊もしていた我が国の軍はアシエ軍の侵攻を止めるのが手一杯だったようです。そして、兵の限界を感じたアードルフ・グラナトが一計を案じたようですが、残念ながらこれが失敗し、リヒト・ズィルバーグランツが捕虜になってしまいました」


 そして、その情報で、魔女の顔色が豹変する。じっと視線を向ける先の王は楽しそうに笑っているだけだ。


「……何を笑っているのです」

「元から私はこういう顔です」

「人が一人捕虜になっている、死ぬかもしれないというのに何を呑気に!」

「そうです、一人死ぬだけです」


 は……、と魔女は愕然とした声を出した。王は打って変わって冷ややかな目を向ける。


「たった一人です。史上最強だろうが、一騎当千だろうが、彼は一人には変わりありません。それが捕虜になったからなんだというのです。付け加えますと、リヒト・ズィルバーグランツを切り捨てるのであれば、東域の奪還は容易なところまできています。たった一人のために万の民を捨てることはできない」

「……それをわざわざ私に伝えてどうしたいのですか」

「不可能を可能にするとまで言われる伝説の魔女であれば、三日もあれば魔術でどうにかしてくれると思いまして伺った次第ですよ。先程はああいいましたが、あれだけの将を失くすのは我が国としては惜しい」


 ぎゅ、と黒い外套の下で、魔女は拳を握りしめた。外套の上からでもそれが分かったのか、王は目を細め、「そうそう」と湖に目を遣る。


「あの時の私は未だ若く、この湖に伝わる生贄の話を誤解しておりました。生贄は、貴女の魔術へ捧げなければ意味がないのですね」


 では、と王はそのまま踵を返した。魔女はいつも通り、ぽつんと湖のほとりに残される。王は当然従者と共に来ていたのだろう、暫くして、遠くで馬の鳴き声と馬車の音が聞こえた。


「……三日」


 その期限を小さく呟き、魔女は空を仰ぐ。爽やかな秋晴れは、木々に覆われて見えなかった。




 コンコン、と小屋の扉に小さな音が響いた。魔女が顔を上げると、魔女の返事も待たずに扉は開く。そこに立っていたのはシマーだった。


「シーくん。どうしたの、珍しい」

「……昨日、陛下がこちらへ来ませんでしたか」


 魔女はぱちくりとその黒い目を瞬かせた。シマーはいつもの無表情だ。二人は暫くお互いの表情のまま黙っていたが、魔女が先にふふ、と笑って表情を崩す。


「そうだけど、どうしたの。幼馴染のかたきを討つなんて、シマーくんだけは言ったことがなかったのに、その気になっちゃった?」

「陛下は貴女に何を命じたのですか」


 ついでに茶化したのに、シマーは騙されなかった。それどころか眉間の皺が深くなり、心なしか険しい顔つきになる。


「何か、命じたのではないですか」

「何も」

「だったら陛下は何をしにここへ」

「戦況を伝えてくれただけだよ。私は人間の行いに口を出すつもりはないから、知るつもりなんてなかったんだけど」

「その戦況を知って、貴女はどうしようというのですか」


 その声も、幾分低く、鋭いものになっていた。魔女が答えずに黙っていれば、シマーはぐるりと小屋の中を見回す。見回して気付いてしまったことは、彼女が大事にしていた物品がいくつか失くなっているということだ。まるで家を移ってしまうかのように置物や家具が減ってしまったことが、何を意味するのか。分かっていたシマーは少しだけ目を伏せる。


「……貴女は昔、教えてくれましたね。魔術には供物くもつが必要だと。魔術は魔力という因果律を加えることができる点で人間による加工と異なるだけで、無から有を生み出すものではないと。有から有を生み出すに過ぎず、そしてその対価関係が人間界とは少しことなるものであるだけだと」

「……そうね。それを知らない人間達は、物を捧げることが魔術を呼ぶと勘違いしたのよ」


 だから貴方達の幼馴染は死んだ、と魔女は付け加えた。シマーは黙っている。意外と勘のいい彼には、もしかしたら察されたのかもしれないと、魔女は小さな溜息を吐きながら、机の上に手を置いた。


「対価関係は、私が決めるものじゃない。私達が神と信仰する者が決めること。だから捧げた供物が願う魔術に適うかどうかは使うまで分からない。でも……神様は、存外優しくて、人間の命を、それなりに対価性の高いものと考えてくれている。そして人は何の根拠もなくそれを知っている。だから、人はこぞって人間を捧げたがる。人間って不思議ね。価値があると知っているからそれを捧げるのに、まるで無価値かのようにそれを捨て去ることができるんだから」


 シマーはまだ無言だった。魔女は少し困ったように眉を寄せたけれど、なんでもないかのように居室内を振りむいた。


「シーくん、折角来てくれたならお茶でも入れようか? リッくんが淹れたのじゃなきゃいや?」

「……私はそんな呑気な話をしに来たのではないんです」


 そこでふと、魔女は気が付く。どうして彼は、昨日、王がここへ来たことを知っていたのだろうと。確かに彼の官位は年不相応に高いとはいえ、王の一日を把握できるほどのものではないはずだ。ということは、昨日、彼はここへ来ていたのかもしれない。王がいるのを見て出直したか──はたまた王と自分との会話を聞いて、一度引き返したか。


「……シーくん?」


 彼が黙っているのは、いつものように必要以上のことを喋るまいと思っているからではなく、何というべきか迷っているからかもしれない。

 実際、シマーは苦々し気に目を背けた。


「……貴女はちっとも魔女らしくない」

「え、ここにきて突然の悪口? え?」

「魔女なら、人間でも食っていればいい。見つけた幼子など、鍋に入れて煮て焼いて食ってしまえばいい。それどころか気紛れに育てるなど、魔女らしからぬ行動です」

「ええ……言ったじゃん、別に魔女だからって人間食べるわけじゃないんだよって……。しかもシーくん達、そこそこ立派に育ったんだからいいじゃん……文句言わないでよ贅沢だな……」

「……いなくなってしまうんですか」


 その声は、妙に弱々しかった。シマーの言葉ではないような気がした。三人の中でも群を抜いて不愛想な子の声ではなかった。甘えん坊の時期なんてなかった子なのに、初めて甘えたような声だった。リヒトが拾って来た小鳥が全快して旅立つときも、そんな寂しそうな声は出さなかったのに。

 だから魔女は、ふふ、とまた笑った。


「元気でね」

「……リヒトとアードルフがどれだけ貴女を大事にしてるか」


 そこで敢えて自分の感情を口にしないのが、恥ずかしがりやな彼らしかった。


「そのリヒトくんが、捕虜になってるって知ってるんでしょう。軍務卿補佐を死なせたとなれば、指揮をとるアードルフくんが責任を問われることを分かってるんでしょう」

「……いまミヌーレ国に使者を送っているんです。援軍が来れば、ミヌーレ国からの出陣があれば、助かるかもしれません」

「ミヌーレ国は動かないよ」

「それでも私には伝手はあります。昔、ミヌーレ国の衛兵に貸しを作ったことが」

「衛兵だよね。その程度じゃ、国は動かせないよね」

「その衛兵の親友が軍務卿付でもですか」

「ちょっと無理かな。もともと、あそこの軍備はせいぜい警邏が限界な程度だから」

「……アードルフは軍師として天才的です。次の策を練っている最中ですから、それが上手くいけば、」

「ねえ、シマー」


 いつの間にか自分より背が高くなってしまった養い子を、魔女は見上げた。俯いた彼は、昔から滅多に見ることはなかった、泣いているような顔をしていた。一生懸命口にした策がどれもこれも否定されてしまって、しかも、彼のことだから、どうせ否定されることは──自分の口にしている策に望みのないことは──分かっていたんだろう。それでも、誰かに否定してもらうまで否定しきれないなんて、彼らしくない。

 ふふ、と魔女はまた笑う。彼は「笑い過ぎです」と拗ねたような声を出した。


「大丈夫。君達はこの国で、もっともっと偉くなりなさい」

「……偉くなってどうするんです」

「偉くなって、お金を稼いで、食べたいものを食べて、好きな人と家庭を築くの」

「……そんなことして何の意味があるんです」

「難しいこと言うな、シーくんは。それが人生を楽しむってことのひとつでしょう」

「……その人生に、貴女がいなくてもですか」


 シマーには、分かっていた。魔女が結局、変われずにいること。何百年も生きたところで、どこか自分が不必要な存在だと思って変われないこと。寧ろ、何百年も生きてきたから、目まぐるしく発達していく人間の社会で、魔術も魔女も段々と不必要になっていくことに気付いてしまっていること。それは彼女を無感動にするのに十分で、自分達を拾ったのは本当にただの気紛れだったこと。自分達を拾った理由は、数百年に一度、試したことのないことを試す気になった程度のものだったこと。それを試しているうちに、何も変わらないとまでは言わなくとも、その変化は本当に細やかなもので、彼女は結局、どこかで変われずにいること。


「……アードルフとリヒトが、貴女を取り合うのを、ここで待っていたらいいじゃないですか」

「人間と魔女が夫婦になってどうするの」


 だから、どうせ彼女は思ってる。彼女がいなくても三人の青年は生きていけるのだから、もう自分は必要ないのだろうと。


「……なってみないと分からないでしょう。折角ですからなってみてはどうですか。私達を育てたように、今回も試してみては」

「失礼な、試したことはあるよ」

「……え?」

「もう百年以上前の話だけどね」


 魔女はなんでもないことのように言うけれど、シマーにとっては寝耳に水だった。二人の幼馴染とどうにかなったらどうだと勧める一方で、心のどこかで、魔女が人間の男と添い遂げようとすることはないのだと思ってしまっていた。そのせいで、その可能性を勝手に消していた。そんな思考は、魔女と彼等の将来を否定するに等しくて、シマーは自分の反応を後悔する。

 でも、魔女は気にする様子はなかった。代わりに、想い出を探るように顎に手を当てる。


「その人もね、夫婦になろうって言ってくれたの。でも、その人は私が魔女だって知らなかったから。年を取らない私を気持ち悪くなっちゃったの」

「……今度は話が違います。あの二人は──」

「あの二人のことは、私、こんなときから知ってるんだよ?」


 魔女は自分の腰のあたりに手を持ってきて、幼い二人の身長を示す。


「あの二人は、思慕と恋慕を混同してるのよ」

「……リヒトはまだ分かるにしても、アードルフまでもがですか」

「同じだよ、二人とも」


 躊躇ない返事のせいでシマーが言葉を失えば、会話はそこで途切れた。そのまま暫く沈黙が落ちる。

 何を言っても無駄だと、シマーには分かってしまった。結局、彼女は変わらないままなんだ。自分達に出会ったときから、ずっと変わらないまま。

 閉口した彼に、くしゃりと彼女は笑って見せた。


「昔、シーくんが欲しがってた木の作り物。まだあるけど、持って帰る?」

「……そうやって、想い出だけを、私達に残して、いくんですね」


 シマーが頷く前に、彼女は部屋の隅から持ってきた熊の彫り物をその手に押し付けた。シマーは普段なら迷惑な顔をしてもおかしくないのに、その目元はただ苦しそうに震えるだけだった。今だけは、持ち前の無愛想さゆえではなく、まるで持ち前の無愛想さですと言わんばかりの無表情に努めているのが分かった。


「……アードルフとリヒトに、何と言えばいいんですか」

「『魔女は西域に旅立ちました、またね』」


 自分は辛うじてその言葉を絞りだしたと言うのに、魔女は平然としていて。


「……最後まで、嘘吐きなんですね」


 それに抱いてしまった哀しみをどこへ向ければいいのか、シマーには分からなくなっていた。お陰で、どこか、諦めたような声が出てしまった。それなのに、やっぱり魔女は無視して「あ、リッくんはこれ欲しがってた! やっぱり男の子だよねー、虫の標本なんて! アドくんはこの本読みたがってたけど、もう読めるようになったのかなあ」と部屋の隅に飾ってあるものを持ってきてはシマーに押し付ける。

 餞別せんべつの品々は、シマーの平淡な瞳を少し震わせた。


「……アードルフとリヒトの向ける感情とは違いますが」

「うん」

「……私は、貴女を好きでしたよ」

「うん!」


 さも当然のように魔女は頷いた。シマーは目を伏せる。あぁ、やっぱり、駄目なのか、と。


「……おいとまします」

「元気でね」

「……アードルフとリヒトに伝えておくことは」

「アドくんは嫌なことがあったときに女の子をたぶらかすんじゃなくて誰かにちゃんと相談すること! リッくんは人の面倒見過ぎて自分の身をかえりみない癖を直すこと!」

「……分かりました」


 最後まで、いつでも言えるような小言だけ。不満気にすれば「シーくんは女の子に極端に無愛想なのを直しなさい」と付け加えられる。別に、自分にだけ小言がないことを不満に思ったわけではないのに。

 何を言っても、どうせ彼女は変わってくれないのだ。キィ、と、手を掛けた小屋の扉が開いた。


「ごめんね」


 そんな、とってつけたような謝罪をしなくたっていいのに。魔女の顔を一瞥するも、彼女はいつも通り笑うばかりで、出ていくシマーの目だけがかげっていた。


「……さようなら。私達の魔女様」


 パタン、と、扉が閉まった。




***




 シュタイン歴1318年。一年ぶりに軍が帰還した。


「さすがよね。リヒト様が捕虜になったとの噂、一時はどうなるものかと思いましたけれど、アードルフ様の軍略のお陰で生還されるんでしょう」

「あら、リヒト様が自力でお帰りになったとも聞いたわ。思わぬ嵐に攪乱かくらんされた軍の混乱に乗じて逃げ出しただとか」

「私が聞いたところによると、それにアードルフ様の軍略もあってのことらしいわよ」

「アードルフ様は天が味方になってくれただなんて御謙遜をされてるらしいわ」

「そんなところも素敵よねえ」


 シュタイン王国は、多くの犠牲を出しながらも、東域を奪還した。一時総崩れになりかけていたシュタイン王国軍は、突然の嵐を好機に変え、アシエ国軍に奇襲を仕掛けた。その攻撃は、慣れない気候の変動に混乱していたアシエ国軍に絶大な損失を与えた。同時に、捕虜にされていたはずのリヒトが混乱に乗じて脱出、結果的に内部からアシエ国軍を崩すこととなり、アシエ国軍が総崩れ。シュタイン王国軍は勝利を収め、これ率いた軍師と騎士の名は、更に各国へ知れ渡ることとなった。


「ああ、シマー」


 二人が帰還するその日、シマーは不意に呼び止められて振り返る。そして舌打ち混じりに頭を下げた。


「これは陛下。何か御用ですか」

「そんな生意気な態度をとる臣下はシュタイン王国中探しても君とあと二人だけだろうね」

「失礼。先程の非礼はお詫びしますので、解任しないでいていただけると助かります」

「死んだ魔女のために?」


 シマーは顔を上げなかった。ふん、と王は鼻で笑う。


「さすが最年少の宰相と目されるだけある。その程度のことでは表情を変えないのだね」

「陛下が魔女に命じたことは、存じ上げておりましたからね」


 顔を上げよ、と王が促せば、シマーはうやうやしさなど欠片も伺えない態度で顔を上げ、王を睨みつけた。王は肩を竦めて見せる。


「命じたとは、人聞きの悪い。私は戦況を伝えただけ」

「そうすれば、あの人がどうするかは分かっていた」

「さあ、なんのことだか」

「リヒトが敵国に殺され、その責を問われたアードルフが軍議にかけられ早晩この国から追放されることを伝えれば、魔女が自分を犠牲に戦況を一転させることを分かっていたんでしょう!」


 珍しく、シマーが声を荒げた。

 決まり切っていたシュタイン王国軍の敗走をひっくり返すほどの、数百年に一度の嵐。アシエ軍が陣取っていた地形を綺麗に崩した雨。それにも関わらず土砂に巻き込まれなかったリヒト。リヒトが助からなければ奏功しなかったはずのアードルフの策。アシエ国軍内で起こった不意の反乱。何もかも、奇跡に奇跡を重ねなければ起こらなかったこと。そんなものが起こった理由は一つしかない。この人間社会の因果律が、魔術によって狂ったからだ。

 そして、そんな大魔術を、数百年間生きている魔女なら使えることを、この王は分かっていた。


「分かっていてただ伝えただけなど、白々しい!」

「ただ伝えただけだとも。私は、供物が必要だと言われれば用意するつもりではあった。この世の中、必要のないものはいくらでもいる」


 腕を組んだ王は、綺麗に整備された庭園に目を向けた。まるで、その庭を整備する手にいくらでも変わりはいると言わんばかりに。


「必要だと言われれば、一晩で百人の子供を調達した。それを望まず、自身の命の対価性の高さを自負し、それを供物に捧げたのはあの魔女自身だ」

「だからそうさせたのは貴方の言葉が──」

「じゃあ君は、二人の幼馴染が死んででも、あの魔女が生きることを望んだのか?」


 臣下の言葉を遮って、叩きつけるように投げられたその問いに、シマーは答えることはできなかった。そんなものを天秤にかけろと言われて、かけられるわけがない。


「君はまだ、若いんだよ。この世の中、全て救えるようになどできていない。そして、ふるきものが旧きまま良しとされるようにもできていない。……魔術など、もう旧いんだ」


 魔女は言っていた。魔女が住んでいた小屋の隣にあったあの湖に、生贄が捧げられたのは何十年ぶりだっただろう、と。もう何十年も、もしかしたら百年以上、あの湖に生贄なんて投げられていなかったと。それは、〝生贄を捧げることで願いが叶う〟というのが迷信になりつつあったことを意味する。


「それだというのに、君達が未だ魔女の子だなんだと囁かれるくらいには、この国の民は愚かだ。そんな国はもう変わるべきだ」

「……でもそれはあの人が死んでいい理由にはならない」

「そうかもしれないな。だがこれは、魔女ではなくリヒトとアードルフのほうがこの国に必要な人材なんだと基礎づける理由になる」


 シマーが答えることのできなかった、天秤の傾く先。この王は、迷わず二人の官僚をとった。魔女はこれからも何百年と生き続けるだろうけれど、その生の価値は、若き二人の官僚の数十年に劣るものだったから。魔女など要らなくなるこの国で──この世の中で──役に立つことがあるというのなら役立ててしまえばいいと思ったから。それは、為政者いせいしゃとして何も間違った判断ではなかった。

 でも、だから、なんだというのだろう。結局、ベルンシュタインの魔女が死んだという事実に変わりはないのに。


「……これから、私達は益々魔女の子だと噂されるようになるんでしょうね。あの二人がこんな生還をしては」

「どうだろうな。そもそも、魔女などもういないこの国で、その言葉がただのおとぎに変わるのは時間の問題だろう」

「……魔女の森は遺るのに」

「あれはただの森だ。獣以外何も棲んでいない、な」


 先日の宮廷会議で、魔女が棲むと噂される森など伐採して資源にしようという意見が出た。それはこの度の長きに渡る東伐のせいで消費した軍備を整える一手段だった。


「では、私はそろそろ行こう」


 だが王は、その意見を退けた。その理由はもちろん、あの森の開拓がまだ進んでおらずその価値が不明であること、他国との取引材料になる可能性は十分にあること、アシエ国の被った被害の甚大さに鑑みれば今すぐに軍を整備する必要はないこと、などと尤もらしいものではあった。

 あった、けれど、口にされることのなかった理由の一つに、〝御三家〟という財産を遺した魔女への敬意が、きっとあった。

 そんな発想は、幾分自惚れじみていたけれど。シマーは頭を下げ、王を見送った。




「ああ、空気がおいしい」


 その日、久しぶりに御三家が会した。いつもの酒屋に二人が疲れた顔で座る。


「……嵐はどうだった」

「どうもこうも、まさに天の恵みだった。あれがなければリヒトは確実に死んでたし、俺も帰還できればいいほうだったんじゃない」


 壊滅してもおかしくないくらい劣勢だったしねぇ、とアードルフは昔の話をするかのような口ぶりで話す。頷くリヒトのこめかみには、一年前にはなかった大きな傷ができていた。


「本当にな。生き急ぎ過ぎて寿命使い果たしちまってたのかと思ってた」

「実際生き急いでる感じはあるよね、俺達。噂で聞いたんだけど、今回の功績を称えて賞与があるんだと、陛下から」

「へぇ、なにくれんの。女は勘弁なんだけど」

「森を一つくれるらしいよ」

「森?」


 ぴくりと、酒を飲むシマーの指先が震えた。二人はそれに気付かない。


「西にあるだろう、ちょっと不気味な森が。あれをまるごと俺とリヒトにくれるんだって聞いた。何が賞与なんだか、あんな使い道も分からないような木、木、木。畑でもくれたほうがまだマシだ」

「へーえ。まあ東部奪還を称えられるだけまだいいんじゃね。奪還したはいいけど死に過ぎだって言われて地位剥奪でもされたらどうしようかと」

「そんなことしたら俺があのクソ王の玉座を剥奪してやる」

「お前が言うと冗談に聞こえないからやめろよ」


 二人は、そんな話をして笑っていた。シマーは表情を変えないように必死に感情を抑えながら「そういえば」などとわざとらしく咳ばらいをしてしまった。


「お前達が出ている間に、餞別を預かった」

「餞別? 何の、つーか誰の」


 きょとんと目を丸くしてみせる二人に、シマーは二つのものを取り出した。古く分厚い書物と、木箱。それぞれを受け取ったアードルフとリヒトはそれぞれ眉を顰める。


「……意味の分からない言葉が綴られてるんだけど、これなに」

「さぁ」

「虫の……これなんだ? 死んでるよな? 死んでるのになんで生きてるみたいにそのままなんだ?」

「さぁ」

「ていうか、これ、誰から?」

「……さぁ」


 突然の幼馴染の不可解な行動に訝しむ二人。その怪訝な顔で初めて、シマーは彼女の魔術の中身を知ってしまった。

 ここまでしたから、その身をまるごと犠牲にしなければその魔術が使えなかったんじゃないか。リヒトを五体満足で還そうなんて欲をかいたから、その身を丸ごと犠牲にする羽目になったんじゃないか。

 二人が哀しむのを知っていたから、その存在を丸ごと犠牲にしたんじゃないか。

 こんな秘密の記憶を、彼女はシマー一人に押し付けた。その理由は何だろう。そうまでして、この我楽多がらくたのような物を二人に渡してほしかったのだろうか。それとも──忘れないでほしいという、彼女の最初で最後の甘えだったのだろうか。


『ごめんね』


 ただ分かるのは、最後の彼女の言葉が、心底シマーだけへの謝罪だったということだ。

 涙が零れないように気を付けながら、シマーはそっと目を伏せた。


「誰から、だっただろうな」



***



 未だ繁栄を極めるシュタイン王国。その礎が築かれたのは、最大版図を記録し1300年代。クローヴィス・ディアマントの治世は未だにあるべき理想の治世とされる。

 そんな時代には〝御三家〟と呼ばれる有名な三人がいた。一人は最年少宰相、一人は一騎当千の軍務卿、一人は無敗の軍師。クローヴィス王も賢君と称えられているが、そえれでも彼等がなければいまのシュタイン王国はなかっただろうとされるほどの偉大な三人。彼等はシュタイン王国の英雄として後世に語り継がれている。

 なお、その三人は魔女の子だという噂があったとの記録はあるが、当時の有能な官僚についてまわったありがちな妬み嫉みの一種に過ぎないとされている。


拙作『魔女と呼ばれた貧乏没落令嬢が曲者王子の身代わり契約妃となりまして。』と同じ世界観で書いています。人間の愛し方を知らない魔女は大事な子供たちから大事さゆえに記憶を奪ったけど、それって愛し方として正しかったのかな? なんて意味も込めてのタイトルでした。読んでくださってありがとうございました!

なおネーミングは以下のとおり(自分へのメモの意味も兼ねて)。


魔女ロルベーア:月桂樹

アードルフ:高貴なる狼

リヒト:周囲を照らす明かり

シマー:優しい光

王クローヴィス:戦争で有名

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