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暁紅の女神の星  作者: 高峰 玲
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銀の影




 (よわい)百二十歳にもなろうという老婆の枯れ枝のような指が水晶球の上でゆっくりと回された。

 低く呪文が唱えられ、辺りにはおどろおどろしく妖気が漂い始める。

 突然、老婆が鋭い気合いをかけた。

 水晶球が白濁する。

 半ば閉ざしかけた目でそれと見て取ると、老婆は無言のままに指を動かし続けた。


「……ぉぉぉおお〰〰〰」


 老婆の指がピタリと止まり、しわがれた唸り声がもれる。


「ガーザ(ばあ)


 薄暗い密室に、この老婆と共にこもっていた人物が声をかけた。


「見える……見えまするぞ、王」


 カッと目を見開き、次の瞬間にはまた目を閉じてガーザ婆は言った。神憑ったような、変にうわずった声だ。


「青き衣を纏った黄金の色の髪の……乙女……おおおお〰〰〰」


 王と呼ばれた人物は、ガーザ婆の興奮の波がおさまるのを待った。


「ま、まちがいない……これこそ、お身さまが夢に見られた金と青の乙女に……おおおお〰〰〰なんと!」


 一段と老婆の声が大きくなった。


「つっ、“遣わしめ”じゃ! まっこと、神々のくだしたもうた黄金の……黄金(きん)輪宝(りんぼう)じゃ! むおおおお〰〰〰っ」


 と、そこでまったく突然に、水晶球が破裂した。同時にガーザ婆もばたりと倒れ伏す。


「や、おい、ガーザ婆、しっかりいたせ」

「お、おうよ……」

 地の底からのような低い声で老婆は告げた。

「あ、お……青の、みやこ」

「青の都?」

「あっ青のみや……こ、に……」

 そこまで言うと、ガーザ婆は完全に意識を失った。またこれから、数年の後に覚醒して幻視を為すのか、あるいはこのまま、知らぬ間に黄泉(こうせん)への眠りに落ちゆくのか。


 王はガーザ婆の室を出た。


「終わりましたか」


 室の外に女教皇フィシアが来ていた。教皇とはいえ、まだ十歳にもならぬ少女である。が、その無表情な顔つき、何事にも動じぬ所作は、到底その年頃の子供のものではない。

 三年前にその地位に就いたフィシアは前女教皇の知識のすべてを受け継いだ際に、子供の心をなくしてしまったのだ。


「わたしの占いに、おもしろい結果が出ました」


 傍の階段を上りはじめた王の後を追いながらフィシアは静かに言った。


「汝、もし業の惑星を統べんと欲するならば()ず、黄金の輪宝を得よ、と」

「黄金の輪宝!」

 

 ガーザ婆の言葉と符号している。


「その在処(ありか)は? 青の都か?」

「ガーザもそのように申しましたか? 青き衣を纏う黄金の髪の乙女、と?」


 そこで王は足を止め、フィシアに目線を落とした。


「さきごろ、青の都ではひさかたぶりに青の巫女を位につけたそうだが、その女か?」

「おそらくは……どうなさいますか、氷の王ヒュペリオン? 美しい女性ならば后に、という名目で入手できましょうが」

 ヒュペリオンは薄笑いを浮かべる。

「とりあえずは、どんな女か見てみたい」

「ならばわたしの名で青の巫女どのにお祝いを贈りましょう。王はその使者の従者として巫女とお会いなされませ。(じか)にご自身の目でご覧になれば、その者の器量もおわかりになりましょう」


 時としてヒュペリオンは、この先の王の娘は幼くして教皇となるよりも成長を待って女王としたほうが良い器なのではないかと考えてしまうことがある。

 教皇となったからこそ、八歳にしてこのように聡明なのであろうが、王族とは血統を異にする(いち)傭兵の身から王となった彼としては、なかなか複雑なものがある。

 ヒュペリオンの思いをよそにフィシアは淡々と続ける。

「西の馬族が気にかかりますが、できますればアンザルストの草原街道(ステップロード)をおとりくださいませ。青の都の東の砂漠に一つばかり、気になる()が落ちました」


 氷の国の国境南東から拡がるアンザルストの草原は、西の馬族と呼ばれる遊牧の民と氷の国とがその所有をめぐり長年にわたり対立してきた地域である。


「それから……」


 さらに先を続けようとしてフィシアはハッとしたように口をつぐんだ。


「何だ?」


「……いえ、何でもありませぬ。ガーザ婆の様子を、見てきたいと思いまするが」


 無言でヒュペリオンはフィシアに背を向けた。


 フィシアは何か彼に関係のあることを告げようとしながら、あえてそれをやめてしまったのだ。ひとたび思いとどまったものを追及したところで彼女は話すまい。

 ヒュペリオンの後ろ姿が階段の上部に消え去るまで、フィシアは黙ってそれを見送っていた。


「……深く強い(えにし)のある者との再会のきざしが見えます、王よ。そしてそれはおそらく、()()()()()()()……恋の始まりとなるでしょう」


 人知れずつぶやくとフィシアはそっとガーザ婆の室に入った。老呪術師の疲労を回復し、意識を呼び戻す香を焚きしめてやるために。




 ◆ ◆ ◆




 いつものように、青の巫女ミラージュは、静かにその身を神の泉に沈めた。

 ゆっくりと水槽の真ん中まで移動すると、顔をうつむけ目を閉じる。

 彼女の長い金髪や身に纏っている青い薄絹が水中にゆらめく様を、側仕えの巫女たちはじっと見つめていた。呼吸することでさえ、はばかられるような厳粛な沈黙が、そこにはあった。


 まったく突然に、ミラージュが(おもて)を上げる。

 一瞬、驚きにも似た表情がその冴えざえとした顔にあらわれたが、それはすぐに消されてしまった。


「巫女さま?」


 側仕えの中で一番年長のナーティが声をかけると、それを機としたようにミラージュは泉から上がるべく、(きざはし)に歩み寄った。

「もう、よろしいのでございますか?」

 ユリサが確認するとミラージュはうなずいた。その間にも、他の者たちは彼女の濡れた身体を覆う大きな青い布を広げて待ち構えており、ミラージュはそちらへ向かって歩を進める。

 

 そのとき、駿馬の力強いいななきが神殿の静寂を打ち破った。


「「「えっ……」」」

 

 ミラージュを除くすべての者が、一様に驚き動きを止めた。

 青の都には馬は数少なく、騎馬を許されるのは王族、正法官(ダルマ)、勅使等、限られた者たちだけである。


「ま、まさか太子さまでは?」


 真っ先に声を立てたのはナルだった。


「えっ、まっまさかっ」


 他の少女があわせて動揺しだした。もはや彼女たちにはミラージュが目に入っていない。

 手ずから青布を纏うと、ミラージュはそっと禊場を出た。


 色を与えられた巫女というものは自分の感情を露わにするということをしない。したがってその表情も無に等しいのだが……歩きながらミラージュは考えごとをしていた。そのため、眉や口元のあたりが凛々しく固められていた。


「シヴァ太子……?」


 つぶやきが口をついて出た。

 この青の都の王となる人物である。

 現在、青の都に王はいない。王太子たるシヴァが王位を継がねばならぬのだが、彼は諸国歴訪の旅に出ている。


「シヴァ太子が、帰還……」

 再びミラージュはつぶやいた。


「早すぎる……!」


 なぜそう思ったのかはわからない。だが、彼女はそう感じたのだ。


「シヴァ太子ではないとすると、いったい……?」


 ミラージュは不意にめまいを覚えた。

 空気中を何かが漂っている感じだ。頭の奥がピリピリと痺れるようである。

「うっ……」

 ミラージュは膝をつき、頭をおさえた。


「ミラージュさまっ」


 ナーティの声が、遠く聞こえた。駆け寄ってくる多数の足音を聞きながら青の巫女ミラージュは気を失ってしまった。


「ミラージュさま!」


 ユリサがあわてて揺すろうとしたのをナーティがとどめる。

「待って、揺すってはだめよっ。そおっと、そおっとしておいて」

「え……?」

 とりあえず、ユリサがミラージュから離れたので、ナーティは次の指示を出した。

「誰か大正法官(ダルマ)さまをお呼びして。それから、クリシュナさまかヤマさまを。早くっ」

 数人の巫女たちがバタバタと走り去る。


「……ナーティ」


 ミラージュの傍にしゃがみこんでそっと手を差しのべたナーティに、ミーナが声をかけた。

「あっあたしたち、あたしたちのせいね? おしゃべりに夢中で巫女さまがお出になったのにも気づかないで。ミラージュさまに何かあったら」

 見ればミーナは泣いている。

「ミーナ、何かあったら、だなんて」


「ナーティ!」


 ナーティが軽くたしなめようとしたとき、息せき切ってムスティーとナルが駆け戻ってきた。

「だっ、だめだわ。ダルマの塔に、クリシュナさまも、ヤマさまも、いらっしゃらないのっ」

「ええっ、そんな」

 ナーティが絶望の声をあげると同時にすっとミーナが手を前に突き出し、何かを指さした。


「あっ、あれ」


 そこには大きな楡の木の下で瞑想している男──赤いターバンを巻きその胸には赤い宝石を嵌め込んだ護符をさげている──が。


「ヤマさまだわ。あんなところに……」


 ナルの言葉の後に四人はお互いの顔を見交わす。


「だ、誰が声をかける?」


 そんな場合ではないと知りながらも、四人はそれぞれ他の三人を見るばかりで動こうとしない。

 と。突然にミーナが走り出した。ためらいを捨て、真っすぐにヤマの方へと駆けてゆく。


「ヤマさま!」


 激しい息づかいの中で必死に告げる。


「瞑想中にご無礼いたします。ヤマさま、ミラージュさまがっ」


 赤の正法官(ダルマ)ヤマは目を開けた。

 夜の色の冷たい瞳がミーナを見つめる。見る者を死の恐怖にさそいこむとされる、おそるべき視線である。だがミーナはそれと気づかないほど、夢中だった。


「ミラージュさまが、突然お倒れになったのです。どうか、ヤマさま」


 最後まで聞かずにヤマはミーナから視線をそらせた。機敏に立ち上がると足早に倒れているミラージュのもとへと歩を運ぶ。


「ヤマさま……」


 心配げに声をかけるナーティには目もくれず、ヤマは膝をついてミラージュの首筋に手を触れた。脈がややはやい。意識は完全になく、吐き戻しや手足の痙攣、からだ全体の振戦もない。

 青の塔へ運ぶべく彼がミラージュを抱き上げると、四人の巫女たちが先に立ってヤマを案内した。


「──っ」


 そっと寝台に横たえたとき、ミラージュが何かを叫んだ。ヤマはその額に手を置いた。


「なぜです!」


 今度ははっきりと、ミラージュは叫んだ。


「「「ミラージュさま!」」」


 周囲に集まっていた巫女たちがざわめく。


「あ……」


 次の瞬間に彼女はしっかりと目を開けた。そのまますぐに身を起こそうとしたが、次いでおこっためまいに力なく再び寝台に身体を戻す。


「気分はどうだ?」


 その声に、ミラージュはそこにヤマがいることを知った。


「……悪くはありません。ただめまいが……ナーティ、どのくらい、気を失っていましたか」


 ミラージュの口調はいつもと変わらず、穏やかなものだった。失神に対しての動揺すらない。

「ほんの……ほんのわずかのあいだでございます」

 答えるナーティの声が震えた。ミラージュの身を案ずるあまりのことだった。

「それで、ヤマさまのお見立ては?」

 再びミラージュの額に手を触れヤマは言った。

「……熱はない」

 次いで首筋に触れる。

「脈も正常に戻ったな。どこか痛むところは?」

「少しばかり、頭痛がいたします」

「ふ、ん、それに顔色も悪いな」

 ヤマが傍にひかえる巫女たちに目をやると、四人は彼と目を合わせまいと目を伏せた。

「青の巫女はきちんと食事をとっているのか」

 それは四人に対する質問だったが、彼女たちの心中を察しミラージュがきっぱりと答えた。

「わたくしは、きちんといただいておりますわヤマさま。それに今回のことは……肉体的なものよりもむしろ精神的な何かによってひきおこされたことのように思われます。空気中にピリピリと……張りつめた冷気のようなものを感じたのです」

「寒気がするのか?」

 ヤマの口調は医術をおさめた者のものである。死を司る正法官(ダルマ)たる冷然とした淡白さではなく、生来の寡黙さから青年は短く、静かに尋ねた。

 血の気が失せた顔を真っすぐに上げてミラージュはヤマを見た。海の青の瞳がヤマの夜色を捉える。

「いささか……」

 抑揚のない声で答えながらミラージュは考えていた。

 なぜ、このようにヤマと視線がかち合ったときにすぐに目をそらさないのか、と。婀娜(あだ)めいた心もときめきも何もない。ただ、そらせないだけなのだ。しかしそれはいったい何なのだろう、と。

「しかし」

「しかし?」

 自分の言葉を繰り返したヤマの声でハッとした。同時に視線をヤマよりももっと先の方へとそらせる。

「……何でもありませぬ」

 ややあって、ミラージュは冷静に言った。

 無言でヤマが寝台から離れる。

「ありがとう存じます」

 その方を見もせずにミラージュが礼を言う。ナーティはじめナルもミーナもムスティーも、ふたりが何をやっているのかわけがわからない。


「ミラージュさまっ」


 剃髪の医神官ふたりを従えたユリサが駆け込んだときには、ヤマは巫女の寝間から出ていた。


「巫女さま、ご不快とうかがいまして参りましたが」


 年長のほうの神官がとまどい気味に口を開く。若いほうは不思議そうにヤマの後ろ姿を見送っている。

「大事はありません。少しばかり、めまいがしたのです。それより、なぜあなたたちがここへ?」

 常になくミラージュは物事に関心を示してしまった。神官たちがふだん居住している、いわゆる表の院にユリサのような一介の巫女は入れないはずだ。どのようにしてユリサはそこからふたりも医神官を連れ出したのだろうか。

「大正法官(ダルマ)の命により。大ラマーさまはただいま来客の(よし)にて、参られないのです巫女さま」

「来客?」

 聞こえるか聞こえないかというミラージュのつぶやきを若い医神官が拾う。

「そうです、青の巫女ミラージュさま! 氷の国の女教皇から、あなたさまへお祝いの使者を送ってきたのです。その先触れが少し前に着きまして」

「氷の国!」

「では、先程の馬は……」

 それを聞いて、うなだれていた巫女たちに活気が戻った。氷の国から使者が来るということは、氷の国の教皇がミラージュを“青の都の青の巫女”として認めたということなのである。

「今日の昼には到着ということですが、巫女さま、お出になれますかな」

 年たけた医神官の言葉に、ほっかりとしたあたたかみをミラージュは感じた。が、あえて感情を殺して硬質に応えた。

「大事ありません」




 ◆ ◆ ◆



 その日、氷の王ヒュペリオンは世にも不可思議なものに遭遇した。

 荒涼たる不毛の砂漠をゆく騎馬が、張り出した岩塊を避けることなく前進し、姿を消すといつの間にか岩の向こうに現れるのだ。馬の乗り手が針路をずらそうと手綱を操るが、我関せずとばかり馬たちは直進している。


「面妖な!」

 

 近侍が(いぶか)るも、岩を透過する馬の姿が蜃気楼のように揺れた現象を目撃し、ヒュペリオンはその場に認識阻害が施されていることに気づいた。


「キアリアス」


 青の都は“剣の時代”にはないテクノロジーを有している!


 彼はそう判断した。側近を呼び、彼のいう面妖な場所を越えた少し先に部隊を集結させておくよう指示を出す。

 そして彼は、単身、岩塊に()()()()()


 半ば砂に埋もれ金属としての輝きなど微塵もとどめていない小型宇宙船が、岩肌にめり込んでいた。大破した船尾に、二基のジャマーが設置されている。


「フィシアの言っていた気になる星か?」


 歩み寄ると彼は宇宙船に軽く触れてみた。彼の指がなぞったところが金色になる。

「黄金の、宇宙船……?」

 つい、首をかしげてしまう。

 青の都の黄金の髪の巫女、そして青の都近くに不時着している黄金(きん)色の宇宙船……青と黄金、いったいどういう符号だろうか。

 青の都で金髪は珍しい存在と聞いている。そして五十年の長きにわたって星交のなかったこの星に宇宙船──岩から出ている部分を見ただけだが、新しいものだということはわかった──これは偶然なのだろうか?


「王っ!」


 不安に駆られた近侍の声に彼は応えた。


「キアリアス、目を閉じて前進せよ。ゆっくりと進め」


 素直に指示に従った男がヒュペリオンの傍に現れた。

「これは……」

「天翔ける舟だ」

 先に立ち、ヒュペリオンは船の船尾に足を踏み入れる。自動的に照明がつき、彼はそこに宇宙船の推進を担うエンジンの類がまるでないことに気づいた。

「飛べないからここに残した、か」

 先に進む。それにより、船内に次々と明かりが灯る。内部構造は基本的で、彼は難なく操縦室を見つけた。


「な……!」


 背後でキアリアスが息をのむ気配を感じながら、ヒュペリオンもまた言葉を失ってしまった。

 何という宇宙船! ()()()()()()()()()()での最新の型を通り越してしまっている。もしこれが、この宇宙船が最近になってから落ちたものなのだとしたら、彼の知らぬ間に()()()何と変わってしまったのだろうか。

 当て所なくさまようヒュペリオンの視線は、やがて白い制御卓(コンソール)の中央に流れるような書体で書かれた文字に注がれた。

 黄金色の、たった一つの言葉に。


「……クュリス……!」


 聖なる恩寵、聖なる祈り、そんなような言葉だったと思う。

 つぶやくヒュペリオンの語尾が震えた。そのまま彼はいちばん近い船室に足を踏み入れる。

 きれいに片づいた船内。出迎えるかのように、ビジョンディスクが一枚、プレイヤーにセットされている。無意識のうちに彼はそれを操作した。壁の一部を覆うように出現したディスプレイに映像が流れる。きわめてクリアな、美しい風景……。

 しかし、彼、ヒュペリオンは首をかしげた。

 どこかで見た覚えがある。

 これは個人用のビジョンディスクのはずなのに……石造りの城、草原、大河の流れ、これらはすべて彼の記憶にあるものばかりだ。

 と。突然映像がノイズ混じりになる。

 何か性能の良くない媒体から複写したものらしいが……ディスプレイに映し出された女性を見るなり、ヒュペリオンは凍りついたかのように身動きできなくなった。


『あらんかぎりの感謝を、兄さま……』


 黄金の髪の美しいそのひとは、至上の笑みを浮かべていた。


『ルーク兄さまはお怒りになるでしょうが、あなたはわたしらしいといって笑うでしょうね……あの星を、愛しています。わたしと同じ名を持つ惑星を……』


 ヒュペリオンはじっと()()を見つめていた。くもりなく、澄んだ輝きをたたえる青い瞳を。やさしく語りかける赤いくちびるを、端正でありながらあたたかみのある顔立ち、美しい声……やがて彼はその名を呼んだ。


「テレサリオーネ……!」


 その苦しみに満ちた、あるいは深い愛情に包みこまれた声を、キアリアスは為す術もなく聞いていた。

 彼にはどうしようもない何かと、彼の王は出会ってしまったのだ。


『さようならは申しません。ただ、これだけを……兄さま、わたしは幸せです。いまも、いままでも、そしてこれからも……! もう行かなければ……』


 そう言った彼女の笑顔を()は一生忘れないであろうと思った。ヒュペリオンも、キアリアスも……。


 ふっと彼女の顔から笑みが消えた。


『リチャードはわたしを、待っていてくれるでしょうか……』


 さびしげな目の色だった。

 ヒュペリオンは映像を消した。


 その途端──キアリアスにとっては無限とも思えそうな沈黙が室内を支配した。

 無言のままヒュペリオンは机の前まで歩いてゆき、そこにあった手紙を手に取った。

 レムリア語で書かれた宛名を見て、似合わない獣めいた笑いを一つ。次いで裏返して見た差出人の名に彼は再び凍りついた。


「王……?」


 ようやっとキアリアスが声をかけると、ヒュペリオンは手紙を懐中に入れてため息をついた。が、すぐに顔を上げて言った。

「青の都へ……!」




 ◆ ◆ ◆




 正午、青の巫女ミラージュは薄絹のとばりを降ろした祭壇の内にいた。巫女の盛装を纏い、黙したままで眼下の儀式を見守る。

 とばりの外では、ちょうどミラージュの前に立つ大神官であるところの大正法官(ダルマ)ラマーが氷の国からの祝いの品を受け取ったところだった。

 使者が女教皇の親書を代読するあいだ、銀の髪の北方人たちは膝を折ってフィシアへの敬重の念を示した。

 静かな時が流れていた。親書を読むキアリアスの声のみが朗々と神殿の中に響いている。


「──っ」


 突如として、ミラージュはめまいを感じた。

 この感覚、冷気を帯びた空気……朝とまったく同じだった。さらに彼女は感じる。凍てつかんばかりの冷静な凝視、自分に向けられた氷のまなざしを。


 目だけを動かしてヤマを見る──違う。


 無表情な夜の瞳の赤の正法官(ダルマ)は彼女を見てはいなかった。かすかな警戒心をその口元、その指先に残してヤマはキアリアスをじっと見ている。

 では、とミラージュはヤマの反対側、とばりの外で大ラマーの左側に立つクリシュナへと視線を転じた。そんなはずはないと知りながらも。

 黒の正法官(ダルマ)は常にあたたかみのあるやわらかなまなざしでミラージュを見ている。時としてその瞳はひどく情熱的な光をたたえてはいるが、概してそれは恋する者のそれである。

 クリシュナもミラージュを見ていなかった。何気ないふうを保ちながら、彼もまた油断なく使者を見ているのだ。

 いや、キアリアスではない。クリシュナの視線をたどったとき、ミラージュは初めて使者の背後に立つ長身の北方人に気づいた。

 同国人らが膝を折って彼らの教皇の言葉に(こうべ)をたれているというのに、彼はただひとり、キアリアスの影のごとくにそこに立っている。


 そして、ミラージュと男の視線がかち合った。


 この目だ、とミラージュにはわかった。


 この男が、氷のようなまなざしで彼女を見ていたのだ。薄絹のとばりを通して、かなりの距離をおいて、顔立ちすらはっきりしないそれだけの()()()があるのに、その男の瞳が青いことをミラージュは知った。


 しかし、何という青さだろうか!


 男の視線をたどってクリシュナが、ヤマが、ミラージュを振り返って見た。

 そのまますぐにヤマは男に視線を戻した。クリシュナが心配そうにミラージュを見つめる。だがミラージュは男から、その男の青い瞳から、目をそらすことができなかった。

 

 キアリアスの朗読が終わり、氷の国の男たちが立ち上がる。それでもミラージュは目がそらせない。

 

 やがて儀式が終わり北方人たちは神殿から出ていった。男が背を向けたとき、やっとミラージュは氷の凝視から開放された。


 北方人の最後のひとりが神殿から出ると同時にミラージュは大きく息をついた。ひどく疲れを感じる。


「青のミラージュ?」


 気配で黒の巫女シャイスタが声をかける。鋭敏なシャイスタの聴覚が、ミラージュの呼吸の乱れを捉えていた。

「デジリアさま、マリサ、早く!」

 とばりのこちら側には色を与えられた高位の巫女しかいない。目の不自由なシャイスタに代わって赤のデジリアと白のマリサが、崩折(くずお)れるミラージュを支えた。


「クリシュナさま!」


 デジリアの声で、北方人を見送っていたクリシュナがその方を見る。瞬時に彼の顔から血の気が失せた。


「青の巫女ミラージュ!」


 叫びながら彼は祭壇へと駆け上った。マリサの腕の中でぐったりしているミラージュを、そっと自分のほうへ抱き寄せる。

「クリシュナさま……?」

 気を失っているとばかり思っていたミラージュが目を開けて彼を見た。はかなげなまなざしが彼を見つめる。

 クリシュナはそのまま彼女にくちづけてしまいそうな自分を必死で抑えた。

「大正法官(ダルマ)さまに、お話が……」

 ゆっくりと階段を上ってきたラマーの手が静かにミラージュの首筋に触れた。しばらくじっと脈を確かめていたラマーは次にミラージュの額にそっと手を置いて言った。

「後でよい。クリシュナ」

 うながされるままに、ミラージュを抱き上げようとしてクリシュナは気をつけて彼女の身体に手を回した。いまはただ、青の塔へ運ぶことのみを純粋に考えている。

 力なく、青の巫女ミラージュはクリシュナの右肩に左手をかけた。




 ◆ ◆ ◆




 月は煌々と冴えわたっていた。


 首尾よく、氷の王ヒュペリオンは青の塔に忍び込んでいた。

 体調不良を理由に瞑想の間にこもることを禁じられたミラージュは、とばりに囲まれた寝台に眠っていた。ふと、人の気配に目を覚ます。

 瞑想を許されないならばせめて、と人払いしたはずなのに。


 明かり取りから差し込む月光を浴びてミラージュの金髪はまばゆく輝いていた。とばりの中にあってさえ、それとわかるほどに。

 ヒュペリオンは音もなく窓からミラージュの寝室に入った。


「どなたです」


 よどみのない澄んだ声が誰何する。

 眠っているとばかり思っていた青の巫女が身を起こした。


 どこかで聞いた声だとヒュペリオンは思った。


 すっと膝をついて、かねてより考えてあった口上を切り出す。

「氷の国のキアリアスの従者にて、リオンと申す者にございます」


 陰になりミラージュには男の顔が見えない。ただ、首筋で無造作に束ねられた銀の髪と厚手の布地を使った装束で、北の国の者らしいとわかるだけである。


 だが、彼女もまた、この男の声を知っていると思った。さらに思い当たることがもう一つ。


 この男は、先刻の凍りつくようなまなざしの持ち主ではないか……?


「さるおかたより、あなたさまへの書状をお預かりいたしてまいりました」

「さるおかたとはどなたです?」

 巫女特有の抑揚のない声でミラージュは尋ねた。

 男は一瞬言いよどみ、それから強張った声でその名を口にした。


「ジュラ王……マークトリトン・ド・エール・ジュラ・レムリア、からの」


 ミラージュはしっかりと座り直した。薄絹の重なりの継ぎ目を示し、そこから寝台の上へ書状を置かせる。

 とばりのすぐ外で、礼儀正しくヒュペリオンは膝をつき、ミラージュの様子を見ていた。


「……マーク……!」

 

 月明かりに浮かぶ宛名を見るなりミラージュは嘆息した。しばらく、じっと書状を見つめる。

 やがて封も切らずにそっと傍に置いて口を開いた。


「よく、これがわたくし宛だとおわかりになりましたね、()()()()()()()()()。レムリア語がお読みになれるとは。あなたは……いったい、どなたです?」


 物静かな、それでいてはっきりした話し方──ヒュペリオンの中で、ある確信が成立した。

 彼はミラージュに呼びかける。


「テレサリオーネ」


 これほど苦痛にみちた、狂おしいまでに愛情を感じる悲しい声をミラージュが耳にしたのは一度だけ。

 ()はミラージュを殺さなかった。

 ()はミラージュを認めてくれた。


 青の都の青の巫女として。


 そしていま、彼女の前にいるこの男は……?


「まさか……」


 彼女の声は震えていた。いや、声ばかりではない、彼女自身も震えていたのだ。

 ミラージュと名告る女性の胸中を察していながら、ヒュペリオンはその場にいた。

 しかし、実際のミラージュの動揺は彼が思っている以上だった。なぜならば、ミラージュは自らもまたヒュペリオンと同じ存在なのだと知っているから。


「…………リチャード?」


 そんなはずはないとわかっていながら、彼女はそう彼に呼びかけた。


「ああ、なぜです! 神々よ……」


 顔を手で覆うと、苦悶の声が漏れ出た。()しくもそれはこの朝方に気絶した彼女が意識を取り戻したときに口にしたのと同じ問いかけの言葉だった。


 なぜ、と──。


 しばらくの沈黙の後、ヒュペリオンは立ち上がった。緩やかな動作でとばりをかきわけ、真っ向からミラージュを見つめる。


「なぜ、この星へ……この業の惑星へ、あなたは降りたのですか、テレサリオーネ」


「わたくしは……違います! 氷の王よ」


 ミラージュは両手を下ろした。すっかり蒼白になってしまった顔をこころもち上げてヒュペリオンを見る。が、ヒュペリオンの目は彼女のむきだしの白い腕に向けられていた。

 装身具一つつけていない細い腕。

 傷跡もしみもあざもない、真っ白な肌。


「……ちがう」


 ヒュペリオンが否定した。


「何をいまさら。あなたにはわたくしが誰なのか、もうおわかりでしょうに。氷の王ヒュペリオン」


 ミラージュはことさらに冷たく言った。しかたなく、ヒュペリオンはうなずく。そうして彼もまた心の中でエリュシオンの神々に問いかけていた。


 死に別れた許婚者同士をよみがえらせて引き合わせ、いったい何をさせようというのか?


 ヒュペリオンは確認した。


「テレサリオーネは……亡くなったのですね」


 ミラージュは肯首した。


「それでわかった」


 きわめて淡々と、氷の王は言った。


「え?」

「……汝もし業の惑星を統べんと欲するならば先ず黄金の輪宝を得よ」


 ヒュペリオンはかすかに笑っていた。

 ()()()未だかつて見たことのない笑い方。さながら、雪原の狼のような凍てつく野生。


「フィシアの神託だ。まさにあなたは黄金の輪宝たるにふさわしい。あなたがいれば、カルマ星統一はもはや夢物語ではない。だから神々はあなたをこの星へ下し給うた。そして私は、あなたを得るために。あなたとこの業の惑星を統一するために」


「テラ・キャロラインに代わる黄金の輪宝として、神々がわたくしを造った、とおっしゃるのですか」


 ミラージュの声は少し低かった。


「そして、テラ──テレサリオーネがリチャードを愛したように、わたくしにもあなたの手を取れと? あなたもわたくしも、かれらとは……別個の人格(いきもの)だというのに?」

 

 ヒュペリオンの冴えわたるような青い瞳に凍てつく炎が宿るのをミラージュは見た。そこに悲しげな表情を浮かべた自分が映っている……。


「あなた以外にも、黄金の輪宝を受けるに値する……転輪聖王(てんりんじょうおう)たる運命の星を持つ人間はいるのですよ、氷の王」


 自分の声が、何の感情もなくそう告げるのをミラージュは聞いた。


「シヴァ王太子のことか」

 ヒュペリオンが苦笑する。

「会いもしないうちからそのように評価するか」

「それゆえ、実際に(まみ)えれば、より正確な器量を知ることになるでしょう。もっとも、わたくしは自分のことをそのような……黄金の輪宝であるとは考えておりませぬが」


「ではあなたは何のためにここにいる?」


「自分として生きるために」


 ミラージュは微笑んだ。

 ふっとヒュペリオンの目が和む。


「ではせいぜい、あなたらしく生きることだ。しかし青の巫女ミラージュ、いずれシヴァと会ったとき、あなたは選ばざるをえなくなるはずだ。私か、あるいは彼を」

「ヒュペリオン?」


 言い残すとヒュペリオンは素早く窓を抜けて行ってしまった。


「……どこまでもやさしく、そしてどこまでも冷酷になれるひと……」


 ミラージュは寝台を降りて窓辺に歩み寄った。

 青白い月の光が、巫女の頬を伝う涙の粒に一瞬の煌めきを与えた。







(ぎん)(かげ)

  THE SILVER SHADOW

     ── 了 ──










成人してから書いてるのでお直しは少ないはず、と言ったのはどこのどいつでしたでしょうか。

むっちゃ修正しております。


思えば最初にこれを書いた時とは世紀をまたいでおりますし、PCの普及とかスマホの登場とか画期的に執筆環境が変化しました&筆者の人生経験値の積み増しもあります。


あらためて思ったのですがリチャードってこんな人だったっけ? 私のイメージでは彼は季節に喩えるならば春。穏やかであたたかく、やさしい王子さまタイプ(ついでにイケメン)だったのですが、ヒュペリオンとしての行動をみると、なんか夏っぽい(ほんのりS味あり?)。


…………何事も、変革というものは、あるものです…………


今回も、お読みいただきありがとうございました。


お次は数年後のお話『リヴィネル』です。




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