青の巫女〈7〉
しばらくして、ヤマは操縦室を出て行こうとした。
「戻るのか?」
「ああ」
「大正法官に、よろしく言っておいてくれ」
「あんたは?」
先程からマークは二基のアンテナに搭載されたカメラが送ってくる衛星軌道からの画像をもとに、カルマ星の世界地図を二次元と三次元で作る作業をしていた。たぶんそれは、これから先のミラージュに、役立つだろう。
「ここにいる。明日の昼には迎えが来るだろうからな、また通信が入るかもしれんし」
「そうか。では、さらばと言うべきだな」
「そうだな」
意図的にヤマの方を見ずにマークは言った。
「俺は、もう二度とこの星へは降りない……そう言っておいてくれ」
「誰に?」
ヤマが訊くと、マークは応えずに何かを投げてよこした。
「これは……」
受けとめたヤマの右の拳に収まらなかった金鎖が下がり落ちる。
「ミラージュに渡してくれ。そして、伝えてほしい。
……誇り高くあれ。いついかなる時も、女戦士の誓いと自分の心に、恥じることのないように生きてくれ、そう言っていたと」
「わかった。他には?」
マークは言いよどみ、唇を噛みしめたが、やがて言った。
「ヤマ、おまえに頼みたい」
「何だ?」
「俺の代わりに、ミラージュを見ていてやってほしい」
「兄として?」
「……無理か?」
「いや」
「もし、いつの日かおまえが彼女をひとりの女性として想うようになったら、そのときは、男として愛してくれていい。だが、そうでないなら……」
「一つ、訊きたいことがある」
暫し考え、ヤマが言った。
「青の巫女が優れた才能の持ち主だというのは、わかった。が、それだけで、どうしてまだ小娘にしかすぎない相手に青の都の未来を賭けることができるというのだ?」
少しだけ狡い笑みをマークが浮かべる。
「美しい女は、それだけであまたの男を動かす力を持っている。傾城、傾国の美人というやつだ。ミラージュはまだ若いが、これからもっとずっと凄まじく変容するのを俺は見たからな」
「それにしても、限度というものがある」
容色には靡かぬヤマには、その程度で国の中枢が揺らぐ道理がわからない。仕方なく、マークは情報を追加する。
「“アマゾンの青い龍”だ」
「何だそれは?」
「アマゾンという女戦士たちの星がある。十五歳まで妹が育った国だ。彼女はそこでそう呼ばれていた。最高位の戦士に与えられる称号だ」
「女王なのに戦士なのか?」
「だからこそ、テラは傭兵としてカンパニーに所属していたんだ。はっきりいって、俺より強かったぞ」
もちろん、超常能力による補正もある。
「ミラージュがどこまでテラの能力を受け継いでいるのかは不明だが、軍師としての素養あってこそのアマゾンの戦士なんだ」
舞の円鏡を持つのでさえやっとのような巫女の細腕、細腰で? デジリアやマリサなど、剣を頭上に捧げ持つだけでも一連の流れに乗せての修練が必要だった。
信じてないな、と思いマークは笑う。
「とりあえず、いまは無力な巫女でしかない。守ってやってくれ」
「ああ」
ヤマはそう返事をした。
「さて、ハッチまで送ろう」
ふたりは連れ立って歩き、別れを告げた。
「ヤマ」
宇宙船を降りて歩き出した男をマークが呼び止めた。
「これも伝えてくれ。〈クュリス〉のことは、ミラージュに任せる、と」
大きくうなずき、再びヤマが歩き出す。遠ざかる後ろ姿を、マークはいつまでも見ていた。
◆ ◆ ◆
クリシュナは、強かった。
斬りつけてくるごろつきを、次々と(さりとて、峰打ちで)十三人まで打ちすえ、十四人目がかかってきたとき、誰かが叫んだ。
「ヤマ・ダルマだ!」
「ひっ……」
「ヤバい、行くぞっ」
蜘蛛の子を散らすように、ごろつきどもは逃げ出した。クリシュナは峰打ちにするが、ヤマは本当に人を斬るということを、彼らは知っていた。
「やあ、ヤマ」
近づいてきた同僚にクリシュナは笑いかけた。
「どうした? あんたが市中で剣を抜くなんて」
「いや、なに、ちょっとな」
少し照れたように、クリシュナは後ろを見た。
「え……?」
顔からすうっと血の気が引く。
「オレの連れはっ?」
「連れ?」
「そうだ。濃い臙脂の布を纏った女だ」
「臙脂?」
ヤマの返事を待たずに走り出す。
「あっ、青の巫女はいるかっ?」
息せき切って、クリシュナは青の塔に駆け込んだ。
「クリシュナさま? いったい、どうなさったのですか」
嬌声こそ上げはしないが、ざわめく巫女たちを制してナーティは言った。
「青の巫女はいるか?」
重ねての質問。
「巫女さまは、瞑想をなさっておられます」
「「お待ちを!」」
「いきなり何を」
止める少女たちを彼にしては雑にかきわけ、クリシュナは瞑想の間の扉を叩いた。
不気味なほどに周りが静まり返り、間を置かず、扉を開けてミラージュが出てきた。
「どうなさったのですか?」
呼吸ひとつ乱していないミラージュを不思議に思いながら、クリシュナは彼女の無事を知り安心した。
「いや、失礼しました……」
それ以上を遠慮し、早々に塔を辞した。
◆ ◆ ◆
かなりためらったあげく、マークは〈クュリス〉の船室でペンを執った。
──親愛なる妹へ
書き出して、また彼は逡巡した。
書いたばかりの紙をくしゃくしゃに丸めて背後に放る。
──かつての妹へ
──妹であった者へ
並べて書き散らかし、マークは大いに頭を悩ませた。ペンを持ったまま、うろうろと室内を歩き回る。
「う〜む〜」
知らず唸っている。
ベッドの横の小さな卓の前で立ち止まり、立ったままさらさらと書き綴った。
──死せる妹へ
一瞥して紙を引きむしるとまた丸めて投げ捨てる。
それから、きちんと卓に向かって座った。
「……親愛なる青の巫女ミラージュへ」
ひとりごちて、彼はうなずいた。
「よし」
卓の一隅を操作してディスプレイを表示すると、告げた名前の表記をレムリア語で確認する。彼はなんとしても、母星の言語で手紙を認めたかった。
「ミラージュ、これか」
バーチャルなのに触れると意味や語源が展開される。
「……蜃気楼?」
口元がかすかに震えた。しかし、次いで彼は苦笑した。
「なるほど」
それから、気を取り直してマークは手紙を書いた。それは、長い手紙になった。
書き終えると、封をして机上に置き、彼は眠った。
翌日の昼前、〈ルナ〉号から通信が入った。
『あれ? カメラ、直ったのかい?』
スクリーンの中で笑いかける将に、マークは曖昧に応じた。
「いま、どこにいる?」
『カルマの衛星軌道に入ったよ。〈クュリス〉は……上手いこと岩肌に嵌まり込んでるね。エンジンルームの破損は宇宙空間でなんだよな?』
アンテナのカメラ以上の精度で地上を見ているなら、現状は説明するまでもない。
「ああ、まるごと吹っ飛んだおかげで誘爆なく不時着できたみたいだ。おまけに俺はボードで排出されてて、衝突のダメージもない」
『それでよく、あんなに早く船に戻れたね。近くに排出されたのかい?』
「そうだ。あと、この星の住民の助けがあった」
『近くに遺跡みたいなのがあるね。凄い、まだ連邦に未登録な星だ!』
「たぶん、ロストプラネットだ。だからまだ、少なくとも兄貴に話すまではここを公表したくない。いいな、エド、いや、いま船長はジョンか?」
フィーネがまだ親衛隊にいる関係で、エド夫妻はカンパニーに再登録されていないはずだ。
『了解。マークは──』
ジョンの声がそう言うのを聞きながら、マークは船尾に認識阻害用のジャマーを向かわせた。正規の乗降口は施錠しておく。ジャマーによって雨風もカバーされ、〈クュリス〉の存在を知る者だけがここへ出入りすることになるだろう。
「あ、〈ルナ〉号は隠形にしといてくれ。あと、できれば消音。ここは“剣の時代”なんだ」
半世紀にわたり鎖国されていた星なのだ。文明曝露の刺激はあまり与えたくはない。彼らも一流の傭兵なので、マークが慎重を期する理由を理解していた。
まるでどこか遠くで強い風が鳴っているような音を聞きつけると、マークは〈クュリス〉の動力を休眠モードに切り替えた。少し迷ったが、通信用アンテナは大気圏に突入させて焼却することにした。ミラージュにばかり情報を与えるのはレムリア側からすると他の国家に対してフェアではなくなるからだ。
この惑星には科学兵器も情報衛星も存在してはならない。摂政王の決定を待つまでもない、それが“銃の時代”に生きる彼らの鉄則だった。
〈クュリス〉が食い込む岩山の前に開ける大地に、陽炎のような揺らめく質量が舞い降りた。不自然な痕跡を残さぬよう、垂直に降下し、地に着かぬまま階を伸ばし下ろす。マークが一歩を登ると同時にそれは船内に向かって収容され、彼はハッチにおさめられた。
「マークっ」
真っ先に将が駆け寄ってくる。この甥が、ここまで自分になつくとは、初対面時には思いもしなかったが……何だかちょっと気弱な、年寄りめいた感慨が湧く。続いて乗降口のセーフティエリアに入ってきたエドとジョンが、ニヨニヨとふたりを見ていた。
「何だ?」
「いやべつに」
フィニーに促されて操船室に上がるマークの後について、兄弟はずっと笑っていた。
「ジュラ王!」
操縦席を船長に任せた途端に、フィーネはマークに詰め寄った。
「本当に、〈クュリス〉をここに残していくんですか?」
「ああ」
目前の妹の友の長く伸ばされたままの金髪に、マークはミラージュを想った。
既に〈ルナ〉号は上昇を始めており、スクリーンには小さくなる〈クュリス〉とアップのままの二種類の映像が映されている。
「ほら、フィーネ、配置について。マークもシートに座れよ」
さすがに夫だけあって、エドの指示は絶妙のタイミングだ。カルマ星の大気圏を抜けるまで、マークはフィーネにあれこれ言われずにすんだ。
着替えのために船室に引き取り、船窓からカルマ星を見つめてマークはつぶやいた。
「暁の銀星は暁紅の女神の涙、か。妹神はあけぼのの国に置き去りだ……」
その目に映るカルマ星が歪んだ。
不意に船室のドアがノックされ、マークはあわてて目元をこする。
「……どうぞ」
声と同時にドアがスライドし、フィーネが入ってきた。
「暁紅の女神を知っているか?」
彼女が口を開く前に彼は訊いた。
「ウシャス? いいえ。何ですか?」
「……ウシャスはあけぼのの女神で、夜の女神の妹だったんだ」
「はい?」
「妹だったんだ……」
「ジュラ王……マーク?」
食い入るようにカルマ星を見つめ、繰り返す。
何度もなんども、彼は言った。
何も言わずに、マークの部屋を出たフィーネをエドが抱きしめる。
「何なの、この星。あんなマーク、見ていられない」
「ともかく、レムリアに戻ろう。ルーク王の裁定を待って、それからどうするか決めたらいい。俺はフィーネのしたいことに従うし、ジョンはフィニーの望みを叶えるだろう。そうできるだけのことは、してきたつもりだ」
通路の角で、出るにでられなくなった水原将は考えていた。
(何とも嫁に弱い兄弟どもめ。仕方ないから俺は、叔父上の味方をしてやるか)
しかし、そんな彼にしても〈クュリス〉を星間交流のない辺境に残していくことには不満がある。
(要は、ロストプラネットに降りたとレムリア王たちにバレなきゃいいんだよな)
下手に宇宙慣れしている彼らが再びカルマを眼下にするのは……まだ先のことである。
◆ ◆ ◆
その日、青の巫女ミラージュは初めて青の塔の最上層に登った。
風鳴りの中、大きな揺らめきが上昇しているように見える。
「さようなら、兄さま……」
今生の別れを告げると、ミラージュは中庭へ降りた。
楡の木陰でシャイスタが竪琴を弾いていた。傍にいたトーラがミラージュの姿を認め会釈すると、その気配でシャイスタが手を止める。
「青のミラージュ」
シャイスタが手を差しのべた。ミラージュがその手を取ると、もう一方の手でシャイスタは彼女に竪琴を持たせた。
「シャイスタ?」
初めてシャイスタはミラージュに微笑みかけ、トーラに助けられてその場から去った。
ミラージュはその後ろ姿を見送っていたが、やがて弦に指をかけ、鳴らした。言葉が、口をついて流れた。
時の流れ永遠の光
遥かに過ぎてゆく想い出を
彩る淡い夢
遠い過去の日々を想い
遥かな宇宙の果て
星の海 駆けゆく黄金の舟
蒼ざめた月 水面に映る夜を
いつまでもいつまでも胸に刻んで……
「青の巫女」
背後から声をかけられ、ミラージュは手を止めた。冷たいものが、彼女の首に巻かれる。
「これ、は」
手をやって振り向く。
「ヤマさま?」
ミラージュはたったいま、ヤマの手でかけられた金のロケットを握りしめた。
「……誇り高くあれ」
「えっ?」
ヤマは静かに言った。
「マークからの言伝だ……いついかなる時も、女戦士の誓いと自分の心に、恥じることのないように生きてくれ」
「女戦士の誓いと……」
ミラージュはきつく目を閉じた。心が、おちつかない。何だか、大きく何かが変わり、でも、変わっていないような気もした。
しかし、涙は出なかった。そう──泣くよりも、彼女は笑いたかった。
「ありがとう」
晴々とした笑顔でヤマに笑いかけると、竪琴を手に立ち上がる。
午後の風に髪をなびかせ、ミラージュは歩き出した。
『青の巫女』
あおのみこ
── 了 ──
最寄り駅まで約3.6キロ、そこからJRと地鉄を乗り継いで通学していた高校時代、ほぼ毎日、駅ビル内にある本屋に寄り道していました。そこで好きな作家さんが描いた美しい舞姫が表紙の1冊の本に出合い、読みました。ロジャー・ゼラズニィ『光の王』です。それまでの私はインド神話といえば三主神とサラスヴァティー、ラクシュミー、カーリーくらいしか知りませんでした。そしてここでヤマという存在を知り地獄の閻魔さまが元はヤマだったと知り、このカルマ星のシリーズと夜摩天女のシリーズを考えるようになりました。インド神話を追ううちに仏教(というか天部)にもよろけ、舞楽にころび、時々写経などもしたりするようになりましたが……般若心経をつぶやくうちに、いつしか寿限無になってしまうのは記憶力の問題です、きっと……。
というわけで、私はこれを高校時代に書いたのですが……今回、ものすごく追加・修正を行いました。
続編となる『銀の影』は社会人になってから書いておりますので、今回ほどの修正にはならないと……思いたいです。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。