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暁紅の女神の星  作者: 高峰 玲
6/10

青の巫女〈6〉




 その日も、夜明けはシャイスタの竪琴の音を伴ってやってきた。


 蒼い早朝の空気の中で、楡の根元に腰を下ろし、シャイスタは竪琴を弾いていた。心のままに何曲か奏してふと指を止め、黒の巫女は低く歌った。自然と指が伴奏を弾きだす。

 

  暁の銀星は暁紅の女神(ウシャス)の涙

  烏羽玉の夜の女神(ラートリー)

  御身はいずこ

  我が姉よ御身はいずこ

  我は残れりあけぼのの国

  遥かに遠い月日を重ね

  永遠(とわ)に流れる時の河

  月に定めし約束を

  星に誓いし約束を

  時の流れの果てまでも……


「何という歌ですか?」

「えっ?」


 誰の気配もなかったはずなのに、すぐ頭上から訊かれシャイスタは驚いた。いくら演奏に集中していたとはいえ、彼女に気づかれずに至近距離まで近づくのは至難の業である。


「あっあなたは……どなた?」


 かろうじて平常心を保ち尋ねる。彼女が聞いたことのない声だ。


「俺はマーク、大正法官(ダルマ)の客人だ」

「ラマーさまの?」

「そうだ。あなたは?」

「黒の巫女、シャイスタと申します」

 シャイスタとミラージュの話し方の共通点にマークは気づいた。

「抑揚のない話し方は、巫女の作法か?」

「そうです」

「いまの歌を……もう一度歌ってはくれまいか」

 シャイスタはマークの求めに応じた。


 歌が終わっても、しばらくマークは何も言わなかった。ややあって口を切ったとき、語尾がかすかに震えた。


「その歌は、あなたが作ったのか?」

「いいえ」

 シャイスタはありのままを応える。

「……ミラージュが、作ったのか?」

 怖れるように、彼は訊いた。

「はい」

「そうか……」


 マークは嘆息した。しかし、それでも果敢に言った。


「歌詞の意味を、彼女は何か言っては?」

「青のおかたは寡黙なひとです」

「ああ」


 マークは再び吐息をついた。


「……ウシャスというのは?」

 気を取り直し、尋ねる。

「あけぼのの女神です。夜の女神のラートリーとは姉妹です」

「ウシャスが妹、なんだな」

 質問ではなく、彼自身の認識と判断してシャイスタは言葉を返さない。その朝、三度目となるその曲を奏でる。

 

  暁の銀星は暁紅の女神(ウシャス)の涙

  烏羽玉の夜の女神(ラートリー)

  御身はいずこ

  我が姉よ御身はいずこ

  我は残れりあけぼのの国──


 と、シャイスタの手が止まる。


「どなた?」


 すぐ傍まで歩み寄っていた相手は、応えずに歌った。

 

  遥かに遠い月日を重ね

  永遠(とわ)に流れる時の河

  渡る(すべ)を知らずして

  如何(いか)に再びめぐり逢わん

  時の流れの果てまでも……

 

「青のミラージュ?」


 シャイスタは訝った。なぜ、彼女は(ことば)を変えて歌ったのか?

「ごきげんよう、黒のシャイスタ」

 ミラージュは静かに言った。

「ごきげんよう」

 シャイスタも応えた。

 マークは微動だにせず、ふたりのやりとりを見ていた。

「あの歌を、歌っておられましたのね」

 ミラージュはマークの存在を無視していた。

 軽く旋律を爪弾くことでシャイスタは応える。


「シャイスタさま」


 黒の塔のトーラがシャイスタを迎えに来るまで、会話はなされなかった。


「シャイスタさま、禊をなさる刻限です」

 鷹揚にうなずくと、シャイスタはゆっくりと立ち上がる。


「ごきげんよう、青の巫女ミラージュ、客人のかた」

「ごきげんよう、黒のシャイスタ」


 遠ざかる黒の塔のふたりを見つめながら、やっとミラージュはマークに声をかけた。


「歌を……聴いたのですね」

「ミラージュ」

「わたくしのことを、ミラージュと呼んでくださるのですか」

 微笑ともとれる変化が口元を彩った。まっすぐな眼をミラージュはマークに向ける。

「あ、ああ」

 マークの声がかすれた。

「何だ?」

「いいえ」

 あきらかに笑んだ顔を見せないように、ミラージュはそっぽを向く。そういえば、マーク・エールとはこんな人物であった。身分の高い王族(ぼっちゃん)育ちのくせに、妙に拗ねた子供のような可愛らしいところがある。

 それを指摘すると面倒なことになるので……テラはよく気づかないふりをしていた。


「ミラージュっ」

 

 真っすぐに、ミラージュは男を見た。

 マークも、女──少女を見た。

 互いに相手の本心をさぐろうとするかのように、それぞれの青い瞳を見つめ合う。


「青の巫女っ」


 誰かの鋭い声に、ふたりは我に返った。


 息せき切ってクリシュナか駆け寄ってくるまでに、ミラージュは顔からすべての表情を消し去る。


「マーク・エール!」


 ふたりのあいだに割って入り、巫女を背後に回してクリシュナは言った。

「青の巫女に、いったい何を? いくら大正法官(ダルマ)の客人といえど、許されぬことだっ」

 その剣幕にマークは吹き出しそうになったが、やめた。何とか笑いをこらえているので言葉が返せない。よほどあわてて出てきたらしくクリシュナは裸足で、肩布もなく、むき出しの胸の護符がずれていた。


「だいたい、あんたは」


 さらに言い募ろうとして、クリシュナは口をつぐんだ。右腕に何かひんやりとしたものが当たっている。何だろう、と見た彼の鼓動が高鳴った。ミラージュが、すがるように腕に手をかけている!


「あっ青の巫女っ」


 その手を取って、クリシュナはミラージュに向き直った。


「怖かったのですか? オレが来たからには、もう安心してください。あなたを煩わせるような不届者は、このオレが」

 そう言ってマークを睨みつけた彼の視線が虚しく宙を彷徨う。

「……逃げ足の早い奴め」

 言い捨てるとクリシュナは爽やかに笑ってミラージュを見つめる。青の都の娘たちがこぞって胸をときめかせ、あられなく高い声を上げてしまう必殺技にも等しいものだが、ミラージュは顔色ひとつ変えなかった。


「クリシュナさま、手をお離しくださいませ」

「あ、こっ、これは……っ」


 刹那の速さでクリシュナが手を離す。頬が熱い。この程度のことで彼が赤面するなどありえないのだが。


「青の……」


 信じられない状況にクリシュナは言葉を失う。信じられないことに、ミラージュが自ら彼に向かって手を伸ばしてきていた。


「ずれております」


 逞しい胸板にも引き締まった腹筋にも動ずることなく、ミラージュは指先でクリシュナの護符を正しい位置に合わせた。それから、何事もないように彼に背を向け歩き出す。


「クリシュナさま」


 思い出し、振り返る。

「なっ何か?」

 クリシュナが急いで距離をつめた。

「……衣服を手に入れてくれませぬか、わたくしだとわからないものを」

「え?」

「忍んで行きたいところがあります」

 配下の巫女には頼めない、なので他の知人に依頼した。ミラージュの認識はその程度だ。

「……いつまでに?」

 この佳人には頼る者は自分しかいないのだ──そう解釈する男の心理など、ミラージュは知らない。

「禊が終わるまでに」

「お任せを」

 少し格好をつけてかしこまって見せると、見惚れもせずにうなずいてミラージュはその場を去った。クリシュナはじっとその後ろ姿を見送る。


「ほほほ、さすがの黒の正法官(ダルマ)さまもだらしのないこと」

「誰だっ?」


 クリシュナが振り向くと、いつの間にか赤の巫女デジリアと白のマリサが後ろにいた。


「あたくしが手をお貸しするまでもなく、ご進展のようですわねぇ」

「デジリアさま……」


 いままでの夢見心地がいっぺんに吹き飛んでしまった。思わず、クリシュナの声が低くなる。

「急ぎますので」

 会釈して辞そうとした男をデジリアは引き留めた。

「お待ちなさい。青の巫女が言っていた品、あたくしが用立ててさしあげましてよ」

「え?」

「デジリアさまのせっかくのお申し出、ありがたくお受けなさいますわよねっ」

 恩着せがましいマリサの押しに、ついクリシュナは肯首してしまった。

「とりあえず、ダルマの塔へ戻って身じまいをなさい。衣はわからぬよう、こちらで下の者に届けさせます」

 満足な差配に笑みを浮かべ、デジリアが去る。


「そう何でも思いどおりになると思うなよ……」


 その背に向け、クリシュナはそっとつぶやいた。




「おい、あのクリシュナという奴は、いったい何なんだ?」

 マークはダルマの塔に駆け戻ると、ヤマに噛みついた。

「クリシュナ? どうかしたのか?」

「いや、実はいま、ちょっと」

 マークは少し前の出来事を話した。

 それを聞くヤマの、眉間のしわがくっきりと濃く、深くなってゆく。

「クリシュナの奴、本気なのか?」

 これまでに、クリシュナのほうから特定の女性にすり寄っていくのを見たことも聞いたこともない。常に流されるように寄ってくる誰かと気分のままに戯れ、独占させない、それが彼の得意とする駆け引きだったはずだ。

「え、何?」

「いや、何でもない。それより、そろそろ出かけるが、いいか?」

 質問をはぐらかされた形になったが、マークも明確な回答を望んだわけではない。

 またしても、楽しくもないヤマとの同道となる。

 会話もなく歩くうちに、いつしかマークの頭の中ではシャイスタとミラージュの歌が繰り返されていた。




   ◆ ◆ ◆




 禊から青の塔に戻ると、ミラージュは瞑想の間にこもった。

 きっちり扉を閉め錠をおろすと、密かに物陰に置かれていた衣類に着替える。風変わりな細身のズボンや上着、飾りスカート、頭に被る布は、いかにもクリシュナが用意したものらしく黒で統一されていた。実際は、デジリアとマリサが変装とはこういうものだろうという妄想に基づいて衣装箱から選んだのだが──マントとして身を隠す布だけが濃い臙脂(えんじ)色だった。

 秘密の脱出用通路から塔を出る先をクリシュナは熟知している。首尾よく茂みに分け入ったミラージュにそっと声をかけると、巫女は困ったように彼を見た。

「クリシュナさま……」

「美しい……よくお似合いだ」

 目深に被って、残りを体に巻きつけていた布を、ミラージュは一層きつくした。

「クリシュナさま、どうして」

「お出かけのときにはオレがお供すると言ったはずですよ、ミラージュさま」

「それは……どうも」

 言葉で説き伏せる時間が惜しかった。なにより、口論となれば、騒ぎで人の耳目を集めてしまうかもしれない。

 無視するようにミラージュは歩き出した。クリシュナは黙ってその後に従う。

 程なくして、ミラージュは自分の判断の甘さを実感した。クリシュナという男は……まったく、隠密行動に向かなかった。

 人目を避けて寂れた裏道を選んでいるのに、いつの間にか若い娘が彼を追ってついてきていた。ひとりふたりでは、ない。第八の井戸までくると、黒山のように娘が群がっていた。前進すら、ままならない。


「クリシュナさま、その女のかたは、何ですの?」

「昨晩はなぜおいでくださらなかったの?」

「えっ、いや、なにって」

「「何ですの、何ですのっ」」

「「「クリシュナさまっ」」」

「「お待ちしておりましたのよ」」

「今宵こそ、わたしと」

「いいえ、私と」 

「「「こちらを見て!」」」


 テラ・キャロラインが映画スタントの依頼を請けたとき、人気俳優に群がるファンというものを見たことがあった。また、“剣の時代”で合戦に遭遇し、凱旋した英雄が王都で民衆からどのように迎えられ、宴で饗されたかを。

 そういえばあのマークもだ。

 婚約者すらいない独身王族のならいで、レムリア王家主催の夜会では常に女性たちに追われ囲まれるのを避けるために、身辺警護と称して女王(いもうと)に張り付いてはいなかったか?


 娘たちが口々に話し出したので、もう収拾がつくどころではない。クリシュナにしてみれば災難なのだが、ミラージュはこれ幸いと、人混みに紛れて離脱した。


「ずっとお待ちしておりましたのよ」

「「「私だって!」」」

「お慕いしておりますわ」

「「ぬけがけ」」

「「「卑怯よ」」」


「わ〜っ、ちょっと待て! 急いでいるんだ。通してくれ」


「あなた、そこおどきなさいな」

「あら、あなたの方こそ」

「「「邪魔なのよっ」」」

「「「「「そっちこそっ!」」」」」


 少し離れたところからこの有様を見て、ミラージュは笑った。忍び笑いを続けながら、騒ぎを放置して足を早める。


「どいてくれっ。オレは急いでいるんだ!」


 クリシュナが叫んだ。ミラージュは走り出す。


「「「どちらへ」」」

「どちらへおいでですの?」

「「まさか王宮の舞姫(アプサラス)たちのところへ!」」

「「「いや!」」」

「いやですわ、クリシュナさま」


「もーやだ。どうしてオレはこんな目に遭わなきゃならんのだ」


 嘆きつつ天を仰いだ。そのとき、ミラージュがいないことに気づいた。

「ミ……っ!」

 かろうじて、叫びを封じる。

「やられた……」

 やるせない気持ちが胸にあふれた。

 



    ◆ ◆ ◆




 朝日を浴びて〈クュリス〉は光っていた。砂ぼこりをかぶってはいるが、機体そのものに焼け焦げや船尾大破以外の傷はなく、絶壁に近い岩肌に正面から深くめり込んでいる。


「これが〈クュリス〉か」


 初めて、ヤマはその名を口にした。

「美しい宇宙船(ふね)だろう? 兄貴はこれに〈クィーン・テラⅠ世号〉と付けたかったみたいだが妹は固辞した」

 宇宙船に見惚れるヤマをニヨニヨと見ながらマークが言うと、不思議そうにヤマが振り返った。

「クィーン・テラ?」

「ああ、妹がこれを造った。名づけたのもだ」

「これを?」

 ヤマは目を瞠った。それを見て、またマークは笑い〈クュリス〉に向かって歩きながら言った。


「テラは……頭のいい娘だった。あいつの頭脳を兄が持っていたら、レムリアよりも大規模な宇宙帝国を建てたかもしれんな」


 目の前に落ちていた背丈ほどの金属板を、軽々とマークは拾い上げた。縁についている突起を押してみるが、何も起こらない。

「宇宙帝国?」

 尋ねたヤマに、マークは金属板を持たせた。

「ミラージュもまた、そのテラと同じ頭脳を持っている。ヤマよ、これは……脅威だ」

「青の巫女が、宇宙帝国を築く野望でも持っているというのか?」

「野望? は、まさか。およそテラにはそんな言葉は似合わないさ」

 マークは足を止めた。〈クュリス〉のハッチが開いている。彼はそこで少し考えたが、大穴の空いた船尾の方へ足を向けた。


「脅威を感じるから、殺すのか?」


 破損状況を見ていたマークは、驚いたようにヤマを見た。

「何だって?」

 ヤマはもう一度、同じことを訊いた。

「……脅威を感じるのは俺の兄、というか、いまのレムリア首脳部の面々だな。年寄りどもだ」

「あんたは?」

「俺はジュラ王だが、べつに脅威だとは思わん。兄も思ってはいないとおもうが、自分らの偏狭さを自覚してないジジイどもは怖いだろうな。奴らは彼女がそんなことをするはずがないことを知らない」

「だが、青の巫女はあんたの妹ではない」

「俺は信じる」

 強く、マークは言った。

「ミラージュが誰であろうと、テラの記憶、テラの知識、そしてテラの意志を受け継いでいる人間は野望なんか持たない」

 ヤマを促して〈クュリス〉のエンジンルームに入り、マークは微笑んだ。裂けた装置類が見事に硬化結晶に覆われている。この状態では錆や腐食に侵されることはないがエンジンを再搭載することもできない。


「宇宙船が珍しいか?」


 船内に入ってから、ヤマはずっと周囲を観察している。マークから受け取った金属板を下ろし、触れはしないが、熱心に見ていた。

「ああ」

「初めてか?」

「いや、昔、まだ子供(ガキ)の頃、古いものを見たことがある。これとは、大分(だいぶ)ちがっていた」

「これは新型だからな。ひとりでも惑星に降りていけるようにテラが……」

 マークは口を閉ざした。そのまま無言で操縦室へ向かう。あえてヤマは何も言わなかった。

 途中で彼はハッチから、エンジンルームから持ち出した三基の球体を崖上に向けて投げ上げた。上昇の推進力を自動発生させ、岩盤に器体を固定すると球体は展開して格納されていたパネルを開き、太陽光からの動力を〈クュリス〉に提供しはじめた。

 エンジンからの動力を太陽光パネルからのものに切り替え、マークは〈クュリス〉の機能を使う最小限の設定を起動させる。


「カンパニーの仕事もあって」


 思い出したようにマークは話を再開した。

「テラは……乱にあって治を呼ぶ存在と認識されていた」

「ああ?」

「反乱、革命、ともかく惑星内の政権が危ぶまれるとカンパニーに調停が提訴される。それを請けてカンパニーは平定を働きかける人材を派遣する。その人材は、慣習的に傭兵だったことから、カンパニーの派遣員は“ランス”と呼ばれることが多い。レムリア女王としてではなく、一個のテラ・キャロラインという名の傭兵(ランス)として、妹はよく惑星に降りて行ったよ、新しいものや古き善きものが国を興すのを助けるために」

 話しながらも、マークは少しずつ機体に動力を流しこんでいた。先ずは通信管制系統の確保だ。それから、航行系以外の機体維持機能を復活させる。そうすれば〈クュリス〉が持つ中枢制御機構の演算システムが使えるし、医務室だって整えられる。テラがこの船を造ったのは、どんな惑星でも安全を確保できる手術室を持ち込むためだったと、彼は知っている。


「そうか……!」


 思考が手術室のことに及び、マークは得心したような気がした。

 いま、この惑星には星都がない。つまり、惑星国家としての統一が為されていない混迷期なのだ。

 かつてミッションとして派遣されたときのように、ミラージュはこの国の上層部に関与しうる地位に固定されている。“剣の時代”から“銃の時代”へと進化する文明の流れを操作し、レムリア文化圏へ参入するのに、これほどの参謀役はいないだろう。

 もちろん、星間外交がなかったのだからカンパニー絡みの案件ではない。もっと極端にいえば、依頼ではないし、傭兵(ランス)でもないミラージュへのカンパニーからの報酬はない。彼女が将来的に得るのはこの惑星でのミラージュとしての生き様のみ。

 それこそは、テラという娘が生涯かけて追い求めたかった理想なのではなかろうか。

 そこまで考えて、エリュシオンの神々とやらは彼女をこの世界へ遣わしめたのか。それはそれで、何という……偏愛ぶりなのか!

「マーク?」

 唐突に沈黙した彼を、胡散臭そうにヤマは見ている。

「いっいや、何でもない」

 ぎこちなく応え、ヤマの視線を気にしながらも作業を続けていたマークだったが、ふと首を傾げた。

「変だな」

「何だ?」

 わからないながらも、手元をヤマが覗き込む。

「うん、通信網に反応がない」

 恒星パルスすら拾っていないモニタ画像に、これはどこの辺境かと不安がよぎる。


「太陽光のみの動力では、補助アンテナもなしに宇宙通信を傍受するには力不足ですよ」


 軍用艦を組むメーカー製の宇宙船に慣れていたマークには個人が製造した船の特殊事情(スペック)など、教えられるか仕様書を読み込まないとわからない。〈クュリス〉の機能にはエンジン稼働時でないと使えないものもあるのだ。


「ミラージュ?」


 操縦室の入口に、ミラージュが立っていた。身に纏っていた濃い臙脂色の布を取りながら彼女は言った。

「太陽光パネルと同じ収納に打上式のアンテナも二基入れてあったのですが」

「太陽光パネルだと思って三つしか出さなかった」

「わたくしが上げてまいります」

「あ、ああ」

 頼りなく同意を示すことしかできないマークの耳に、ヤマのつぶやきが聞こえた。


「同じ頭脳、か……」


 彼の知る由もない文明の恩恵(宇宙船)を巧みに扱うマークよりもさらに深い宇宙船への造詣ぶりを見せたミラージュ。

「大ラマーが言っていた。青の巫女なくして青の都の未来はない、と」

「うん?」

「シヴァ太子を青の巫女が助ければ、青の都は安泰だ、とも」

「シヴァ?」

「青の都の王となるかただ。いまは諸国歴訪の旅に出ておられる」

「俺は、ここの国家というのがよくわかっていないが、これだけは言える。青の都にミラージュがいるかぎり、この星(カルマ)を制覇するのは、そのシヴァ太子だ」

「ほう?」

 正直、青の都は現在、軍備の増強などはしていない。しかしそれ以上の何かをシヴァ太子が持つのであれば、それはそれで(むべ)もない。

 と。ミラージュが打ち上げた(おそらく、カルマ星の両極に配置されたはずだ)アンテナが機能しはじめると、スピネル太陽のパルスが規則的に聴こえるようになった。


「やっとわかったよ。何でおまえがここで生きる道を選んだのか」


 再び操縦室に現れたミラージュにマークは言った。無言でミラージュは、彼が入れたいくつかの動力を切る操作をした。

「なぜ……?」

 訝るふたりに、ミラージュは無愛想に言った。

「まだ必要のない機能です。それよりもいまは、通信系を強化するべきかと」

 作業を終えるとミラージュは制御卓(コンソール)を離れ、臙脂色の布を肩布のように掛けた。

「……亜空間通信にすると〈クュリス〉の出力でどこまで送信できる?」

 マークの質問に目を閉じてしばらく考え、ミラージュは答えた。

「せいぜい、大元帝国の惑星までです」

「アジラまで?」

「でも、そうすると半日しかもちません。あとはラーシュトラワとクリサテーンと、ひょっとしたらアルミナスが接近しているかもしれません」

「アルミナス、だがあの星は」

 にこりともしないでミラージュは言った。

「結局、ラーシュトラワがいちばん無難です」

「受信する場合は?」

 ミラージュはわらったが、目は笑っていなかった。

「送り出す出力が大きければ、レムリアからの通信も傍受できます。でも、それではどうしようもないでしょう?」

「う〰〰」

 マークは唸り、試しに受信回路を開いた。


『カバダズノモジ!!』


 とたんに響く大音量に三人一様に耳をふさぐ。


『エブドボロズ!!』

『ダビズデッド!!』


 どうやら誰かの通信を傍受したようだ。


「どこの言葉だ?」

 マークは音量をしぼり言語翻訳システムを起動したが、ミラージュがさらに指向性迷彩を無効化させた。

『カラボダララップトテップ』

『ソブダボトビッデッダ』

 耳を覆う手は不要となったが、まだ言葉がきちんと翻訳されない。

「訳せないなんて、どこが残っていたか?」

 宇宙に出ることが可能となった国家でレムリア連邦が掌握できていない国は、マークの知るかぎりなかったはずだ。ミラージュが考えうるひとつの現実を提案する。

「亜空間通信ではなく通常空間での、比較的近くからの発信では?」

 素直にマークは回線を切り替えた。


『殿下、そろそろ戻ってください。燃料が切れます』

『……わかった』


 ヤマのためにラージャ星標準語にされており、いつも聞いていた言語ではないが、それが誰の会話なのかマークはわかった。ミラージュがその場に崩折(くずお)れる。

「青の巫女っ」

 ミラージュのことはヤマに任せて、マークは送信回路を開いた。


「……(しょう)


 短いがはっきりとした呼びかけ。


『ええっ?』


 相手の狼狽ぶりが目に見えるようだ。


『マーク、なのか?』


 急に〈クュリス〉のフロントガラスが白濁し、画像が映し出された。怯えたようにミラージュが震え、ヤマの胸に顔を埋める。


『あれ?』


 メインスクリーンに映った若い男が驚いた表情を見せた。

『マーク、映像が』

「ああ、カメラが故障していて」

 思わず顔を上げたミラージュに、マークは笑いかけた。それはかつて、頼れる傭兵(ランス)であり兄でもあった男が仲間に見せていた笑顔だった。

『やあ……ジュラ王、ご壮健か?』

 スクリーンが二分割され、若い男の横に、複数人の映像が入った。

「エド……何だ、皆そろって、〈ルナ〉号を出しているのか?」

『ああ』

 安堵と嫌がらせをひっくるめ、ジュラ王と呼びかけた男がうなずいた。その横に彼とよく似た顔立ちの男が、その後ろには双子だろうか、そっくりな顔をした黒髪と金髪の女性がいた。


「フィーネ……フィニー、エド……ジョン……将……」

 ミラージュの瞳が潤んでいた。


『ん、何か言った?』

「いや、べつに」

 小さな声に反応した若い男をマークがごまかす。ミラージュはそれ以上を封じるように指先で口元を押さえた。

『ちょっと待っててくれ』

「将?」

『〈ルナ〉号に戻る』

 若い男の姿がスクリーンから消えた。

「何だ、将は〈クリスティーナ〉で出ていたのか」

『ああ、いちいちこれで降りるよりも効率的だからな。マーク、いまどこにいる?』

 真剣な面持ちで男──エドが訊いた。

「カルマ星だ」

『カルマ……スピネル恒星系か?』

「そっちは?」

『ジェインスだ。くっそ、隣だったか』

 それでも隣の恒星系までたどり着いている。恐るべき捜索精度だ。

 エドが悔しげに言うと、横にいた男が立ち上がり、視野から消えた。

『〈クュリス〉はどうしたんですか? 突然、反応が消えて大騒動ですよ』

 黒髪の女が親しいような、遠慮するような、微妙な口調で尋ねる。

「あー、うん、エンジンがちょっとな」

『エンジン? どうしたんだ?』

 エドの問いに、マークは苦笑するしかなかった。

「わからん、気がついたら、なかった」

『……どうするんですか? 代替エンジンなんてないし、〈クュリス〉を収容できる船を手配するとなると宇宙軍ですよね。カンパニーから依頼するのとアーク王子にご連絡するの、どっちが早いかな』

 思案顔の黒髪の女にマークは言った。

「いや、いいんだ。〈クュリス〉は置いていく」

『『ええっ?』』

 姉妹がそろって目を剥いた。

『ジュラ王、正気なのですか? テラの形見を、そんな辺境の惑星(ほし)に』

「正気だよ、フィーネ、フィニー」

 マークは優しく語りかけた。

「この星は、ロストプラネットだ。テラが眠るのに、最もふさわしい」

 マークとミラージュの視線が交差する。

『「えっ?」』

 フィーネとミラージュが同時に声を発した。

「マーク……」

『兄貴、カルマ星へ着くのはだいたい三十時間後だ』

 どこからかジョンの声が聞こえ、スクリーンの中でエドは肩をすくめた。

『聞いてのとおりだ』

「ああ、わかった。待っているよ」

 マークは通信を切った。

 スクリーンの映像が消え去る様を、ミラージュはじっと見ていた。涙が一筋、頬を伝って落ちた。

「一緒に、来るか?」

 思いがけない言葉がマークの口から漏れ出た。言ってしまってから、本人も驚いた。

「わたくしに……死ねとおっしゃるのですか」

 冷たい声でミラージュは言い、立ち上がった。

「ミラージュ」

 肩にかけられたマークの手をそっと払って告げる。

「さようなら、ジュラ王……マーク兄さま」

 そして、ミラージュは〈クュリス〉を出た。

 青の都に入るまで、彼女は一度も振り返らなかった。




  ◆ ◆ ◆




 ミラージュを見失ったと判断すると、クリシュナは来た道を戻りはじめた。

「クリシュナさま、どちらへ行かれますの?」

「「「クリシュナさまぁ」」」

 娘たちの嬌声が後を追うが、彼は足を止めない。

 いつもならば、ひとりやふたりにすげなくされたところで、他の娘で間に合わせて遊び回るクリシュナだが、今日はそういう気になれなかった。


「本気で惚れた、か……」


 周囲に誰もいなくなったとき、初めてクリシュナは声にだして言った。ラマーの戒めなど、とっくに頭にはない。


「クリシュナさまっ」


 きつい口調で呼び止められた。勢いに負けて振り向き、彼は顔をこわばらせる。

「しっ白のマリサ……っ」

「シィッ、声が大きゅうございます! こちらへ」

 物陰にひっぱりこまれ、クリシュナはさんざん厭味を言われた。

「他の娘に囲まれてデレデレなさっているから」

「ちょ! オレはべつに、デレデレなんてしてない」

「それで? 青の巫女はどうなさったのです?」

「うぅ」

 そこを責められると返す言葉がない。

「もうっ、ホントあてにならない。しっかりなさってくださいませっ」

 言うだけいうと、マリサはさっさと行ってしまった。

 むしゃくしゃしながら、クリシュナは市内をぶらついた。


「何をなさるのです。無礼は、許しませぬ!」


 不意に凛然とした声がクリシュナの耳朶を打った。次いで、下卑た笑いが不愉快にも聴覚に触れる。


「おまえら、何をしている!」


 佩刀に手をかけ、駆けつけたクリシュナは、そこに街のごろつきに取り囲まれたミラージュを見た。

「あっあお……っ」

 叫びを懸命に堪える。


「何でぇ、クリシュナの旦那じゃねぇか。へへへ」


 臙脂色の布をかき寄せ、ミラージュは姿を隠そうと必死だ。


「ヒャハハ。そのキレイなお顔に傷がつきますぜ、旦那。おとなしく神殿へ戻ったほうがいいですぜ?」

「何をっ」


 クリシュナの頭にかっと地が上った。怒りに任せ、剣を抜いた。

 ごろつきたちの嗤いが高まり、クリシュナとミラージュを取り囲む円状に拡がる。

 後ろ手にミラージュを引き寄せ、クリシュナは剣を構えた。

「黒の正法官(ダルマ)さま……」

 役職名なのが残念だが、男らのいやらしい嗤いの中に気高い声を聴き取り、クリシュナは奮い起つ。

「いきますぜ」

 正面にいた奴が得物を抜いて斬りかかってきた。






to be continued……













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