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暁紅の女神の星  作者: 高峰 玲
5/10

青の巫女〈5〉




 殺気はなかった。

 なので、あやうく斬撃をかわせたのは、これまでに培ってきた経験のゆえだ。それは彼が“剣の時代”に降りる資格を有することに起因する。

 しかし、彼は未だ、剣を執り、斬り結んで窮地を脱する最低限をおさめているにすぎない。剣も弓も槍も、自由自在にあやつり存分に闘えるだけの身体を整えあげた戦士には及ばない自覚はあった。

 当たり前のことだが、宇宙船内でマークは武器を身に帯びていなかった。現地の衣類に着替えた後も、金物は小刀はおろか硬貨すら持ち歩いていない。


「これは何の真似だ、ヤマ!」


 最悪、石を拾って刃を受けるしかないと思いながら身をかわしていると、突如としてマークの前で黒い塊が立ちはだかった。


「おやめなさい」


 かばうように立つ塊が女の声を発する。低く抑えられているが凛然と響いた。同時に塊──全身を黒衣に包んだ女は、両腕を広げて攻撃を制する。


「ヤマ・ダルマさま」

「青の巫女?」


 振りかぶっていた剣を、ヤマは下ろした。


「わたくしは、このかたを殺してくださいと申し上げた覚えはございませんが」

「……確かに。殺すのは俺の判断だ、青の巫女。殺される前に殺せ、というからな」

「汝、殺すべからず……多く、宗教はそう説いておりますよ」


 甚だ不本意そうな顔をしながらもヤマが剣を鞘に戻すと、青の巫女ミラージュは広げていた両腕をさげた。

「彼を天翔ける舟(〈クュリス〉)までお連れください。よろしいですわね、ヤマさま?」

「……ああ」

 結局、ヤマは受諾した。

 それにうなずき、ミラージュはその場から立ち去ろうとした。だが、その左手首をマークが捉える。

「あっ」

「ちょっと待て。いま、俺に斬りかかってきたのはヤマの判断だと言っていたが、あんたいったい、こいつに何を命令したんだ?」

「わ、わたくしは何も」

 作らない声で言いかけて、ミラージュは口をつぐんだ。しかし、すでに遅かった。

「その声……」

 マークは彼女の頭部を覆い隠す黒衣を剥ぎ取る。


「ああっ」


 掴まれていない右手でとっさに頭を押さえたが、彼女の長く豊かな金髪が滝のように広がってしまった。


「…………テラ!」


 まさかと思いながらも、自分の口がその名を叫ぶのを彼は聞いた。


 過去に何度か、こういった現象(こと)はあった。

 カンパニーからの依頼を受けて惑星に降りて活動していると、チームでもないのに同じ依頼を受けていた彼女と遭遇するのだ。それは、まだ彼女が即位する前のことで、永遠の女神(レセマトーラ)の名を継ぎ、神々の玉座に着くようになった彼女が依頼を受けることは許されなくなった。

 そして、彼女は……。


 驚きのあまり自失している男の指を手首から外し、元のように黒衣で髪と顔を隠すとミラージュは言った。


「レムリアへ、帰りなさい。ヤマ・ダルマが案内してくれます」


「テラ」


「わたくしの名はミラージュ。それ以外の何者でもありません」


 言い残すと、ミラージュはまたたく間に姿を消した。


「……おい」


 しばらくの後ヤマが声をかけた。

「これからどうする? 塔へ戻るか、天翔ける舟をさがしに行くか、どちらだ?」

「う……ここは?」

「舟をさがすなら、都の反対側へ出なければならん」

「反対側へ来たのか?」

「すまない」

 ヤマは悪びれない。

「だが、先刻も言ったように、あんたを殺そうとしたのは俺の一存だ。青の巫女はあんたを帰したがっていただけだ」

「俺を帰したがっていた? テラがか?」

「テラ? 青の巫女ミラージュのことか?」

「そういえば、そう名告っていたな」

「あんたは、いったい」

 言いかけたヤマをとどめ、マークは言った。


「ヤマ・ダルマ、俺たちは共にある女性に関心を持っている」


「ちょっと待てっ。俺はべつに」

 言葉を挟むヤマを無視してマークは続けた。

「俺が知りたいことをおまえが知っているかもしれないし、あるいはその逆かもしれん。塔に戻ろう、ヤマ」

 ヤマは応えない。

「おまえに、見せたいものもある」

 少し考えて、ヤマは飾り帯から短剣をとり鞘ごとマークに放ってよこした。

「ヤマ?」

「……存在を知られると殺されると青の巫女は言っていたが、あんたにその気はないようだ。だから、やる。丸腰の男は見るに忍びない」

 大剣に比べればないよりはまし程度の装備だ。

「ああ」

 素直に受け取り、マークはヤマがしていたように飾り帯にそれを差した。

「戻ろう」


 木立から出る頃に、やっとマークは訊いた。

「……なぜ、彼女は俺に殺されると言ったんだ?」

「あんたの夢を破壊する存在だからだと」

「俺の、夢?」

 マークにはわからなかった。そもそも、彼が何を夢見るというのだろう。神々の女王と邪神との戦いの後に、彼には夢も希望も残ってなどいないのに。


 それきり口をきかずにふたりはダルマの塔に戻った。




 ◆ ◆ ◆




 何かに誘われたかのように、黒の正法官(ダルマ)クリシュナは塔の自室を出た。足は青の塔の方へ向かっている。


「……青の巫女」


 巫女の居住地の傍らの茂みに身を潜めると、彼はそっとつぶやいた。

「陽を弾く黄金の髪、白い肌、空よりも蒼い瞳……」

 そのまま地に寝転がり、クリシュナは回想する。木もれ陽がまぶしい。目を閉じると、眼裏(まなうら)にあの奇跡のような姿がよみがえる。

「しなやかな腕……ああ、あれでほんの少しでも笑ってくれれば、どんなにか」

 不意に茂みが揺れ、彼は言葉を切った。

 注意深く足音を消しているが、青の塔に誰かが近寄っている。そっと身を返し、巧妙に伏せた彼のほんの先のところを、黒い塊が通過した。正法官の配下でも神殿の下働きでもない。


 これは、塔に近づけてはならない!


 判断すると同時にクリシュナは動いていた。


「何者だ、その先をゆくのは許さん!」


 起き上がり、抜剣すると黒衣の頭部付近を軽く薙ぎ払った。無論、威嚇である。が──。


「「あ?」」


 ふたりの声が重なった。


「青の巫女! どうして、こんな……?」


 動揺はクリシュナのほうが大きい。

 深く息を吸い、ミラージュは静かに応えた。

「……市中を、見てまいりました」

「供人も連れずに?」

「忍び歩きでございます。塔の者も、出たことは知らないのです」

「いっ言ってくれれば、オレがお供したものを」

「黒の正法官(ダルマ)さまが?」

「クリシュナと呼んでください。美しいミラージュ」

 さり気なく手を取って敬意を示そうとしたクリシュナをかわし、見事に頭頂部を露わにされた黒衣を鎧ってミラージュは無表情を作った。

「それでは、ごきげんよう、クリシュナさま」

 一瞥すらくれず立ち去る後ろ姿を見送るクリシュナの背後で、声がした。


「クリシュナさま」


「うわっ、何だっ!」


 びっくりして振り返れば、赤の塔に仕える下級の巫女である。

「デジリアさまより、お話があるとのこと。おいでくださいますよう」

「いまか?」

「はい、お急ぎを」

「わかった」

 幼さの残る巫女に続いてクリシュナは茂みを出た。




「クリシュナさま、ずいぶんと遅うございましたこと」

 巫女が案内した一室に入るなり、クリシュナは白の巫女マリサに厭味を言われた。

「マリサ」

 デジリアがたしなめる。形式的な主従の見せ物のようなもので、それきりマリサはかしこまって口をつぐむ。

「ようこそ、クリシュナさま」

「はっ」

 王女への礼節から、緊張しているようにクリシュナは応える。身分が高くない側室の娘と高位貴族出身の正法官、茶番にすぎない。

「ああ、堅苦しい儀礼は結構ですわ。それよりも、クリシュナさま、心しておかかりなさいませ?」

 前置きもなにもなしに、デジリアは笑顔で告げた。

「は? 何のことです?」

「青の巫女のこと」

 表面上はにこやかに、いい加減な返しをしようとした男が真顔になった。

「……あれほどお美しいかたですもの。氷の心をお持ちのヤマさまのお気持ちも、解けてしまうかもしれませんわねぇ」

 マリサの側面攻撃にデジリアが正面から火種を投げる。

「色を与えられた巫女が還俗して正法官(ダルマ)さまの妻になった事例は、過去にもありましてよ。あなたが先か、ヤマさまが先か」

「案外、大ラマーさまか」

「……あなたにならば、協力は惜しみませんよ」

 デジリアとマリサの、取って付けたような微笑が気になった。

「あなたは、いったい何が目的なのか?」


「青の巫女の地位ですわ」


 すっぱりとデジリアは言い切った。

「青のミラージュさまが還俗なされば、あなたはあのかたを手に入れ、あたくしはこの都の最高位の巫女になることができる。そうですわね?」

「オレに、青の巫女を口説いて還俗する気にさせろということですか」

「あたくしが青の巫女になったあかつきには、あなたを青の正法官(ダルマ)の地位につけても良いでしょう。その代わり」

「青の巫女だけでいい。その代わり?」


「ヤマ・ダルマを……わかりますね?」


 クリシュナが逡巡したのは、この虚栄心が強いだけの小娘を青の巫女に格上げしても大丈夫だろうかという一点についてだ。

 だが、その地位はこれまで空いたままであったし、おそらく王太子はいずれは政略結婚のために王女を使うはずだ。長いあいだの在任にはならない。

 そして、そうだ、シヴァ太子のことを失念していた。彼ならばきっと、ミラージュを側室に、あるいは正妃にしてしまう。その前に彼女を国家の重鎮、つまりは自分の正式な妻女にしてしまっておかなければならない!


「わかった。だが、もしも青の巫女がオレに(なび)かなかったときは……」


「青の都(いち)の乙女泣かせの言う言葉ですの、なさけない!」


 マリサに鋭く刺され、クリシュナは反射的に言ってしまった。


「わかった、何とかするっ」


 その後、何やかやと話し込んでしまい、クリシュナが赤の塔を出たのは夕暮れになってからだった。




 ◆ ◆ ◆




「さて、何から話したらいいか……」

 供与の一室に戻ると、迷うようにマークは前置きした。

「俺に見せたいものとは?」

「ああ、それか。それならここに」

 とりあえずヤマが水を向けると、マークは畳んで寝台に置いていた宇宙服のポケットをまさぐった。先程着替えたときに、確かそこへ移したのだ。

 指先に触れたものを握りしめ、マークはポケットから手を抜き出した。握った(こぶし)から細い金鎖がはみ出していた。

「……ヤマ」

 マークの声が固くなった。

「あの青の巫女は、いつからここにいる?」

「今朝、初めて会ったばかりだ。どうしてそんなことを訊く?」

 マークの声は、どこか苦いものに変わった。

「いや……俺には、妹がいた。妹は、テラと呼ばれていた」

 話しながらマークは視線を手元に落とし、握っていた拳を開いた。掌には、龍が細工された金のロケットがあった。

「……妹だ」

 蓋を開け、中の写真を見つめてから、彼はヤマに手渡した。


「青の巫女!」


「そっくりだろう?」


「青の巫女が、あんたの妹だとでもいうのか?」

 ヤマの言葉をマークは聞いてなどいなかった。

「妹は二年前、死んだ。二十五だった」

「青の巫女はまだ二十歳(はたち)前にしか見えん。年が合わんな」

 ようやっとヤマを見て、マークはうなずく。

「そうだ」

 そこまでは彼は認識できている。しばらく沈黙し、それから言った。


「ヤマ……科学的複製(クローン)という言葉を知っているか?」


「クローン?」


「そう、あるいは複製人間(コピー)だ」


「どういう意味だ?」

 膝を抱え込む体勢でマークは説明した。

「……簡単にいえば、人工的に人間を誕生させることだ。人の体の細胞さえあれば、例えば、おまえの髪の毛一本で、おまえと同じ人間を造ることができる」

「俺と同じ人間?」

「記憶さえまともに注入すれば、考え方も話し方も、何もかもが同じ人間ができてしまうんだ」


「! 青の巫女……まさか?」


 そこでヤマは気づいてしまった。

 マークはヤマの様子を確認したようだが、彼の思いを肯定も否定もせず、続けた。

「一年ほど前、妹の複製体(クローン)が作られたことがあった。クローンはミラと名づけられたが、目覚めて数時間後に自ら生命を絶った」

「だが、青の巫女は生きている」

「そうだっ」

 強い口調でマークは言った。

「だから、わからんのだ。ヤマ、テラはクローンとして生かされることを望んでいなかった。なのになぜ、ミラージュは生きているんだ!」

 ヤマの返事を待たず、彼は続けた。

「……彼女(ミラージュ)が言ったことは正しいかもしれん」

「何のことだ?」

「俺は、この手で……殺してしまうかもしれない」

「妹、いや、青の巫女をか?」

 ヤマの心臓が強く打った。真っ黒な記憶が心を侵食する。

 

「おまえならば、どうする? ヤマ、もし、妹がいて、死んでしまって」


「俺に訊かないでくれ!」


 マークの言葉を遮り、彼は冷たく言った。


「ヤマ?」


 マークは気づいた。ヤマは暗く険しい目つきで自分を見ている。何かの激しい感情をのみこんでいるかのように、視線が揺れ、目を閉じると、迷いながら彼は言葉を絞り出した。


「俺にも……妹がいた。だが死んだ……俺が斬った」


「ヤマ……」


「あんたが青の巫女をどうするのか、それはあんたの自由だ。ただし、覚えておけ。この青の都で青の巫女に害をなす者は、誰であろうと俺が斬る」

「ヤマ・ダルマ」

「それが俺の役目だ。俺がやらなければ、クリシュナがやる」

「そうか……だが、おまえも覚えておけよ」

「何だ?」

「俺は、ミラージュには手を出さない。誓って言おう。しかし、俺の兄や妹のことを知っているやつらが彼女の存在を知ったとき、彼女に与えられる選択は二つに一つ……幽閉()か、謀殺()か……」


「あれは、いったい何者なのだ?」


 ヤマは結論を急いだ。


「何なんだろうな……大正法官(ダルマ)に相談してみるか」


 ラージャ星のこともきちんと話しておかなければならない。マークはそのまま部屋を出ようとしたが、入口で足を止めて振り返った。

「……知りたければ、来いよ」

「そうだな」




 ヤマと共に自室に出向いてきた男をラマーはにこやかに迎えた。

「おお、これはお客人、何用ですかな?」

「あなたに、相談したいことがある。会ったばかりで申し訳ないが、あなたの人柄を見込んで話したい」

 ラマーは笑みに目を細めたままだった。

「よろしいじゃろう、異星のお人。あなたは客人(まろうど)、何なりと」


「レムリアという星があるのを、知っていますね?」


 言葉を改め、マークは切り出した。

「あぅむ。幻のレムリア、宇宙のまほろば、でしたな」

「国家のしくみは? ご存知か?」

「ふむ? 聞いたことがあるが……何せ五十年も前のこと、 ()()とはせぬ部分もあろうかと」

「つまり、知っているのですね」

 今回はマークは老人の韜晦にひっかからなかった。有無を言わせぬ強い口調に、ラマーはうなずく。

「それならば話は早い」

 マークは少しだけ表情を緩めた。

「先刻も言いましたが俺の父はラージャ星人です。最後の王でした」

「何と! それでは御身は」

 マークはラマーの読みを認める。

「俺の立場をわかっていただくために、あえて名告りましょう。俺、いや、私の名はマークトリトン・ド・エール・ジュラ・レムリア。レムリア七都の一つ、ジュラ都市(ポリス)の王です」


「ジュラ王?」


 ラマーの部屋に入ってから初めてヤマが声を発した。かまわず、マークは続ける。


「ラージャ星を離脱した父はレムリアでプロメテ公の地位を手に入れ、レセマトーラ76世と結婚して王配(レムリア王)となりました」

 ラマーもヤマも、声ひとつ立てず、聞いている。マークはついでのように言葉を挟み込んだ。

「あの青の巫女、あのひとはいったいどこの出身なのですか? いつからここに?」

「あれは、エリュシオンの神々がわしの祈りに応えて遣わされた巫女です」

「エリュシオン……?」

「青の巫女が何か?」

 マークはすぐには言わなかった。ためらいつつ、続ける。

「……父には娘がふたり生まれたが、大姫は早逝したため妹がレムリアの女王になった。レセマトーラ77世だ」

 先程のように、ロケットを開くとラマーに、見せた。

「これは……」

「彼女は、二年前に死んだ」


「……他人の空似ですな」


「ええっ?」


 マークは驚きも顕に老師を見た。ラマーは元通りの笑顔を浮かべている。


「他人、だというのか……」


「そのとおりです」


 いつの間にか、彼の後ろにミラージュが来ていた。


「あなたは妹を亡くした。死んだ者はよみがえりません」

「だから他人だと?」

 何とか彼は言葉を吐き出した。


「人は誰しも、それぞれの人生を生きています。それは生まれたときに運命として与えられたもの。人としてこの世に生まれ出た者には、その運命を負う義務があります」


 無表情にミラージュは言った。感情が読み取れぬだけに、その言葉は強く、不気味にマークの心理に染み込んだ。


「教えてください、ジュラ王。与えられた生命(いのち)を生きることは、罪悪ですか?」

「……いや」


 マークの声は乾いていた。無理やり唾を飲み下し、彼は繰り返して言った。


「いや。だが、おまえは複製体(クローン)としての人生を拒否していたはずだ」

「望まなかったことを拒否というのならば、テラ・キャロラインあるいはそう呼ばれていたレムリアの女王はそうだったのでしょう。彼女は、知らなかったのです」

「何を?」

「複製で作られた生命は、自分とは異なる確固たる生命なのだということを。生命の数だけ、別々の運命を生きることになるということを」

「おまえは、いままさにその運命を生きているというのか? 俺を識別し、自らを認識しているその意識は誰のものだ? 生まれ変わりを待つリクはどうなる?」


 青の巫女は、微動した。一瞬、その瞳に動揺の影が走る。

 マークが追撃する。


「あいつとの約束を、無にするのか?」


 ミラージュは目を伏せてしまった。が、間をおかず、低く笑い出した。ヤマはもちろん、大ラマーも彼女が声を立てて笑うのを初めて見た。


「ジュラ王よ」


 語りかける言葉に表情があった。


「あなたはまだ理解していない。エリュシオンで生を受けたミラージュという名の写身(うつしみ)がリチャード・レイ・アンドリューズに会ったことは、一度としてないというのに」


「うつしみ? 複製生命だということを、認めたな?」


 ヤマから与えられた短剣にマークは手をかける。

 ミラージュはしばし呆然と彼を見つめていたが、やがて微笑した。


「確かに、認めました。しかし、それがどうか? まさか神々が白衣を纏い、研究室でわたくしを作ったと思っているのですか? この身は……エリュシオンに咲く青い蓮の花に神々が手を触れ、()の方々の記憶により形造られたもの。淡く輝く花びらの一枚いちまいに想いを写し、最後に一柱(ひとはしら)の女神さまが小さなあけぼの色の蓮を挿頭(かざ)して頬と唇に赤みがさし、鼓動を打ち言葉を話すようになったもの。科学力ではなく神話の力が生み出した命です。あなたがわたくしを(あや)める理由はありますか?」


 ヤマが剣の柄を握った。


 遺伝子を使わない科学を用いない生命の精製、しかも、蓮の花から作った?

 それは、人類と呼んでかまわないのだろうか?

 いや、実際に、精霊や植物を自在に操る種族、妖精や植物の神もいるのだ。彼が知らないだけで、神々と人類の女王たる女神レセマトーラの民にはいるはずだ。


「少し……考えさせてくれ……」


 立場上、マークは(あまね)く平等に“人類”に接し、敬意を以って“神族”を遇する教育を受けている。もはやミラージュは礼遇すべきひとつの(しゅ)なのだ。


 短剣を握りしめ、マークは老師の室を辞した。つまり、逃げた。


「すみませぬ、巫女らしからぬふるまいをいたしました」


 巫女口調に戻り、ミラージュは詫びた。

「ふむ、かまわぬが……ジュラ王どののことは、あれで良いのかな?」

「もとより、レムリアの王族として教育を受けている人間です。人と神とのあいだにいるものへの認識は確実でしょう。いまいちばんの問題は彼がこの惑星に降下している事実です。いかにして彼をここから発たせることかと存じます」

「そうなるかのぅ」

 長い顎髭をしごき、ラマーはヤマに向き直った。

「明日、くだんの天翔ける舟を見てくるのじゃ。修理して使えるのであればよし、無理ならば……思案せねばならぬな」

「諾」

 一礼し、ヤマは出ていった。




 ◆ ◆ ◆




 考え、少なからずとまどったが、ヤマはマークの部屋の扉をたたいた。待つほどもなく、細く開かれた隙間からマークが顔をのぞかせる。

「ヤマか」

 ほっとしたような、不満気なような、いささか塩気を含んだ声だったが、彼を招き入れるために扉が大きく開かれた。が、ヤマは廊下に立ったままで言った。

「明日、天翔ける舟をさがしに行く。一緒に来るか?」

「いいけど……なぜそうも〈クュリス〉、あの金色の舟にこだわる?」

「あんたこそ、どうしてあれで早く帰ろうとしないのだ?」

「え? 言っておくが〈クュリス〉で俺を追い払おうという考えなら、甘いぞ」

「何?」

「あれは飛ばん。メインエンジンが無いからな」

「メインエンジン?」

「ああ。それより、話がある。入ってくれ」

 ヤマはまたかと思ったが、それに従った。


「……酷なことを無遠慮に尋ねる。ヤマ、教えてくれ……いったい、どのような場合において、妹を殺害できるのだ」


「なっ……」


 ヤマは鋭い視線でマークを睨めつけた。


「あんたは、まだ青の巫女を殺そうというのか」

「俺はさっき誓った。だが、本当にどうしたら良いのかわからんのだ。つらいだろうが、ヤマ、教えてくれ」


 沈黙した赤の正法官(ダルマ)にマークはたたみかける。


「ヤマ、妹を、赤の他人の手にかけさせるのと自分の手にかけるのと、おまえならどちらを選ぶ? いや、おまえは自分の手でだったな」


「……そうだ」


 マークから視線が離れた。


「誰にも委ねるわけにはいかなかったから、俺はヤミーを斬った。この世でたったひとりの、双子の妹を……」


 話すと決めてからのヤマは、迷いがなかった。


「……八年前だった。青の塔に仕えていた妹は、突然、青の巫女になりたくないと言い出した。理由を問い詰めると……恋をしていると言った。相手は……俺だと……」

「ヤマ……」

「俺は混乱し、愛を求めてきたヤミーをしりぞけ……気がつくと、俺の前に血まみれのヤミーが転がっていた……これで、気が済んだか?」

「ヤマ、おまえは」

 マークに背を向け、ヤマは続けた。


「俺は……怖かった。この世の中に、これ以上の罪悪はないとさえ思った……その結果、その罪を犯した者たちを密かに粛清してきた」


 罪悪という言葉を、マークは心にそのまま受けた。


「あってはならぬ……認め、言葉にすることすら禁じられる恋、か」


 つぶやいてから、ため息をひとつ吐き、マークは寝台に腰を下ろした。


「俺の妹は……不可思議な運命の持ち主だった。生まれてすぐに攫われて、十六年後に俺は初めてテラと出会った。兄と妹としてではなく」

「まさか、そこで恋におちたと?」

 マークは苦笑した。

「肯定はできないな。認めると同時に、おまえの考えに()れば俺は罪人になるからな。俺たちは、お互いを未知の他人として出会った。そのとき妹は俺の親友と婚約していた。ふたりは、深く想い合っていた」

「じゃあ、あんたは?」

「……俺の母が亡くなり、ふたりは婚約を解消した。妹は母の後を継ぎレムリア女王となり、彼女が十九のときリク──婚約者だった男だ──が死んだ。奴は余命がないと知り、あえて妹を傷つけて別れていた」

「はあ? 何が言いたい? 死ぬ前に子を残せば問題はなかろうに」

「病気を治療する過程で子供は望めなくなっていた。妹は女王だ、世継を残さねばならない」

「ああ?」

「テラは……美しかった。自然と求婚者も群れるように集まったよ。口さがない連中があれこれと候補を並べ上げ、その中に俺の名も入っていた……俺を、斬るか?」


 無意識にヤマが剣に手をかけたのを見て、マークは薄笑いに唇をゆがめた。


「レムリアの女王は父親がレムリア星人ではない場合においてのみ、兄弟を配偶者に選ぶこともできる。俺たちの父は、ラージャ星人だ」

「……許された間柄だと?」

 驚きにヤマは剣から右手を離した。

「だが妹は王配を選ばなかった。そして……来世での

めぐり逢いを信じて、この世を去った」

「あんたの妹は、死んだ」

「そうだ。テラは死んだ」

「どうして死んだ?」

「……太陽に、近づきすぎたんだ」

「太陽に?」

 反射的にヤマが窓外へ目を向けると、間もなく沈もうという陽が、雲やシュリーン山の残雪を鮮やかに染めていた。

 ヤマと同様に太陽を見、マークは続けた。

「テラは邪神と戦っていた。とうとう追いつめ、冷泉の水晶球に封じ込め、さらに太陽──ソルという恒星に封印しようとして……一瞬の出来事だった……」

「なぜ、太陽に近づくことができる? 天翔ける舟か?」

「いや」

 マークは首を振る。

「思いのままに物体を動かし、生物の思考を読み取る、そういった超常能力を妹は持っていた」

「超能力か?」

「少し違う。ラージャ星の古い種族が持っていた力で、強い者は自身を龍に昇華させて宇宙を飛翔したという。さすがにそこまでの先祖返りではなかったが、その力で自分を強固な防護膜で覆ってテラは太陽へ近づいた。天翔ける舟で近づけるよりも、もっとずっと近くへ。そして水晶球をソルへ投げ入れた瞬間に、防護が解けた」

「おい」

 ヤマが止めようとしたが、マークは斟酌しない。

「閃光と同時にテラは消えた。いまやレムリアに女王はなく、テラの墓はからっぽだ……」


 彼は目を閉じる。願わくば来世で、愛した男と再びめぐり逢い、幸せに生きてほしい──このことを思い出す都度に祈った。


「明日、〈クュリス〉をさがしに行くと言ったな?」


 と。唐突に目をかっぴらくと、確認した。

「あ、ああ」

 ヤマが驚く。

「やはり、俺も行く。ひょっとすると、うまく使えるかもしれん」

「マーク?」

 訝るヤマに応える。

「〈クュリス〉で惑星外へ出ることはできんが、通信で助けを呼ぶことは可能かもしれん」

「他の天翔ける舟が来るのか?」

「うまくいけば。ただ、カルマ星は五十年、外交してなかったんだよな。すべて非公式にするか、今後、交流を再開するかは、レムリア摂政王に報告してから決まることになる」

「かまわん。こちらも王太子が戻られてからの採決になるし、周辺の国との協議も必要だ」

「それと」

 マークは口元を引きしめた。

「ミラージュのことは、俺が帰るときに決めようと思う」

「どうするつもりだ?」

 ヤマの視線が厳しいものになる。

「正直、いいも悪いも俺にはわからん。かといって兄に相談する気もない。結局、彼女自身が望む未来を択ばせるしかなかろう」

「考えが変わったようだな、顔つきが」

「うん?」

「前は、もっと思いつめたような表情(かお)をしていた」

「いまは違うか」

「ああ」

「……ミラージュという存在に、馴れたのかもな」

「そうか」


 諦めに似た笑いを浮かべたマークをヤマは見つめた。






to be continued……






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