青の巫女〈4〉
陽光が金属製の鞘に当たり、弾かれて辺りに飛び散る。ふたりが頭上に円を描く動作を終えると、楽が奏された。
“剣の舞”らしく勇壮な旋律が流れる。しかし、紅白の衣装を纏う巫女たちは剣を抜き放つことはない。剣技を披露する剣舞ではなく、剣を祝祷するための舞なのだ。
捧げ持つ剣に日光が常に当たるよう、ふたりの巫女は身体をそらせ、腕をのばし、大きく旋回する。その動きに合わせて、広場の民衆も波打つように揺れる。神器の反射する光線を多く身に受ければ受けるほど、縁起が良いとされていた。
やがて彼女らが向き合って頭上高く金と銀の剣を交差させて舞は終わった。
ドラが鳴り、合わされている剣の下をくぐって青い衣の巫女が舞台に出てくる。いままでにないどよめきが、人々から上がった。
剣の下をくぐるとき、すでに被きは取り払われ、丈なす黄金の髪が白日のもと、輝いていた。
赤の巫女デジリアも金髪だが、ここまで長くはない。結い上げられていない髪に巻かれた金銀の細い鎖につけられた鏡のような無数の小さな金属片と、ミラージュが左右の手に持っている円鏡に腕輪から伸びている鎖が、これまた変則的に日光を弾いている。
ゆったりとした曲に合わせて青の巫女はゆっくりと舞っているように見えた。その実、その動きは舞踊ではなく武術の型だということは、いまのところ披露している本人しか知らない。
「なんという美しさだ……あれが、青の巫女なのか」
優美な舞姫として、クリシュナの心は完全にミラージュに魅せられた。
「青の巫女……」
ヤマはミラージュの動きに何かを思いながら、それが何なのかはっきりと認識できず、食い入るように舞いの姿を追った。
そもそも、神殿の“鏡の舞”とは、こんな動きだったろうか?
ラマーが召喚したに等しい巫女は、ここに来てまだ日が浅い。秘儀とされているものを、ここまで完璧に舞えるものなのか。
「ふむ」
同じものを見つめるふたりを、大正法官はじっと見ていた。
「この青の巫女と、シヴァ太子が共にあれば、青の都は安泰となろう」
「巫女は巫女、政には関わらぬのが通例ですが?」
ラマーのつぶやきにヤマは疑問を呈した。
「通例はな。だがヤマよ、いずれ王太子が諸国歴訪の旅から戻られたときに、青の巫女ミラージュをお知りになられるのがわしは楽しみでならんのじゃ。シヴァ太子の最大の力となりうるあの娘を」
王太子妃にするための身元作りとしての巫女就任なのかと、ヤマは穿った。后ならばまだ、王政に関与する可能性はある。
ラマーの言葉の意味を考えているうちにミラージュの“鏡の舞”が終わった。合わせて竪琴を奏していたシャイスタがやおら立ち上がる。
四人の巫女たちは神殿の奥深く、それぞれの塔へと戻ってゆく。
下位の神官や巫女が舞台に飾られていた花を観衆に配り始め、それでやっと広場からも人々がはけてゆく流れとなった。
「さて」
ゆっくりとラマーが立ち上がった。
「これで青の巫女が誕生した。あとは太子のお帰りを待つだけじゃて……」
そのまま神殿に入ろうとした老師をヤマが呼び止めた。
「お待ちください、大ラマー。見ていただきたいものがあります」
「見せたいもの? 何じゃ?」
「ダルマの塔へ、ご足労願えますか」
「あうむ。こりゃ、クリシュナどうしたのじゃ?」
「は……?」
感動覚めやらぬ体で、黒の正法官は座したままだった。
◆ ◆ ◆
「※※※※※※?」
「※※※」
マークの耳に聞き慣れない言葉が飛び込んできた。どこかで聞いた気もするのだが──と、記憶の底から浮かび上がった候補に、少なからず驚く。これは、いまはないラージャ星の標準語ではないか?
「青の巫女をここへ」
「えっ?」
意識を集中すると、骨伝導の翻訳機が言葉を伝えるようになった。年配者らしい人物の声に、若い声が反応して異論を上げたようだ。
目を閉じたまま気を巡らせる。彼の周囲に三人分の人の気配があった。
「クリシュナ、早うせぬか」
「はっ、はあ」
不承不承という気配がひとつ、離れてゆく。
「大正法官、なにゆえ青の巫女を?」
先程とは違う若い声が尋ねた。大正法官と呼ばれた相手は黙していたが、やがて言った。
「青の巫女が、これをどう判断するか、見たいのじゃ」
「なにゆえに?」
「これは、わしには計り知れぬ世界の人間じゃ。この星の者ではない」
ラージャ星と親交があった星の中に、その名があっただろうか。マークの知る限り“銃の時代”よりも旧いものはなかった。つまりここは、やはり交易の廃れたロストプラネットなのか。
「大ラマー」
さっきの若者が、静謐な気配を連れて戻ってきた。なるほど、巫女か。この場にいる現地人の誰よりも平静な気を纏っている。
「──っ! このひとは……」
巫女の平穏が崩れた。悲鳴を抑え込んだような、小さなちいさな声が、震えた。識っている声だとマークは思った。
「青の巫女っ?」
急に動こうとしたからか、衣擦れと同時に清々しい香りが匂い立つ。
そう、自分は識っている──本能がそう告げる。
「ミラージュ、どうしたのじゃ?」
マークから逃れるように、ミラージュはクリシュナの背後に隠れた。
「このかた、正気づいております」
「なにっ」
クリシュナはミラージュを、ヤマはラマーを、かばうように前に立つ。
マークは覚悟を決めて、目を開けた。
「ここは、どこだ?」
ゆっくりと、彼らと同じ言葉で尋ねる。
「言葉が、わかるのか?」
クリシュナと呼ばれていた声が質問を返した。
「ああ。父が、ラージャ星人だ。俺の名はマーク・エール。生まれはレムリアだ」
「レムリア? 幻のレムリアのことか?」
老人が訊いた。
「むしろ、レムリアは宇宙の中枢、まほろばと呼ばれている」
「わしは、ラマー。大正法官じゃ。ここは青の都。これは黒の正法官のクリシュナと赤の正法官ヤマ、そして、青の巫女ミラージュじゃ」
「青の都? 星都か?」
「青の都は青の都、我らの都だ。星都はない」
頑なに身を隠そうとしているミラージュを背後に匿い、クリシュナが言った。
「まだ星内が統一されていないのか」
マークの言葉にラマーはうなずいた。
「およそ五十年前、ラージャ星との交流がまったく途絶えた。この星は、忘れ去られたのじゃ」
「それは、ラージャ星が消滅してしまったからです」
慰めるようにミラージュが言った。
「なんと、消滅したのか、ラージャ星は……」
交流が絶えた理由を知り、ラマーの胸に祈りが生じる。
「青の巫女? あなたはどうしてそれを知っているのか?」
マークの問いかけに彼女は応えなかった。
「……塔に、戻ります」
消えそうな声でやっと言う。
「ふむ、顔色が悪いようじゃな。ヤマ、青の巫女を」
クリシュナが送りたげな顔をしたが、ミラージュはヤマの陰に入って歩き出した。
「この星の巫女は、よそ者に姿を見せられない掟でもあるのか?」
「はて?」
老正法官は韜晦しておいた。
──あの青の巫女、俺を避けている。
マークの胸中にしこりが残った。
「さて、客人よ、あなたに部屋を用意しよう。ここはヤマの室なのでな」
愛想良く老人は提案した。
ダルマの塔を出てしばらく歩き、大きな楡の木陰に入ると、ミラージュが立ち止まった。
「……ヤマ・ダルマさま」
ヤマもまた足を止め、ミラージュを見た。内心、驚く。顔色の冴えない巫女は、何らかの表情を浮かべていた。
「あなたに、お願いがあります」
尋常にない意志を感じさせる声音だった。
あまりにも意外な申し出に、ヤマは黙したままミラージュをじっと見た。
睫毛を伏せて視線を遮り、青の巫女は言った。
「……あのマークというひとを、この都の外へ連れ出してほしいのです。彼は、危険です」
「危険?」
「朝の天翔ける舟、あれはあのかたが乗っていらしたのでしょう。せめてそこまで案内なされば、あのかたはそれで星の世界へ還ってゆくでしょう。できれば、早いうちに……」
「なぜそんな必要が?」
「彼が危険だからです。彼の行動の如何によっては、青の都の青の巫女は……いなくなるかもしれません」
「あなたは、彼を?」
「……存じております」
ミラージュはヤマと目を合わせた。そらすことなく、続ける。
「わたくしの存在を知れば、彼はわたくしを排除しようとするでしょう」
「理由は?」
「彼の夢を、わたくしは壊してしまうものだから」
「……わかった」
「ありがとうございます」
ありとあらゆる表情を、ミラージュは消し去った。
「ヤマさま」
歩きながら思い出したように付け加えた。
「いまのお話、大正法官さまにも内密にお願いします」
「……ああ」
ヤマの応えは素っ気ない。
「よぉ、ヤマ」
部屋に戻るとクリシュナが寝台に座って待っていた。
「ずいぶんと早いお帰りだな」
「皮肉か、それは」
これまで、どれだけの男にその辛酸を嘗めさせてきたかわからぬクリシュナが、幼稚な妬心に振り回されているのだ、ヤマは常になく余計な返しをした。すでに儀礼は終わっているため、普段の装束へと着替えを始める。
「……まあな」
色つきの正法官としては、いささか軽薄な面もあるが、それでも任官の身、クリシュナは潔く己の行動を認めた。
「何か用があるのか?」
興味がないことにはつっこみすら入れないヤマの性格をクリシュナはありがたく受け入れる。
「ある」
好んで見物していたわけではないが、ヤマが着替え終わるのを待って伝えた。
「マーク・エールが、天翔ける舟までの道案内を頼みたいそうだ」
「道案内?」
「いま、目立たんように雑色っぽい格好をさせている。いいか?」
尋ねてはいるが、実質はラマーからの指令だ。
「べつにかまわんが」
どのみち途中だった調査があるのだ。ものの所有者がいれば、彼には知る由もない宇宙船の情報も手に入るはずだ。
濃い色の肩布を纏っていると、マークが入ってきた。神殿の下働きの着るお仕着せ姿だ。
「えーっと、ヤマ?」
すでに名を覚えたらしく、迷いなく顔を見てくる。
「クリシュナから聞いた。俺でよければ、案内しよう」
「ああ、頼もう」
マークの返事を待たず、ヤマは歩き出している。
「ついていってくれ」
苦笑しつつも、クリシュナはヤマを補完してやった。
先を行くヤマの背を、愛想も小想もない奴だと睨みながらマークは歩いた。
まあ、どうやら彼が着替えさせられたのは神殿の使用人階級の衣類のようなので、お使えする役人サマとベラベラくっちゃべりながら歩くなんて、ありえないのだろうが。
日常的に縫製されたズボンを履いて生活する身に、着慣れない一枚布を腰ベルトで挟んでズボンのように着用するのは、はだけるのではないかと気になり、マークの歩みは遅れがちになった。
にぎやかな市街を抜け、鬱蒼たる木立に足を踏み入れると、ヤマが立ち止まった。
「ヤマ・ダルマ? ここでいいのか?」
マークは周囲を見回したが〈クュリス〉のクの字も見えない。強引な着陸でなぎ倒された木もえぐれた大地も、ない。
「いや、だが、この辺でいいだろう」
「えっ?」
訝ると同時に、振り向きざまにヤマが斬りかかってきた。
「なっ何を……っ」
to be continued……