第5話 修学旅行の撮影について
今回は映画道中記の番外編的内容で、どちらかというとカメラマン中嶋としてのエッセイになります。
お付き合いいただければ幸いです。
第5話 『修学旅行の撮影について』
八坂神社。
私はこの神社に一度だけ修学旅行の撮影で訪れたことがある。
その頃は京都の土地勘が全くなかったから、八坂神社と祇園の位置関係すら不明瞭な状態で、たどり着いたのが奇跡なくらいだった。
修学旅行撮影というが、この時私が撮ろうとしていたのは班集合写真だった。
私の会社の取引校だけでは無いかもしれないが、京都奈良への二泊三日修学旅行の場合、初日に奈良公園を観光し、そのまま近鉄で京都に行き京都市内の宿に泊り、二日目に活動班別で京都市内観光を行い、最終日である三日目にクラス別で京都の観光名所を回る……そうした予定が多い。
その三日目の班行動の写真撮影のため、私は京都の市内を市バスやタクシーで文字通り駆けずり回っていた。
一学年百数十人という規模である。五、六人の班になったら二十数個の班ができる。九時から十五時までの数時間で全班を撮影するのは不可能に近い。私と、もう一人のカメラマンの二名で京都市内に散らばった取引先の学校の班を見つけては写真を撮ることになった。
この写真は、販売用でもあるが、卒業アルバムのページにも使う予定である。だからなるべく全ての班を最低でも一〜二カットは撮影しておきたい。
八坂神社は人気スポットの一つで、五班以上の学生達が来る予定になっていた。九時から十時までの一時間は伏見稲荷で学生達を待ち構えて、来た班を片っ端から撮影し、次の撮影場所として八坂神社に来ていた。八坂が終われば更に北上して銀閣寺。そのあとは鴨川を渡って北野天満宮と言う予定だった。
八坂神社にはまず西楼門と言う朱塗りの門から入った。数年前に改修でもされたのか、鮮やかな朱色が素晴らしく、道ゆく観光客も写真を何枚も撮影している。今いる門の前の道を、門を正面にした時右手の方向へ登っていくと、清水寺に通じる清水坂に辿り着く。ただこの時の私はそんな事全く知らず、とにかく学生達を探すことにだけ注意を向けていた。
西楼門をくぐり坂を道なりに登っていくと、テキヤが何件も道端に出店していた。牛串やベビーカステラなど様々である。昼食をまだ摂っていない私には誠に目の毒なのだが、ひとまずはここで撮影する予定の班を半分は撮影してから購入を検討しようと思った。残念ながらテキヤであり、領収証などもらえそうに無いから、修学旅行用に持ち出していた会社の経費では食べられない。自腹を切るからこそ、学生達の到着を気にせずにゆっくりと食べたいのである。
八坂神社の入り口は、何もこの西楼門だけではない。北門も南門もあるし、西側にも、それどころか東北門などと言うものがある。四方どころか五方に気を配らなければならない。
ただ、幸いなことに八坂神社はその中心部分に本殿があり、その本殿の目の前に舞殿もあった。一度この神社に足を踏み入れたからには、必ずこの本殿と舞殿のある中枢部分にまで来る筈だ。
なので私は本殿と舞殿の間で、学生達を待つことにした。
もっとも、修学旅行の学生は境内にワンサカ居た。制服姿の中高生が班ごとにはしゃいでいたりでとても賑やかである。私の撮影する学校は、女子の制服に少し特徴があり、夏服ではあるがベストを着用しており、比較的大きな緑色のリボンを着用していた。男子生徒はただの白ワイシャツに黒のスラックス、胸ポケット部分に校章とクラス章を着けているだけのシンプルなものである。
仕方なく、女子の制服で判断せざるを得ず、境内の学生集団の女子の制服を入念にチェックしていた。
この時天気は曇りで、本殿を何枚か撮影しながら明るさの調整を行なっていた。快晴で太陽が照りつける……と言うような陽気では無いから、顔に影が色濃く出る心配は無かった。
年季が入りボロボロになったカメラジャケットを羽織り、二台の一眼レフをぶら下げているむさ苦しいカメラマンの姿は、この空間には不釣り合い極まりなかった。もし神社の出入りにドレスコードが必要だったら、私はここの敷居すら跨ぐことができなかったであろう。
浮浪者の一歩手前の出立ちの私すら受け入れてくれる神社の懐の深さに感謝していると、見覚えのある女子の制服姿の一団が目に入った。
よく見ると班員のほとんどの顔に見覚えがある。間違いなく取引先の学校の生徒であった。
「どうも〇〇中学校さん!」
と、不審者以上犯罪者未満の私が手を振りながら近づいてきたら、生徒達は
「うへぇ、カメラマンだ」
このようにぼやきだした。そんなものである。
「はい、何組何班さんですか」
私はカメラマンジャケットの一番深い懐にしまっていた修学旅行のしおりを取り出して、2日目の班別行動予定表の一覧を広げた。ここに何組の何班が何時にどの場所に行くかの予定が全班分記載されているのである。
「四組二班です」
と、この班の中で一番しっかりしていそうな女生徒がハキハキした口調で答えてくれた。
この班はまだ撮影できていない。この場で絶対に撮影しておかねばならない。
四組二班の文字を蛍光マーカーで塗ると、マーカーペンとしおりをすぐさましまいこみ、NikonのD500と言う、カメラマンになってからほぼ全ての現場で使用している一眼レフを手に取った。
「はい、それじゃ、本殿をバックに写真撮りますよ。班集合ですから。みんな揃ってる?」
「揃ってます」
「よ〜し、それじゃ、まず明るさを確かめますね〜」
と言いながら一枚シャッターを切る。液晶に表示された写真を見たが、特に顔に色濃い影も出ておらず、背景の本殿もさほど暗くはなっていなかった。
「よし、それじゃ本番行きます。は〜い!」
この掛け声で一気に四枚撮影して、画像をチェックしたが問題なさそうだったので、
「はい、お疲れ様でした」
と私は頭を下げた。学生達は「ウェ〜い」だの「ありがとうございま〜す」など異口同音に言って、神社内を見て周りに行った。その様子を撮ることもしたいが、あまりしつこいと嫌われるし、この後の旅行中だけではなく、旅行後の様々なイベント等での撮影で、写真を撮られること自体を嫌がるようになる可能性がある。
また、中学になるとあまり写真を販売しても買われない場合が多い。無理せず班集合を最低限取れればよし、である。
と、思っていたら、今度は西楼門側から取引校の班がやってきた。間をおかずに来てくれて有難い限りである。
ただ、彼ら班員と一緒にいる一団を見て、私はギョッとした。
一緒にいたのは外国人家族であった。
白人で、おそらく両親と思われる中年の男女と、若いが身長が高く、年齢がイマイチ分からない、おそらく姉と弟であろう二人の男女、計四名が一緒だった。
外国人観光客にとって、同じ制服で行動する日本の学生はもの珍しく感じるようだ。実際、一同が京都駅で新幹線から降り立ち、改札階のお土産物屋がある広間にて一塊になってしゃがみ、先生の話を聞いている時も、通りすがりの外国人が学生達の写真を撮っていた。
目の前の班員達曰く、班集合をこの白人家族と一緒に撮って欲しいとの事である。
それ自体は一向に構わないが、問題は私にあった。
私は学生時代に怠けて居ただけでなく、社会人になっても全く勉強をしてこなかった無学無思想無教養の「三重無」を地で行く馬鹿タレである。
すなわち、外国語が全く話せないのである。五流とはいえ大卒でありながら誠に情けない。
一緒に写真を撮るにしても、何か気の利いた掛け声ひとつかけなければいけないが、ネイティブに通じるような言葉を私が話せるはずがない。
それに、学生達もいた。彼ら彼女らの手前、下手なコミュニケーションはできなかった。外国人相手にどもってしまい、学生に舐められたら終わりである。
私は相手が何処の言語圏の人間かも知らないまま、「これくらいの英語ならわかるだろう」と思った単語を四つ並べ立てることに決めた。
まず、手をスッと横一文字に引いて、横に並ぶようなジェスチャーを送った。学生達も白人一家も、こちらの指示したい旨を察してくれたのか、横一列に並んでくれた。背景は本殿の朱色の柱である。
ここで私はカメラを構え、目の前の被写体集団に対し一言、
「スリー、ツー、ワン、‘‘パシャ’’ OK?」
と訊いた。
一家の方は「OK、OK!」と答えてくれたが、学生達の反応は予想外だった。
彼ら彼女らは私の言った幼稚園児並みのコミュニケーションに対し、素直に驚いていたのである。「そういう言い方があったか!」と、感心しているようだった。こっちも少しは場数を踏んできているんだ。無学は経験でカヴァーするしかないのである。
「よかった、これで取引先の学校の生徒の前で恥をかかずに済んだ」と内心かなりホッとして、私は「スリー、ツー、ワン」と声をかけて、一気に三枚ほどシャッターを切った。ストロボも程よく効いており、まあまあな写真になった。
無事に写真撮影が終わり、学生達と外国人家族は別れることになった。
「Have a Nice Day!」と、私も一応挨拶をした。下手な発音だったが、向こうはどうやら聞き取れたらしかった。
そうした思い出が、この八坂神社にはある。まさかプライベートで、しかも十時にもなってない朝イチで訪れることになるとは思わなかった。
境内は修学旅行生がチラホラいるくらいで、後は一般参拝客など。外国人の姿は、注意していても見つからなかった。
テキヤに至っては、まだ「起きていない」と言ってよかった。商売を始める準備が整っていないのである。まだたこ焼きやベビーカステラなどの鉄板に火が通っていなかった。
観光地が観光地になる直前の光景を目の当たりにして、少し嬉しかった。早朝の歌舞伎町のような感じではないが、開店準備中の雰囲気はどこか興奮させられる。
私は本殿に参拝してから、また西楼門に行き、市バスのバス停に歩いて行った。定期券入れに入れておいた市バスの一日乗車券を取り出して、清水寺へのバスを待つことにした。
どうせ清水まで一本道なのだから、歩いていけばいいのだが、私の旅は始まったばかりなのである。余計な疲労はなるべく抑えておきたい。それに折角一日乗車券があるのだし、バスに乗らねば損である。
バスが来て、清水寺に続く清水坂の最寄りのバス停に降り立つと、私は早速坂を登り始めた。十時を超えているせいか、流石に人通りは多くなっていた。
この清水寺への散歩が、今後ボディブローのように効いてくるのだが、それは次回以降にお話ししたい。
つづく