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映画道中記  作者: 中嶋條治
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映画『僕とオトウト』を訪ねて

元々、太宰治が好きだった。

太宰の『津軽』や『富嶽百景』は私にとって人生を変えた一作と言っても過言ではない。


だから私小説やエッセイの真似事のような作品も何度か投稿してきたが、紀行文や旅行記の類だけは避けていた。

何しろ私には教養が無い。行く先々の謂れ因縁故事来歴を書き記すなどとても出来ない。麗しい景色や神社仏閣の荘厳さを表現できるほどの文章力もない。そもそも旅行に行けてない。


そんな中、創作グループの中で旅行記のススメを書いている方が居た。狐猫さんと言う方の投稿したエッセイを読んだ時、己の拙い技術は兎も角として、私の中で一気に旅行記執筆のやる気が込み上げてきた。


しかし、先にも書いた通り私は旅行に殆ど行けていない。

仕方ないので、以前映画を観るためだけに千葉県から大阪まで弾丸旅行をした話でも書こうかと思い、連載形式で書き始めたのが本作となる。


今週末の2023年2月12日に、本作に登場する映画『僕とオトウト』が、我が街松戸市で上映される事になった。

せっかくの機会なので、そのお祝いを込めて、監督と『僕とオトウト』上映委員会の皆様に拙作を謹呈したいと思い立った。

序文


     

 時は二〇二一年十一月。

 

 私は修学旅行の撮影の仕事で、毎年のように京都や奈良に行っていた。

「行っていた」と書いたのには理由がある。

 私の生業は写真家である。学校や幼稚園などの行事撮影とその写真販売、そして卒業アルバムのレイアウト、制作を主たる業務としている。

 そんな学校相手の商売だから、修学旅行の定番の場所には毎年行っていたが、コロナ禍になってから、小学校や中学校が林間学園・修学旅行に行く機会は絶無になったのである。学校相手の商売をしている写真屋の私からしたら大変な痛手だった。

 

 一応、林間や修学旅行の体をなした行事はあるにはあったが、まん延防止の措置で、越境は出来なかったのである。例えば、私は千葉県松戸市在住であるが、まず江戸川を渡河しての校外学習等が禁止された。

 当然、利根川を渡河して茨城に行くことも出来ず、千葉県内の方にしか行けなかった。

 京都奈良は当然のこと、関東地方にあたる日光への修学旅行も二〇二一年は叶わなかった。

 

 ただ、それは学校行事のみの話であり、個人の旅行は、みんな行きたい者は行っていただろう。

 

 私も、この日は江戸川を渡り、中川を渡り、綾瀬川も荒川も渡って山手線を半周した場所にある新宿のラーメン店で遅めの夕食をとっていた。

 

 新宿に来たのは二〇一九年の冬のコミックマーケット以来である。

 私はこの新宿にある五流の芸大に通っていたのだが、二〇一二年〜十五年に比べ、歌舞伎町周辺は様変わりしていた。よく入っていた飲食店や、入らなくても散々目に入ってきていたさまざまな店が、閉店して工事をしていたり、または全く別の店舗が取って替わっている。そんな様子を目の当たりにすると、ご無沙汰していた分際であっても寂しさを感じる。

 

 そんな中、学生時代から何度も足を運んだ北海道ラーメン「ひむろ」が残っていたのは幸甚だった。久しぶりに口にする旭川醤油ラーメンと餃子は、十一月上旬の段々冷え始めてきた外気に当たった体を優しく温めてくれる。

 乾いた喉にラムネを流し込むと、爽快感が増した。素晴らしい麻薬的な快感である。

 

 腹が膨れたところで、オリエントの機械式時計に目をやる。オープンハートのタイプになっていて、ムーブメントの部分は忙しなく動いている。腕につけて移動していた間にネジが巻かれ、時計の扱いがあまりよろしくない主人に対し健気に時を伝えていた。

 現在は二十一時を過ぎたところで、時間はまだたっぷりとあった。むしろありすぎた。

 

 何故コロナ禍の夜九時に、松戸市民が新宿でラーメンを食べているのかというと、これから夜通しで上方へ行くためだった。

 



 

 今回の旅の発端は、言うなれば「ご縁」によるものだった。無論、昨日今日出来た縁によるものではない。

 

 私は映画好きが昂じて、社会人になってから東京映画友の会と言う映画ファンの会に入っていた。かつて戦後の混乱期の中にあって淀川長治先生が創設せられた歴史ある会だった。

 

 その会から派生していった交流の中で、日本大学芸術学部映画学科の学生さん達と交流するようになった。その中に、監督コースで既に一本課題製作映画を撮っていたA君もいた。京都出身であり、物腰はとても柔らかな学生だった。

 

 コロナ禍でしばらくリアルで会ってはいなかったのだが、ある日A君が映画の告知を映画ファンのグループラインに投下してきた。

 A君は休学中で、京都に戻っていた際に神戸市の「元町プロダクション」と言う会が製作したドキュメンタリー映画『僕とオトウト』の上映委員会副会長になっていた。

 映画の内容としては、重度の知的障害を持つ弟について知っておきたいと思った兄が、監督としてキャメラを持ち、その日常を淡々と撮影したドキュメンタリー映画である。

 

 私の家族にも発達障害を抱える妹がいるし、要介護の祖父を家族で介護してきた経緯もあったから、その映画について全く興味がない訳ではなかった。

 

 私は映画が気になり、Twitterやさまざまな宣伝についてA君に意見具申を繰り返していった。しまいには、一番最初に上映が行われる京都みなみ会館の座席販売状況すら、綿密に調べるほどの入れ込みだった。

 

 私は新宿の五流芸大で映画制作を専攻していたが、監督も撮影も、録音、照明、プロデューサー、美術装飾まで手掛けていたのに、配給だけは未経験だったのである。

 A君達上映委員会が行っているのはまさに映画の配給宣伝であり、正直とても羨ましかった。いつの間にか、1カットも本編を見たことのない映画に対して、私もミジンコ程度の微力を尽くしたいと思うようになっていた。

 

 結局部外者にできることはSNSでの告知程度である。しかしリアルでアナログな宣伝をしたいと思い立った結果、京都市内の花屋に電話して京都みなみ会館へ上映初日にスタンド花を届けるように注文を入れた。無論、名目は監督と上映委員会へのお祝いである。しかし宣伝目的もしっかり兼ねていた。

 

 今まで、映画や演劇に少々触れてきたが、演劇のホールならばともかく、映画館にスタンド花が置かれるのは大変珍しい。その珍しさを逆手に取った。花があって「何か盛り上がってるみたいだな」とみなみ会館の常連客に思わせることができればしめたものだ……そう思っていた。映画館主の計らいで、毎回舞台挨拶が行われるのだが、そのあとはロビーで歓談すると言う流れになっていたようで、ますますスタンド花は映画鑑賞後の劇場ロビー内で異彩を放つだろうと思われた。


 花以外でも、例えばみなみ会館のネット予約の状況を調べて

「現状、初日の金曜日は『つ離れ』しているぞ!おめでとう」

 などと言っては、上映委員会の人間からドン引きされるのを繰り返した。

 ちなみに「つばなれ」と言うのは、観客動員数が十名を越えた場合に言われる言葉である。

 数が一桁だと、数字の後に「つ」が付く。一つ、二つ……と言った具合である。二桁になると、この「つ」が無くなって離れていくので「つ離れ」と言う言葉が生まれたのである。

 

 つ離れなどという言葉ができるくらいだから、興行を打つ場合観客を十人以上動員させることが如何に大変かがわかる。

 初日、しかも平日から観客動員が期待できそうだったので、これは嬉しい状況だった。

 

 その後、自主映画として優秀なヒットを飛ばしながら、映画は京都、神戸の元町映画館と巡業を続け、遂に最後の公開の地となる大阪・九条の「シネ・ヌーヴォ」と言う映画館で公開される事となった。

 

 私は、当時学校の卒業アルバムや各種行事撮影でとても関西までの映画鑑賞旅行ができる状態ではなかったが、深夜バスで前日から移動を始めて、当日はフルに活動できるように工夫して、何とか大阪の上映初日に観に行くことが出来そうになった。

 念の為翌日も休めるようにスケジュールが調整できたのはありがたかった。





      3

 

 その結果、私は十一月の肌寒い夜中に新宿で一人ラーメンを啜っていた。

 バスタ新宿と言う、夜行バスや高速バスの発着場所には、時間の三十分前に入れればいい。それまでどうしようか。思案のしどころだった。

 

 一人カラオケは、コロナ以前に、あまり時間もないので除外した。

 喫茶店でお茶というのも考えたが、時間的に閉まっている所も多い。不夜城と名高い歌舞伎町である。本当は遅くまでやっている店も沢山あるはずだが、コロナ禍で早い時間帯で閉店する店が多くなってしまっていた。

 非喫煙者なので、時間まで駅前の喫煙所で煙草を吸うと言うのも出来ない。

 

 手持ち無沙汰になった私は、改めて自分の乗る深夜バスを調べ直した。

 

 その時、私は驚愕した。

 

 落ち着いて見てみるものだ。何と私の乗る深夜バスはブランケットの貸し出しをやめていた。

 理由は勿論、コロナ感染対策のためである。

 いくら空調が効いているとはいえ、毛布もかけずに初めての深夜バスで夜を明かしたら、コロナ以前に風邪をひく。それだけは避けたかった。

 

 早速私は今夜の毛布を求めて、コロナ禍の不夜城を彷徨う羽目になった。

 

 あれだけ余裕をぶっこいていながらこれである。今まで家族旅行や学校の修学旅行をはじめとした宿泊学習などは散々行っていたが、一人旅の経験はないのである。ここで旅慣れの無さが露呈した。

 

 毛布。毛布ってどこに売ってるんだ。

 

 私は4年間死ぬほど歩いた筈の新宿の街を当てもなくかけていた。

 気温もいいタイミングで下がってきた。上着は着ているもののそこまで厚手ではない。本当に風邪をひく。

 

 そんな中、私は立ち止まった。

 ここは歌舞伎町だ。毛布も上着も直ぐに入手できる場所があるじゃないか。

 

 私は直ぐに走り出した。場所は新宿ドンキホーテである。

 今更ながら、新宿ドンキの利便性には頭が下がる。ここだけは深夜まで営業しているし、品揃えも怖いくらい豊富なのだ。平時は外国人観光客が大挙して押し寄せる、インバウンドの観点からも重要な店なのだが、コロナ禍で入国が制限されている今、店内は比較的すいていた。むしろ人間よりも商品が密である。

 私は二、三毛布を手にしては戻し、結局一番肌触りのいいものを購入した。上着も念の為購入し、会計後カバンに押し込んだ。

 また、地下のリカーショップにも行き、シーバスリーガルのミズナラブレンドを購入した。

 

『僕とオトウト』の監督、T氏への土産である。何故シーバスの、しかもミズナラなのかと言うと、ちゃんと理由がある。

 実は劇中でこの酒が出てくるのだ。主人公であり監督のT氏が、父親と直談判をするシーンがあるのだが、その時台所の机に置いてあったのがこのミズナラブレンドだった。

 

「あの瓶はミズナラでしょ」

 と、以前ZOOMで監督に聞いたことがあったのだが、ドンピシャだった。聞くと、お父上がよく呑んでいるらしい。

 

 元々の荷物があったにもかかわらず、さらに毛布に上着、そして酒瓶を抱える事になった。

 

 京都に着く前に疲れてしまうから、とにかく買い物を切り上げてバスタ新宿へ向かった。

 

 バスタ新宿の内部は多くの利用客がいて、待合の椅子は多くが埋まっていた。

 

 掲示板の方を見ると、私の乗るバスは乗り場が遠い。まだ歩くのか、と、私は早速深夜バスと言う選択を後悔し始めていた。

 

 まあ、これだけ動いたんだから、今夜はよく眠れそうだ。

 

 そう思っていた。私はまだ、深夜バスと言う乗り物の恐ろしさを知らなかった。

 

                              つづく


  

 

 

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