仕事とは
春が遅いこの国の木々にも新緑が芽吹き始める5月となった。
女官として王宮に出仕して3カ月目となる。お仕えしているクリスティナ第三王女殿下は聡明でとても可愛らく、国や国民の事を思い、常に慎ましやかな行動を心がけていらっしゃる。14歳の多感な年ごろだというのに、健気に公務を務めるお姿には感銘すら受ける。
一方、クリスティナ殿下への忠誠とは裏腹に、社会人としての自分の不甲斐なさも実感している。女学院時代も寮で集団生活を送り後輩へ講義の手伝いもしてきたので、王宮での仕事もなんなくこなせると思っていた。
『その言葉遣いおかしいのではなくって。社交では通じる範囲ですけど、王宮では軽率ですわ。優秀なルミィ様ならすでにご存じですわよね』
『この書類、文体が新制度の書式と違っていますわ。このまま外宮へ提出したら、王女宮の統率が疑われてしまいますわ。このような基本も出来ない方がこの宮にいるとは思えませんのに。この手跡はルミィ様のものに似てますわね。まさか優秀なルミィ様ではありませんわよね』
王宮には王宮特有の規則があるらしく、実家や学院で習ってきたマナーや社会常識だけでは通用しない。失敗するたびに女官の先輩方から注意を受けてしまう。分からないことばかりで、都度確認しようと話しかけようとするが、お忙しいらしく受け流されてしまう。見よう見まねで頑張ってみるがやはり失敗して、綺麗な言葉使いで心を抉られてしまう。
女学院時代はマリーアの媚びた態度や猫かぶりに腹を立てていたが、今はマリーアなど可愛いと思える。
同時期に入った侍女勤務の子から先日話しかけられた。最近、誰かと対等に話すことがなっかたので、とてもうれしくかった。何度か話しをしているうちに会話も弾むようになり、お互いの仕事の愚痴や失敗の相談もするようになった。仕事の辛さを共有できる仲間ができたと、久しぶりに心が温かくなった。
仕事場でお友達ができたと喜んでいたのもつかの間、一部の先輩方の態度が更によそよそしくなり、口調も厳しくなっていった。仕事の合間に供されるお茶も私の分だけ時々省かれてしまう。
対人関係の急激な悪化に戸惑い、仲良くなった侍女の子に相談しようととしたら無視され、他の侍女仲間とこそこそ私を伺いながら笑っている。
あ~そういうことか、私への風当たりが更におかしくなったのはこの子のせいか。会話の内容を悪意を盛って脚色し、周りに話しているのか。私とは逆に彼女は目に見えて周りと打ち解け始めた。私はダシに使われたと気付いたのは、一部の人たちから孤立した後だった。
自業自得なのだろう。不用意に愚痴を言ってしまったのだから。内容や受け取り方によっては先輩方の悪口を言っていると思われても仕方がない。友達ができたと有頂天になって気を許しすぎた私が悪い。仕事場とはこういうところなのだろう。社交会とはまた違った、利害や足の引っ張り合いの場なのだろう。
今までは家族や先生など善意の人たちに守られていたのだと実感する。それなのに我儘を言い、高飛車な態度を取っていたと今更思い返す。仕事など簡単にこなせるし、一人で生きていけると自負していた自分が恥ずかしい。
個人に与えられた個室のベッドで枕に突っ伏し、声が漏れないように泣く。私の身の回りの世話をするために付いてきた伯爵家の女中に気づかれないようにしなければならない。心配させてしまうし、家族に報告されるのも嫌だ。
とても疲れているのに、眠るのが怖い。眠りから覚めればまた同じ明日が始まってしまう。仕事、仕事、仕事、仕事…。
あーーー!気持ちを切り替えないと!
世の中、悪意ばかりではないことも思い出そう。何人かの顔が思い浮かぶ。
職場の全員から悪意を感じるわけではなく、丁寧に接してくれる人たちもいる。特にクリスティナ殿下は勉学の事だけでなく趣味や嗜好についても話題を振ってくださったり、労いの言葉もたどたどしいながら掛けてくださる。身近にも私の様子を気に掛ける伯爵家からの女中がいる。家族や学院の友人たちも会えば労ってくれるだろう。
ダーグも気にかけてくれているみたいだ。先日、上官の付き添いで王宮を訪れたダーグにも気遣わしい視線を向けられたことを思い出す。夏至祭や建国祭など行事の多い夏に向けて王立騎士団が打ち合わせに来たのだ。クリスティナ殿下の警護について話し合われたとき、同室に居合わせた。ダーグと話すことは憚られたが、目は合った。なんとも心配そうに目じりを下げてこちらを見ていた気がする。
数日前、ダーグから夏至祭への誘いが届いた。しばらくはそれを楽しみに頑張ろう。
ダーグについて気になることがある。マリーアの所へ晩餐に出かけたらしい、エドガー様も一緒に。とても有意義な時間が過ごせたと、親切にもマリーアから手紙が届いた。やっぱりダーグやエドガー様もマリーアみたいな女の子が好きなのね。分かっていることだけど、仕事とは別の心が抉られるわ。夏至祭の時、ダーグに聞いてみようかしら。