苦労と苦悩
「本日はお招きいただきありがとうございます。エドガー様。あら?ダーグ様……は?」
「ようこそ来てくださいました。マリーア譲。ダーグは調子が悪く、来れなくなってしまったのです。申し訳ありません」
今日も胸元が綺麗に開いた水色のイブニングドレスを纏い、しおらしい表情を作って周りをキョロキョロするマリーア・ヨハンソン譲に、殊勝な態度で詫びを言っておく。残念ながらこの女は、僕エドガー・オルソンの好みではない。自分が男受けする顔立ちや体型だと自覚したそのあざとさに嫌悪感すら覚える。そんな僕の性格も良ろしくないのだが。
「お誘いの手紙に書いた、私たちの上官を紹介しますね。こちらは王立騎士団第一部隊副長の……」
紹介しながら、副長の顔を見れば真っ赤だ。こういうあざとい女が好みの野郎も世の中には一定数いるもんだ。僕の感は当たった。マリーア譲に視線を戻せば、こちらもいつものように腕で胸を押し上げながらシナっている。
「副長の従卒はダーグが務めているのですよ」
と、説明を付け加えれば、マリーア譲は一瞬『だから?何?』という表情をし、キラキラした目線を副長に送りながら自己紹介をし始めた。
後は若いお二人でよろしくやってくれという、仲人の態で酒を口にする。
今日は夏至祭の翌日。祭りの警備に詰めていた労いに上官と打ち上げをするので、同席しないかとダーグからマリーア譲を誘わせたのだ。お近づきの印に、ぜひ上官を紹介したいとも書かせた。
使用人が付き添っているにしても、貴族のご令嬢が一人で来るには少し略式なレストランを指定したにも関わらず、二つ返事で手紙が帰って来た。
本来ならダーグも来る予定だったが、様子がおかしいので置いてきた。もともと明日の勤務にかこつけて途中退場させる予定だったが、今となっては来なくて正解だったかもしれない。すでにお花畑様態の二人を見るに、当初の餌は必要なかったようだ。
本人は体調が悪いと言っていたが、精神に問題をきたしているに違いない。夏至祭の3日前にルミィ譲と出かけてから後ろに黒い空気を背負っている。前日までは目に見えて浮かれていたのにだ。まあ、確実にルミィ譲と何かあったのだろう。あいつの精神の乱れはルミィ譲と相場が決まっている。
ダーグとの出会いはアカデミーの時だ。アカデミーに13歳で入学し勉強は出来るほうだと自負していたが、その年は13歳がもう一人いた。それがダーグだ。
最初はいけ好かない印象だった。一番気に入らないのは、俺より座学の成績が良かったことだ。俺が苦戦している問題を涼しい顔で解いていく。それから見た目も気に入らない。肩にかかる癖のある銀髪を一つに結び、青灰の瞳に白い肌、背が低く線も細い。声変わりのかすれ声を聞かなければ、女子みたいだ。そのせいか、武門の家系だというのに剣術は授業に全くついてこれなかった。同学年と言えども他は皆年上なので、僕も苦戦はしていたのだが。
2年目のある時、ダーグが急に変わった。剣術の後はへばって倒れこんでいたのに、講師に稽古の延長を申し出るようになった。髪も短く切りそろえ、体の線も太くなり、急に精悍になった。このままでは剣術も越されてしまうと焦り、僕も自主鍛錬に励みだした。
そのうち自然とダーグと話すことも増えた。話すうちに色々気づいたことがある。あいつが涼しい顔をしているのは何も考えていないということ。会話の6割は幼馴染の女子の事で、残りは将来、家族、食い物、性的関心が1割ずつ。
騎士になりたいのは結婚の条件と両家に言われたからだとか、一日も早く騎士になるために鍛錬を頑張るだとか、彼女の胸が前より大きくなったとか、触りたいとか、将来と性的関心も結局は幼馴染に起因している。頭は良いがバカという奴だ。
隣を見れば「うふふ」「あはは」と花畑は盛り上げっている。
はぁ~。なん僕が他人の為に頑張らないといけないんだって思ったりするけど、ダーグといい隣で花が咲いてる副長といい、バカな奴が嫌いじゃないってことかな。二人ともさっさとけり付けて、終わらせてくれないかな。
★★★★★
「ガァーーーー!」
叫んだところで俺の過ちが消えないのは分かっている。でも叫ばずにはいられない。この奇行を繰り返して4日目になる。
あの時の事は何も覚えてない!
いや、全部覚えてる!感触まで!
なんであんな事してしまったんだ!
嫌われたかもしれない!
会いたい!
でもーーーー!!
「ガァーーーー!」
ルミィを抱え遠目に睨んでいる女中
赤く汚れたレースのエプロンを握りながら離れていくルミィの後ろ姿
大きく見開いた黒い瞳
濡れているのに温かく心地よい舌触り
ルミィの香りとイチゴ水の味
唇に当たる柔らかい感触
小さな悲鳴を発して開いた唇
引き寄せた細い体と地面に落ちていくイチゴ水のカップ
コマ送りのように映像と感覚が蘇る。音はない。最後に何か聞こえたような気がするが、無音の光景が繰り返される。
上目遣いに気に掛ける声音で、エドガーの名前が出たとき、血が一気に体中を駆け巡り、怒りに似た痺れが頭を支配した。ルミィの腕に押されて唇が離れた瞬間、頭の痺れが切れて思考が戻った。
もう、忘れたい!消し去りたい!あー!でも忘れたくない!
俺にだって理想はある。段階を踏んで事に当たるつもりだった。まず俺の気持ちに気付いてもらい、唇を重ねる軽いところから始めるつもりだった。
だのに、急に腕を掴まれ、イチゴ水を落としてしまったことに驚いて声が出たルミィの口を、自分の唇で噛みつくように塞いだ。口内の温かさも柔らかさも、歯列の凹凸に触れた感触さえも覚えている。
嫌われただろうか。聞き取れなかったルミィの言葉が気になる。
「ガァーーーー!」
近くの宿屋の小間使いに頼んで邸からの迎えを待ち、一人で帰った虚しさは完全に忘れ去りたい。
前半はエドガー視点、後半はダーグ視点になっています。




