6.割り切れない想い
俺はあの女の部屋を飛び出して、自分の部屋にかけ戻った。途中、階段の上にあの男、レイモンドが立って見ている事に気づいたが、目を合わせなかった。
ベキャモントの白薔薇と呼ばれているそうだが、あいつのどこが薔薇なんだ。そんな可愛いもんじゃない。
俺の家は、丸ごとあいつに呑み込まれた。
薔薇の棘じゃなくて、あいつのは、大蛇の牙だ。
借金ごと、家を乗っ取られ、見たことも無い男が、家督を継いだ。
元々嫌いな両親だが、姉様は、俺に家を継がせるため、頑張ってくれたのに。
俺を生かすために命までも。
それなのに、俺は、姉様が残してくれたものを守ることすらできなかった。
ごめんなさい、姉様。不甲斐なくて、ごめんなさい。
あいつは、俺から家の名前は奪わなかった。
もうサバティーニの名など、どうでも良いのに。
そっと髪に手を伸ばすと、頭を撫でてくれたあいつの手の温かさを思い出す。
まるで姉様に撫でられたような気持ちがした。
年上の俺の事を弟と言う、変な女。
そう言えば、俺に剣術を教えると言っていた。
姉様が亡くなってから、もう剣も握りたくなくて、全く練習をしなかったが、あんな華奢な女に俺が教えられるはずがない。
姉様の愛用の剣。今頃どこにあるんだろう。
借金のかたに取られ、いつの間にか屋敷から消えてしまった。あれだけは絶対に手放したくなかったのに。
大好きだった姉様の唯一の形見だった。
この家で、言われた通りに勤めれば、給金も貰える。
いつか、あの剣を買い戻すために、金を貯めよう。そして、許されるなら、この家を出て、姉様がなりたかった辺境の騎士になろう。
翌日、教えられた練武場に向かって驚いた。
そこは、要塞の中のように、高く頑丈な壁で囲まれていた。
「驚いたかい?ここはね、レイラ専用の練武場なんだよ。まだ幼いあの子の実力をあまり広めたくはないからね。だから、君もあの子の事を他の人間に話してはだめだよ。」
足音も気配もさせない男は、俺の背後に立ってそう言った。俺から見れば、この男の方が危険だ。
「私の可愛いレイラは天才だよ。まあ、今日一日で君もわかるはずだ。余程愚かでない限りね。」
「いちいち棘のある話し方だな。そんなに俺が気に入らないなら、この家に連れてこなければ良かったんじゃないのか?」
「仕方ないよ。レイラが君を弟にしたいと願ったんだからね。私は、妹のお願いが聞けないような、役立たずな兄ではないよ。でも覚えておいて。君のことは、ほんの少しも可愛いと思っていないから、レイラに逆らえば、殺すよ。」
目に剣呑な光が宿る。こいつ本気だ。本気で殺すつもりだ。
「じゃあね。今言ったこと、忘れないで。」
笑わない目で、笑顔を浮かべて、レイモンドは立ち去って行った。緊張して握りしめてしまった指をゆっくりと開く。
こんな所で死ねない。死んでたまるか!
練習着で現れたレイラは、剣が持てそうに無いほど華奢に見えた。
「ごめんなさい。待たせてしまった?」
「いえ。」
「じゃあ、実力を見せてくれる?」
「お嬢様、本気ですか?」
「お嬢様じゃないわ。レイラ姉さんでしょ。姉様が嫌なら、姉さんはどうかと思うのだけれど……。」
このお嬢様は、本気で、姉になるつもりらしい。
「わかりました。姉さん、剣をお借りします。」
俺は、剣を借りて数回振った。
「じゃあ、立ち会おうか。」
彼女が、木剣を持って近づいて来るので、慌てて俺も木剣に持ち変えようとしたら、止められた。
「手加減なしでかかってきて。」
木剣の年下の女の子に、手加減なしで挑めるはずがない。
軽く剣を合わせようとしたら、いきなり腹に一撃を食らった。
「真面目にやらないと怪我しても知らないわよ。」
「わかった。」
そして、数分後、俺は練武場の土の上で倒れていた。
正直、手も足も出ない。
信じられなかった。
「ちゃんと毎日練習してた?」
溜め息混じりの言葉に返事もできない。
姉上は天才だったが、俺は、……。
「基本からやり直しましょう。」
「俺には才能がない。無駄だよ。」
「違います。あなたには才能があります。」
そんな事を言うのは姉上だけだった。
「いいよ。どうせ俺はあんたの人形だ。好きにすればいい。」
「そうね。私が正しいと教えてあげる。」
なんだか姉上に叱られているみたいだ。
年下の姉か。悪くないかもな。
「それじゃよろしく。姉さん。」
綺麗な笑顔を見ながら、彼女こそ薔薇だと思った。
ちょっとだけ、あのクソ野郎の気持ちがわかる。この笑顔が守れるなら何でもしよう。
でも何故だろう。その笑顔に胸が痛む。懐かしく切なく、そして、後悔が沸き上がる。