第44話<苦しみのワクチン起動>
そこは今までの世界観とは全く違う白い色の、そして箱の内側のような空間だった。俺はまぶしさに目を細める。
「ここからゲームのメインフレームに接続できます」
『それは間違いない。しかしこの場所は遠いな。もっと――』
「容易には近づけません。魔王は必ず守っていますから」
プログラムの本体に対し、ワクチンを打ちこむのが一番確実なのだろう。しかしそこに必ず魔王はいる、とクリスタルは読んだ。離れた場所からやってみせる、との決意のようだ。
『しかし……』
「大丈夫です。やりますわ」
プロフェッサーは躊躇しているが、聖女は決断した。
このために長い時間をかけて準備し、魔王に囚われた。事件は予測通りに起こり、俺が送り込まれて救出した。そして今ここにいる。
「私が姿を消したなら成功です。全員を地上まで帰還させて下さい――」
「分かった」
「――奥に魔王がいるのなら、そこへの道も開かれます」
クリスタルは大きく息を吸い込み、目を閉じた。
「離れていて下さい……」
俺は数歩下がって見守る。
「では開始いたします」
球体の透明な膜が聖女を包み込む。真っ白な壁のあちこちに、赤い点がいくつも現れた。
ワクチンプログラムが起動したのだ。
「うっ、ううっ――」
クリスタルは苦悶の表情を浮かべる。脂汗が額に吹き出した。体がブルブルと震える。
「はあはあ、くっ……」
膝が折れ床に手を付く。華奢な指と爪を突き立てる。
「あっ、あー、くっがあっ、あっ、ああっ」
胸も床につけて苦しみ始め、体が痙攣を始める。
「ぎ、ギギ、ぐ……」
「なっなんだ?」
『植え込んでいたプログラムを、この世界に放出しているのだ』
「痛いのか?」
『虫が体を食い破って外に出る感覚だよ』
「……ひでえ」
「あーあー、ああっ……」
仰向けにのけぞって、喉をかきむしる。舌を噛み鮮血が散った。手を口に突っ込む。
「うえっ、えー」
再びうつ伏せになってから片腕を立てる。血が混ざる吐瀉物が流れ、涙がボタボタと落ちた。
「見ちゃいられない」
俺は顔を背ける。ここまでやるか? とても見られたモノではない。
四方の白い壁は、聖女への責め苦に比例するように徐々に血の色へ染まる。
『分からないな……』
「ん?」
『彼女がここまでする理由だ。私たちが知らない組織――』
静寂なる空間に、乙女がもがき苦しむ嗚咽だけが響き続ける。最強無双もこの苦しみをただ見守るしかできない。惨めな勇者だった。
球体は小さくなり、クリスタルと共に消える。
「戻った――か。彼女は無事なのか?」
『確保している個体には医療チームが付きっきりだよ。後ほど私も確認しよう』
「頼む」
俺は元の魔窟へと戻る。まだ戦いが続いていた。
「ワクチンプログラムを起動した。強制ログアウトが始まるぞ!」
俺の叫びにゲーマーたちは、剣を振りながらも一瞬きょとんとした顔をする。そして互いに見合った。
「かっ、帰れるのか?」
「俺たち、本当に?」
「やっと終わるのか!」
「「「うおおおおおーっ!」」」
全員が戦いながら、大歓声を上げる。そして俺も戦いに加わった。
状況は好転し、こちらが優勢となる。俺は一人で敵をなぎ払いながら一気に先へと進む。そこは行き止まりだった。
「ユーシ!」
エイミが俊敏を使いやってきた。
「本当なの?」
「ああ、もう大丈夫だ、聖女自身の言葉だ」
「ここは?」
『これで魔王宮への道が開いたよ。聖女はやってくれたな』
岩盤に白い渦が巻いた。ラスボスへの転送回廊がつながったのだ。
「ああ、ゲームオーバーだ。この先に魔王がいる。そこへは俺しか行けない。もうここでの戦いは必要ない。撤退してくれ。戻って皆に伝えてくれるか」
「あなた一人で――、私も行くわ!」
「ダメだ! ここから先は俺一人しか進めない」
「行くっ!」
「いいから帰れっ! 俺一人ならどうにでもなる。皆と戻れっ!」
「また、じゃまだって捨てるのね。私はモノじゃないの。感情があるのよ……」
エイミは俺に抱きついた。
「ダメだ。逃げるんだ……」
「お願い。私に居場所を頂戴。お願いよお……」
「先に帰って、待っててくれ」
「ユーシ、帰ってくるの? 絶対に帰って来てね」
「当たり前だ。俺は最強武双でチートのギグだぜ。ちゃんと向き合うよ。つれてってくれ」
俺はこちらにやって来て、心配そうにしているヒナを見る。
「さっ、行きましょう」
「ユーシ……」
後ろ髪引かれるエイミが暗闇に消えた。先に待つのは俺の因縁なのだ。これ以上エイミは巻き込めない。
◆
『この先だ』
「ああ……」
俺は一人薄暗い洞窟を走る。次はこちらが戦う番だ。
「ここからはギグでいくぜ」
『魔王宮まで障害はない。ただし中に入ったらば時間を稼いでくれ。仕掛けがないか調べる』
「分かった」
『相手は挑発してくるが、それは罠と思った方がいいな。冷静に行動するように』
「俺は冷静だ」
『でもないな。聖女のあの姿はしばし忘れるんだ』
「……」
忘れられるものか。彼女は何かを賭けている。そうでなければ――。クリスタルは身を捧げていたのだ。
一方俺には賭けているモノなど何もない。しかしゲームの最後を前に、余計な感情は心の奥底に押し込む。
「この先か……」
そこもまた行き止まりだった。しかしこれはただの岩盤だ。
『破壊してくれ』
俺は右手を出して力を解放する。物理障壁など、いまさら意味がない。砕かれた岩が吹き飛び、ぽっかりと空洞が開いた。
「行くぜ……」
俺は一歩を踏み出す。




