表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

私はあなたのお母さんになりたい

作者: 村崎羯諦

 いくら愛し合っていても、恋人なんて結局は赤の他人同士。だけど、血のつながった母親と息子という関係だと話が違う。どれだけ喧嘩しようと、どれだけ憎しみ合おうと、母と子供という関係が消えて無くなってしまうことはない。人生をかけて私が愛したたっくんと別れた後、長い長い自省の果てに私はその真実へとたどり着いた。そして、私は決意した。たっくんの恋人になるのではなく、たっくんの母親になるということを。


 私には知性とお金、そして何より熱意があった。飛び級で入学したケンブリッジ大学で学んだ最先端の生命工学。そしてその後、研究員時代に身につけたゲノム編集技術をもとにベンチャー企業を立ち上げ、創設した企業をアメリカの大手製薬会社にバイアウトすることよって得た莫大な財産。そして何より、いまだに冷めることのない、たっくんへの気持ち。私が今までの人生で得たすべての知識と財産はこのためにあったのかもしれない。そんな偶然に感謝しつつ、私はたっくんのお母さんになるための計画を立て始める。そこには女としてのプライドと、科学者としてプライドがあった。一度決めたことは何があっても成功させる。きっと何度も失敗を繰り返すだろう。だけど、その先にはきっと成功への道があると私は信じていた。


 まず私は、たっくん本人とコンタクトを取った。しかし、たっくんがもう私を愛していないことを理解していたし、私の目的はたっくん本人ではなく、たっくんのDNAだった。身体の関係だけでも構わない。そんなことを匂わせ彼を自宅に誘き寄せた私は、彼の食事に睡眠薬を盛り、たっくんが眠っている間に彼から血液を採取した。それから個人で所有している研究所にて、たっくんの血液から非リンパ球の白血球を分離し、その培養を行う。培養した体細胞から核を取り出し、私の身体から採取した卵子の核と入れ替えることで、クローン胚と呼ばれる胚を作り上げる。そして最後は、クローン胚を私の子宮へと戻す。あっけないほど簡単な、クローン人間の作り方。つまり、たっくんと全く同じDNAを持った人間の作り方。


 初めから順調にいくだなんて私は思ってもいなかったし、どれだけの労力とお金を使っても構わないと思っていた。実際、何度何度も流産を繰り返し、何人ものたっくんがこの世に産まれることなく死んでいった。それでも、私の愛が天に届いたのか、順調に育っていくクローン胚に巡り合う。エコー写真で少しずつ人間の輪郭へと成長していく姿は生命の神秘を感じたし、自分の胎内に私の愛する人と全く同じDNAを持っている存在が宿っていると考えるだけで、私は言葉にできない幸福感を感じた。


 もちろん不安がないわけではなかった。いくらDNAが一致しているからといって、私のお腹の中から生まれている子供が本当にたっくんと同じ人間になるのかは疑わしい。人間の性格は先天的な遺伝子だけではなく、後天的な養育環境によっても大きな影響を受けるからだ。膨れていくお腹と体調の変化に伴って、その不安はどんどん大きくなっていた。私は愛するたっくんに会えるのだろうか? 私は愛するたっくんの母親になれるのだろうか?


 それでも、分娩室で私が産んだたっくんが取り出された瞬間、そんな不安はいとも簡単に消し飛んでいった。羊水に濡れ、顔をしわくちゃにしながら産声を上げている赤子の表情に、私は自分の愛した人の面影をはっきりと見つけることができた。肌越しに伝わってくる体温を感じながら、幸せだったあの日の記憶が蘇ってくる。お互いの名前を囁きあい、永遠の愛を誓い、そして私から去っていった恋人。しかし、そんな悲劇はもう二度と起こることはない。私は私なしでは決して生きられないか弱いたっくんをぎゅっと抱きしめる。


 ただ、忘れてはいけない。これはゴールではなく、スタートに過ぎない。30歳でようやく授かったこの命を、私は理想の息子になるように大事に育てていかなければならない。何度も挫折し、色んな過ちを繰り返すだろう。それでも、私の気持ちは変わらなかった。どれだけ失敗しようと、どれだけのお金と労力を使おうと、私は愛するたっくんの母親になるという気持ちは。






*****






「ママ、身体の具合はどう?」


 病院の一室。隣の丸椅子に腰掛けながら、私の息子たっくんが私に優しく語りかけてくれる。病によって日に日にしに近づいていくこの身体は決して万全ではない。それでも、私の愛するたっくんから優しく言葉をかけてもらえるだけで、私の気持ちは満たされていく。ありがとう、大丈夫よ。私は手を伸ばし、たっくんの右頬をそっと撫でる。私たちはじっと見つめ合い、静かな病室の中を窓から吹き込んだ微風が吹き抜けていく。


 幸せな最期だと思う。私は今までの人生を振り返り、そして愛するたっくんの顔を見つめながら、感慨に耽った。私が人生を賭けて育て上げた最高の息子が、こうして目の前に存在している。可能であればもっと愛するたっくんとの日々を過ごしかったけれど、それはきっと贅沢すぎる。ゴホゴホっと私が咳き込むと、慌ててたっくんが見を乗り出し、私の背中を優しくさすってくれる。目の前のたっくんはこうして、いつも私を愛してくれた。言葉も知らない赤ん坊の時から、そして自我を持った今に至るまで。母親という私を心の底から愛し、そして、私からひとときも離れることもなくそばにいてれくれた。それはまさに私が望んでいた愛そのものだった。


「あなたは最高の息子よ。私を捨てて他の女に走るようなことも、親である私に反抗的な態度を取ることも、私が気に入らない女性と結婚しようとしたりすることもなかった」


 たっくんが私の目を見つめながら真剣な表情で頷く。


「ママはね、今まで沢山の失敗をしてきたわ。だけど、その失敗を何度も何度も繰り返して、最後には自分が望んでいた成功を手にした。私が教えられることはそれだけ。何度失敗したって、諦めちゃダメ。能力、お金、そして年齢を理由に諦めることは愚かなことなの。時には非情な決断だってしなければならないし、限られた時間の中で重大な決断を繰り返すこともある。だけど、最後まで諦めずに挑戦し続ければ、きっと最後には幸せが待っているわ」


 愛してる。私は絞り出すようにそう呟く。たっくんに伝えた言葉はまさに、自分の今までの人生を表していた。何度も何度も失敗を繰り返し、そして、最後にはこの素晴らしい息子を持つことができた。かつて私が愛したたっくん。いや、それ以上に、私が愛する最愛の息子に。そして、私はたっくんの手を握りしめる。


 ()()()8()0()()()()()私の手はしわくちゃだったが、それを慈しむようにたっくんが私の手を握り返してくれる。私はたっくんの顔を見つめた。来年に大学を卒業するたっくんはまだまだ若く、()()()()()の若々しい容姿をしている。そういえば私がオリジナルのたっくんと初めて出会った時も、たっくんは目の前の息子と同じくらいの歳だった。


 何度も何度も失敗した。上手くいかないことの方が多かったし、途方もないお金と、時間がかかった。時間的なタイムリミットが迫る中、愛を手に入れることができないまま死んでしまうのではないかと絶望した時もあった。だけど、私はこうして幸せをに手に入れた。そしてその幸せは今までの私の苦労に見合うものだと心の底から信じることができる。


「あまり詳しく聞いたことはなかったけど、ママも沢山失敗をしてきたんだね」


 たっくんに私は微笑みかける。そして、私の人生をかけて作り上げた、最高の息子の手をぎゅっと握りしめ、呟いた。


「ええ、あなたの前に、大きな失敗を()()ほどね」

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ