4・鯉佐木さんは気をつかう。
何で、僕が鯉佐木さんを送ることになったんだろう。その経緯が知りたい。
だって僕、鯉佐木さんの家なんて知らないもん。何処にあるのか分からないよ。先生が車で送る方が絶対よかったって。
早退させるくらい体調悪い人を歩かせるのも、よく分からない。
「えっと、鯉佐木さん大丈夫? 休みたい時とか言ってくれれば、何処かしらで止まるからね」
「……」
コクン……ではなくガクン、と頷いた鯉佐木さん。いつ倒れるか怖くて仕方がないんだけど。
もう結構歩いているけど、まだ着かないかな。早く休ませてあげたい。
「……ん? どうしたの立ち止まって。休む? だとしたら……」
せめてベンチとかないかな? って思って、辺りを見回す。ダメだ全然ない。
仕方ない、僕のバッグでも下に置いてそこに…………鯉佐木さんに裾を引っ張られた。顔を横に振ってる。
「……ここ」
鯉佐木さんが力なく指差すのは、大きなマンションの脇にある一戸建ての家。表札に、鯉佐木と書かれている。
「ここが鯉佐木さんち? じゃあ、早く入っちゃお。鍵ある? 僕が開けるよ。嫌じゃなければ」
「お願いします……」
まるで名刺を差し出すように渡された鍵で、ロックを解除する。ドアを開けたら、真っ先に何かのお花の香りが広がった。
くしゃみでそうだけど我慢我慢。
「……ふと思ったんだけど、鯉佐木さん全然咳しないね。風邪は引いても咳は出ないってタイプ?」
「……マスクないし、うt伝染したくないから……我慢してた」
「あ、そっかごめんね。僕は気にしないよ」
「……その他の、人達は……」
「ですねすみません。皆が皆そうじゃないし、伝染してったらまずいもんね。僕がバカでしたごめんなさい」
「……っ」
今のは完全に僕が間違っていたのに、鯉佐木さんはブンブンと頭を振る。ふらついちゃったよ本当に申し訳ない。
そもそも鯉佐木さんは風邪引いてるのに、喋らせてどうするんだ。なるべく疲れさせないよくにしなきゃ。
「って、僕は入っちゃって大丈夫なのかな……」
「大丈夫……」
「えっとじゃあ、お邪魔します」
おお、他の人の家に上がるのって、親戚以外だと初めてかも知れない。緊張するなぁ。
親御さんとか、いないのかな。いなそうだな。共働きかな。
「取り敢えず、バッグをどうにか……何処に置いておけばいい? リビングで大丈夫?」
「あっ…………私の、部屋……で」
「お部屋? オッケー。二階かな? 階段上がれそう?」
「……うん」
そう言えば、女の子のお部屋ってこんな軽い気持ちで入っていいのかな。もうちょっと緊張とかするべき?
でも、どうなんだろ。僕って荷物置いて帰るのかな。それとも看病してから帰るのかな。
「……アレ?」
階段を上がり終えて真っ先に視界に入ったのは、二つの扉。片方は「メロ」って札がぶら下がっているから、鯉佐木さんの部屋なのが分かる。
で、もう一つ。そっちの扉は何故か、一枚の板で立ち入り禁止状態になっている。
目を向けたら、鯉佐木さんは少し俯いた。
「……両親の部屋」
「……あの板は? 聞かない方がいいことなら、教えてくれなくて大丈夫だよ」
「……私、は、入りたくないの。二人の……」
──遺影があるから。
鯉佐木さんはそう言って、自室に入って行った。僕もバッグを持っているから、お邪魔させてもらう。
……遺影。鯉佐木さんのご両親は、亡くなっているということみたいだ。
凄い、デリカシーのない人になっちゃったな。
「鯉佐木さん、もう僕はやることない? それとも、何かやれることあるかな」
何となく、このまま帰ったら気の利かない奴みたいになりそうで嫌だ。謝罪も兼ねて、何か手伝えたりしないかな。
鯉佐木さんは制服のままベッドで横になる。毛布を口元まで被ると、今日初めて、小さく咳をした。
「……二年前、事故で、二人とも。お葬式は開いてない」
鯉佐木さんは、気が抜けたように咳をするようになった。その状態で、恐らくご両親についてを語る。
二年前ってことは中学三年生の時だから、僕とはまだ出会っていない頃だ。当たり前だけど。
「私、信じられなくて……今も、信じたくなくて……。見れないの。現実から、目をそm……背けてるの……」
ご両親が亡くなったことを受け入れられず、あの部屋を閉ざしているらしい。
確かに、親がもういないなんて事実、認めたくないよね。怖いよね。
更に鯉佐木さんは、性格上仲がいい人だっていたことがなかったんだし。
「……でも」
鯉佐木さんがふと、震えていた身体をピタリと止めた。視線を感じて見てみたら、こっちをじっと見つめていた。
「今、は、大丈夫……。もう、気にならなくなってた……。まだ怖いけど、受け入れられないけど……寂しくない」
「そう、なんだ。学校も忙しいし、新しい環境に慣れるのも苦労するしね。でも、ご両親もそれでいいって、きっと想ってくれてると思うよ」
語彙が足りないな、僕は。後半部分言い直せないかな。
……鯉佐木さんの両親のことは分からないけど、何となく優しい人達な気がするんだ。だから、見守ってくれている筈。鯉佐木さんのことを心配しつつ、守ってくれると思うよ。
たとえお線香をもらえない日々だとしても。
「……うん、忙しい。本当に」
「だよね。僕ももう、最近妹のことを忘れるくらいには、忙しくて仕方ないよ」
場の空気をもうちょっと軽く出来ないかなって、ふざけてみる。妹のことは別に忘れてない。
──けど、鯉佐木さんが笑顔になってくれたから、僕はそれでいい。妹には後でプリンをあげよう。
「休まらない……よ」
鯉佐木さんが何か呟いたけど、僕は全然聞こえなかった。