32話・鯉佐木さんとあの酸っぱい果実
「鯉佐木さん、おはよう」
「……おはよう」
僕が挨拶して、鯉佐木さんが頷く。でも今は頷くだけじゃなくて、返事までしてくれるようになった。
たったこれだけで、僕は一日やる気が湧いて来る。鯉佐木さんとの一日が、心底楽しみになるんだ。
「い〜い雰囲気じゃーん二人とも。初の席替え、何とか隣になれてよかったね〜」
「あ、おはよう青雨さん」
「おはよ」
ニマニマと僕達の前にやって来た青雨さんは、眠たそうに欠伸をする。昨晩、夜兎くんとオンラインゲームに熱中していたのだそう。
夜兎くん、小学生なんだから遅くまで起きてちゃダメよ。
「コイちゃんもさ、耕介が隣にいてくれるだけで嬉しいっしょ?」
またニマニマする青雨さんは、本人がいる前でストレートに訊く。鯉佐木さんは当然慌ててるけど、僕も恥ずかしいからねそれ。
なるべく見ないようにしてるけど、やっぱり気になる。鯉佐木さんがどう答えるのか気になってしまう。
……補習の後、打ち明けてくれたから知ってるんだけどね。
「う、嬉しい……です」
ヤカンが沸いた時みたいに、カァアアッと赤くなる鯉佐木さん。両手で顔を覆う仕草に、胸が苦しくなった。本当に可愛いなぁ。
「うんうん、いいねいいね〜」
青雨さんは満足そうにニヤニヤしてて、物凄く急に僕の方へ顔を向けた。グインッて。
正直にビックリしたから、そういうのやめて欲しいです。怖いから言わないけど。
「耕介は?」
「あ、えっと……鯉佐木さんが隣で嬉しいかどうか?」
「そ。コイちゃんが隣にいてくれるだけで嬉しいかどうか」
「……」
微妙に違ったみたいで、ある部分を強調された。圧が怖いです。
でも、それは確かに……僕だって鯉佐木さんと一緒にいれるだけで嬉しいわけだから。
「うん、勿論。嬉しいよ。鯉佐木さんが一緒にいてくれるのは本当嬉しい」
言いながら鯉佐木さんの顔を窺ったら、控えめにこっちを見てて目が合った。ちょっと照れる。
鯉佐木さんは慌てた様子で、遠慮がちに目を逸らした。こういう動作すら可愛く思える。
まぁでも、鯉佐木さんは誰が見たって可愛いと思うし。当たり前だよね!
「あ、そだ」
青雨さんが何かを思い出したように、肩に下げていたバッグを漁る。小さなビニール袋の中に、飴が五つほど入ってるのを取り出した。
それから、僕と鯉佐木さんに二つずつ分ける。レモン味だ。
「もう直ぐハロウィンだから、飴あげる。遠慮なく食べて」
「……えっと、十月三十一日までは一ヶ月以上あるし、お菓子は貰う物じゃ……?」
「夜兎が貰いに来ると思うから、先に買っといたんだよね。んで、アイツレモン味苦手だから」
「あ、なるほど……」
気が早いなぁなんて思ったけど、夜兎くん想いだとも取れるよね。可愛い従兄弟のために張り切ってるのかなぁって、微笑ましく思えた。
僕は早速一つ食べて、ふと鯉佐木さんの方に目を向けた。そしたら、何故か飴と睨めっこ中。
「……鯉佐木さんもしかして、レモン味苦手?」
「……っ」
図星だったのか、ビクッと跳ねた。
鯉佐木さん、レモン苦手かぁ。でもレモンティーはよく飲んでない?
そう言ってみたら、レモンティーはそこまで酸っぱくないから、と返された。確かにこの飴、めちゃくちゃ酸っぱい。
「……」
鯉佐木さんは、飴をじっと見つめる。僕は青雨さんと目を合わせて、お互い頷いた。
「鯉佐木さん、無理しなくていいんだよ……?」
「コイちゃん、全部耕介あげていいからね?」
「……」
鯉佐木さんは未だ、飴から目を離さない。動き出すのではないかと観察し続けている、ちょっと難しい感じの学者さんみたいだ。
しかも、クラスメイト達も気になってるみたいで、殆どの人達が鯉佐木さんに注目している。珍しいけど、鯉佐木さんは気づいていない様子。
「こ、鯉佐木さん……?」
返事も反応もしてくれない鯉佐木さんに、また声をかけてみる。物凄い注目浴びてますよ。
「……っ」
「え」
──鯉佐木さんは突然、飴を口に放り込んだ。僕と青雨さんは思わず口が開く。
そして鯉佐木さんは、眉を八の字に曲げてとても酸っぱそうな顔になった。
「〜っ!」
口元を抑えて、取り乱す鯉佐木さん。その様子を見て、クラスメイト達はささやかに笑う。「可愛い」なんて声も聞こえた。
……はっ! えっと、えっと、助けなきゃ!
「こ、鯉佐木さん取り敢えず飲み物……」
「バカ耕介。食べてるの飴だかんね?」
「あっ、じゃあどしたら……」
「……コイちゃんファイト!」
「ええええええっ!?」
涙目のまま続ける鯉佐木さんに、「頑張れ」のコールが広がるうちのクラス。賑やかな人達が揃っていて、何か救われた気がした。
……なんだけど、僕と鯉佐木さんはどっちも、注目浴びることが苦手なので……。胃が痛いです。
──数分後、飴を舐め終えた鯉佐木さんは、目尻に浮かぶ涙を拭う。せっかく貰ったから頑張ったんだって。流石にもう一つは僕が回収したけど。
「コイちゃん……大丈夫だった?」
青雨さんが不安げに訊くと、鯉佐木さんは肩を竦めて……
「酸っぱかった……」
と、小さく零した。
僕は僕で、何だかキュンと来ちゃいました。とさ。




