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31話・鯉佐木さんと勇気の「ありがとう」

 この後親に呼ばれてて、二人と帰り道違くなっちゃうからここでバイバイ。


 ──青雨さんはそう言って、正門前で去って行った。つまり今は、僕と鯉佐木さんの二人きり。

 特にいつもと変わらない気がする。


「鯉佐木さん送ってくよ。もう結構暗いし……」


 空を見上げたら、星空が広がっていた。恥ずかしい。結構暗いどころか、かなり暗かったよ。

 ここがそんな暗くないのは、正門の周辺にある二つの灯りがあるからじゃん。街灯もかなり多いし。


 返事が聞こえなかったから鯉佐木さんに目を向ける。いつの間にか、僕の隣にちょこんと並んでいた。

 ちょこんとしているように見えるほど、僕達の身長差はないですけども。


「お願い……します」


「うん、もちろん。じゃあ……暗いから気をつけて歩こ」


「……」


 コクンと頷いた鯉佐木さんに、ニコッと笑ってみせる。見えるかな、この暗さで。

 僕は鯉佐木さんを守りたい。それは物理的にだけではなくて、悲しみや不安といった精神面でもだ。

 だから、鯉佐木さんが無言だとしても、僕に対して不安にならないように、笑顔を返してあげたい……っていうだけです。

 絶対に無視はしないよって意味が、伝わってたら嬉しいな。


「──アレ? もう九月なのに、まだ咲いてるんだ紫陽花。夏の花だよね? 確か」


 帰り道に、薄い紫色をした紫陽花が少しばかり咲いていた。今も言ったように季節は秋で、僕の知識だと紫陽花は梅雨に咲くもの。長持ちしてるだけかな?


「多分、タマアジサイ……だと思う」


 傘を差したまま屈んだ鯉佐木さんは、紫陽花を見て優しく微笑んだ。確か、鯉佐木さんは花が好きだった筈。


「タマアジサイ? って、どんなの?」


「私も詳しく覚えてるわけじゃなくて……自信もないんだけど、七月から九月まで咲く種類……みたい」


「へ〜、そういうのもあるんだ。やっぱり全部が全部一緒ってわけじゃないんだね」


「うん。でも他にも秋に咲く種類があった気がする……けど、この見た目は多分、タマアジサイで合ってると思う」


「そうなんだ。ちょっと気になるし、後で紫陽花調べてみようかな」


「……! うん……!」


 パッと振り返った鯉佐木さんは、稀に見るとても嬉しそうな表情になった。こんな顔が見れるなら、何か花をプレゼントしたいなぁ。


 ♡


 ──雨は次第に止んでいき、鯉佐木さんの家に着く頃にはすっかり晴れた。

 ……あれ? 雨天だったのに、何で星が見えたんだろう。


「小谷くん、送ってくれたお礼がしたいから……中に、どうぞ」


「えっ? いやいや、気にしないで! 僕が送るって言ったんだし、そのくらい礼には及ばないよ」


 それに、もう夜だからね。女の子が一人で暮らしている家に、そんな軽々しく踏み入ってはならないと思うし。何より夜だし。

 鯉佐木さんはちょっとだけしょんぼりした様子だけど、直ぐに、意を決したような顔つきになった。

 勇気を振り絞るかのように、胸に当てた手を、ぎゅっと握り締めながら。



「──小谷くん、ありがとう」



 突如、鯉佐木さんから感謝の言葉が飛び出した。あまりの不意打ちに、一瞬思考が停止する。

 何で……急に? 僕何かしたっけ? あ、送ったこと?


「私の両親は、もう、二度と会えないくらい遠くに行ってしまったけど……小谷くんが、わ、私の、大切な人になって……くれてます」


 鯉佐木さんは声を震わせながら、今にも泣き出しそうなくらい肩を震わせながら──僕の目を見る。


「あの……私、自分の名前、結構気に入ってる……んです。けど、大抵の人は読めない、から、知られるのが怖いの。自己紹介の時も、凄く、鼓動が早くなっちゃって……。だから、小谷くんが声をかけてくれた時も、躊躇って、直ぐには返せなかった」


 僕と鯉佐木さんが初めて会った、去年の入学式。あの時の、鯉佐木さんに声をかけた時のことは、ハッキリと覚えている。

 何処か自分と似ていると感じて、仲良くなりたくて、勇気を振り絞って挨拶をした。あの時鯉佐木さんは、一瞬怯えたような反応を見せ、


 ──お辞儀しながら学生証を見せて来たんだ。


「でも、小谷くんは笑顔で『よろしく』って言ってくれて、名前を気にする素振りも見せなくて……凄く、救われたの」


 確かに、僕は鯉佐木さんになるべく笑顔を見せようと努めてる。でもあの時の笑顔は、ぎこちなかった筈だ。

 それでも、救われたって言ってくれるなら、報われた気がする。


「この人は優しい人なんだって、心を許せるかも知れないって、期待した」


 鯉佐木さんは何を堪えているのか、両手を祈るように握る。

 去年からずっと彼女を見て来た僕だから解る。あの時の僕と同じで、勇気を振り絞ってるんだ。

 何かの一歩を、踏み出そうとしているんだ。


 鯉佐木さんは深呼吸すると、少し落ち着いた様子に変わった。再び僕の目をじっと見つめる。

 とても、とても真剣な表情で。


「──間違ってなかった」


 苦しみから解放それたように、鯉佐木さんの口元が綻ぶ。


「小谷くんはとても優しい人だった。ずっと一緒にいてくれて、私のことを助けてくれて、笑顔でいてくれて……本当に、ありがとう」


 暗くて見え難いけど、鯉佐木さんの目から一筋……小さな雫が頬を伝って落ちた。


「私はもう、()()()()()()を乗り越えられると思う。小谷くんが、ここにいてくれるから。隣にいてくれたから。……単純かも、知れないけど」


 最後に、鯉佐木さんは苦笑する。かつて誰に対しても殆ど口を開くことがなかった彼女は、こんなにも自分の言葉を伝えられるようになったんだ。

 ──それが自分のお陰だと言ってもらえて、思わずもらい泣きしてしまう。


「こ、小谷くん……?」


「ごめんね、鯉佐木さん。何だか僕あの、凄い感動して……涙出ちゃった」


 男なのに、女の子の前で泣いてしまった。それだけでめちゃくちゃ恥ずかしい。

 でも僕は、今勇気を出してくれた女の子に対して、ちゃんと言葉を返してあげなきゃいけない。泣いてる場合じゃない。


「……鯉佐木さんの心の助けになれたなら、僕は最高に嬉しいよ。僕からも、ありがとう鯉佐木さん。拒むことなく、僕に隣を預けてくれて、本当にありがとう」


「……」


 鯉佐木さんはまた一つ、涙を流し──


 「うん……っ!」


 とびっきりの、満面の笑みを見せてくれた。

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