2話 忘却のフーフー
「おぎゃー!おぎゃー!」
赤ん坊の泣き声……、意識が朦朧とする。
「奥様、やりました!元気な男の子ですよ!旦那様、旦那様~!」
寒いな……。
「おぎゃー!おぎゃー!」
しかも眩しい。
寒い。
「おはよう、私の赤ちゃん……!」
優しい声が聞こえてくる。
その顔を見ようと思うけど、眩しくて目が開かない。
「おぎゃー!おぎゃー!」
「葵!よくやった、よくやった!」
男の人の声も聞こえてくるけど、相変わらず周りは見えない。
「おぎゃー!おぎゃー!」
僕、赤ちゃんなのか?
それにしても寒い。
俺に赤ちゃんが出来たらポカポカに温めてあげよう!
無意識に手をギュッと握りしめながら、決意を固めた。
さっきまで、心臓が縮みそうな程の恐怖で考えることも出来なかったのに、考える余裕が出来てきた。
初めて聞いたピストルの音、アカシックレコードの笑顔、母さんと父さんの安否も気になるし、色々な感情がフラッシュバックしてくる。
何か考えなきゃいけない気がするけど、なんだか疲れたような、安心するような不思議な気持ちになる。
まるで母さんに抱きしめられてるみたいだなぁ。
今は寝よう。
ポカポカする。
気持ちいいなぁ。
***************
僕がこの世界に来てから四年の歳月が流れた。
この世界の事も少しずつ分かってきた。
中世ヨーロッパ風でありながら、普段使われている言語は日本語。
住んでいる場所は、なんと東京だ。
大江戸国東京県八王子領領主邸、八王子公爵家の三男坊として僕は生まれてきた。
兄が二人、姉が一人。
そしてこの世界の名前は、アース・アネージャ。
いやいやいや……。
母さんと父さんは何してくれてんの?
アース・アネージャってゲームじゃなかったんかい。
世界ですがな。
世界創ったってこと?
神様じゃん。
異世界に生まれ変わったら両親が神様になってた件。
そもそも、僕がゲームの世界にフルダイブしている可能性も否定出来ない。
アバターが赤ちゃんから成長するなんて聞いたことないけど、母さんならやりかねない。
その場合、四年間もログインし続けてることになる。
流石に現実味がないか。
ん~。
母さんの作ったコンピューターで異世界に転生しましたって、そっちの方が現実味無い……のか?
それでもこの世界で生きている、このリアル感。
無駄に現実感のある、現実味の無い、非現実的過ぎるこんな世界に四年間も浸っていると、自分の認識を疑ってしまう。
中でも、現実と仮想空間の境目を一番曖昧にさせているのが、これだ。
「ステータス」
……………………………………………………
名前 :八王子 高幸
年齢 :4歳
レベル :1
HP :450/450
筋力 :11
瞬発力 :6
体力 :150/150
魔力腔 :15
潜在魔力:300/300
職業 :子供、チート
スキル :
[生活魔術Lv.Z][治癒力Lv.Z][免疫力Lv.Z][体力回復Lv.Z][魔力回復Lv.Z][スキル経験値32倍][職業選択の自由][ストレージ][異世界ドロップ]
……………………………………………………
僕の言葉に反応するように、眼前にステータスボードが表示される。
空中ディスプレイ仕様だ。
近代的と言うか、非ファンタジーと言うか、二〇八〇年の世界では有り触れたパソコンの姿だ。
しかし、空中ディスプレイを表示している媒体がない。
現実世界なら、パソコンの本体が必要だ。
僕が良く愛用していたパソコンは、ネックレスタイプの携帯パソコンだ。
ネックレスの中に量子コンピュータと映写機が内蔵されていて、外でもパソコンが起動出来た。
それを見た母さんが、僕の為に作ってくれたパソコンがアカシックレコードだった。
まさか量子コンピュータじゃないとは考えもしなかったけど。
つまりこの世界にはパソコンが存在しない。
魔法なのか分からないけど、現実世界とは違う理がある。
このステータスボードを見ると嫌でも実感させられる。
ここは、母さんの作った世界だ……。
コンッコンッ
「高幸様、いらっしゃいますか?」
「は、はーい」
ステータスボードを慌てて閉じ、返事をするとドアから若い女性と女児が入室してくる。
「昼食の準備が整いました」
僕の教育や世話をしてくれている檜原子弓さん
二十代の男爵令嬢で僕の乳母だ。
銀髪を後ろで軽く纏めて清潔感のある、豊満なメイドさんだ。
「たかゆきさま、はんばーがーできました!」
それと子弓さんの娘、四歳の檜原子花。僕とは乳兄妹ということになる。
子花は僕と同じ四歳児でありながら、見習いメイドとして修業中の身だ。
銀髪、幼女、笑顔。
控えめに言って可愛い。
「ありがとう、子弓さん。今行くね」
「はい、それでは食堂でお待ち致します」
「ありがとう、子花」
「ひひー!」
満面の笑みを浮かべる小花。
その頭に子弓さんが手を乗せて、強制的に会釈をさせられる子花。
子弓さんも会釈をして退室していく。
僕も行くか。
食堂に入ると、子弓さんがテーブルに食器を配膳している。
子花はまだ配膳はやらせてもらえないのか、プルプルと小刻みに震えながらポージングを決めている。
控えめに言って愛らしい。
テーブルには一人の黒髪の女性がすでに着席していた。
「母上!」
「あぁ~可愛い!高幸さん、いらっしゃい!」
目からハートが飛び出しそうな程に、僕を可愛がってくれるその人に飛びつく。
八王子葵、八王子領領主の妻。
この世界の、僕の母上だ。
「よ~しよしよしよしよしよしよし」
頭を揉みくちゃに撫でられる。
貴方はどこぞの動物研究家ですか?
「なんて可愛いのかしら!天使?天使かしら?」
頬と額にキスされると、リビングのドアが開いた。
「またやってるの?母上」
首にタオルを巻いて汗を拭きながら入ってきた黒髪美少年は、我が家の次男、薫彦兄様。
日課の剣の稽古を終えてきたであろうその体は、湯気が出そうなくらいに温まっている。
父上に憧れて騎士になろうとしている薫彦兄様の稽古を何度か見たが、真に迫る勢いで稽古をしていた。
元の世界であんなに激しい稽古をしていたら体を壊しかねない。
無理な稽古を続ける薫彦兄様の体を支えているのは、スキルの恩恵か。
八王子領領主である父上は、領内では敵無しと言われる程の武勇の持ち主。
そんなバーサーカーに付き従う家来には有名な武術家が多い。
大阪国との戦争では、父上が率いる八王子兵団が戦局を動かす程に八王子領は武闘派集団の集まり。
薫彦兄様はその武闘派集団に入りたい為に、騎士を目指している。
目指すと言っても、公爵家の後ろ盾があるから概ね騎士になると思う。
「薫彦兄様! 修練お疲れ様です」
「ありがとう、高幸」
「あら、いいじゃないの。薫彦さんもこちらにいらっしゃいな」
薫彦兄様は両手を広げるお母様には見向きもせずに、自分の席に座る。
「俺はいいよ、汗も搔いたし」
「まあ! クールね。汗搔きクール男子!」
「直行先生には今日も一撃も入れられなかったし、早くご飯食べたい」
檜原直行先生は子弓さんの旦那さんで、男爵家の次男。
騎士として城内警備していたところをお父様に引き抜かれて、公爵家の家庭教師として来てくれている。
「薫彦さんはまだ六歳なんですから、甘えてきてもいいんですよ~」
「俺は早く強くなって、父上と共にダンジョンに潜りたいんです。甘えてなんていられません!」
「あら~、それなら子供スキルを早く成長させなければいけませんね?」
「ぐっ……」
薫彦お兄様がたじろいでいる。
母上が両手を広げて威圧している。
それも笑顔でだ。
「わかったよ……」
溜息混じりにお兄様が歩み寄ると、吸い寄せられるように母上に抱きしめられた。
「もうっいじけた顔も可愛いっっ!」
「うぐー!」
態とらしく悲鳴を上げるお兄様を見て、母上はさらに力を込めているように見える。
母上、そういうことをやるから嫌がるのですよ?
しかし、嫌がる薫彦兄様のスキル経験値は溜まってしまう。
心は嫌がっていても体は正直なのだ。
子供のスキルを成長させるには、子供らしく振舞うこと。
親に甘える、お手伝いをする、食べる、遊ぶ、学ぶ、喧嘩する。
子供スキルのランクを上げる方法は沢山ある。
孤児や奴隷でもない限り、普通に過ごしていれば子供スキルを満遍なくレべル上げ出来る。
だから、今回の母上の抱擁はスキル上げに必要な行為とも言えるし、そんなに必死に上げる必要無いとも言える。
どうせだから僕も混ざっちゃお。
薫彦兄様ごと抱きしめるつもりで懐に飛び込むと、母上はそれを難なく包み込む。
「うわっ、おい高幸、やめろよ」
「高幸さんも甘えてきちゃって。うふふふふふふふ」
うん、温かい。
この世界に来てまだ四年だけど、この場所も今では大切な僕の居場所だ。
「あらあらあら」
子弓さんの声が聞こえてくると思ったら、子花が子弓さんに抱き着いている。
僕らに触発されて子花が甘え始めてしまった。
なんと羨ましい。
気付けばテーブルには食器が並べ終わっていた。
「それでは昼食に致しましょうか」
「父上は来ないんですか?」
「父上は今日はダンジョンに潜っているよ」
僕が尋ねると、お兄様が代わりに答えてくれた。
なるほど。
それで薫彦兄様は少し昂っていたようだ。
早く大人になってダンジョンに入りたい。
そんな想いがお兄様のやる気スイッチをオンにしたのだろう。
「ダンジョンと自然の恵みに感謝を、いただきます」
「「いただきます」」
食器の上に置かれたハンバーガーに挟まっているのは、レタスとトマトとベーコン、それにソース。
別のお皿に盛りつけられているハンバーグの上にはチーズが乗せられている。
何故このような暴挙に及んでいるのか?
それは、貴族はハンバーガーを手掴みでは食べないからだ。
バンズにハンバーグを挟んでしまうとナイフで切り難い。
子供なら尚更だ。
だからハンバーガーとハンバーグを別々の皿で提供する。
この料理に名前を付けるなら『ハンバーガーにハンバーグを添えて』
ハンバーガーとはいったい何なのか?
そんな僕の疑問なんて何処吹く風で、皆真剣にハンバーガーを食べ始める。
僕もハンバーグにナイフを入れて、一口サイズに切り分けていく。
切り口から肉汁が溢れ、その切り口に蓋をするようにチーズが蕩け落ちてくる。
その一口大に切った肉にフォークを突き刺すと、子花と目が合った。
その口元からは涎が今にも零れそうになっていた。
かなり解りやすいな?
「子花、こっちにおいで。一緒に食べよう?」
「うん!」
元気よく返事する子花の肩に、子弓さんの手が圧し掛かる。
子弓さんは笑顔を作るだけで何も話そうとはしないが、子花にはそれだけで伝わったようだ。
「アッハイ」
子弓さんの圧力から抜け出すように、小走りで近付いてくる。
怒られなくてセーフと言わんばかりに、笑顔を浮かべながら舌を出してみせた。
あざとすぎる。
子花は僕の隣りの席に座ると、椅子には真っ直ぐ向かず僕の方を向いた。
こんなに可愛い子花に、最初の一口をプレゼントしたい。
そう思いながら、最初に切り分けた熱々のお肉を子花に差し出す。
「それじゃアーンして」
「アーン」
大きく口を開けても小さいそのお口に、僕はお肉を放り込んだ。
「あぢあああぁぁぁぁぁ!!」
しまった!
まだ熱々だったと後悔先に立たず、口に入れたお肉は勢い良く飛び出して床に飛び込み前転。
母上と薫彦兄様の笑い声と、子弓さんの溜息が耳に聞こえてきたけれど、それよりも目の前にいる子花の顔が僕にはとても印象的だった。