ぼくのお父さん
ぼくのお父さんは小説家です。
お父さんが今のぼくと同じ年の頃から、ずっとなりたかった職業だそうです。
「何で小説家なの?」
ぼくはお父さんにたずねたことがあります。
たぶん夏の始まる前の涼しくて暑い、どちらだかわからないようなそんな天気の日でした。
「この世は楽しいことに満ちあふれているっていうことを、誰かに伝えたかったんだ」
「それは小説家じゃないとできないことなの?」
その日のぼくはアイスを食べながらお父さんにたずねていたから、やっぱり暑い日だったんだと思います。
でもお父さんは涼しい顔で答えました。
「お父さんは小説家じゃないとできなかった。お前のそれがどうかはお前にしかわからない。大人になるまでにそれに出会えればいいさ」
ぼくはきっとアイスで冷えたんだろう体を、お父さんにすりよせました。
「でもお父さんは、ぼくの年の頃にはもう出会えたんでしょ。そんなのずるいよ。ねぇ、どうやって出会ったの? 誰に教えてもらったの?」
お父さんの体温が温かくなるのを感じながら、ぼくはその答えを聞きました。
「お父さんも覚えていないんだ。気がついたら出会っていた。きっと出会ったことを忘れさせるように、誰かが出会わせてくれたんだろうな」
お父さんは「ははは」と笑って、ぼくの頭を三回なでてくれました。
この世は楽しいことに満ちあふれている——。
ぼくもそう思います。
この作文を書く前まで、ぼくはたかしくんとけんすけくんの三人で、キャッチボールをしてあそんでいました。
あの日とちがって、夕陽が沈むのが早くなったから、よけいにそう思うのかもしれません。
「じゃあな、また明日!」
ふたりがそう言ってぼくに笑いかけてくれるだけで、ぼくは胸の奥が飛びはねるように楽しい気持ちになります。
ぼくはどうやって、その楽しさをみんなに伝えることができるんだろうな。
どうやったら、お父さんみたいなその答えを持っている大人になれるんだろうな。
頭の中をフル回転させても、今のぼくにはその答えは見つかりません。
「大丈夫。お父さんは少しだけそのスピードが早かっただけで、そこに勝ち負けはない。お前はお前のペースで見つければいい」
ぼくのお父さんはやさしい人です。
ぼくの涙をふき取りながら、そう言ってくれました。
「でも」
ぼくはお父さんが好きです。
でも、ぼくが小説家になっている姿なんて想像できません。
「それでいい。お前はこれからたくさんの人や物に出会う。あっ、これだってわかる前に手にしたものが、その答えだ」
お父さんのペンダコでできた、ごつごつした手のひらが、ぼくの頭をなでてくれます。
ぼくはお父さんが好きです。
お父さんのような人になりたいです。
ぼくはぼくの心の声を、お父さんにそのまま届けました。
「ありがとう。お前から今、この世は楽しいことに満ちあふれているっていうことを教えてもらったよ」
ぼくはなんとなく、本当になんとなくだけど、何かがわかった気がしました。
目の前のお父さんの笑顔が、ぼくにそう教えてくれました。
そして今、この作文をぼくはとても楽しい気持ちで書いています。
これからももっともっと、その気持ちを持ち続けていきたいと思いました。
そうするんだと決めました。
ぼくはこのことを、大人になってもずっと忘れません。
だって……。
とても楽しいから、その続きを今は書きません。