ちぃちゃんとちぃ先生
ちぃちゃんにはちぃ先生という、自分と同じ名前の先生がいました。
ちぃちゃんはちぃ先生のことが大好きでした。
でもはずかしがり屋さんのちぃちゃんは、ちぃ先生の前でその言葉を言ったことはありません。
みんなの後ろにかくれて、ちぃ先生のことを見ていました。
ちぃ先生はやさしくて、素敵な笑顔をうかべる人でした。
でもたまにドジをふみます。
足をつまずいて両手にかかえた給食をこぼしたり、大切な発表会の日に寝坊して遅刻したり。
その時みんなが指をさして笑っても、ちぃちゃんはちぃ先生のことが好きでした。
「ごめんね、ごめんね」とあやまるちぃ先生のやさしさをうたがわず、みんなの後ろにかくれて見ていました。
みんながちぃ先生のドジを忘れた後も、ちぃちゃんはちぃ先生のことを見ていました。
ちぃ先生はがんばり屋さんで、そんなところもちぃちゃんは好きでした。
みんなの見ていないところで、みんなに見られないように、自分の精いっぱいので力でがんばるちぃ先生のことが好きでした。
ちぃ先生みたいになりたいな。
同じ名前なのにちぃ先生みたいにやさしくできなくて、がんばるのもいやで、ずるくて、かわいくないあたしのことなんてきらい。
ちぃちゃんは生まれてはじめて夢を持ちました。
何だか胸の奥がこそばゆくなりました。
ちぃちゃんはちぃ先生にこのことを話したくなりました。
いつだって真っ先にうかぶ顔は、パパやママよりもちぃ先生でした。
いつかお部屋でふたりきりになった時、ちぃちゃんははずかしい気持ちをおさえて、ちぃ先生にこのことを話そうとしました。
「ちぃ先生、あのね」
そう言おうとすると、ちぃ先生のさみしそうな声が先に聞こえてきました。
「ちぃちゃん、先生ドジばっかりしちゃってごめんね」
今日もちぃ先生はいじわるなかずおくんにいたずらをされて、エプロンのポケットからおもちゃをこぼしていました。
あんなのちぃ先生はわるくないのに。
ちぃちゃんは胸の奥ですぐにそう思いました。
でも、ちぃ先生のさみしそうな思いがつまった言葉に、自分の気持ちを言葉に直せず、ちぃちゃんはもじもじしました。
「ちぃちゃんは先生と同じ名前の子だから、人一倍愛しく思うの。それなのに、こんな先生だとちぃちゃんはいやでしょ?」
ちぃちゃんは両方の手をぎゅっとにぎりしめて、のどに熱いものを感じながら言いました。
「ちぃ先生はドジじゃないもん。がんばり屋さんなの知ってるもん」
ちぃ先生は思いもしなかった言葉に、おどろきとうれしさの両方をこめた顔をうかべました。
「ちぃちゃん、ありがとう。先生とってもうれしいよ。ちぃちゃんはやさしい子だね」
「ちぃ先生もやさしい先生。あたしちぃ先生みたいなやさしい大人になるの。決めたの。約束だよ。あたしがやさしくならなかったら、ちぃ先生はあたしのことをしかってね」
「しかったらやさしくないじゃん」
やさしい声でちぃ先生はほほ笑みました。
「やさしいからしかってくれるの」
「そっか。わかったよ。その時は鬼さんみたいにとってもしかるからね。だからちぃちゃんは鬼さんを笑わせられるほど、やさしくなるんだよ」
ちぃちゃんは右手をぴんとあげて、「はい!」と返事をしました。
ちぃ先生と見つめあった後、ふたりともおたがいのうかべた笑顔がおかしくなって笑いあいました。体をくすぐりあって、ずっと笑っていました。
次の日。
ちぃちゃんは昨日までと同じように、みんなの後ろにかくれて、ちぃ先生を見ていました。
ちぃ先生がちぃちゃんの視線に気づいて、手まねきをしてくれました。
昨日までとちがい、ちぃ先生の言葉を聞く前に、ちぃちゃんはちぃ先生にむかって飛びつきました。
ほかのみんなが指をくわえてうらやむくらい、ちぃ先生はちぃちゃんの頭をなでてあげました。
「ちぃ先生大好き。あたしちぃ先生と約束したの。ちぃ先生みたいなやさしい大人になるの」
みんなは「そんなことできるの?」といった言葉で笑いました。
ちぃちゃんは最初だけはずかしがったり、いやな気持ちになりましたが、ちぃ先生のそばにいたから、すぐにそんな気持ちは飛んでいきました。
「もう決めたから平気だもん。ねっ、ちぃ先生。あたしやさしくなれるもんね」
ちぃ先生は小さな瞳の大きなかがやきに、大きくも小さくもないふつうの声で言いました。
「うん。ふたりで約束したもんね」
ふたりだけの約束は誰にも負けないものでした。
「やさしくなるんなら、何をしてもおこらないんだな」
かずおくんがいじわるな顔をして言いました。
ちぃちゃんはかずおくんの勢いにのまれて、「おこらないもん」と返事をしました。
するとかずおくんは、ちぃちゃんにいじわるなことばかりしました。言いました。
ちぃちゃんのおこる顔は鬼のようでした。
「うわー、こわい。全然やさしくないじゃん。ちぃ先生、ちぃちゃんのことをしかってよ。やさしくないし、約束守らないし、わるい子だって言ってあげてよ」
ちぃ先生がしかったのはかずおくんでした。
「こらっ!」
ちぃ先生の思いのつまった言葉は、一言だけでかずおくんを自分がわるかったと思いしらせるものになりました。
だからちぃ先生はそれ以上何も言いませんでした。
ちぃちゃんのことを見つめて、昨日と同じ笑みをふたりはうかべました。
「あたし、ちぃ先生みたいなやさしい大人になるの」
ちぃちゃんはその約束を守り続け、大人になりました。
そして今、目の前のいつかの自分によく似た女の子のことを見つめていました。
「あたし、ちぃ先生みたいなやさしい大人になるの」
ちぃちゃんからちぃ先生へ受けつがれた思いは、また新しい思いへと生まれ変わりました。
「よーし。約束守れなかったら鬼さんみたいにしかるからね」
夢をかなえたちぃちゃんは、生まれてはじめての夢を持ったちぃちゃんに、とてもやさしくほほ笑んであげました。