まくら 3
すべてを失った。
友人も仲間も地位も。
あとに残されたのは襤褸切れのように打ち捨てられ、地面に大の字で横たわっている僕だけだ。
つい先ほどまで感じていた熱情は疾うに失せ、夜風が体を冷やす。
勝てるわけがなかったんだ。いくら強い思いを持とうが、いくら覚悟を決めていようが、いくら憤ろうが、それで突然強くなれるわけがない。
僕の体重と剣の重さを乗せた渾身の一撃をフィンレーは危なげなく半身で躱すと、剣に振り回されて体勢が崩れていた僕に膝蹴りをいれた。
それで終わりだった。旅の終わりはひどく惨めなものだった。惨めな僕にはお似合いな最後だった。
激しく咳き込み再び地面に膝をつく僕を他所に、彼は滔々と別れの言葉を告げた。
「これで分かっただろう。いや、本当は最初から分かっていたんだろ。お前は残りたいと口では言いながらこの戦いには乗り気じゃなかった。お前には無理なんだよ」
さすが幼馴染だ、心の中までお見通しだとは。
「装備は返しておけ。これからは教会の庇護もなくなる。言っておくが教会に泣きついても無駄だぞ。パーティーの管理に関しては俺に一任されている」
「こいつぁ俺がもらうぜ」
地面に投げ出された僕の両手剣に近づき、それを片手で軽々と拾い上げたケイレブはそう言った。
「・・・それだけは、それだけはやめてくれ!」
地面を這い、ケイレブの足に縋り付きがら最後の慈悲を求める。
敗者の僕にそんな権利がないことも、厚顔無恥なことも自覚していた。
それでも神様から戴物が貰えなかった僕にとってはこの剣だけが神様からの唯一の贈り物だ。
それを無くすなんてことは考えたくもなかった。
僕の我儘をケイレブは言葉と足蹴を以って文字通り一蹴する。
「・・っがは」
僕は地面を転がり、砂埃が舞う。
ケイレブは鷹揚な足取りで僕に近づくと、僕が背中に斜めに掛けていた両手剣の鞘を外して言った。
「ったく、ヘルマトス様もどうしてこんな無能を『勇者の剣』なんかにしたんだ?まともに剣を振るうこともできないなんてとんだお笑い種だぜ」
「ふっ、これもまた神の定めた運命の1つなんだろう」
フィンレーが軽口で返した。
「その辺にしておけ!モナーク派に聞かれたらまた面倒なことになる」
「ねぇ、どうでもいいからもう中に入ろうよ。もう遅いし、それに冷えてきたわ」
グルナが2人を諫め、ソフィアは相変わらずマイペースだった。
すべてがいつも通りだった。
僕がそこにいないことを除けば。
「マシュー、物事は変わっていくんだ。俺たちは神によって選ばれ、強くなった。時間とともに関係も変わっていく。だが、お前は何も変われなかった。
それがこの結果だ。村に帰れ。きっとあそこは今も何も変わらずに俺たちの帰りを待っているだろう」
フィンレーは最後にそう言って、土に体を横たえる僕を残して宿の中に戻って行った。
僕は仰向けになって夜空を仰ぐ。
はるか彼方に浮かぶ幾多の星々は僕の心がいくら翳ろうと変わらずに煌めいていた。
南西に浮かぶ三日月はどこか物悲しい様子だった。
涙が頬を伝う。
「物事は変わっていく」、「お前は何も変われなかった」、彼の言葉を反芻する。
きっと彼の言う通りなんだろう。フィンレーはいつも正しい。
僕は村を出た時から何も変われていない。
拭っても拭っても、とめどなく涙が溢れてくる。
どうしてこんなことになってしまったんだろうか?
僕たちの歯車が狂い始めた、いや、彼が変わり始めたのはあの日からだった。
※ ※ ※ ※
早朝、静謐な部屋の中、僕はひとりでに目を覚ました。
すぐ隣から聞こえる微かな呼吸音から兄妹たちはまだ眠っていることが分かる。
階下から音がしないため、両親もまだ起きていないのだろう。
外はまだ暗く、遠くに見える丘の天辺から橙色の光が僅かにのぞいていた。
外套を羽織りなおした後に、欠伸と伸びをそれぞれ一つずつし、それから音を殺すようにしてベッドから降りた。
いつもより随分早く目が覚めたのに、頭はすっかりと覚醒していた。
別に朝が得意なわけじゃない。
今日という日を昨日の夜から、いや、新年を迎えた時からずっと、今か今かと待ちわびていたんだ。
そう、今日、僕たちは成人を迎えるのだ。
成人を迎えるとはすなわち教会で洗礼を受け、ヘルマトス様の祝福を授かるということだ。
祝福を授かるとはすなわちステータスと戴物を授かるということである。
「『太古の魔神』が復活したとき、勇者もまた現れる」というのはこの国に住んでいる人間ならだれでも知っている。
その『太古の魔神』が復活したという噂は、この辺境の村にもしっかりと届いていた。
古来より、洗礼の儀式を受けた15歳の少年少女の中から、勇者は現れると言い伝えられている。
それはつまり、今日洗礼を受ける誰かの中から勇者が現れるということを意味していた。
今日から僕は子供じゃないんだ。
自分が勇者に選ばれるなんてことは本気で思っていない。
村の外からあまり出たことがない僕は実際に見たことはないが、この国は広い。
外には僕と同じ年齢の子たちがごまんといるだろう
それに僕は物語に出てくる主人公のような煌びやかな金髪や、空のように澄んだ碧眼を持っていない。
その点、村を束ねているオムレイさんの息子で僕の親友のフィンレーは英雄譚に出てくるような英雄のイメージにぴったりだ。
でも、僕が勇者に選ばれる可能性はゼロじゃない。
魔神が現れたのだ。
この国は滅びるかもしれない。
たくさんの人が自分の命を、大切なものを失うかもしれない。
それでも僕はワクワクしていた。
この気持ちが良くないものだということはわかっていたし、心の中にとどめておくべき感情ということはわかっていた。
しかし、今日洗礼を受ける人たちは皆、腹のなかでは同じように思っているだろう。
英雄譚を読み、勇者の伝承を聞いて育った子供たちなら、みんな一度は頭に浮かんだことがあるだろう思い。
「勇者になりたい」
家畜に餌をやりながらそう独り言ちた僕の声が、静寂の朝を風と共に駆け抜けた。
僕は自分に課されているいつもの仕事を片付けた。
それでもまだ家族は起きてこなかったので、いつもは兄や両親がやっている作業を代わりにこなしていると、やっとみんなが起きてきた。
早く起き、早く仕事をしたからといって何かが変わるわけじゃない。
でも、はやる気持ちは抑えられなかった。
家族で食事をとっている間も気持ちは一向に落ち着かなかった。
木のお椀に盛った一杯のポタージュ。
噛めば噛むほど穀物の味が広がる茶色のパンを4切れ。
いつもの朝食にいつもの家族。
それでも幼い双子の妹を除いて、心なしかみんながそわそわしているようだった。
朝餐を終え、食器を片付けた後、いよいよ教会に行くための準備をする。
普段着ている汚れて小麦色に変色したチュニックを脱ぎ捨て、代わりに兄が洗礼の際に一度だけ着た、羊毛で出来た鉄黒色のチュニックを着る。
同じように下半身も日常の作業で変色したドロワーズを脱ぎ、真新しい新緑のトラウザーズを穿いた。
最後に腰にチュニックと同じ色の帯を巻いて身支度を整えた。
新しく、毛羽立っていない衣服を身に着けたことでとても爽やかな気分になったと当時に、いよいよ祝福を授かれるんだという実感がわいてきた。
用意を終えて一階へ降りると、同じく身支度を終えた父さんが戸口の前で待っていた。
真新しい一張羅を見に纏った姿を母に見せると
「服と髪の色がマッチしていてよく似合っている」と褒めてくれた。
少し照れ臭かったけど、嬉しかった。
僕たちは「御馳走を作って待っている」と言う母と兄妹にしばしの別れを告げて家を出た。
読んでくれてありがとう。次に続きます。