三億と三万
「三億ぐらい当たんねぇかなぁ。」
晩酌をしていたら、ついついそんな言葉が口から出た。
「またその話ぃ?」
洗い物をしていた有紀が渋い顔をして、食卓に戻ってきた。
「あんたここ最近いっつもその話してるよね。」
「だって三憶だぞ!三憶あったら人生薔薇色じゃねぇか!」
深いため息をつきながら、有紀が自分のグラスにビールを注いだ。
「どうせまた車買ってバイク買って家買うとか言うんでしょ。」
「甘いな。今日の俺はそんなんじゃねぇ。」
「というと?」
俺はグラスのビールを一気に飲み干す。
「ズバリ!株だ!」
有紀のついていた肘が盛大にズッコケる。
「…アンタってホント馬鹿ね。」
「なんでだよ!株だぞ!?金が更に増やせるんだぞ!?」
「じゃぁ一つ聞くけどあんた株のやり方しってるの?」
「知らん!」
有紀の口から大きな溜息が出た。
「…たまにあんたが羨ましくなる時があるわ。」
「当たんねぇかなぁ。三憶。」
今晩の晩酌のつまみのサラミに有紀が手を伸ばす。
「まぁ確かにそんなお金があればこのボロアパートともおさらばできるでしょうけどね。」
「だろう!?」
有紀が俺のグラスにビールを注いでくれた。こういうところも自慢の妻だ。
「それよりも私は月々あと三万あればいいなと思うわ。」
「三万ん?夢がねぇなぁ。」
「何言ってんのよ。三万あればどれだけ生活が変わると思ってんのよ。」
今度は有紀がグラスのビールを一気に飲み干した。
晩酌の時にグラスの酒を一気に飲み干す時は、我が家ではお互い何か言おうとする合図だ。
「まず三万あれば、今のアパートより良いところに引っ越すこともできるわ!」
「うむ、確かに。」
「他にも旅行にも行くことだって出来るのよ!」
「まぁ確かにな。」
「あぁ、夢のヨーロッパ旅行…。」
「いや、ヨーロッパは無理だろ。」
有紀はばつの悪そうな顔をして、グラスにビールを注ぎ直した。
「ヨーロッパは言い過ぎたわ。そこまで行かなくても近場だったら行けるでしょ?」
「まぁな。」
「それに三万なんて、三憶に比べたらよっぽど現実的よ。」
「ふーむ。」
酔いが少し回ってきて頭が回らないが、三憶より三万の方が現実的だということくらいはわかる。確かに三万あれば生活が変わるのもわかる。
「三万か…。三億に比べたら大した金じゃねぇけど、まぁ全然違うわな。」
「でしょ!そこでこれよ!」
有紀がなにやらチラシをバンとテーブルに叩きつけた。
『パート募集中!アットホームな職場です!』
訝しげに有紀の方に目をやった。
「何よ。」
「お前、働いたことないのわかって言ってんのか。」
有紀は箱入り娘でなおかつ高校卒業後即俺と籍を入れたため、アルバイトすらやったことがないのだ。
「やってみなけりゃわかんないじゃない!」
「またお前はそうやってなぁ!そんな甘いもんじゃ…!」
いつものようにギャーギャーと騒ぎながら夜も更けていく。
おそらく来週には有紀はパートに応募するだろう。言い出したら止まらない妻だ。
三億と三万。額には大きな違いがあるが、どちらも生活を変えるには大きな額だということが、なんとなくわかった。