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51 麦粥を囲んで

「死にそう。何で今更数学と物理なんだ??」


 翌朝アンリが起きて身支度を整え、食堂へ向かうと、げっそりとやつれたフェニスタが、木の椅子にもたれかかるようにして座っていた。昨日未明、アンリがランダハによって座らされた場所だ。テーブルの奥側に花が飾られているのが一番よく見える。

 木製のがっしりしたテーブルには落ち着いたアップルグリーン色のテーブルクロスが掛けられており、グレーの刺繍も相まってアンティークな雰囲気だ。フェニスタの前には持ち手がない、白くて丸い陶器のカップがある。中から温かそうな湯気が立っている。

 テーブルの奥側には、ブラウン系のポインセチアのような花と葉が飾られている。合わせてほのかに光沢があるベージュ色の粒が、小さい葡萄のように生る植物が纏められている。このテーブルガーランドは、昨日とは別の植物のように見える。毎日替えているのだろうか。


「おはよう。数学って微積分とか? 物理って量子力学やら相対性理論でも勉強してるの?」


 アンリがゾンビのようにぐったりしたフェニスタの隣に座りながら雑な質問をした。椅子に浅く腰掛け、姿の見えないランダハを目で探しているあたり、フェニスタの勉強内容に本気で興味があるわけではなさそうだ。


「魔法書ってワクワクするじゃん? 立派な装丁の本を開くじゃん? ほぼ数式しか書いてないの。これが物理なんだってさ」


 仰向けで椅子の背もたれに身体を預ける体勢を変えずにフェニスタが答えた。


「身体は元気でやる気もあるよ……でも理解できるかは別。地球での数式と違うような気がするんだよね」


 フェニスタの椅子の、肘掛けと身体の間に本が挟まっている。食堂まで持ってくるなんて中々真面目だなあ、とアンリが思いつつ、本を掴んで引っ張り上げ、中身を開いた。

 ページは薄く向こうが透けそうで、グラファン紙のような紙質である。細かい文字でびっしりと記号と数式が書いてあり、他の要素は無さそうだ。グラフや図表、一行の文すらも書かれていない。

 アンリは本を開いているだけで、ピリピリした熱さを感じた。


「どれどれ……全く分からないな。確かに記号の使い方が違うような気もするね。数の扱いとエネルギーに関してもおかしいかな? オートさん読めるかな」


 オートに問いかけてみたが反応が無い。これは無理そうだ。


「全然歯が立たなさそう。あれ?」


 MPを入れることができることにアンリは気づいた。しかし彼女はMPを注入することを止めてページを閉じた。

 アンリが集中すると、本を身体に吸収することが出来そうだ。アンリのゲームである『ブラッディ&コールドムーン インフィニット・ダンジョン・エトセトラ』では、スキルや魔法を習得する時に対応する本を消費する。それ以外の方法では習得出来ない。

 この書物をアンリが吸収すれば、アンリだけは本の内容を解読出来るようになるかもしれない。しかしこの本はランダハの所有物である。オートモードが反応しないのは、その事情を慮ってのことだろう。

 アンリはフェニスタと肘掛けの間に、本を元あったように返した。


「難しい……でも俺頑張るよ。可愛いユニット達に会いたいから。何よりルカルラ、君のために」


 奥の戸がギイと開いてランダハが入ってきた。一緒にシンシアが長方形の銀のトレイに湯気の立つ朝食を載せている。


「おはようございます! 麦粥でよろしければ食べますか? 多めに作りましたよ!」


「おはよう! シンシアの麦粥は絶品なんだ! たくさん果物が入っているんだよ!」


 ランダハが元気に胸を張って言う。

 サビ猫はテーブルの真ん中に位置取った後、しっぽを振って麦粥のボウルを浮かせ、自分の目の前に置いた。自分用の粥は冷ましてあるようで湯気が出ていない。

 その後もう一度鍵しっぽを立て、シンシアが両手で持つトレイから、全員分の麦粥と匙、お湯の入ったコップを配膳してくれる。ランダハの使う魔法は便利そうだ。


「まずは食べよう! それからフェニスタには基礎理論の講義ね! いただきます!」


 ランダハが声を掛け、ガツガツと食べ始めた。アンリも手を合わせてから口を付ける。

 麦粥はポリッジに似ており、無花果と苺、乳製品と一緒に、潰した麦が柔らかく煮られている。くつくつといまだに煮立つ麦粥は、身体が温まる味で美味しく、死体のような目をしているフェニスタ以外は会話を楽しんだ。

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