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45 シンシアとランダハの過去

 ヒューッと空気の悲鳴を耳元で聞きながら、丁寧にゆっくり時間をかけ、アンリは地上に飛ぶ。

 オート制御にも慣れてきたが、自動化を否定するような思考をすると、すぐにスキルや風魔法の効果が切られてしまう。そのためずっとオートでいることはできない。考えることで否定や批判が脳内に生まれるからだ。

 モクモクと煙が上がる薬はまだ手に持っている。


 地上の奇跡の泉がある辺りに飛んだが、なぜかアンリの肉眼に屋敷が見えた。よく目を凝らして見ると、屋根の真ん中に小さな穴が空いている。どうやら奇跡の泉ではなく、ランダハが住んでいる域内に『女神の古詩』が落ちたようだ。

 アンリはフワリと注意を払いながらテラスまで飛び、テラスの外部にある建付けの悪いドアから中に入った。鍵は掛かっていない。中に入るともう一つ扉がある。内扉に手を掛けると、入ってきた方の外扉が音を立てて閉まった。


「ランダハ。ごめん、来たよ〜」


「その声はアンリ! さっき隕石が落ちてきたんだ。

 塔の上ではよくもやってくれたな!」


 ランダハが頭のコブを抱えながらヨタヨタ歩いてきた。落下物に直撃してしまったのだろう。

 アンリの手に握られている瓶から、モクモクと煙が部屋内に充満していく。この煙は女神が勇者選定に使っていたのだから、おそらく人間用だろう、とアンリは思っていた。実際イモータルである自分には効いていない。


「ごめんごめん。気をつけるよ。『女神の古詩』はどこ? あとこの薬についてなんだけど……」


 アンリが話し始めたが、ランダハが体当たりで遮った。


「ねえ……!? シンシア? 生前のシンシアだ! あの頃のままだ! ゴロゴロニャンニャン」


 サビ猫がピョンピョン甘え、アンリの足元に耳の辺りを擦り付けてきた。


「ちょっと何言ってるか分からない。まだ全裸で全身モザイクのはずなんだけど。私はアンリだよ。ランダハにはシンシアに見えるの?」


「ねえシンシア〜、寂しかったニャー、なんで行っちゃったの!? スリスリスリスリ」


「一体どうしちゃったの!? あ、この煙が原因か! えーい」


 急いで背後の扉を順番に開け、テラスから栓が破損してしまった瓶を放り投げた。モクモクも飛んでいく。

 おそらくは奇跡の泉内に瓶が落ちた。外気に当たれば惚れさせる効果も薄まるだろう。


「はっ!?」


「ランダハ、気付いた!?」


「シンシアの服、大事に仕舞っておいたよ。

 でも他に合いそうな服が無かったから、クソガキに一番地味なやつを貸しちゃったニャーン。

 他の服はクローゼットにあるから自由に使って! ニャンニャンニャン」


「ありがとね。私そういうふうに思われていたのか……。でもシンシアをランダハは好きなのか。なぜ攻撃したんだろう」


 お腹を見せてゴロゴロし始めたランダハをガシガシ撫でてから、アンリは立ち上がる。必死にせがまれたので、サビ猫を抱え上げ、お尻を支えて片手で抱っこをした。ランダハが嬉しそうに、アンリの頬をザリザリ舐めながら両足をフミフミしようとする。


 テラスから近い二階の角の、全面がクローゼットの部屋にアンリは案内された。ランダハが鍵しっぽで奥の古びた木のクローゼットをビシッと指す。

 アンリが失礼しますと言いながら、指されたクローゼットをそっと開けた。

 中には女性用の服と、それより少し小さめの服が沢山並べられており、きちんと整頓されていた。ハンガーに掛けられているコートやワンピース、カバーで保護された古いドレス、メイドの仕事着、畳まれたり籠や箱に収納されている小物類もある。

 これらが生前のシンシアが着ていた服なのだろうか。

 隅っこにニットが置いてあり、猫の毛で汚れている。ランダハがこの上で寝ることがあるのかもしれない。

 アンリはクローゼットを開けた瞬間、一斉に視線を向けられたような感覚に陥った。服たちに見られているのだ。


 それぞれの服や小物は何かを相談し合うようにさざめいた。

 フォーマルなデザインの上着、白い半袖のシフォントップス、長いプリーツスカート、毛織の帽子、下着類が浮いて、アンリの目の前に並んだ。

 今回も全体的に落ち着いた色味だ。グレーがかった茶、白、蓬色の組み合わせで、アクセントに青緑色だ。頷くと自動で着付けてくれる。アンリはランダハをそっと降ろした。

 服を着るとモザイクが自動的に消えたようだ。アンリはシンシアの気遣いに感謝した。

 メイクは必要ないと思ったが、そういえば街中で化粧している人をあまり見かけなかったかもしれない。


「二セット借りてもいいかな。フェニスタの分なんだけど」


「ニャンニャン♪」


 服たちがゴニョゴニョと迷っているので、アンリは出来る限りのフェニスタに関する情報を伝えた。元勇者、現在女神、見た目と性格、大まかなサイズ、市会議員の息子、魔族と恋仲……説明しながら、なかなか複雑な人だとアンリは思った。

 じっくり耳をそばだてて説明を聞いたように見える服たちがヒラヒラとアンリに巻き付き、各々が質疑応答を始めた。言葉を話さない服たちが知りたそうなことを、アンリが汲み取って話す。過去の交際歴やルカルラのセンスまで聞かれた。


 話がまとまったのか、青ラインが入ったゆったりしたシルエットの白いワンピースと肌着類が、立候補したように奥から勢いよく飛び出してきた。元男性の服なので、あまり締め付けない楽なデザインのものを選んでくれたのだろうか。レーシーな白い平靴もおずおずと並ぶ。髪飾りやリボンは迷っているようにザワザワし、お互いに絡みついて喧嘩している。

 また本人を連れて来るね! 領域から出られればだけど、とアンリが声を掛けると静かになった。

 最後に編みベルトが堂々と出てきた。ベルトは装飾品と合わせるつもりだったらしい。他の飾りが無ければこれぐらい存在感がある方がお洒落なのだろう。

 ワンピースと肌着、ベルト、靴が重なり、アンリの左手にクルクルと収まる。


「どうもありがとう。魔法で最高のクリーニングをして返すから」


 ウールのクリーニングを縮めないようにするにはどうしたらいいのだろうか、とアンリは考えた。アルカリ洗剤を使わず中性で、ポーションや消毒薬はどうなのだろう、オートに任せよう、と考えをまとめたところで、名残惜しそうにじっとお座りしてアンリを見つめるランダハを残し、アンリはテラスから外に出ようとした。


「あっそうそう、さっきの隕石、『女神の古詩』はどこだろう」


「ニャ〜ン」


 ランダハが鍵しっぽを立てて階段の方へ行き、すぐに古詩を重そうに咥えて持ってきてくれたので、ありがたく受け取る。

 しっぽをピンと立ててひたすら顔を擦りつける子猫のようなランダハを、アンリは屈んでもう一度丁寧に撫でた。ランダハが目を細めて喉を伸ばす。口元が緩んで牙が見えた。

 また精霊魔法で上まで送ってくれるというので、すぐにアンリは服類と『女神の古詩』を持って、フェニスタが待つ女神の領域に向かった。

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