40 クロロンの助太刀
アンリは頭上の月に向かって跳躍した。今夜も美しい星月夜だ。この世界では月の出は魔法や精霊に影響されているのかもしれない。まるで生きているかのような月なのだ。
アンリは前の戦闘に比べると千から七百ほどにレベルが下がっている。何とか戦えているのは、頼もしい相棒と思える青い光の刀を、戦闘開始時から手にしているからだ。勇者からの借り物だが、自分に合う武器という存在がいかに大切かをアンリは痛感した。しかしMPポーションが少ない今、あまり悠長な戦闘はしていられない。
「シンシア、よければ手伝ってくれたら嬉しい。大丈夫?」
シンシア次第で動きが、戦術が、勝敗が変わってくる。アンリはそう感じて、まずは自分の一番のパートナーであるシンシアにそっと声を掛けた。
特に『タロット』スキルでの援護が強力だ。シンシアは状況によって出来ることが変わるようだが、今はクロロンもいるし、吹き抜けの部屋なので精霊もいるだろう。
シンシアと二人がかりや、チュートリアルが終わって戦えるようになったフェニスタと三人で協力すれば、女神という至高の存在にも届くのではないだろうか。
むしろクロロンという、中身がランダハという名の強力な妖精とシンシアが協力すれば、『タロット』で何か凄い事が出来るのではないかという推測もアンリはしていた。
それにしてもシンシアはクロロンと合流してから、一言も喋っていない。ランダハの事も良く言ってなかったので、実際は何らかの理由で仲が悪いのかもしれない。
「アン、リ……ごめんなさい。わたくし……何だか動けないですわ。声も出ませんの」
シンシアの、初めて聞くような小さく弱々しい声にアンリは戸惑った。
「体調悪い? じっとしてて。すぐ済むから」
下から熱風が吹き上がって来るので氷雪魔法をぶち込む。大量の水蒸気や煙で視界が曇る。勇者を巻き込まないように、先ほどまで彼がいた場所を避けて魔法を撃つ。
手元にじっと集中し、刀の意思を聞く。刀は一緒に女神を斬りつけよう、打ち倒そうと言っているように思われた。その意思に沿って自由落下し、風魔法とともに煙でよく見えないフロアにいる女神を捉え、鋭い刃を振り下ろした。
刃が到達する瞬間、アンリのどこか達観したような眼差しと、女神の獰猛な目が合う。かろうじて銀月の女神はアンリの攻撃を躱し、カウンターの正拳を決める。アンリの脇腹をかすって彼女は壁に叩きつけられた。
「やはり強い! セーブしておけば良かった!」
直前にセーブしておけば何回も戦えたのにとアンリは惜しむ。バフ類はもちろん全部掛けてあるはずだ。イキリモードなので間違いない。青い光が強くなった刀に、アンリはさらに自身のMPを注ぎ込んで、一緒に戦おうと誘う。刀身が呼応して刃が華やかに煌めく。
火、風、水魔法やスキルを一度に混ぜて使えるのがアンリの強みだ。アンリはすぐに体勢を整え、風魔法で女神の攻撃を牽制しつつ、彼女を派手に吹っ飛ばしながら、刀を構えて突っ込んだ。
女神は燃えている髪をこちらに伸ばし、長い爪をさらに伸ばしてアンリを串刺しにしようとする。
知るか! とばかりに多少のダメージを想定に入れ、アンリは女神の頭蓋骨から胸、腹を狙って刀と青光の衝撃波を、渾身の力を込めて振り下ろした。
「ちぃ!」
女神が諦めたようにその場から飛びのく。女神はやはり刀での深手を避ける立ち回りをする。
「状態異常はお嫌いですか? 生き返れるとしても嬉しくないみたいですね!」
アンリは刀で追撃せず、風弾を女神の至近距離から大量に撃ち込みながら、彼女から大きく距離を取った。なぜなら女神が憤怒の形相で口からダラダラ血を流してはいるが、勇者フェニスタに対して鋭い爪を向けていたからだ。
「そこから動くと勇者の命はありません。アンリ、投降しなさい」
「女神様……?」
勇者は信じられないように女神を見る。勇者は後ろ手に女神の髪を絡められ、ほとんど身動き出来ない状態だ。
「寿命を共有しているのでしょう? 彼が死んだら困るのではないですか?」
「何を言っているのですか。勇者が亡くなったからといって私が死ぬわけではないと思いますよ」
アンリが気取られないように答えるが、内心は心臓がバクバクしている。現状オートでは手足も魔法も出ようとしない。ということは女神の言っていることが真実かもしれない。勇者が殺されると自分はどうなるのだろうか。
やはり戦闘を避けてフェニスタのチュートリアルを優先するか、始めから勇者を守るべく動いたほうが良かったかもしれない、とアンリは内心で舌打ちした。
「勇者は貴女の勇者でしょう? 彼を失うと困るのは、むしろ貴女ではないでしょうか?」
アンリがにじり寄る。女神と捕らえられているフェニスタはじりじりと後ろに下がった。
「もちろんそうです。彼は人類で一番大切な駒ですわ。でもアンデッドに堕とされるような勇者は要らないですわね」
女神が爪を振り下ろす。すんでのところで身を捻じってフェニスタが避けたが勇者の頬に血が滲む。
「ランダハ! 今!」
アンリが背後のクロロンに合図を出す。クロロンがいつの間にか起き上がってお尻をフリフリし、何かのタイミングを狙っているのにアンリは気が付いていた。小さい虫を捕まえようとする猫とそっくりの動きだった。何かを仕掛けるなら、女神が一瞬気を揺らした今しか無いと直感する。
「OK! いくよ、ディスペル!」
「キャアアア! 何しますの!? わたくしは味方ですわよ!」
クロロンがゴウッと黒炎を放った。黒炎は数メートルしか離れていないアンリに向かい、シンシアに直撃した。シンシアは悲鳴を上げて、ザアッと大部分が砂化して崩れ落ちる。
「え?」
アンリが戸惑って動けない間にドレスのリボンが解け、タックが伸び、布地がサラサラと塵のように細かい砂になっていく。シンシアは始めから落ち着いたベージュ色だったのだが、服が色も雰囲気もそのままに、砂へ還ったようにアンリには感じられた。
シンシアが滅ぼされたとたん、女神が苦しみだしてその場に倒れ伏した。




