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1 目覚めと状況

 夢を見ていた。何かのロゴマーク。いくつもロゴを並べて皆で話し合っている。ぼんやりと知っているが思い出せないな、これは一体何だったっけ、とアンリは思った。確か数人でゲームについて話し合っていて――


「寒っ!!」


 アンリはガバッと飛び起きた。しかしその拍子に足を挫いてしまった。

彼女の足元には冷たい石畳。鼻にツンとくる臭い。そして治安の悪い場特有の寒々とした空気。街灯がなく、辺りは真っ暗だ。月明りが街のシルエットを禍々しく映す。ここはスラムの小汚い裏路地である。貧しい人々が飢え、子どもが捨てられ、人売りが跋扈し、明日の命の保証もない空間であることを、雰囲気が凍える冬風とともに教えてくれる。


「私、どうしちゃったの? 面接の時間は? てかなんで裸足!? 奮発して買ったパンプスが! あんなに準備してた資料も無いよ! そもそもここは、新宿?」


 アンリはガタガタ震えながらも鋭く目をこらし、状況の把握に努める。

今のアンリの服装はフード付きの大きなボロ一枚。そして靴を履いていない。髪はべったりと汚れ、肌も汚れて埃だらけだ。見た目も痩せ、背の低い少女になっていることにアンリは気づいた。

幸い周囲に誰もおらず、差し迫る危険がなさそうだと分かったので、恐る恐る立ち上がる。

目視と手探りで自分と周囲の状況を急いで調べたが、鞄もスーツも靴も見つからない。アンリは見たこともない小さな路地の端にいた。人の気配が全くないのは、時間が遅いからだろう。今は大体丑三つ時くらいなのだろう。


 両手で腕をさすりながら、新宿にも治安の良くないと言われる場所はあるだろうと彼女は思案した。が、様子がおかしい。仮に治安の良くない場所に迷い込んだとしても、歩いていたビジネス街から遠すぎる。それに、ここまで生命自体を拒否するような凍てつく雰囲気ではないはずだ。


「たしか私、転落して……そこからの記憶がない。工事中の道路にでも侵入しちゃったかなあ? あとなぜかロゴの夢を見た。ロゴのデザインについて話し合うことなんて、最近なかったように思うけど。スマホ、タブレット、財布の中には免許証……個人情報は大丈夫だろうか。手元に無いと不安だなあ」


足元には凍るような石畳の感触があり、挫いた足をつくたびに痛い。


「足首を捻挫してたら不安だな。無理しないでおこう。急いで行きつけの院で見てもらったほうが、後が楽なんだよね。鞄が手元に戻り次第、予約の電話を掛けよう」


 彼女は歩き出した。もたもたしていると凍えて死んでしまいそうだ。

 周囲は真っ暗で、冬のように寒い。しかしアンリの記憶では、現在は秋口で、ジャケットの上にコートが必要ない、歩くと気持ちいい季節だったはずだ。

 また自分がボロのような服を着、背丈も縮んでいるのはどういうことだろうとアンリは考える。まるで子どもになったようだ。街並みにも心当たりがない。それに非常に空腹で喉も渇き、身体の具合が悪い。今までの自分自身との連続性が感じられない。哲学の実存主義を思い出した。

 混乱している彼女の脳裏に、ある少女の記憶がふっとよみがえってきた。


 王都のスラムの孤児で、カールした変わった色の髪が特徴的な女の子。女の子は孤児と大人たちのグループで助け合って生活していたが、最近グループが壊滅し、散り散りになってしまったこと。リーダーが亡くなり生活のめどが立たなくなってしまったこと。人さらいに怯え、普段からフードを被っていること。今はゴミ拾いで飢えを凌いでいること。もうすぐ新年である。つまり今は年末であること。寒くて堪らないこと。おそらくこの少女は凍死してしまったこと。


 自分はこの凍死した少女の中に、意識だけ入ってしまったということだろうか。こんな大仰なドッキリなんてあるのだろうか。


 アンリはフラフラと、転ばないように気をつけながら早足で歩いた。進みながらも少女の記憶をできる限り思い出す。足が痛いが仕方がない。体の元の主である少女も、今自分がいる場所は危険だと認識している。売り飛ばされたりトラブルに巻き込まれてはたまらない。スラムの路地から早く離れたいとアンリは感じた。


 少し歩くと路地裏に人が転がっていた。ムシロのようなボロを体に掛けている。体格と顔から判断するに、スラムの住人で、年上の男性のようだ。少女と同じような境遇なのだろうか。


「ヒッ」


 アンリは手で口元を押さえた。男の顔は蒼白で、身体には生気がなく、だらりと冷たかった。凍死だろうか。外傷があるのかもしれないが、アンリには確かめたいと思えなかった。女の子の記憶が、こういう死に様はよくあることだとアンリに伝えた。伝染病は流行ってないからムシロを貰っていこうとも。

 アンリは人から物を取ったり、路上に落ちている物を勝手に所有することは、日本の刑法では罪に問われると知っている。しかしこのムシロを今貰っておかないと、寒さで自分の命が危うい。全身が痛くて手足の感覚がなく、鼓動が冷たく、震えが止まらないのだ。またスラムではそのような法はなく、問題ないと女の子の記憶が囁く。

 この王都にも法はあるだろう。女の子が知らないだけかもしれないので、機会があったら勉強しようと、アンリは心の中でため息をつく。


「また返しにきますから」


 迷った末、一言声をかけ、亡くなった男から剥ぎ取ったムシロを紐を使って体に巻く。まだ冷えるがさっきよりはマシだろう。

 女の子もこのように生き延びてきたのだ。

 男に心の中で謝ってから、アンリは早足でその場を去った。

 手で顔を覆う。じわりと涙が出、凍らずに流れた。

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