隠居です。
彼女が勇者に恋をしてしまった。
これは衝撃的でもあり、読めた出来事でもあった。
昨今のラノベではありきたりな話だ。
それでも、俺は彼女だけは違うと思い込んでいたのだろう。
「そうか、でも勇者にはすでに二人も婚約者がいるじゃないか」
彼女は小さくうなずく。
どうやら承知済みらしい。
最後の抵抗とばかりに悪あがきをする。この世界、さすが王政の国なのか、君主には多重結婚が認められている。本当に困ったことだが、この行為により代々の皇帝の財貨はほとんどがこのために使われていると言ってもいいだろう。困ったことだ。
そもそも、税金を使うべきところへ回していない時点でちょっとどうかと思う。
と、その話はあとだな。
「・・・そうか、幸せになってな」
「うん」
分かっていたし、そんな気がどこかであった。
この魔王討伐の旅で、彼女の心は変わってしまうのではないかと。それでも、もしそれで変わるのだったら、俺一人が望み、一人で舞い上がっていただけだろうと。そんなはずはないと、どこかで思っていたようだ。
思った以上に自分が衝撃を受けていることに半ば笑ってしまった。
俺は、この場にいることが耐えられず、その場を後にした。
その後、皇帝と話し合い、勇者とその婚約者の婚式に臨席したのちに、爵位と領土をもらい受け、隠居する事にした。
勿論、結婚の際、彼女も勇者の婚約者として結婚したのは言うまでもない。
そして、王都でのあらかたの用事を済ませ、俺は帝都を去った。
帝歴995年
帝国領サイバ領 領都ヤマテ
一際住宅街が続く道の先、一角に大きな屋敷があった。
その屋敷は、凡そ他貴族でも見たことのない装飾と芸術が詰まっていた。
窓枠からノブまで、全てに芸術的要素と丈夫且つ高級な材質を、伝統工芸的技術を惜しみなく使い果たした屋敷がそこにあった。
そんな建物を建てることを許されたのも、彼だからと言えるだろう。
屋敷の大きさに似合わず、使用人や執事の数はそれほどでもなく、それでも無理なく回せるほどに優秀な人材が集結していた。
朝になり、入江になっている港に朝日が照らし出され、町が霧とともに明るくなっていく。
切りに光が反射し、窓の外が明るくなり始めたころの時間帯に、その屋敷の執事は二階へ向かう。
一階の使用人室を出て、ロビーに出る。そこから木製の青い絨毯が敷かれた階段を上り、二階へ。その後、右に曲がり、一番奥の扉。
白髪を固めた背筋の良い執事は、一度扉の前で止まり、時計を確認する。
ピッタリ6時になったことを確認し、扉をノックする。
「旦那様、朝でございます。入室してもよろしいでしょうか」
待つこと数分。
中からベルの音がなった。
「失礼します」
執事は、両開きの扉を開け、カーテンを開けていく。
すでに日は登りつつあり、朝がやって来た。町には人が出始め、道には猫が活動を始めた。
カーテンを開け終えた執事は、机の上に新聞を載せ、暖かいミルクを傍らに置く。
全ての準備が整い、もう一度、執事は主を起こす。
「旦那様、朝にございます」
うねりと、あくびとともに布団から起き上がる男がいた。
やがて、窓から日が差し、その男の正体があらわになる。
黒髪黒目の特徴を持ち、すでに20を超えたその男こそ、この領の主であり、館の主であった。
「旦那様、もう日が昇っております」
「ああ、分かってる、から、そう、せかすな」
その男こそ、サイバ領の才羽金次であった。
「左様ですか」
才羽は、眠そうながらも、ベッドの傍らにある椅子に座り、ミルクを飲む。
温かな乳製品の味と、口当たりの良さに喉を鳴らす。
「うん、今日もうまいな」
「左様で」
執事は、主の何気ないつぶやきにもこたえる。
才羽は、冷めた目で、新聞を読み始める。
「ふむふむ、勇者王子に内定、次期国王決定、か」
王都では、王女と勇者が結婚し、勇者の皇帝内定がほぼ確実になった。
その勇者と言えば、五人の妻とイチャイチャしっぱなしのようで、あまり内政にまだ関わっていないようだ。そろそろ、学んでおいた方が良い気もするが。
「お、今月は雨続きか。セバス、今期の野菜を買いためてホゾンしておいてくれ」
「畏まりました。どのような品種がお好みでしょうか?」
品種。
勿論我が領特性の品種だ。
「家のと、後は任せるよ」
「御意」
執事は、主の言ったことをノートにメモする。
「さて、今日はどうしようかな」
才羽金次は、暇を持て余していた。
国政から離れ、公爵と言う爵位を貰い受け、その上内政を取り仕切っていた時に得た領土の一部を貰い、悠々自適なスローライフを送っていた。
無論、領土の一部と言っても、現存貴族のなかで最も広大な領土を得ている。
「まあ、無理に考えなくてもいっか」
こうして、腐っていく生活が今日も続いていく。