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その8

 トガは、油断していた。

 ミカエリスとエステルの二人は王都に向かう事をやめ、一緒に亀裂修復の旅を続けているから、もう会う機会など永遠にあるまい、と思っていたのだ。


 だから、ミカエリスとエステルに向き合って何かを話しているその人、誰かを悼むために喪装を纏ったかつての主であるロザリンドの姿に、トガは金縛りにでもあったかの如く動くことが出来ないでいた。

 ただ、それはロザリンドも同様だったのだろう……その綺麗な目を驚きでいっぱいに見開き……そのほほを伝う涙に、反射的に物陰に身を隠した。


「トガ?!」

「ちょっと、いきなり逃げ出すし! うちと同じでそんなに都会の人が苦手だったん?!」


 ロザリンド、そして騎士ノインと丁寧な挨拶をしていた二人の仲間を無視して部屋へと戻り、鍵を閉める。

 あの……ロザリンドが……高慢で、周囲の人間全てを見下していた彼女が、ライバルであるはずの聖人の力を持つミカエリスへの使者としてやってきた? トガにはそれが信じられない。

『僕』であった頃は『貴族のご令嬢とはわがままなもの』と思っていて、気にも留めなかったけど、前世の記憶を取り戻した今となってはロザリンドの振る舞いは主と仰ぐに相応しくないものばかり。

 何をしにきたんだ、いまさら。いまさら。

 そうだ、正面きってはっきりと言ってやればいい。


『お久しぶりだ、ロザリンド。敬語は使わないぞ、俺はもうあんたの下僕でもなんでもない。あんたのワガママを聞いて自分の心をすり減らしながら生きていくなんてもうごめんなんだ』と、そう罵倒しても構わない。もう主人でも下僕でも何でもないのだ。そうしても許されるぐらいの酷い扱いを受けてきたんだ。


「畜生……!」


 なのにどうして……どうして身を隠す。

 どうして目の奥が熱い。気を抜けば泣きそうになるの。『僕』の馬鹿め、『僕』は骨の髄まで下僕だ。あんなに手ひどく捨てられたのに、未だかつての主人の姿を見ただけで喜んでいる。

 そして、また罵倒を受けるのではないかと怯えている。どうして一族の掟に従わず、まだ自害していないのだと責められたらどうしようと考えている。


 冗談じゃない、冗談じゃない。ミカエリス、エステル。『俺』を必要としている人はいる、『僕』を捨てた奴など切り捨てれば良い。

 あの人に忠誠を捧げた『僕』はとうの昔に死んだのだ。


『俺』は犬ではない。

 主人など、誰が懐かしがるものか。




「お、お待ちなさいっ!」


 ロザリンドは背を向けて部屋に立て篭もるトガの姿に思わず大きな声をあげた。

 生きていた。

 服装こそ、自分に仕えてくれていた頃の執事服ではないものの、見間違いではない。

 自分がどこにいるのか、なんの為に此処にきたのか、その全ては念頭から吹き飛び、反射的にトガを追う。

 頭の中には様々な思いが去来していた。トガをあんな些細な理由で解雇した事への謝罪や、今までよく仕えてくれた、本当に感謝していると気持ちを伝えるべきであったと思ったし……そして、どうか願わくば、もう一度自分の下に来て欲しいと言いたかったし……。

 いや、やっぱり違う気がする。ただ抱きしめて、その身が暖かいものである事を確かめたかった。その胸に耳を当てて鼓動が脈打っていることを知りたかった。


 彼が生きている事を、喜びたかった。



 だが、それを阻むようにロザリンドの肩を、ぐいと捕まれ、引き戻される。


「なっ……何をなさいますの?!」

「……ロザリンド様こそ、僕の仲間に何をなさるおつもりだったのですか?」

 

 ミカエリスはロザリンドの進路を阻むように前に出ると、にらみつけた。

 強い敵意が彼女を正面から打ち据える。ロザリンドは、再会を邪魔する相手に怒鳴り、喚き散らしたくなるほどの強烈なもどかしさに襲われたが、それをぐっと堪えた。

 

「あのもの……トガはわたくしの下僕だったものです。話をしたいと思うことの何がいけませんのっ!?」

「……ああ、なるほど」


 ミカエリスの視線は氷よりも冷たく相手を見据えている。

 まるで親の仇でも見つけたかのような非友好的な視線を叩きつける。


「では……貴女が、トガが王都に行くことを嫌がっていた理由なのですね?」

「……ッ」


 ロザリンドは息を呑んだ。

 その言葉は……彼女にとっては刃で胸を貫かれる事にも勝る痛みを与える。

 考えてみれば、当たり前の事。あんなにも忠実に仕えてくれていた少年に対し、誠実に報いてこなかった自分は嫌われていて当然だった。

 膝が震える。周囲の人は彼女自身を責めることはない。平民である少年が、勝手に自害しただけ。事情を知る国王や父は何も言う事はない。

 責めるような視線も、弾劾の言葉も、目を閉じ、耳を塞いでしまえば届かない。


 だが、良心が自分自身を責める声からは、絶対に逃げることが出来なかった。


 ロザリンド、ロザリンド、酷い女。

 あんなにも自分に尽くしてくれた子にワガママに当り散らして、優しい言葉ひとつかけることなく見殺しにした。

 

「違いますのっ……違いますのよっ?!」

「……?」


 ミカエリスは目を細め、訝しげに首を傾げる。

 ロザリンドは、ミカエリスをその瞳に写していながらも、見ていない。意識に、入ってこない。

 彼女は心の内側から響き渡る自罰の言葉に、涙ながらに反論しているだけだった。


「死ぬなんて……誰も教えてくれなかった……お肌に傷が残ると思って、当り散らして……ものの勢いで『お前なんかいらない』って言ったら……それを……それを理由に……自害するなんて……そんなの、知らなかったんですの……」


 がっくりと膝を突き、肩を震わせて嗚咽の声を繰り返すロザリンドに、ミカエリスは彼女をどう取り扱ったものか判断できず、傍にいるエステルと顔を見合わせるだけ。

 エステルは、ロザリンドの言葉に納得言ったように頷いた。


「あー、トガ少年の出自がこれで分かったし。アーヴィング老が鍛え上げる万能執事の一門の出な訳ね。

 で……そっちのお嬢様が、知らず知らずのうちに解雇を命じていたと」


 エステルの眼が、まるで値踏みするような冷酷の色を発する。

 言葉を間違えれば即刻叩きのめすといわんばかりに目が口ほどにモノを言っていた。


「では……なおさらロザリンド様、そしてノイン殿。お二人をトガにあわせるわけにはいきません。

 彼は僕の大切な人なのですから」

「なんですと」


 エステルは平坦な声で主人の言葉に怪訝そうな声をもらした。ミカエリスの言葉は、たった一言肝心なモノが抜けていた。

 確かに、トガは大切だ。彼が来てから魔獣との戦いは常に機先を制し、戦いの始まりは常に優位な奇襲攻撃。不意打ちを絶対に受けず、魔獣の体から金銭として取引できる部位を剥ぎ取る解体の腕も一級品。その場のありあわせの食材で、旅の最中とは思えぬほどに滋養に満ち、舌を楽しませる料理の腕もありがたい。腕の良い頼れる仲間という意味ならこの上ない。


 しかしミカエリスのその言い方だとなんだか主人とトガの二人は恋人同士ぽく聞こえるではないか。

 エステルは首を捻った。トガが前世の記憶からミカエリスの事を性別不詳であると判断したように、エステル自身、この男だか女だかよく分からない主人の性別は未だに掴み損ねている。異性愛なの? 同性愛なの? どっちなの? と首を捻った。


「な……なんですって?!」


 ミカエリスの台詞が、ロザリンドに与えた衝撃は予想通りであった。

 彼女はその玲瓏な美貌を赤く染め、そして言葉にはし難い気持ちに駆られる。まるで心臓をくしゃくしゃに握りつぶされたような苦しい気持ち。

 一度は失意と落胆に落ち込み、失ったものの大きさに嘆き悲しみ。……そして一度は自らの愚かさゆえに失ったものが失われていなかった事に気づいた。

 けれど、それを取り戻そうとしたらもうそれは見知らぬ他人が『自分』のものと宣言したのである。


 ロザリンドは狂おしい気持ちに襲われた。

 理性は、それも仕方ない事と感じている。手中の玉を地面に投げ捨て、もはや要らぬと捨て去ったのだ。それを見知らぬ誰かが拾い上げ、宝物として大事にするのも当然の事と思う。

 けれど、感情は自分の大事な宝物を他人に横取りされたような恨みしか沸いて出てこなかった。自然と眼差しは鋭くなる。意識もせぬまま淑女らしくない恨みの呻き声があふれ出た。

 美貌の公爵令嬢と、性別不明の麗人が一人の男を巡ってにらみ合う。


 こうして。

 宿の一室の前で陣取られ、にらみ合う二人の聖人と聖女にいい加減耐え切れなくなったトガが出てくるまで、二人はライバル心を剥き出しにするのであった。 

 

 

 

 

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