その7
「さぁて、と」
夜明け近くの時間にトガは目を覚ます。
ミカエリスとエステルが健やかに眠っているのを確認すると、懐に仕舞いこんでいた置手紙を枕元に残し、ゆっくりと立ち上がった。
肩に荷物を背負い、宿を出る。
ここからどうしようか。
悪役令嬢として主人公と敵対するロザリンドは、この国のあちこちに顔を出すことになる。
『僕』はもっと僻地、もっと片田舎で過ごすべきか、と考えていた。
しかし、同時に『俺』の腹の中で燻るものがある。
もっと戦いたい。誰かに認められたい。異世界で生まれ変わったのだ、英雄と呼ばれずとも、誰かに認められ、必要とされたい。この鍛え上げた技量や、万能執事としての能力を活かさずに隠遁した仙人のように世俗を離れて生きていく事に耐えられるほど……満たされていない。
トガは自分の実力がこの世界でも最高水準にあると知っている。主に仕えるために仕込まされた様々な技術も加えれば万能の人材と言っても過言ではない。
それを使わずに生きるなどなんだかもったいない。
なにより、どうしてロザリンドの視線を恐れてびくびくと生きていかねばならないのか。
トガはなんだか腹が立ってきた。
自分が解雇されたのはロザリンドが馬鹿で我侭だったからだ。なのにどうして捨てられた犬のように、自分を捨て去った主人の顔色を未だに伺ってやらなきゃならないのだ。
「……何してるんだ、俺」
トガは足を止めた。
ロザリンドに出会ったら一言怒鳴りつけてやるべき。そう思ったらどうして彼女との対決を避けるかのごとく、ミカエリスと分かれる方向に移っているのだろう。
「何で俺……ミカエリスと分かれようとしてるんだ?」
「……それはっ僕のっ……台詞じゃないかな……」
突如、後ろから聞こえてくる声にトガは慌てて振り向いた。
見れば寝間着に服を一枚羽織っただけの姿でミカエリスが荒々しく呼吸していた。
斥候である自分が、こうもあからさまに全力で走ってきた相手に気づけなかったのか、どうやら自分でも平静でなかったらしい。
「なんでどっか行くんだ、トガ!」
「そうだしそうだし。自分ら放り捨ててどっか行くとか、せめて事情を自分の口で告げて去るべし。無言退職はやっぱだめーよ?」
ミカエリスの後ろでは、エステルが全く呼吸も乱さずについてきている。着ているのは無意味にセクシーなランジェリーだったのはなぜか。
ミカエリスは言う。
「……君の……話してくれない、昔と関係が?」
「……ああ、まぁ。王都にはどうしても会いたくない人がいるんでな」
「そっか」
ミカエリスはそれ以上、こちらに質問をしない。
魔物を狩る仕事なんて見入りは大きいが当然危険も相応に大きい。脛に傷持つものも多く、あえて昔の事には触れないのが暗黙のルールであった。だけれども、ミカエリスの次の言葉は、トガにも意外極まるものだった。
「よし、わかった。君がいやがるなら王都行きは無しにしよう」
「……は?」
トガはあんぐりと口を開ける。
『僕』であった頃の常識で考えるなら、王から直接召還を受けることは名誉な事。名誉だけではなく、多大な支援を受けることもできるだろうし、また聖人と共に功績を立てようと同行を求めるものも多い。
その全てを捨ててまで……自分が必要だというのか?
ミカエリスと同じく、エステルが頷く。
「それに自分も、あの王様からの使者、なんか気にイラねーし。何さこっちをあからさまに田舎モノ扱いしやがって。若が返事するのもまたず、用件が終わったら『こんな下賎なものと一緒にいたくない』とでも言いたげにすぐどっか行くしよー」
「はは……」
エステルの言葉は多少オーバーではあったけど、使者の態度は大体そういうものだった。
ミカエリスも苦笑はすれども、否定はしていない。朗らかに笑って言う。
「でも、そうだね。……僕のような聖人の力を持つ人間が、亀裂の修復を一日でも怠れば……一日誰かが不安を感じる。
式典よりも亀裂の修復が優先するべきこととは思えない」
トガは小さく頷いた。
ぽろぽろと目から涙がこぼれるのを堪えられない。
過去も話さず、正体も明かさず、ただ黙って去っていこうとした自分に気を使って、本来得られるべき栄誉を捨てようとする二人の気持ちが、本当にありがたかった。
「ありがとう……ミカエリス……」
「どういたしまして、トガ。君は僕の大切な人だからね」
どきんっ、と心臓が僅かに跳ね上がるのを自覚する。
その男だか女だか良く分からない美貌の青年は、自分が際どいことを言った自覚もないままにこやかに笑うのみで。
心が弱っていた時に掛けられた優しい言葉に、トガは軽く微笑んだ。
「ミカエリス=ロージン」
「えっ?! ちょ、な、なんだい、トガ!」
「俺はあなたに尽くす」
少なくとも、かつての主の下に居た時より、遥かに公平で善良な主のもとでなら、この腕前を存分に振るい、世の為に役立てることができるだろう。
トガは、誰かに認められる幸せを噛み締めながら、新たなる主君を定めた。
「……よって……ミカエリス=ロージン男爵は王都へ召還命令を拒絶し、亀裂を修復するたびを優先するとの事だ」
国王陛下の言葉に、周囲の貴族達が『たかが男爵位が陛下の命令を拒絶するとは』『なんと無礼な……!』『即刻兵を送り捕まえるべきでは?』などと声が響く中、国王は――……一人挙手した影に目を向けた。
黒い服……喪装に身を包んだ少女、聖女ロザリンドは、周囲の視線を一心に浴びながら言う。
「恐れながら、陛下」
「ロザリンド殿か。よい。意見があるならば聞こう」
彼女が王都に帰還してから、公式の場に出たのはこれが最初であった。
亀裂の修復の旅が難航していたのは周知の事実であったけども、その誰かの死を悼む弔意の意味を知るものは数少ない。
「聖人の力を持つ、ミカエリス=ロージン男爵は国王陛下の命でもなく、ただそうせねばならぬから、亀裂の修復の旅を行っていたと聞きます。わたくしと違い、国が彼を支援していたという話もありません。
それを――今まで何の支援もしていなかったのに、彼が有名になったからと、いまさら召還命令を出して、それを拒絶した……それだけで兵を送るのは如何なものかと。それに、手紙にあったとおり、聖人の力を持つものが一日休めば、誰かが一日長く怯えて暮らさねばならぬのですから」
「……ふん。聖女の出涸らしが、偉そうな口を……」
ぼそり、と小さな声が、彼女にだけ聞こえるように響く。ロザリンドは否定しない。
トガを自分の愚かな振る舞いから死なせたことが……彼女の心に、ひいては聖女の力にも影響を与えたのだろう。なぜか亀裂を修復する聖女の力を失っていた。
国王は、ロザリンドの言葉に我が意を得たりと大きく頷いた。
「その通りだな。しかし、かといって亀裂を修復し人心の安定に功績の大きいものに褒章を与えぬわけにも行かぬ。聖人殿の邪魔にならぬようこちらから使者を送ろう」
「陛下……その任、わたくしにお命じください」
そのままロザリンドは一歩進み出て、膝を突く。
「……良いのか」
国王は、かつてのロザリンドが聖人の力を持つロージン男爵の子息を憎んでいたことを知っている。
自分より遥かに身分の低い人間が、自分より優れた結果を出していたからだ。それは彼女にとって存在意義に関わる事だったのだろう。
だが、今の彼女はそういったプライドがごっそりと抜け落ち、今では憑き物が落ちたかのように静かでおとなしい。
「はい……かつて聖女の力を持っていたわたくしでしたが……優れた力と、高潔な振る舞いの彼から学ぶことも多いと思うのです」
そうか、と国王は頷いて、彼女の父である公爵に許可を取るように視線を向ける。
こくり、と同意する公爵に国王は頷き、いう。
「では、警護として騎士ノインを付けよう。よろしく頼む」
「御意」