その6
そもそもトガが前世で遊んだこのゲームには、亀裂を修復できる聖なる力の持ち主が三名存在する。
『僕』がかつて仕えていた主人であり、主人公のライバルとなるロザリンド。
物語本編で活躍する主人公。
そして――主人公の盟友として登場するミカエリスだ。
この作品は主人公の性別を選択できるゲームである。
亀裂を塞ぐ力を持つ聖人も聖女も本質的に同じ力を使っている。
そして主人公は聖なる力を増幅するために、恋人を作る設定だ。細かな理由までは覚えていない。
ミカエリスも当然ながら恋人を作っていくわけなのだが、ひとつ特異な設定がある。
それはミカエリスの性別欄が『不明』と書かれている点だ。
そしてミカエリスは主人公と最も好感度が低いキャラクターを恋人として選ぶ事となる。
製作者は『性別不明』である設定と、男性、女性どうとでも取れる顔にする事で『中性的な顔の男性』『男装の麗人』という設定に矛盾をなくし、登場キャラの人数を減らしてコスト削減を図ったのであろう。『ミカエリスの股間はシュレディンガーの猫』などと称される理由である。
しかし、公式は腐女子を侮っていた。
彼女たちは自分の真のお気に入りのキャラにあえて冷たく接して好感度を意図的に下げ、ミカエリスとカップルを作った。そしてそこで『ミカエリスは男』であると信じ込むことにより、ゲイカップルを作り出して楽しむというアクロバティックな快感に浸る腐女子が続出。真のお気に入りキャラを『男×男』のカップルにするために、相手の好感度を如何にして下げるかという『裏攻略チャート』なるものが出現。
主人公の心になりきって『いいの、あたしは貴方達の真の愛の前には潔く身を引くわ。どうか幸せにね、ぐふふ』と悦に入る事もできる。
エンディングのワンシーンでミカエリスと男性キャラが間に赤ちゃんを抱きかかえて幸せそうに微笑む映像が流れれば、何人も奇声を上げた。
何をかくそう、転生先の世界となるゲームをトガの前世に遊ばせたのは、前世の姉だった。
当時のトガは奇声を上げてベッドの上でゴロゴロ転がる姉を何度も見たけど、その時に『でも男性と明記されたキャラと性別不詳のキャラが結婚して子供ができたなら、性別不詳のほうが女性だったからじゃないの?』と質問した。
すると姉は『おばかー!』とキャラの抱き枕で弟の頬をひっぱたいて叫んだのである。
『良い!? ニンジャ小説のレジェンド級サッカ、野間田風邪太郎先生も『忍法背孕みの術』というスバラシィー忍術を使って男同士で子供作ってるのよ?! 愛し合う男と男ならば、子供を産むぐらい何でもないのよぉー!!』
と、奇声を挙げていたりする。
……そんな風にゲーム内で、堂々と『男×男』の絡みを見る事のできるゲームに腐女子は殺到。
ゲームの出来自体も良かったため、宣伝費にもお金を掛けられなかったにも関わらずに口コミで強烈なスマッシュヒットを叩き出し、ゲーム業界を席巻する事となったのだ。
まぁ、そんな事情でミカエリスの事を『公式ホモ』呼ばわりしたトガであったけど……普通に考えればこれが大変失礼な事は言うまでもない。
中性的な美貌、危険にも自ら飛び込む責任感、剣術も魔術も扱える上、魔獣を弱体化させる『聖人』の力を行使できる万能キャラだ。
ミカエリスの陪臣の娘という設定のエステルは典型的なタンクタイプ。
小柄ながらも高いVITとATKを活かし、ざくざくと敵を始末していく。
そんな二人が、俊敏さに長けるトガを仲間にしようと相談するのも無理はなく。
そして……トガ自身、面と向かって『公式ホモ』呼ばわりした相手が怒りを堪え、優しく微笑みながら『すまない、仲間になってくれないかな?』と頼んでくれば、否と断りづらかったのである。
「……ねぇ、トガ」
「あいよ」
「君は僕の幸運の天使なのかい?」
その台詞はちょっとキモいな、さすがは公式ホモ、と凄い失礼な事を思う。
亀裂の修復を終えたその日の夜、トガはナイフを砥石で丁寧に研ぎながらミカエリスに目を向けた。
相手は自分の鎧を丁寧に修復していた。何度も同じ事をしていたのだろう、手つきにはよどみがない。
「……真面目な話をするとね、トガ。君、どこかの主持ちだったんだろう?」
「ま、隠す事じゃないね」
ミカエリスと、その陪臣だというエステルは……実に良い奴だった。
トガは何でもできる。斥候、隠密、奇襲はもちろん、様々な技能を高いレベルで体得している。
「一家に一台、トガ。……いや、ホント感謝してるんだ。君が来てから敵の奇襲はばしばし見抜くし、敵への奇襲は確実に成功するし。
僕やエステルが戦ってる時、ちらちら周りを見てるのは敵の新手か狙撃を警戒してるのだろ?」
こくり、とトガは頷いた。
相手の奇襲、増援を事前に察知する事は重要だけども、かつての主や三人組は役割を理解もせず、ただサボっているだけだと罵倒していた。
トガは小さく目を伏せた。泣きそうだった。
『僕』であった頃のトガは、今のように自分の努力や苦労を理解してねぎらいの言葉を掛けてもらうことは……とうとう、最後までしてもらえなかった。そのかつての諦めと悲しみを思い出したせいで、目頭が熱くなる。
それを誤魔化すように背を向け、言う。
ああ、しかしだ。ミカエリスとエステルとの三人での旅は驚くほどに順調であったけど……その旅もそろそろ終局を迎えようとしている。
「苦労も報われそうなんだろ? 良かったじゃないか」
トガは小さく答える。涙の色が声に滲んでいないか、それが気がかりだった。
「うん……まさかうちのようなド田舎の男爵家の子供が、国王陛下じきじきにお声がけ頂くなんてね」
にっこり花の咲いたような笑みを浮かべるミカエリス。その美しさは男の確率が50パーセント残っている相手であろうとも血迷いそうになるほど美しい。
「このまま順調に行けば、功績も認められて領地の加増か報奨金、爵位もあがるかもしれないな。おめでとう」
「あははっ。報奨金はありがたいね、村の用水路が壊れていたし、水車もそろそろガタが来ていたんだ。これを機に新しいものに買い換えられる。逆に領地はそんなに要らないかな。使う人の数が増えると余計な気苦労も増えそうだ」
ミカエリスの喜びは地位や名誉を尊ぶ貴族というよりも、まるで切れ味の衰えた包丁に変わる新品を喜ぶような、実に主婦的な喜びだった。
顔立ちや外見は誰よりも美麗で貴族的なのに、その性根はまるで普通の村娘のように平凡だ。
それもいいかもしれない。
「おめでとう」
「……おいおい、トガ。君も一緒に行くんだよ?」
「……そうだったな」
トガは小さく答えた。
彼はミカエリスに嘘を付いている。
王都。
アーヴィング爺に育てられた華やかなる大陸の都。『僕』であった頃のトガにとっては人生の大半を過ごした場所であり……そして今もロザリンドお嬢様が住んでいる。
ロザリンドお嬢様。
この世界で生まれ、過ごして……そして仕えるべき主人に捨てられた忠僕の心が、拒絶していた。
いまだ未練がましい事に、もう一度お嬢様に出会い、そして冷たい言葉を吐きかけられたら……それを想像しただけで、トガの心は氷に漬けられたように震え上がる。
「明日は朝頃に迎えが来るんだろう。早めに眠ったらどうだ?」
「うん。……エステルに先に眠っていると伝えておいてね」
「ああ、お休み」
トガはこっそりと数日間、一人旅に戻る準備を済ませていた。
……王都から迎えの馬車を寄越すのでそれに乗るように、と命じられている。もちろん、こちらの旅路の都合もお構いなしで。
トガの前世であり、ただの少年の心は貴族特有の、悪意のない傲慢さに不快感を覚えた。王の命令ならば全てに優先するのが当たり前で、たとえ親の死に目であろうとも勅命を優先するのが正しい……そう思っているのが丸分かりの使者は、結局、ミカエリスの返答も聞かないま去っていった。
ここまでだ。
ミカエリスとの旅は楽しかった。
しかし……この先の未来をゲームで知っている。ミカエリスはそのまま実力を積み重ね、亀裂を修復する聖人として原作主人公や……悪役令嬢として立ちはだかるロザリンドお嬢様と色々関わる事になる。
あの人と、会いたくない。
だからトガは置手紙ひとつ残し、早朝夜も明けきらぬ頃から出発するつもりだった。
トガも、眠りに付くために横になる。
孤独には慣れていた。ロザリンドお嬢様との旅路も周囲に人はいたけど、心を通わせられる人は少なく、孤独と大差ない状況で。
お嬢様から解雇され、一人で生きていた頃も何の問題もなかった。
だから、そう。
以前に戻るだけ。慣れ親しんだ孤独な日常に戻るだけ。
そう自分に言い聞かせているのに、どうして……胸に穴が開いたような気持ちになるのだろう。
トガは声を押し殺し、肩を震わせた。