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その3

 公爵令嬢にして、亀裂を平定する『聖女』の力を持つロザリンドは遅々として進まぬ状況に苛立ちを隠せないでいた。

 この土地を治める領主は最初の頃こそ諸手を挙げての大歓迎であったけど、亀裂を鎮めるための試みが幾度も失敗を重ねると……最初の頃の歓待がまるで嘘のようになり、儀礼的な失礼のない態度になり……そして今日もまた亀裂を鎮める事に失敗したと聞くと、あからさまな舌打ちさえするようになったのだ。


「ああもうっ! 忌々しいこと……トガ、お茶と茶請けはどうしたのっ!」

「は?」


 ロザリンドの苛立ち混じりの命令に、領主の館に勤めるメイドが一人、意味不明だと言わんばかりの不可解そうな声を溢す。

 ああ、そうだった。ロザリンドは命令を取り消すように、下がれと命じると椅子に身を投げ出した。

 トガ。二週間ほど前に解雇したあいつが役立たずであったなら、この屋敷に仕えるメイドや執事はゴミクズと言うべきだろう。主の意を汲んで望むことの手配を事前に済ませておくこと、それが使用人の基本であるのに。


「アイツがいなくなってますます上手く行かない……今日も魔獣共に不意を突かれるし……!」


 ロザリンドも今の状況がよろしくないのはわかっている。

 領主の視線が、最初は歓迎から、徐々にひややかに、今宵に至っては侮蔑さえ浮かべつつあった。それが聖女である自分に対する評価の下落を示していると考えると腹立たしくて仕方ない。

 自分は公爵令嬢で、誰も彼も自分にかしずく。魔獣でさえ我が意にひれ伏すべきなのに。


 ……屋敷の遠くから罵声が聞こえる。彼女のお付として旅に同行する剣士、僧侶、魔術師がこんな不味いもの食えるか、と怒鳴っているのが分かった。

 こんこん、とノックの音がする。


「どうぞ」

「失礼する、ロザリンド殿」


 入ってくるのは、王から護衛兼お目付け役として亀裂平定の旅に付いてきた女騎士ノイン。

 彼女は部屋の外から聞こえてくる剣士、僧侶、魔術師のワガママな罵声に軽侮を隠そうともせずに吐き捨てる。


「……魔獣が出るから満足に狩りも出来ないし、農作業にも身が入らない。亀裂は田畑の作物の出来にさえ悪影響を及ぼすのだから。

 それでも亀裂を平定してくださる聖女様とその一行のためにと、なけなしの貯蓄を切り崩して精一杯のもてなしをしているのだが……こんな片田舎で王宮並みの歓待を期待されても困るというものだ、なぁ」

「明日こそ亀裂を平定します。そうすればここの領主も非礼をわびることでしょう」


 騎士ノインは、ふぅん、と呟いた。

 無礼な態度だ。

 相手が二週間前に解雇したトガや、他の三人であったなら躊躇わず頬を張っただろう。

 だが近衛である彼女は王の信任が厚いゆえにこの重要な任務を与えられた。王から全権を委任された人間に逆らうことは、流石の彼女も躊躇われた。


「これまでは……亀裂の平定は実に上手く回っていたのに。今回も敵に奇襲を受けましたわ。

 今回は物陰に隠れていた卑しき亜人に包囲されたし……何もかも全然上手く行きません……なんでこうなりますのよっ!」

「多数の敵に囲まれて包囲されて生きているだけでもマシとは思うのだがなぁ……」


 実際のところ、ロザリンドとその三人のお付だけならば、何度も戦場の露と消えたことだろう。

 そうなっていないのは……この後方を守る女騎士が、狼狽して逃げようとするお付の三名を脇に退けてから一人で敵の大半を殲滅するほどの実力者だからだ。


「明日から貴女にも前線に立って頂きたいのですけども?」

「我が任は聖女殿の身の安全の確保です。立派な部下三名がいるのですよ、彼らの奮戦に期待なさっては?」


 ロザリンドは、嫌そうに顔を顰めた。

 この女騎士は……日に日に、自分への態度が冷淡になっている。この地の領主と同じく、聖女たる己に失望しているかのようだ。


「まぁ……あの三人もあの三人で……お互いの足の引っ張り合いに忙しいのでしょうけど」

「え?」


 首を傾げるロザリンドに、ノインは皮肉そうな目を向ける。


「おや、ご存知ではなかったので?」

「何がですのよ」

「彼らは実家では爵位や地位を得られる訳ではなく。それぞれの道に独立いたしました。剣士、僧侶、魔術師。

 でももっと上に行きたいと思うなら……亀裂平定を成し遂げた聖女の伴侶が一番上ではありませんか」

「ッ……!」


 ロザリンドは、不意に嫌悪感で身を震わせる。

 全身を醜い芋虫が這い回っていたことを、今、ようやく気づいたかのようだった。

 自ら進んで危険な聖女の道行きに同行するのだから、相応に腕が立ち、なおかつ野心も兼ね備えた相手だとは思っていた。けれどもまさか……あの三人が、地位を引き立てるための道具として自分を見ていたのだと思うと、女として見られていたと思うと、不快感が全身を幕のように包み込んだ。


「と……トガ……!」


 習慣とは恐ろしいものだった。

 子供の頃から毛虫の類が苦手で、それを見つけたりしたら反射的に少年を呼んでどこか目のつかない場所にやってもらうのが常で。

 反射的に、気持ち悪い! と身震いしたロザリンドの喉奥を突いて出たのは、幼い頃から専属の執事として付き従ってきたトガの名前で。そしてその彼を解雇したのは他ならぬ自分自身であった事を思い出した。

 

「どうして、どうして此処にいないんですのよっ、トガ! あなたはわたくしの執事でしょうに!」


 それがどれほど我がままで自分勝手なのか、自覚さえないのだろう。

 騎士ノインの視線は冷やかさを増すばかり。

 

「……ロザリンド様。地蜘蛛がどうやって獲物を感知するかご存知ですか?」

「な。なんの話ですのっ!」

「あれもまた蜘蛛の一種で糸を使う事はお手の物です。要は地面に糸を張り巡らせて、その震動を検知して位置を察知するのですよ」

「……それは……まさか?!」

「剣士、僧侶、魔術師。なるほど、敵と戦うならその役割も重要でしょう。

 しかし、接触より先に敵の位置を事前に察知し、奇襲を防ぎ、逆にこちらから先手を取るために必須の斥候(スカウト)もまたそれに決して劣らぬ役割だった」

「……貴女は……わたくしがトガを解雇したのが、亀裂平定を失敗し続けた原因であると仰いますの?」


 ふん、と小さく溢した騎士ノインの溜息が全てを肯定していた。

 ロザリンドは、ふん、と真似るように声を出した。


「いいでしょう、ならばトガに変わる万能執事をもう一人送っていただきましょう。それが無理なら、もう一度トガと主従契約をしても構いませんわ。そうしたら今度こそ亀裂平定を……」

「生憎だが、聖女ロザリンド様。貴女に、二度目はない」


 は? と尋ね返そうとしたロザリンドは……騎士ノインが取り出した紙包に大きく目を見開いた。

 精緻な細工の施されたそれには、王家の玉爾による判が抑えている。

 すなわち、それを持つ騎士ノインは、この国を治める国王陛下その人の代理人として公爵令嬢であるロザリンドよりも高位の人として扱われる。

 公爵令嬢として教育を受けたロザリンドは、咄嗟に膝を突き頭を下げて平伏した。


「勅命である。聖女ロザリンド、ならびに三名は――直ちに王都に帰還すべし」

「なっ……何を仰いますの!」


 ロザリンドは、自分の体から血の気がひくのを感じた。

 それはすなわち、『お前に亀裂の平定など無理だ』と、はっきりと無能の烙印を押されたにも等しい。

 公爵家令嬢であり、ありとあらゆることを完璧にこなし。これからも完璧な人生が続くものであると信じていた彼女にとっては人生の前途が暗黒に閉ざされたようなものだった。

 

「さ、再考を! わたくしはまだやれますわ!」

「申し開きは王都で、国王陛下その人を相手になさってください」


 それと……と付け加えるように騎士ノインは言う。

 それは彼女が始めて見るような、心からの満面の笑顔だった。


「ああ……わたし個人は、国王陛下の王都への召還命令を一日千秋の思いで待ちわびておりました。

 私と彼の意見を無視し。大型魔獣の討伐を請負い、そして失敗したことを教訓とするならばまだしも、その責任をあの生真面目な彼に全てお仕着せ、自分は悪くないとのたまう貴方達のような馬鹿な餓鬼の面倒を見る事は実に耐え難い苦痛でした。

 旅の前半は彼が目に見えぬところで奔走していたのに、貴女は結局あの実直な少年にねぎらいの言葉一つなく、牛馬の如くこき使うのみ。貴女を守るという任を王その人から受けておらねば頬の一つも張っただろう」


 ノインは、背を向けた。


「己が非を少しでも自覚するといい。さようなら、震えて眠れ」


 そのまま言うべき事は言った、とするように部屋を出ていく。

 すとん、とロザリンドはベッドに腰掛け、そのまま後ろに倒れた。

 聖女である、亀裂平定を成し得る救世主である――そんな誇らしさと共に旅に出た自分が……全ての亀裂を平定し終えて大勢の群衆の歓呼の声に迎えて凱旋するのではなく、無能の烙印を押され、盗人のように一目を避けて帰還せねばならない。


「……う、ううっ……」


 領主や騎士ノインに向けられた失望と侮蔑の視線。

 それを国王陛下や、父から、そして王都に住まう大勢の人々から落胆と侮蔑の視線を向けられると思うと、刃物よりも鋭く心を切り刻まれるようだった。 


 寂しい、寂しい、寂しい。


 世界の誰からも愛されていないような錯覚。

 そんな時に自分の手を握り締めていた少年は……その手は、自分が振り払った。


 ぐぅ……とおなかの空く音がする。

 もう夜も遅く、この館にいるメイドに夜食を命じてあの軽侮の視線を向けられるのが分かっていたから、何か保存食でもないかと探ってみれば……日持ちするようにと瓶詰めされた桃の砂糖煮が、ごろんと転がり落ちた。

 ロザリンドは、風邪の時、体調を崩した時、食欲のない時、よくこれを好んで食べていた。だからトガは桃の砂糖煮の味だけなら、王都の一流菓子職人にも遜色のない腕前だった。

 瓶を空け。とろりとした蜜に溢れた桃を一口、唇に運ぶ。

 慣れ親しんだ甘みが口内一杯に広がり。そして望めば幾らでも作ってもらえたこの味が、今はこの小瓶一つだけしか手に入らないと思うと……ロザリンドは、自分がとても大切なものを捨ててしまった気持ちになった。

 

「わたくしは……わたくしは……悪くなんか……」


 それが自業自得、身から出た錆と分かっていても、彼女は縋るように声を漏らした。 

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